第2話 悪鬼

 悪鬼とは、人を襲い殺す鬼である。遠目から見た立ち姿は人間のようであるが、近付けばすぐに人ではないことが分かる。土気色をした肌は死人のそれで、乾燥し皮がむけたり、逆にどろどろとして腐ったようになり溶けだしている部分もある。目は血走り焦点が合わず、ふらふらと身体を左右に振って走る。あるいは獰猛な獣のようになり、四本の手足を使って前へ蹴り出すようにして走る。どちらにせよそれは異様な光景で、人ではないことはすぐに分かるのである。髪を振り乱し、大口を開けて鋭い牙を煌めかせる様子は人を恐怖に陥れ、逃げようという意思すら喪失させる。尖った爪で襲われたら、たちまち身体は貫かれ、血が噴き出す。悪鬼は気ままに人里へ現れては、人を襲った。獣を襲うこともあるが、多くの場合、標的は人であった。ただの人間が悪鬼に出会えば、逃げることすらままならない。多くの人間は、悪鬼よりずっと足が遅く脆いのだ。柔い肌は、悪鬼が噛みつくのにちょうどいい具合である。

 つまり、悪鬼に出会えば、すなわち死が訪れる。よって、人間にとって何よりも大事なことは、悪鬼と出会わないことだった。あるいは出会っても、こちらが先に気付き身を隠す。そうしなければ、死は必至だった。誰もが自らの運を信じ、何の効力もない魔除けを胸に暮らしている。全ては運なのだ。毎朝、今日も平穏に暮らせますようにと、誰もが祈って一日を始める。多くの人の願いは叶うことになるが、その日で運が尽きる人間も、確かに存在する。

 自分の運はここまでか。

 森の中まで薬草を取りに来た仁は、瞬時に己の死を悟った。目の前には凶悪な顔をする悪鬼がいる。見つかったと思った瞬間、悪鬼はすさまじい速さで仁の目の前まで走ってきた。血走った目は喜びを表現し、喉の奥がぐるぐると鳴いている。悪鬼が人間を襲う理由は食のためではなく、ただ本能に従って殺すのだと言う。仁はなるほどと頭の隅で考えた。人が虫を簡単に殺すように、悪鬼は簡単に人を殺すのだ。理由と言えるべきものはなく、そこに人がいるから殺すというような具合である。世の中とはそういうものだった。弱いものが死に、強いものが生き残る。そうして世は成り立っている。弱い自分は、悪鬼に殺されるのだ。それは、自然の摂理である。

 仁は目を閉じた。

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