みっつめ

「これはうちのおかんから聞いた話なんやけど……」

「そういや怪談ってそんな語り出しだったね」

「風もない、ある晩のこと……。とある一家で、小学生になる息子が、庭の犬がやけに吠えているのに気付いた。なんだろう、変だな、そう思って少年は、窓から庭を覗いてみる。すると、犬小屋の辺りで、何やら黒い影と犬が揉み合っているのが見える。しばらくすると、犬は悲鳴にも似た鳴き声を漏らし、やがて静かになった」

「朱里ちゃん……、話すの上手だね」

「これが浪花の……」

「男の子は怖くなって、カーテンを閉めた。ぶるぶる震えて、布団にくるまって、いつしか眠りに落ちたが、何事もなく、朝を迎えた。けれど、その朝は、目覚まし時計ではなく、母親の悲鳴で目を覚ました。飛び起きて一階に降りると、母親は庭に出ている。家族も皆、庭に集まっていた。緊張しながら庭に出ると、飼い犬が、見るも無惨に引きちぎられ、その一部が食われたように無くなっていたという……」

「……終わり?」

「あほか。これからや」

「怖いけど……、続きも気になる」

「さて、また別の晩、犬が殺された家からそう遠くない所に暮らす、ある一家。いつも通り、家族揃って、夕食の団欒を過ごしていた。さて、中学生になる姉が、食事の途中でトイレに立った。それからしばらくして、トイレの方から悲鳴が聞こえた。慌てて駆けつける両親。娘は廊下にへたり込み、窓を指差して震えている。何があったのか、父親が尋ねると、娘は、血まみれの子供が窓から覗いていた、と言う」

「ちょっと、みっつん、障子の隙間が気になるから、閉めてよ」

「ええっ、わたしが……?」

「父親は窓を開け、外を覗くが、誰もいない。その時、ダイニングからガラスの割れる音がした。急いで戻る三人。すると、そこには、割れた窓ガラスと、散らかった食事の跡、それから、赤黒く残った足跡が残っていた。息子は、消えていた……」

「今、何か聞こえなかった……?」

「えっ、気のせいだよ……。ひかるちゃん、変なこと言わないで」

「それから、その街では、不可解な誘拐事件がたびたび起こるようになった。その現場には、必ず赤黒い、血痕のような足跡が残されていたという……」

「バッドエンドじゃん……」

「ハッピーエンドの怪談なんか無いわ」

「ワンちゃん、かわいそう……」

「そういや、お父さんが言ってたけど、この街って、他の街と比べて行方不明者がすごい多いらしいね」

「えっ、そうなの……? 怖いね……」

「さてさて、お楽しみいただけたでしょうか」

「ちなみに、それって、ほんとにあった話?」

「ま、怪談やからね」

「朱里のお母さんはどんな感じで話してた?」

「なんや、やけに食いつくな。おかんは、まあ、職場の人から聞いたって言うてたけど、怪談にしたのはあたしや」

「ひかるちゃん……、何か気になるの?」

「いや、別に、大丈夫」

「怖すぎておかしなったんちゃう? 蝋燭消すで」

「待って!」

「ん?」

「いや、なんというか、この余韻を、もうちょっと楽しんでいたいというか」

「ああ、最後の一本やし、もうちょっと眺めてようか」

「なんかさ、ずっと話してたせいで、喉渇かない?」

「あ、ごめんね……、飲み物も出さないで。すぐ何か持ってくるね」

「さっきの朱里の話のせいで、ちょっと涼しくなってきたし。熱いコーヒーとか飲みたい気分」

「おまえ、人んち来て図々しいな。ていうか今八月やぞ」

「いいよ、わたしもちょっと、ほっとしたい気分だし……。コーヒー淹れてくるね。ちょっと時間掛かるかもだけど……」

「全然大丈夫。ゆっくりしとくから」

「じゃあ、ちょっと待っててね」

「行ってらー」

「……どうしたん? 急に」

「みっつん、行ったかな?」

「なんなん、小声で」

「あのさ、さっきの話って、朱里の地元の話?」

「いや、こっちに越して来てからの話やで。おかんが今スーパーで働いてて、そこのパートのおばちゃんから聞いたみたいやけど」

「やっぱり……。朱里はここが地元じゃないから知らないかな。あたしが小学生くらいの頃に、この辺で連続失踪事件があったの。もうほとんどの人が忘れちゃってると思うけど、うちはお父さんがセキュリティ系でしょ、だから当時家の中でも結構話題になってて、よく覚えてるんだ」

