第71話 アルファにしてオメガ

 正面が炎で覆われた。瞬く間に視界が真っ赤に染まっていく。

 肌を焼く烈火の感覚に襲われつつ、俺は転移魔法を前方へ展開。ワープホールを設置することで、炎を転移させる。

 疑似的な安置を生みだした。


 炎の波が過ぎて行き、一手は延命できたわけだが――。


 ミアの恐ろしいところはその無限の魔力にある。彼女にはスタミナ切れが存在しないのだ。だとすれば……俺のような攻撃手段が乏しい人間を相手にする場合は、遠くから魔法を打ち込むだけでいい。

 容易く制圧されてしまう。


「……次は氷がいいでしょうか?」


 レイピアの切っ先を変わらず俺へと向けて、ミアが静かにそう言った。氷と炎、どっちも御免こうむる。俺は急いでサイドステップを交えてモニュメントに近寄った。

 ついでに、彼女には見えないように呪符を貼り付ける。


 このモニュメント、相当に頑丈なので俺が破壊しようと思えばそれなりに力を溜める必要がある。ミアの目の前で、そんな隙は早々生み出されるわけがない。

 ただ、ミアならば通常の魔法行使でこれを破壊できる。そして、彼女の昔からの悪癖が一つある――それは、魔法の扱いが大雑把なこと。


 消費魔力に気を回す必要がないからこそ、彼女は魔法を加減して打つということをあまり知らない。だからこそ、彼女は巻き添えを気にして平時や密閉空間では魔法を行使したがらない。

 今回も、ミアにしてはやや火力が抑えめなのは俺とモニュメントを気にしてのことだ。(とはいえ、それでもあの火力。それは彼女が俺に殺意を向けているからではなく単純に精一杯の手加減があのレベルなのだと考えられる)


 つまり、モニュメントを盾にすればミアの魔法行使を強く思いとどまらせることができるというわけだ。どれほどの効果を有するかは怪しいところだが……。


「小癪な真似を……」


 俺の読み通り、ミアはレイピアを俺に向けつつも魔法を行使することはない。苦虫を噛み潰したような表情を見せるが、気にしている暇はない。

 さて、遠距離からの魔法攻撃ができないとなれば次に彼女は何をするだろうか?

 決まっている。接近からの近距離戦を仕掛けてくるはずだ。彼女の身体能力は魔力によって大きく向上している。


 そんな彼女に対して真正面から剣を交えるのはそれこそ、俺がSランクレベルの身体能力がなければできない。


 スッと姿勢を低くした彼女は、目一杯地面を踏み抜いて加速。風斬り音と共に、勢いよく迫り来る。俺はサファイアを進行方向へ“置いた”。

 既に彼女の姿は目で追うことはできないが――逆を言えば、早ければ早いほどミア自身の制御も難しいということ。進行方向へ障害物を設置すれば、ぶつからざるを得ない。


 パキン。


 宝石の弾ける音が聞こえた。俺の宝石は砕かれることで真価を発揮する。

 サファイアは氷の魔法を込めた宝石。砕かれることで中の魔力が暴走し、宝石にあてがわれた指向性へと現象を発露させる。

 氷壁が生成されるが――。こんなもので彼女が止まるわけもない。刹那に砕かれ、木っ端微塵に吹き飛んでいった。

 だが、それでいい。


「魔力抽出、属性変化。落ちろ、雷よ!」


 錬金術を応用した魔力の変質。氷の魔力を転化させて雷へ。雷鳴と共に、ミアに雷が落ちる。だが、止まらない。止まってはくれない。

 いくらダメージがないと言えども、人体であれば必ず痺れるはず――。と、そこまで考えて、俺の腹に蹴りが突き刺さった。


「がっ!」


 吹き飛ぶ俺。受け身は取らなければ!

