第72話 家族の形

 始まりは数年前だった。

 父上に立ち入るなと言われていた図書室に踏み入って、書物を読みあさっていた時……。一つ、古くさい本に目がいった。古びた表紙の、薄汚れた書物。

 まるで吸い込まれるように、私はその本を手に取って……さっきまで読んでいた本をほっぽり出して頁を捲ったことを今でも覚えている。


 そして、このオメガニアという一族のことを知った。


「オメガニアは……原初の魔法使い?」


 オールドワン。魔法を志すものならば必ず知っている伝承だった。この世界に魔法を授けた魔導祖と呼ばれる魔法の神。その魔導祖の直接の弟子七人――それが原初の魔法使い。

 正直、ただの作り話だと思っていたが――。いや、古くから自分たちの一族に箔を付けるため、歴史上の偉人の血筋だと騙ることは多々ある。オメガニアも、その一つだと最初こそ考えていた。


 けれど、どうにも本に書かれていた言葉が引っかかる。


 オメガニアは、原初の魔法使い。


 オメガニアの一族ではなく、オメガニアそのものがオールドワンのような口振りではないか。それが引っかかった。


 そこから、私は父上の目を盗みオメガニアという一族について手練手管を尽くして調べ上げた。時に父の目を欺き、時にウソを重ね、時に強引に調べた。

 結果、分かったことがある。


「成人の儀――当代のオメガニアが次世代のオメガニアにバトンを渡す儀式ではなく、原初から生き存えている“ΑΩ”が次世代の身体を乗っ取るための儀式……だと?」


 秘匿された地下図書に、儀式について事細かに書かれていた石碑を発見した。そう、今の今までつみ重なれてきた我が一族の正体は――ΑΩと呼ばれる人外が、究極の魔法使いを目指してひたすらに自らの子を品種改良していただけに過ぎなかったのだ。


 当主はオメガニアの名を継ぐのではなく、まさしくオメガニアになるのだ。


 それがどれほど悍ましいことか、そしてそんな悍ましい生体実験の果てに生み出されたのが私や兄様だと知った時。思わず私は吐いていた。

 心の底から嫌悪感が溢れ出て、思わず口から吐瀉物が零れていた。


「じゃあ、私が今まで家族だと思っていたものは……何?」


 次に頭に浮かびあがったのはそれ。


 家督を継ぐための毎日は厳しいものだった。母上は早くに亡くなって、兄様とも離れて暮らす。近い家族は私のことを物のように扱う父上のみ。

 でも、家族だから耐えられた。

 兄様が、父上は私のことを大切に思ってくれていると保証してくれたから耐えることができた。血の滲むような修練にも、身体中が刺し穿たれるような痛みを伴う魔力の調整にも、孤独で涙を流す夜にも!

 家族だから、いつかきっと三人で笑える日が来ると思っていたから……耐えることができたというのに。


「元から、父上は私たちのことを都合のいい道具としか思っていなかったらしい」


 それがウソだった。

 一体私は何から産まれて、この身体を何に奪われようとしているのだ。たまらなく恐ろしかった。そして、同時に――これを兄様には知らせてはならないと決意したんだ。


 兄様には、家族の幻想を抱いて欲しかった。

 私を諭して、父上の愛を信じ込ませてくれた優しい人。今となっては、私が信頼できる唯一無二の家族。だから、だからこんな思いはして欲しくなかった。

 それに、兄様では……。

 人並みの魔力しか持たず、全ての魔法を操れるが故に何をも極められない兄様では――父上をどうにかすることなんてできない。


「私が――そう私が、やらなきゃいけないんだ!」


 暗い暗い、壁を拳で叩いて私は震える自分を鼓舞した。


「原初より続いた、不滅の存在を。私の代で終わらせる。そして、全ての咎は私が背負う。兄様には、幻でもいいから――どんなに酷くても“家族”ではあったと――そう思っていて欲しいから」


 それが私の覚悟で、今の今まで私を突き動かしていた執念だった。

 父上を倒すために、血の滲む修練は苦じゃなくなった。全身を刺し穿つような痛みだって、なんてことはなかった。ただ……夜はなおも冷たかった。


 逃げたかった。この毎日から。

 全てを放り投げて、兄様とどこか別の場所で……生きたかった。けれど、それは逃げで、私から提案できるものでは到底なかった。

 オメガニアの次期当主として、最後のオメガニアにならなければならなかった。


 ◆


 兄様の追放は心が痛んだが、丁度よかった。

 だって兄様はオメガニアから離れて安全に暮らせるのだから。そして、父上が死ぬ時だけ、帰って看取って貰えば良い。そうすれば、家族のまま私たちは終われるんだから。

 私の成人の儀に合わせて、私は策を講じていた。


 オメガニアの身体は限界が設定されている。およそ40~50年ほど。

 正しくは、当主として設計された人間の成人の儀に合わせて先代の身体が朽ち果てる。だが、兄様というイレギュラーがあって父上はおよそ二年程度、無理をしているのだ。


 それはつまり、願ってもない追い風というわけだ。


 既に父上は人の形を留めるだけで手一杯のはず。だから、私は父上の身体を構成する“闇”を少しずつ奪い取るようにした。

 それが二年前、兄様の成人の儀が延期となった日。


 そして今。

 父上はどんどんと弱っていった。そして、私の成人の儀で丁度死ぬ。


 その予定だった。


 だが、家族という幻想に縋った兄上は見事、私の思惑を超えていった。素直に話せれば、もしかしたら――。そう思ったけれど。

 でも、これでもよかった。



「父上。最期にお聞かせください。貴方は、私を、兄様を、そして母上を――愛していたのでしょうか?」


 崩落する背。

 兄様に別れを告げて、私は黒に染まった視界に問いを投げかけた。返事は分かりきっている。それでもなお、問わずにはいられなかった。


「――愚問だな。お前たちは、ただ私が天に至るための道具に過ぎん」

「……はは、そうですか」


 渇いた笑いが零れた。

 やっぱり、私たちの間に愛などはなく。私がとうの昔に捨てたものは、やはり幻想だったのだと……思い知った。

 だからこそ――諦めがついた。


 兄様を招き入れるリスクは承知の上だ。

 およそ、この盤面も想定には入っている。だから、こうなってもいいように私は一つの策を用意していた。


 最早、身体の自由は利かない。

 意識だって上塗りされてしまいそうだ。私の口が、私の思うように動かず、兄様と何かの言葉を交わしていた。

 きっともう既に、私はオメガニアなのだ。


 ああ、だから。


 私は、最期の力を振り絞る。

 どんな手を使っても、私はオメガニアを終わらせる。そう決意した。肉親だろうと、兄様だろうと、前に立ちはだかるものは必ず排除する。そう誓った。

 ならば、例え自分の命であっても――。いいや、自分の命だからこそ、何よりも軽くBETできた。


 私は、消えゆく意識を踏みとどまらせて。全ての力を込めて身体のコントロールを奪い返す。腰に刺したレイピアを手に取って――。

 自らの首を狙って、今穿つ!

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