「あたしの話と関係あるってこと?」

「うん。それにあたし、そういう事件とか調べるの好きでさ、自分の街の事件とか、色々調べてたんだよね。さっきの朱里の話、多分その失踪事件のことだと思う」

「ほんまの話だったんや」

「それで、その事件と同じ頃に、もう一つ事件があったの。殺人事件」

「物騒すぎるやろ」

「山の上に、廃墟があるでしょ。そこの主が、人を連れ込んで殺してたの」

「なに、この街……、ゴッサムシティ……?」

「ちょっと、これ見てよ」

「えっ?」

「これ……なんだけど」

「え、なんなんそれ……? さっき、引き出しの中、何もない言うてたやん」

「実は、あったんだよ。みっつんが言った通り、引き出しの裏に、貼り付けてあった。それよりさ、この表紙に書いてある文字、わかる?」

「手書きで読みにくいけど、S邸、かな」

「そう。そのS邸ってのが、山の上の廃墟のことなんだ」

「どういうこと? これ、何のノートなん」

「この話はあんまり知られてないんだけどね、そのS邸って、この家と関係あるみたいなの。多分、血縁関係」

「だから、この家にそんなノートがあるってこと?」

「そう」

「すまん、ちょっと話についていけてへんわ」

「みっつんが、言ってたじゃん。このノートに、フランケンみたいな話が書いてあったって。S邸の殺人事件も、ちゃんと報道はされなかったみたいだけど、かなり猟奇的な事件だったらしくて、何かの人体実験をしてたんじゃないか、とか言われてたみたいなの」

「ええと、つまり、そのノートに書いてあるのが、猟奇殺人というか、人体実験の記録ってことか」

「あるいは、誰かが、事件を調べてたのか……」

「何を盛り上がってるの?」

「……美津子」

「どうしたの? 二人で寄り添って……」

「いや……、さっきの怪談、誰が一番怖かったかな、って話、だよね、朱里」

「うん、まあ」

「そっか……。わたしはやっぱり、朱里ちゃんかな」

「ええっ、あたしの女の子の話も怖かったでしょ?」

「ひかるちゃんのは……、面白かったよ。ところで、それ、ノートだよね。見つかったんだ」

「あ、いやあ、ごめん、念のためもう一回探したら、出てきてさ。奥の方から」

「中、見てみた?」

「いや、まだ、どうしよっかなあ、と思ってて」

「そっか。……あ、そうだ、コーヒーに砂糖とミルクどうするか、聞きに来たんだった」

「あ、じゃあ、どっちもたっぷり」

「あたしは、ミルクだけで」

「うん、じゃあ、もうちょっとだけ、待っててね」

「さんきゅー」

「……おまえ、挙動不審すぎるわ」

「だって……」

「結局さ、何が言いたいん」

「……さっき、そのノートのS邸って言葉を見た時、直感的に、なんかマズい物を見た気がしたんだよね。それで、咄嗟に見なかったことにして、でも、気になって、朱里が話してる時も、ずっと考えてたんだ」