 壁に激突する直前に姿勢を整えて、俺はしっかりと受け身を取った。

 ダメだ。まずは思考を回さないと。考える。考える。ああ、そうだ。ミアはその無限の魔力で無意識で魔法に対する防御壁のようなものを展開していたはず。


 ならば。


 立ち上がって、俺はミアを見据えた。本来であれば、追撃をするに相応しい状況だったのにも関わらず、彼女には追撃をする素振りは見られない。


「……分かりましたか? 私と兄様の実力の差が」

「どうだろうな。俺は物わかりが悪いお兄ちゃんだからさ」

「……」


 以前、ディスペルを扱う魔法使いと戦った経験がここでも役に立つんじゃないだろうか。魔法に対して、ミアは自身の魔力で跳ね返すことができる。だからこそ、物理的な現象であれば、多少はそのバリアもはね除けることが可能かもしれない。

 仮説ばかりだが、何事もまずは試してみないと。


 俺は持ち歩いていた水筒を片手に持ち、とんとん、とブーツで地面を叩いて仕込み刃を露出。彼女と戦うには心許ないが、現状手持ちのアイテムがこんなものしかないのだ。

 お得意の宝石が全く役に立たないんじゃ、こうするしかない。


「無駄な小細工ばかり……」

「無駄かどうかはやってみなくちゃ分からないだろ?」

「分かりますよ。兄様が私に勝てないことくらい」


 彼女が腰を落とした瞬間。今度は俺から仕掛けた。重心を前に倒して、一気に距離を詰めていく。同時に俺は水筒を持つ右腕に魔力を回す。

 俺の身体に直接刻まれた右腕の式が作動。


「魔力装填・術式励起――」


 右腕には熱の魔法を使用しているのだが、少しだけ魔法の伝え方に工夫を凝らした。水筒に熱を加えるのではなく、中の水を熱するような感覚。

 それに気を遣いながら、俺はミアに接近。


「何をしても無駄なことですが――」


 余裕綽々といった様子のミアを尻目に、俺はパンパンに膨らんでいく水筒を確認。ミアに対して水筒を掲げて。

 そこへ蹴りを入れ込み、軽い亀裂を走らせれば。


 熱され凄まじい温度の蒸気へと変化をした水がミアに噴射。魔力ではなく、熱された水。当然、彼女の魔力壁で防ぐことはできない。


「くっ!」


 腕を十字に組んで防御するミア。とはいえ、この程度では致命傷にはなり得ない。だが、防御させたという事実が重要だ。

 今、彼女の視界は水蒸気の白、そしてガードした自分自身の腕に阻まれている。ならば! ここで一気に仕掛ける!


 俺は指を立てて、置換魔法を起動。先程秘密裏に貼り付けた呪符を指定。置換魔法を発動し、俺とモニュメントの位置を変更。


「だが、甘いっ!」


 ミアのレイピアから閃光が放たれたかと思えば、大爆発が巻き起こる。俺がいた位置は瞬く間に爆炎に飲まれていった。


「しまった――やりすぎた……!」


 なんていう声が聞こえてきた。まぁ、確かに視界が塞がった状態で、全方位爆撃は最適解だ。ただ、うん。あれを真正面から喰らっていたら俺は死んでいたな。


「兄様――ご無事ですか!?」

「ああ。無事だ」

「……? ならば、今のは!」


 俺の声が全く別の方向から聞こえてきたことを不審に思ったのか、頭の回転が速いミアはすぐにその可能性に至ったらしい。


「まさか……!」


 ミアの魔力によって、黒煙が晴れれば。

 そこに転がっているのは真っ二つに割れたモニュメント。ミアが生みだしたと思われる特大の呪物だ。


「……流石は兄様ですね?」

「まあな。それで、どうしてこんなことをしたのか教えて――」


 そこまで言って言葉が詰まった。

 さっきまで、悪い呪いを垂れ流していると思っていたモニュメントの内部から、今までとは比べものにならないほどの禍々しい何かが漏れ始めている。


「……兄様、どうして兄様は私を置いて行ってしまったのですか?」

「え?」


 階段を登っていく、真っ黒いモヤを横目にミアはぽつり、ぽつりと呟き始めた。


「あの日。父上は兄様を不要物だと罵って、殺害を企てていました。いえ、あの日よりもうんと、何年も前から」

「……」

「けれど、私はそれに反対を続けていました。いつかきっと、父上は兄様と仲直りをしてくれると、信じてもいました。でも」


 ミアが俺を見据えて、首を横へ振る。


「“あんなもの”は、そもそも父親ではなかったのです。だから、いつか、いつかきっと兄様はこの家に嫌気が差して、逃げてくれると。そして、その時は私も連れ出してくれると、そう思っていたのですが……」

