第7話 阿呆

 しばらく考え込むようにしていた五山は、顔を上げた。

「母は偉大な人です。僕がそんな人間になれるとは思いませんし、意志を継いでいるわけではありません」

「もともとは医者になろうと思ってたんでしょう? おばあちゃんに似合わないって言われてたけど」

「あの人の占い、僕は胡散臭いと思ってましたけどね」

「何だと? けっこう当たるって評判なんだよ」

 玲の言うおばあちゃんとは、五年前まで玲が暮らしていた村の村長のことである。玲は親がおらず、当時は村長の元に身を寄せて暮らしていた。占い師でもあった村長は、五山を見るなり「きっと別の輝かしい人生がある」と言ったのだ。

 人の救い方は一つじゃない。医者になる以外にも、人を助ける方法がある。五山がそれに気づいたのは、奇しくも母を殺した悪鬼を退治した時である。

「手が不器用なのは本当のことなので、全く当たってはいないこともなかったんでしょうね」

「別の輝かしい人生っていうのは、きっとこのことだね。褒章の授与なんて、輝かしい以外の何者でもない。おばあちゃんには全てお見通しだったんだよ!」

 五山は、過去を懐かしむような遠い目をすると、ふっと鼻で笑った。

「式に行ったら、きっと僕は英雄として称えられて握手を求められて公舎を宛がわれて行動制限され、僕の力を良いように使いたい奴らに利用されるんですよ。ふふ、良いご身分ですよね」

「えー、さすがにそれはないでしょ。褒章が授与されるだけだよ」

「そんなの、行ってみないことには分からないじゃないですか。僕は、僕らしく生きるために退治を続けるんです。他人にどう思われたって良いんです。母は、分かってくれています」

 五山は頑固な一面がある。行かないと言ったら行かないのだ。それ以外の道はない。玲は、五山のことをよく知っている。

「ねえ、本当に良いの? 後悔しない?」

「後悔なんて言葉は、僕にはありません」

「嘘ばっかり」

 玲は不満たらたらのまま、首を振った。やれやれという様子だ。

「五山って人生損してる」

「何とでもお言いなさい。これが僕の人生です」

 玲は、畳の隅に転がった、ごみ屑のような招待状を哀れに見つめた。多くの人にとっては何よりも大切な紙が、五山の前ではただの紙屑である。

「五山は嫌がりそうだなって思ったけど、でも本当にすごいことなんだよ。せっかくだから行けばいいのに……」

「なら、玲だけでも行きますか?」

 悪意の欠片のないその言葉に、玲は呆れを通り越して怒りを露わにする。

「何で私だけ行くのよ! 馬鹿じゃない!」

「人のことを馬鹿と呼ぶのはいただけませんね。僕だから良いものの、他の人だったらはっ倒されてますよ」

「五山の阿呆!」

 玲は頬を膨らませて怒った。底に沈めていた感情が、五山の何気ない一言でぶり返し、怒りとなって放出した。

「阿保! 間抜け! 頑固者!」

 容赦のない言葉が小さな唇から放たれる。怒りはしばらく収まりそうになかった。そっとしておいた方がいいだろうと判断し、五山が黙り込んだ時、玲は長い溜息を吐いた。眉間を揉み、項垂れ、十歳の少女らしくない濁声を漏らしている。湧いて来た怒りを抑え込もうとしているのだ。

 五山は腕を組み、石の様にじっとしていた。こういう時に五山が口を開けば、せっかく玲が抑えこもうとしている怒りがまたむくむくと起き上がって来るのは必須である。

 玲は頭を抱えて深呼吸をした。次に顔を上げた時には、怒りの感情はほとんど消えていた。

「まあ、この玲ちゃんの存在が知れ渡ったら、老若男女が狂ってしまう可能性があるから、私はひっそりと生きていた方がいいかもね。もし五山が式に参加したらさ、当然私も付いて行くでしょ? そこでみんなが私に狂って、求婚されちゃったりして、五山が独りぼっちになったら可哀そうだもん」

 演技がかったように、玲はひょいと肩を上げた。五山は不思議に思う。

「何で狂うの?」

「美しさに狂うんだよ」

 玲は、手で髪を払うような仕草をする。おかっぱほどの長さしかないため、髪に動きはないが、玲はすっかりその気で「ふふん」と笑ってみせる。

「美しさ……?」

 五山は訝し気な表情を隠さない。

 子供らしい赤々とした頬、丸みがかった輪郭、意思の強い瞳。誰が見ても可愛い子と言うであろう玲を見て、五山は首を傾けた。その行動に、玲はむっと口を曲げる。抑え込んだ怒りがまた湧き出しかけたのだ。

「ちょっとくらい、私の機嫌を取ろうって思わないわけ?」

 険のある目つきに、五山は「はあ」と他人事のように空を見つめる。式に行かないと言ったことが玲を怒らせているのは分かるが、美しいだどうだというやりとりのどこに玲が不満を持っているのか、はっきりと分からなかったからだ。しかし今、玲が怒っていることは明白である。

 五山は考えた。

「……今日は、肉でも食べますか」

「良いね。一番お高いやつね」

「買ってきましょう」

 退治をしているおかげで、五山たちの暮らしは裕福ではないが、困窮しているほどでもない。助けてくれた御礼と言って、人々が五山へ何かと持たせるのだ。謝礼を要求することはしないが、五山も生きる必要があるため、貰うべき時は貰っている。だからといって豪遊をしてしまえば、すぐに飛んで消えるようなものだったが、たまになら良い。

「そんじょそこらの肉じゃ、満足しないんだからね」

 玲の言葉に押され、五山は金を手に町へ向かった。玲が満足する高級肉を吟味し、帰る頃には日が暮れ始めていた。

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