「話聞いてへんかったんかい」

「いや、聞いてたよ。聞きながら、ね」

「ほんまに、頭だけはよく回るよな」

「ねえ、その前にさ、これ、中見てみる?」

「おう……」

「……ええと、うん、やっぱり、これ書いたの、S邸の主ではないね。実験記録じゃない」

「なんか……、捜査手帳みたいな雰囲気やな」

「このノート書いたのって、誰だと思う?」

「美津子の話からしたら、辞めたお手伝いさんやろ」

「でも、お手伝いさんじゃないよね」

「お手伝いさんの振りした、誰か」

「事件を調べるために、潜り込んだんだよ。お手伝いさんを装って」

「警察はそんな面倒なことせえへんやろうから、趣味の悪いジャーナリスト、ってとこか」

「そんなとこかな」

「けど、何で置いていったんやろ」

「置いていったんじゃなくて、突然いなくなったとしたら?」

「ちょっ、待ってや……。失踪事件の続き?」

「だってさ、ほんとに事件の真相に迫ってたとしたら、口封じとかあるんじゃない?」

「でも捕まったんやろ、S邸の犯人は」

「まだ隠したいことが、あるんだよ。きっと」

「ここの家の人に?」

「うん」

「考えすぎちゃうか? だって、その話がほんまなら、美津子の家族が、お手伝いさん殺してることになるやん」

「そうなんだよね……」

「いや、だよね、って……。なんでそこまでせなあかんねん」

「だから、そこまでして隠さなきゃいけないことがあるんだよ」

「例えば?」

「朱里、知ってるかな。みっつんの過去」

「いや、あんまり昔の話せえへんから知らんけど」

「わたしも詳しいわけじゃないけど、みっつん、小学生ぐらいまでの記憶が無いらしいの。この家も、おじさんとおばさんの家でしょ?」

「ああ、両親がいないってのは、聞いてるけど」

「あたしも詳しくは知らないんだけど、ある時、突然この家に引き取られてきたっぽいんだ」

「その前は?」

「だからそれが、隠したいことなのかも、って」

「人殺してまで隠したい過去って何やねん」

「それにさ、これは、あたしも考えすぎなんじゃないかとも思うんだけど……」

「もうこの際全部聞くわ」

「これはね、きっと偶然だと思うんだ。今日、この場に、この話が集まったのは。ほんとに、たまたま。神様の、いたずら」

「何の話?」

「みっつんの話と、あたしの話、それから、朱里の話」

「話って、さっきの怪談?」

「三つの話、思い出してみて。何か、感じない?」

「ええと、何やろ……。ひかるの話は、おもんなかったな」

「ばっさり。いや、そうじゃなくて、共通点とか」

「そうやなあ……、三つとも、子供が出てきたな。それで、ひかるのは、子供が脱出して、美津子のは、子供が作られて、あたしのは、血だらけの子供が人を攫って……。ん? ちょっと待って……。まず、子供が作られて、それで、脱出して、街に出没した……?」

「そう。順番が違ったけど、三つの話は、繋がってるんだよ」

「……マジで?」

「ほんまに」

「いやいや……」

「まず、狂った人体実験で、一人の女の子が作られた。もしかしたら、ほんとに科学者の孤独が生み出したのかもしれない。とにかく、女の子は、誕生してすぐに、実験室から逃げ出した。そして街に出たその子は、夜な夜な住宅街に現れて、凶行を繰り返す」

「でもさ……、百歩譲って、その話が繋がってて、全部実話だったとしても、おかしない? 死体繋ぎ合わせて子供が産まれたっていうのからそもそもアレやし、ドアぶち破って脱出したとか、窓突き破って子供攫ったとか、そんなんまるで……」

「……怪物」

「だいたい、何で人攫ってたん。そんなん、戦国時代やあるまいし、今の世の中じゃ普通に犯罪で捕まるぞ」

「そう」

「……え、ていうか、もしかして……、嘘やん、隠したい過去って、そういうこと……? じゃあ、ちょっと待って、おまえ、まさか、その子供って……」

「昔から、人が人を食べるのは、その人の力を取り込むためって意味があるんだよ。あるいは、薬として」

「そんなスピリチュアルな……。いや、それよりさ……」

「人に作られた魂だよ? その怪物は、産まれた時からスピリチュアルなんだよ」

「……なあ、ひかる」

「きっと、その怪物は、人を食べないと、自分を維持できないんだ」

「ひかる」

「人間離れした怪力で、ドアを破ったり、犬を引きちぎったりするんだ」

「ひかる!」

「……え?」

「それ以上言ったら、どつくぞ」

「……ご、ごめん」

「もし……、もしやぞ、その子供が、人を食べなあかんのやったら、今はどうやって生きてんねん。記憶も……失ってるんやろ」

「例えば、家族が、こっそりご飯に混ぜてるとか……」

「……もう、ええわ」

「ねえ……、朱里」

「なんや」

「ちょっとさ、一つだけ、聞いてみてくれない?」

「自分で聞けや」

「いいじゃん、一つだけ。……何か、隠してることないか、って、それだけ」

「あほらし」

「……だよね」

「だいたい、話が飛躍しすぎやねん」

「うん」

「ほぼ、想像やん」

「うん……」

「そもそも、そんなフランケンみたいなやつが、現実におるわけないやろ」

「なになに、またフランケンシュタインの話?」

「み、みっつん……!」

「……いきなり現れんなや」

「ごめん、普通に来たつもりだったんだけど……、二人が一生懸命喋ってるみたいだったから……」

「……どのへんから聞いてたの?」

「えっ? フランケンがどうのって……」

「美津子、コーヒーありがとうな」

「はい、どうぞ。朱里ちゃんが、ミルクだけで、ひかるちゃんが、ミルクと砂糖大盛りね」

「三人揃ったし、とりあえず、蝋燭消そか」

「どきどきするね」

「ほんなら、消すで」

「……ひかるちゃん、どうしたの?」

「えっ、いや……、そうだね、どきどきするね」

「では」

「……消えた」

「……真っ暗になっちゃった」

「ほんまに何も見えへん」

「コーヒー、気をつけてね……」

「見失ってもうた」

「大丈夫? 電気、点けようか?」

「いや、まだええよ」

「……そう?」

「なあ、美津子」

「なあに?」

「あのさ」

「どうしたの?」

「えっとな……」

「うん」

「聞きたいことが、あるんやけど」

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