「それは……」


 そんな勇気は俺にはなかったし、ミアに取ってはオメガニアの跡取りになることが一番の幸せだと思っていた。


「けれど、兄様はいい人だったので、父上を信じていたのですね。あの時、私が兄様に酷いことを言ってしまったあの日。一緒に、あれから逃げられたならどれほどよかったか……。いつかみんなでピクニック、行きたかったなぁ」

「今からでも行こう。俺は親父ともミアともピクニックに行きたいんだ」

「いえ。もう、全てが遅くなってしまいました。うん、ごめんなさい兄様。なんだかんだ言って、私も兄様のことを信頼できていなかったのかもしれません」


 久方振りにニコリと微笑んだミア。

 その言葉と共に、凄まじい地響きが地上から発せられた。そして、なだれ込むような轟音がどんどんと俺たちに近づいているようだった。

 一体、何が――。


 違う。


 全く違う。


 俺は、今ようやく真実にたどり着いた。

 あのモニュメントは呪いを親父“に”注ぎ込んでいたのではなく――親父“から”呪いを吸い取って封印していたのだ!

 それを壊して、あの凶悪な呪いの全てが親父に戻っていったということは――まさか、今目覚めたと思わしき“それ”の正体は……。


「最後まで、出来損ないだったのは私の方でしたね。さようなら兄様。クラノスやディダル殿と一緒に逃げてください。それと、最後に――」


 レイピアをくるりと回して、凄まじい火力で部屋を爆撃。

 バラバラと崩れていく天井や、壁が俺とミアを隔離していった。

 ミアは笑顔で俺に別れを告げるが、そんなもの俺が認められるわけが――。


「これまでも、これからも好きで――」

「ミア!」


 崩落する景色、最後に見たミアの姿は視認するのも憚られるほどの真っ黒な呪いで塗り潰されていってしまった。

 ミアの姿が黒へと消えた瞬間。完全に崩壊。

 俺と彼女の居場所を完全に別ってしまった。俺は必死に、ミアの魔力を探知する。ミアは強い、まだ彼女は生きているはずだ。


 あんなお別れはあんまりだ!


 すると、確かにミアの魔力反応がそこにあった。

 崩落した天井を隔てた先に、ミアは生きている!

 俺が宝石魔法を用いて壁を破壊しようとしたところ――そうするまでもなく、壁が“消えた”。まるで、最初からそこになかったように。

 黒が侵出したかと思えば、綺麗さっぱり消えてしまったのだ。


「ミア! よかった……え?」


 かつん。

 かつん。

 かつん。


 黒から姿を見せたのは、さっきまでと何ら変わらない姿のミア。だが、彼女の発する雰囲気が明らかに違っていた。

 この魔力、この威圧感、そして何よりも俺を歯牙にもかけないあの目つき。

 そのどれもが――親父みたいだった。


「やはり愚かな息子よな。だが、此度は大義であった。初めて、お前がいてよかったと思ったぞ? メイム」

「お、親父……?」

「クックック。ハッハッハッハ! ああ、そうだとも。私は“オメガ”ニア・フォン“アルファ”ルド。本当の名前を――アルファにしてオメガ。最初であり、そしてその最後である」


 その親父の言葉の意味を、俺は全く理解できなかった。

 だが――ミアがあの禍々しい呪いに飲まれ、その結果親父に身体を奪われたというのはどうにも否定できないようだった。

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