第6話 母親

 玲は、いつも歯がゆい気持ちでいた。五山は見返りを求めず善行を続けていて、単独行動をし、人々の感謝の言葉すらもあまり受け取ろうとはしない。やるべきことをやっているだけだと言わんばかりの頑なな態度は、もう少し軟化すべきだと玲は思っていた。人を助けているのだから、感謝の気持ちくらいはきちんと正面から受け取るべきである。照れ隠しというわけでもなく、ただ当たり前のように悪鬼退治を続ける姿は、まるで何かに囚われているようでもある。

 十歳の少女は、十九歳を諭すようにその手を取った。たくさんの悪鬼を退治してきた手は逡巡するように動いたが、控えめに引っ込む。

「僕はそんなことのために退治をしてるんじゃないんですよ。偉いとか、凄いとか……そんなことを言ってもらいたいわけじゃない。悪鬼退治は、ただの自己満足です」

「嘘吐き」

 玲ははっきりと物を言う少女である。五年という時間を五山と共に過ごして来た玲は、この世で最も五山のことを知っているという自負があった。

「退治をしてるのは、お医者さんだったお母さんみたいに、人を助けたいって思ったからなんでしょう? 素直じゃないのは、五山の悪いところだよ」

 五山は口を噤む。分が悪いとなれば、すぐにこうなるのだ。意味もない時にはよく回る口が岩のようになると、玲には五山がまるで年下の男の子のように見えた。どう考えても可愛くはないのだが、放ってはおけないし、当然嫌いになれるわけもない。

 玲は、五年前のことを思い出した。五年前、五山と初めて出会った時、玲はまだ五歳のふくふくとした頬を抱えた少女であった。天真爛漫でよく走り回り、人懐っこく笑顔を振りまく少女は、五山に対し「不器用な人」という印象を抱いた。それは今でも変わらない。

 玲は、ちくりと胸が痛んだ。目の前の五山と、五年前の五山が重なる。

 五山が今よりずっと幼さの残る顔立ちであった頃、五山の母は死んだのだ。

「五山のお母さんはすごい人だよ。私も命を助けてもらった。五山がその意志を継いで人を助けてるのを見て、きっとお母さんも安心してるよ。今回のことだって、きっと天国から喜んでる。だからさ、式くらい行ったって良いじゃない。誇らしいことだよ」

 玲は、心の底からそう思っている。五山はへの字になると、腕を組み黙り込んだ。

 五山は物心つく頃から母と共に各地を転々とし、悪鬼に襲われた人々の傷の手当てをしていた。母が医者をしていたため、五山にとって怪我の手当ては当たり前の日常だった。始めこそは母の手伝いをするだけだったが、しだいに一人で出来るようになり、感謝の言葉を浴びるたびに「医者になりたい」という思いが強くなるのは当然のことである。しかし、五山は少し手が不器用だった。力が有り余り、手当ての道具を壊すこともしばしばあった。そのたびに母は笑うのだ。大らかで朗らか、誰からも信頼される母を見ていると、五山はこの人の腹から自分が生まれて来たことが信じられなくなる時があった。母曰く、五山は父親似なのである、五山の父親は、五山が生まれてすぐに病で倒れ、そのまま死んでしまった。記憶のない父に思いを馳せると、いつも五山の気持ちは凪いだ。

 五山と玲が出会ったのは、五年前に立ち寄った村でのことである。その時の玲は、悪鬼に襲われ瀕死状態だった。出会ったら死が訪れると言われている悪鬼に出会いながら、瀕死状態であってでも生きて戻って来られたのは、非常に運が良いことだった。しかし、このままであれば玲は死んでしまうところだった。出血多量、意識は混濁し、腹には大きな傷があった。手は尽くし、後は死を待つのみとされていた玲を生かしたのは、他でもない五山の母だ。五山の母の看病により、玲はしだいに回復していったのである。神の御業だ、と村のみんなが言った。しかし、五山の母は「この子に生きたいという意思があっただけですよ」と言うばかりであった。自分はあくまでも、その補助をしたまでだと。偉大な人だ、と村の誰もが五山の母を称えた。五山は、母を誇らしく思った。

 玲の治療と、村の人々から引き留められたこともあって、五山たちはしばらくその村に滞在した。玲はそのうちに回復し、包帯でぐるぐる巻きになりながらも起き上がって生活が出来るようになった。凄まじい回復力だと、五山の母は言った。玲は五山の母にとても懐き、しだいに以前のような笑顔を浮かべるようになった。よく喋りよく笑う、天真爛漫さが戻ってきたのである。しかし、悪鬼に襲われ重傷を負ったという経験が、ふとした瞬間に過るようだった。すると、鼓動が早くなり、心臓をぎゅっと握られたような痛みが全身を覆うのだという。恐怖が再現されると、玲の表情は突然強張った。

「痛いの痛いの飛んでいけ」

 謎の言葉に、玲は強張ったまま顔を上げた。

 それまで、玲は五山とあまり話したことはなかった。五山の母はとても優しく気さくだが、五山という少年は取っ付きづらく、飄々としていて真意が読めない。優しいのか怖いのか、分からないから近付けない。はっきりしているのは、少し手が不器用ということくらいだ。人懐っこい玲がこのような反応を示すのは、非常に珍しいことであった。

 その関係性が変わったきっかけが、五山のこの言葉である。

「……何それ?」

「痛いの、飛んで行ったでしょう?」

 至極真面目な顔をする五山に、玲はぽかんとしてから大笑いをした。恐怖が消え去り、目の前にいる少年がとても面白い人間だと、初めて気づいたのである。それ以来、玲は積極的に五山に話しかけるようになった。村の人や五山の母から、「仲が良いね」「兄妹みたいだ」と言われるほどに、二人はよく一緒にいるようになった。

 平和な日々が続いていた。玲はすっかり回復したところで、五山の母は「村を出ようと思います」と進言した。誰もが引き留めたが、五山たちは各地を点々として、人々の命を救うのである。何も、この村の人間たちだけが健康であれば良いわけではない。すでに、村人たちが五山の母を引き留める術はなかった。

 五山たちが村を出る最後の夜、お別れの会と称した宴会が開かれることになった。玲は招待状を手作りし、五山たちに渡しに行った。

 しかし、二人の姿は見えず、玲は近くをうろついた。

「五山ー?」

 名前を呼ぶも、返事はない。村人たちに聞いても、見ていないと言われるばかりだ。玲は招待状を手に、ぶらぶらと歩き回った。五山たちが村を出るのは明日のはずである。そのうち帰って来るだろうと思って待っていると、玲は嫌な気配を感じた。遠くから、何かを引きずって来る音が聞こえる。玲は走った。そこで見たのは、五山が、母を半ば引きずるようにしてこちらへ向かってくる姿だった。玲は言葉を失った。

 五山の母は血を流し、意識を失っていた。

 五山は似合わない情けない表情をして、「どうしよう」と呟いた。

「悪鬼に襲われたらしくて、倒れてて……」

 青ざめた顔は、五山こそ今にも倒れそうである。村の人々が次々と五山の母の元へやって来て、何とかしようと手を尽くしたが、意識が戻ることはなかった。五山も青ざめながら、必死の手当てをするも、母はその夜に死んだ。

 渡せなかった招待状は玲の手で破られた。村の人々は大きな悲しみに包まれた。たくさんの涙が流れたが、その中に五山のものはなかった。今にも泣きそうになりながら、五山は決して涙を見せなかった。

 五山が初めて退治した悪鬼は、母を殺したその鬼だった。

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