第5話



 あの出来事から一年と一月が経過しても、わたしは変わらず彼女のことを考えて、トラックを走る彼女を眺めていた。

 購買ですれ違って以降、彼女と正面から顔を合わせる機会は一度もなかった。クラスが違うし、あまり校内を出歩かなければ当然。

 変わったことと言えば、購買のお姉さんと話すようになったことくらい。今までよりも豆乳が売れるようになったらしい。


 彼女のことは、自分から積極的に調べようとしなくても耳に入ってくる。

 友達はわたしとそういう話をするのを避けているっぽいけれど、朝に配られるようなプリントに書いてあるから目にもつく。


 てなわけで、彼女は地区と県を勝ち上がって明日は地方大会らしい。

 県内で二年連続は多分彼女だけだ。昨年は三年ばかりだったし、聞いたことのある名前が彼女のもの以外になかった。


 もしかしたら今日で見納めかもしれないな、と思うと少しだけ寂しい。部活を引退してまで朝や放課後に走ったりするのかな。

 ああでも、それで大学に行くとすれば部活には出続けるかもか。その可能性は高いし、彼女はどこででも走ってそうな感じがする。


 もし見られなくなったら、わたしはどんな気持ちになるのだろうか。

 寂しい、は今思った。今想像しただけでそう思っているとしたら、現実になったらどうなるのか。

 いっそのことわたしのために目の前で走ってくれとでも言ってみようか。絶対やな顔される。もしくは別のことを言われる。

 だから彼女と話すとなると結構億劫になる。負い目とかそういうものではないけど、もともと話さなかったのもあるし。


 そんなわたしの考えていることに呼応するように、彼女が前から歩いてくる。

 練習後のジャージ姿で、つまんなそうに欠伸なんかして。余裕か、明日なんて余裕なのか。


 彼女はわたしの姿を捉えてまた何か言いたげに口をぽかんと開けたけれど、この前みたいに足を止めることはなかった。

 でも、わたしが振り向くと彼女もこっちを振り向いていた。目が合うと、なぜかそっぽを向かれる。


「あのさ」


 とりあえず何でもいいやと思いながら近付く。

 勝手に口が開いてしまったんじゃ仕方がない。めんどくさがるなわたし。


「明日大会なんでしょ?」


「そうだけど」


 だからなに? とでも言いたげな鋭い目が飛んできた。

 久しぶりに話したせいもあって、思わず身じろぎをすると彼女も同じように身じろぎをしていた。お互い居心地は最悪らしい。


「がんばってね」


 わたしが伝えたいことはそれだけだ。

 だから、それ以上を重ねない。過ぎたるはなんとやらだ。


「なにそれ」


「そのままの意味。別に他の意味なんてないない」


「本気で言ってる?」


 彼女は本当に困惑したように表情を硬くする。間髪入れずに頷きを返すと、彼女は見て分かるくらいに狼狽えた。

 ゆらゆらと、短い髪が揺れる。その拍子に見えた耳元と、首筋が、ほのかに朱色に染まっていた。


「それだけ、じゃあね」


 予想外の反応にこっちもなんか気恥ずかしくなりそうで、言葉とともに手を振っておいた。

 彼女の目がぐるぐる回っているのが見える。別れの挨拶をしといてなんだけど、なんとなくもう少し近付いてみた。

 疲れてるのだろうか。指摘したい気持ちでウズウズしかける。結局どうせしないのに。


 もう一歩詰めると彼女は三歩後ずさりする。

 距離が遠ざかる。案外恥ずかしがりやさんなところでもあるのか。


「じゃあ、……うん、じゃあね。が、がんばる」


 しばらくじっと見てたらそんなことをぼそぼそ言って握りこぶしをつくってくる。

 で、ぷらぷらおどおど控えめに手を振り返してきながら、挙動不信感満載のかに歩きで校舎の方へと歩いていった。



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