第4話
彼女と出会ったのは、高校に入学してすぐのことだった。
特にこれという波も乱れもなく中学を卒業したわたしは、それなりに勉強をしていたのもあって、それなりに名の通った高校に進学した。
推薦は何個か来ていたけれど、すべて断った。親は不満そうにしていて、でも無視した。
具体的に何かを話したというわけでもなくて、気が付けば親は折れてくれていた。勝手に納得してくれたみたいだった。
陸上部はどこにでもある普通校のゆるさと聞いていたが、いざ入ってみるとまったく違った。
新しく赴任した顧問が有名な人らしかった。小さい頃に見たことがあるような気がした。
入部したばかり、新入生だけで何本か走らされたときに、となりを走っていたのが彼女だった。
三歩目を踏んだときに、彼女の姿がまだ見えた。四、五、六歩目くらいで突き放したけど、目と鼻の先でのそれは慣れていないもので。
何度走っても、わたしが一着で、彼女が二着で。
それ以来、わたしたちはなんとなく比べられることが多くなった。
真面目で一生懸命な彼女と、真面目でもなく一生懸命でもないわたし。
走るフォームが綺麗な彼女と、適当にぐちゃぐちゃな姿勢で走っているわたし。
社交性皆無で一匹狼な彼女と、なにかとへらへらしてるわたし。
顧問に褒められる彼女と、小言を言われるわたし。
こういくつか挙げただけでも仲が悪くなりそうなのに、彼女は何かにつけてわたしに張り合おうとしてきた。
いつものように事務室で部室の鍵を借りようとしたら、もう貸したよと言われて、部室に行ってみたら彼女のバッグがあったり。
朝練の前にバランスボールで遊んでいるのを見られたら、その次の日からは彼女が先にトレーニングルームにいたり。
練習後にお互い帰る方向が同じで、のほほんと自転車を漕いでいたら無言でスピードを上げて追い抜いてきたり。
謎だった。かなり。
顔を合わせても話すどころか睨まれるくらいなのに。
同じ部活の同じ種目なのに話すのは月に一度あるかないか、周りからのライバル扱いもこれじゃ仕方ない。
でも一番謎だったのは、負けたときに彼女が笑っていることだった。
普通は勝ってわたしに対して笑うものなのだと思うけど、ちょっと意図的にミスったりしてみたらすんごい顔で睨まれた。
思い出すだけでむず痒い。だけ。つまりさして嫌ではなかったのだ。不思議と。
当時もなんなのーなかよくしようぜぇーとは思いながら、わたしも少しは楽しんでいた。
まったく話さないのに。話しかけようとも思わないのに。
で。で、どうだったっけな。
そんなこんなで、蚊に刺されを気にしたり落ち葉で滑って転んでたりインターバル練習を頑張る彼女を見ていたりしていたら。
次の春には、楽しみがそこまでの楽しみじゃなくなった。
理由はただ一つだけで、彼女がこれまでとペース配分を変えたこと。
わたしと同じ前半に比重をかける走り方から、後半にかける走り方に変えた。
だから、あの走り始めの一瞬に彼女は現れなくなった。
終盤で彼女に抜かれるようになったことよりも、わたしと彼女の間で共有していると思っていた部分がただの幻だったと思い知らされたことが悲しかった。
やりきれない気持ちで最後まで真面目に、ほぼ全てヤケだったけど、必死に走ったら彼女をなんとか抜いた。
当たり前なことに楽しくはなかった。でも、彼女に合っているのがそういう走り方だというのは、近くにいたわたしが一番分かっていた。
来月に地区、県、地方と続く大会を控えたある日の練習後に、ほぼ初めて彼女から話しかけられた。
『ねえ、走るのってそんなにつまらない? 楽しくない?』
開口一番にそう言われたものだから、多少は怪訝な目で彼女を見た。
殊更に真剣な表情もフェイクかもしれない。でも何のための? だいいち彼女はそういう人じゃないな、と言えるほど彼女の内面についてよく知らない。
『ふつう。楽しいといえば楽しいし、つまんないといえばつまんない』
だから、素直に答えた。
彼女は首を横にふるふる振った。
『どっちかにして』
『どうして?』
『どうしても』
目が泳ぐ。
私が答える前に、彼女は勝手に話を始める。
『私は、楽しいよ』
『え?』
『あなたを倒すことを考えると、走るのが楽しい』
『……』
『だから、』
何を言われているのだろうと思ったけど、とりあえず頷く。
すると彼女は目をぱちくりさせて、『いや』とめちゃくちゃ細い声を上げた。
僅かの沈黙。つくったのは彼女。破ったのも彼女。
『……負けないから』
それだけ言い残して、彼女は行ってしまった。
楽しいのか聞かれたと思ったら、私は楽しいと言われて、負けないと宣言されて。
なんなのだ、なにが言いたかったのだ。追いかけようかとも思って、でもそうはしなかった。
わたしに全力で来いと、そう言っているのだけは伝わってきたから。
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