第2話



 幼い頃からわたしは足が速かった。


 幼稚園のかけっこも、小学校の徒競走も、男女問わず敵はいなかった。

 理由は単純で、周りと比べて成長が早かったから。

 息切れせずにいつまでも走れたし、準備運動なんてしなくても脚は痛まなかった。


 一歩目でぐいんと地面を蹴り出して、二歩目で前に出る。

 三歩目を踏むときにはもうわたしの前には誰にもいなくなる。


 最初が一番楽しいから、スタートダッシュだけは頑張っていた。

 ちょっと前傾気味に、つま先の少し前にお金が落ちているみたいな、そんな感覚で走り続ける。


 途中からは少しずつ飽きてくる。

 五十メートルも持たないほどで、あれれーと気勢がそがれてくる。

 体力とかそういうものじゃなく、単にやる気の問題なのだろうと昔は不思議で仕方がなかったけれど今はそう思う。


 でも、初めに付けた差はかなり大きいもので、わたしがスピードを緩めたとしても、わたしよりも前に来る人はいない。

 そのやる気がなくなってくる前にゴールを迎えるようなかけっこや徒競走なんて速いに決まっている。


 適性はあった。

 けれど、わたしは走ることが好きでも得意でもなかったのだと思う。


 好きは主観的なもので得意は客観的なものだ、とそんなことを昔どこかで聞いた。


 主観的に見るのは簡単だ。わたしは走ることが好きでも嫌いでもない。さっきの通りスタートとゴールがある競技的な短距離でさえ途中で冷める。

 だからマラソンなんてもってのほかだ。でもそんなに嫌いではない。根本的に好きとか嫌いとかそういうものじゃないんだと思う。走ることって。

 客観的に見ればそりゃ得意は得意なんだろうけど、わたしの意識の中では得意も他者を通して見た結局は主観的なものであって。

 誰かと比べて優位で、価値があって、それは得意で、つまりわたし自身が誰かより優位で、価値がある?


 違う。わたしは自己肯定をするために走っているわけじゃない。

 誰かと比べて足の速い自分に存在価値を見出すとしたら、誰かを上回ることはわたしにとって無くて困ることなのだろうか。

 ただ走っているだけじゃダメなのか。こだわらなきゃダメなのか。好きか嫌いかではなく、得手不得手でもなく、ただ走るのはダメなのか。


 やりたいことがない。部活は全員強制入部。親は陸上部に入れとうるさい。それについて会話をするのが面倒くさい。

 そんなこんなで中学は陸上部に入部した。大抵のことはわたしが従えばなんとかなるらしかった。


 まだマシだったのは、親が部活に介入してこなかったこと。中学はゆるい雰囲気だったからいくらでもサボれた。

 大会でそれなりであれば親は誇らしげにしていた。ええどうぞ、どうぞどうぞ的な、そんなことを思っていた。


 歳を重ねるにつれて、わたしよりも速くフィニッシュする人がぽつぽつと出てきた。

 スタートして半分ほどまでは変わらず一番だったけど、なにやらペース配分というものがあるらしかった。

 つまんないからわたしはしなかった。そんなことをしていたら楽しいことがひとつもなくなる気がしてならなかった。


 走ること以外について何も言われないために部活を続けていた。

 わたしは誰かに自分についての何かを指摘されることが一番いやなことだった。

 取り立てることのない成績も、可もなく不可もなくの人間関係も、出来ることなら関わり合いたくない親との付き合い方も、走っていれば、部活に入っていさえすればある程度は表面化しなかった。

 わたしは半径三メートルくらいの自由を手にするために、いろいろなことから逃げるために走っていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る