大田さん

ナカムラサキカオルコ

大田さん

「あれ、大田さんのじゃない?」

 はりぼての絵が残っていた。ベニヤぐらいの大きさの厚紙を二枚横につないでいる。みんなちゃんと持って帰ったのに。好き勝手に描いて、使って、置き忘れていった。わざとだろうか。

「大田さんだな。誰か、連絡先知ってる?」

 自分が電話をする気はないだろうに、これみよがしに周囲に声をあげる人がいる。

「私がするわ」

 返事を聞かずに言い捨てて、体育館に戻った。祭りのあとの片付けは、だらだらとした雰囲気だ。ステージ上に、ものが散乱している。荷物置き場で、自分のリュックからジュースをとりだして一口のんだ。荷物のみはりをしている山中さんに声をかけた。

「大田さん、もう帰ったよね」

「うん。お先に失礼します〜って、早々に帰ったよ」

「そうだよね」

 自分もそれをみた。携帯電話を取り出して、電話帳を探した。電話はつながったが、音が悪いし、ぶつぶつと切れる。いつもそうだ。

「もしもし、はい、はい、今日はお疲れ様でした。ええ、はい、あの、忘れ物がありまして、大田さんの……」

『アー、やだ、忘レ……ねえ!、やっぱり忘れてタワー』近くにもう一人の大田さんがいるのか、一瞬声が遠くなる。『信じラレな……あんな大きなもの……ンテ、アハハ、ねえ、あんなにがんバッたの……』

 こちらと話しているのか、そばの大田さんと話しているのか、よくわからない。山中さんが好奇心ありありと、顔を近づけてくる。

「なんだって? とりにくるって?」

 ちょっとまてとジェスチャーでしめすと、肩をすくめて飛び下がる。まるでその代わりに、ガシャガシャと大きな音をたてて荷物を運ぶ一団が、大きな話し声とともに入ってきた。少し声をはった。

「ええっと大田さん、お手数ですけど、取りに来てもらいたいんですが」

『とり……いまかラ……』もう日暮れだが、車で往復しても三十分もかからない距離だ。『ええ、そうね、ね、とりにイカ……みなさん、どう……ノ……』

 まるで都合よく音声がとぎれるし、近くでは入ってきた集団がうるさい。どうしてあんなに大きい声で話す必要があるのか。山中さんも、そこにいっしょにきた中学生ぐらいの女の子たちと、話している。昼間に、美しい絵にうっとりとみとれていた。そういうのはいいことだ。今日のために準備されたものは、ここでは処分できない、そう決まっている。

『そうよねえ、そちらで……、できないのよね、できないのよ、アナタ』

「せっかくの力作ですから、みなさん、持ち帰られますよ。大田さんのも、すばらしいじゃないですか」

 大田さんはアラアラとんでもないとうれしそうに謙遜する。それがどんなものだったか、かろうじて思い出した。暖色系の、太陽のような円と女の人の顔を描いたものだ。

『あララ、』大田さんはいま突然気づいたように声をあげた。『私たち、もうお酒を…… ノヨ、今日は、車の運転はもうダメ……ねえ、あなた、あなたも呑んじゃっタ……』

 帰った瞬間に、いっぱいやったのか。のみたいのはこっちだ。周りではどうでもいい世間話が続き、別の一団が、いきなり進捗遅れを自覚して、片付け作業のテンポをあげる。つぎつぎと箱に、乱暴にものを放り込んで、まとめて運ぶ。電話をかけている自分が、邪魔してサボっているかのようだ。

『……ねえ、どうし……、あした、朝、朝イチで……、毎週日曜の朝市にいくから、ちょうどイイ……、あなたもほら、買うものあったわよね』

 なぜこの人は、電話の向こうと、近くにいる人間と、同時に話をしようとするのだろう。

「そうですね、そうしてくださると、ありがたいです。何時ごろに、来られますかね」

『何時ごろ……ええと、何時、何時に家をでなきゃ……』六時だろう、と別の声が入り、『ええ!、そんなにハヤク?、じゃあ何時に起きるの?』耳をつんざくような悲鳴だ。起きる時間だ、とまた別の声が発言した。『ああ、起きる時間、起きル……ね、うん、そうよね、六時に家をでる……早すぎ、まだお日様もでていないころじゃないかしら?』

 それはこちらに、日の出の時間をきいてきたということなのだろうか。

「ええとそれで、大田さん、取りに来るのは、なんじごろになります?」

『時間はねエ……あ、車に荷物を……はいらじゃないんじゃない? アア……とても大きいじゃない、あれ』

 運んできたのに、持って帰られないわけがない。

『ああ、そうね、折り曲げて、ぜんぶよけて……前橋商店さんの……』

 朝市で人気の高級食パンの話をしている。山中さんが、またいきなりのぞきこんできた。

「どう?、取りに戻るって?」

「明日の朝」

 けわしい顔で短く答えると、山中さんは、おっかないといった風にぴょこんと身をひく。

『モシモシ、じゃあ……時ごろに……』

「あ、大田さん、聞こえないです。音がとぎれとぎれで」

 大田さんは何かをしゃべっているが、まるで妨害するように、ザーザーと雑音が入るし、周りも何で盛り上がっているのか、どっと笑いをあげる。その向こうで、手荒な撤収作業は続いているから、またうるさい。

 まったくイライラする。誰もかれも自分を邪魔しているみたいだ。頭と体中に、みるみる怒りが充満する。何をいっているかわからない、わかりにくい。なんなんだ、この人たちはいったい。

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大田さん ナカムラサキカオルコ @chaoruko

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