愛念の隠蔽

5

 神内くんはあれからも私の前にひょっこり現れては、爽やかな笑顔で裏表のなさそうな会話をしていく。竜生くんからの警告がなければ、警戒などせずにかなり仲良くなってしまっていたと思う。



 

「明石先輩は俺のこと苦手ですか?」


 体育祭と中間考査が終わり、文化祭準備が忙しい10月下旬。購買でおやつを選んでいたら神内くんに声をかけられた。いつも通り適当に愛想笑いをして話を切り上げようとしたときに、切なげな声音でそう問いかけられたのだ。

 うっ、と言葉に詰まる。それはあまりにも庇護欲をそそる表情をしている神内くんに、同情心を持ってしまったからだ。

 苦手ではない。だって私が知る彼は、聡明で溌剌としていて非の打ち所がないほどの好青年だ。嫌なことを言われたこともなければ、竜生くんが心配していたような執着心をみせられたこともない。なので私は、ただただ慕ってくれるかわいい後輩を無下にしている、という状況なのだ。いくらなんでも良心が痛む。


「苦手だなんてまさか!神内くんのこと好きだよ?」

「……ほんとですか!?よかった……俺、なんかしちゃったかな?ってすっごく心配してて」


 私の言葉に安心しきった顔で答える神内くん。グサグサとさらに良心が痛む。……めっちゃいい子じゃん……!

 竜生くんの警告を疑っているわけではない。だけど、今私の目の前にいる神内くんときちんと向き合いたい欲が出てきたのだ。


「誤解させちゃってごめんね?」

「いえ!俺が勝手に不安になってただけなので!」


 からりとした明るい笑顔で神内くんは続ける。


「そういえば、先輩のクラスは文化祭の出し物は何されるんですか?」

「喫茶店だよ!パフェと飲み物出すんだぁ」

「おいしそうですね!俺行きますね、絶対!」


 キラキラの瞳が人懐っこく細められた。うーん、やっぱりいい子だとしか思えないんだよなぁ。「私も神内くんのクラス見に行くよ」と約束をして神内くんと別れた。


 購買で買ったドーナツを持って教室に戻り、文化祭の準備に取り掛かる。3年生は自由参加なので今年の文化祭が実質的に最後になる。思い出に残る素敵なものにしたい。




 「おぉ、意外といけるじゃん」と失礼極まりない声をかけられてイラッとした。意外は余計な言葉なんだけど!?


「まぁ、これでも花の女子高生ですから」


ふふんと自慢げに鼻を鳴らし、一回転してみればふわりと白いエプロンが揺れた。


「いいねー。その薄い白ソックスがたまんないわ」


 私が見てほしい所とは違う所に注目されても……とニタニタとした笑みをこぼす礼人に冷めた目を向けた。


「変態みたいなこと言わないでくれますー?」

「おいおい、変態とは心外ですねー。男なら絶対見ちゃうでしょー」


 まるで全男を代表するような口ぶりだ。たしかにミニスカートーー予算の都合で制服のウエスト部分を折り返したものだがーーにニーハイソックスの合わせは、絶対領域という単語があるほど人気なものだ。だからこそ衣装決めの時にこの案が多数決で通ったのだと思う。

 しかも、ニーハイソックスはじっと見つめれば肌感がわかるほどの薄い生地だ。チラリズムという単語があるように、あからさまな生足より生地越しに薄っすら透ける肌に興奮する性的嗜好も存在するのだろう。


「じゃあ、この格好を見せたら竜生くんもその気になってくれるかな?」

「洗井くんはそんなものに興奮しなさそう」


 そんなものに興奮してる礼人ははっきりと言い切った。それ、自分で言ってて悲しくなんないのかな?


「どうかな?竜生くんも所詮男子高校生だからなぁ」

「……洗井くんのこと庇いたいの?けなしたいの?」

「どっちでもないよ。私はありのままの竜生くんを受け止めたいの!」

「そ。応援してるわー」


 礼人は私の頭に乗せようとした手を慌てて引っ込めた。その代わりにグッと親指を立てて私への応援の気持ちを表した。






 私が竜生くんから呪いの言葉をプレゼントしてもらった日。私は逃げていたことと向き合い、決着をつける決意をした。

 礼人の優しさに甘えていた。お互いにとって良くないこととわかっていながら、温泉のように心地良い礼人の好意にズブズブと浸かって、自分勝手にそれを消費してきたのだ。

 

 礼人の気持ちに応えられたら、と考えたことももちろんある。それどころか今でも考えている。だけど結局私は竜生くんを求めてしまう。浅ましく、卑しく。美しいものではないとわかっていても、ただ側にいたいと。





「なにー?改まって」


 私が呼び出した礼人は、いつものように緩い声と柔らかい笑顔を携えて私が座るベンチへとやって来た。


「……うん。きっちり返事をしておこうと思って」

「その顔から察するに、やっぱり俺じゃダメだったってやつかー」


 どっこらしょ、というなんとも気の抜ける掛け声を発しながら礼人は私の横に腰掛けた。


「礼人がだめとか、そういうことじゃない。竜生くんがいいの。竜生くんじゃないとだめなの」

「それでもいいって言っても?2番目でもいいよ?美琴が洗井くんのこと好きでもいい。ただ側にいたい」


 わかる。礼人の気持ちは痛いほどわかる。だって、私も竜生くんに対してそう思ってるから。

 私のことを好きじゃなくていい、ただ側にいさせてほしい。竜生くんの未来のどこかに私を存在させてほしい。


 それでも私は礼人の気持ちに応えるわけにはいかなかった。


「だめ。礼人は私の大切な人だよ。……だから雑に扱いたくない」


 今さらごめん、と頭を下げると、礼人は「ふっ、」と小さく笑った。


「ねぇ、これから一生洗井くんとヨリが戻らないとして、美琴は洗井くんと友達になれる?」


 礼人の問いかけに私は眉間に皺を寄せながら考えた。竜生くんと友達……ともだち……?


「無理かなぁ……。想像できないや」


 正直な気持ちだ。私はどこまでいっても竜生くんのことを男としてみてしまうだろう。その竜生くんと、亜美ちゃんや礼人のように友達として気軽に付き合っていける姿が想像できなかった。


「……うん!じゃあ、いいや!美琴の一番の男友達のポジションは俺だよね!俺は美琴にとっての特別ってわけだ」


 ベンチから腰を上げた礼人はそう言いながらからりと笑った。夏のように突き抜けた眩しさを纏い、煌めく夜空のように光る温かい笑顔。それは礼人そのものだ。

 男友達、そんな肩書きなどなくても礼人は私の特別だ。私はその笑顔を一生忘れない。




 喫茶店は当初の予定より大勢の人で賑わっていた。これは買い出しに行かなければ材料が足りなくなるかもしれない……とみんなが心配しだした頃、担任の先生が「車を出すから買い出しに行こう」と買い出し担当の子を2人連れて業務スーパーに向かった。

 

「わぁ、すごい賑わってますね……もしかして今邪魔でしたか?」


 私が待ち組数を確認していると声をかけられた。


「あ、神内くん!来てくれたんだ!」

「はい!絶対行くって言ったじゃないですか」


 信じてなかったんですか?とでも言いたげに眉を下げた神内くんのきゅるんとした瞳が、私の母性をくすぐる。


「そんなわけないじゃん!今ちょうど忙しいんだけど、席数増やしたし直ぐに空くと思うよ」

「やったー!じゃあ、待ってますね」


 かわいい……。感情のままにコロコロと変わる表情が神内くんの魅力だと思う。人懐っこい笑顔に絆されそうになるが、私は襟を正した。

 ダメダメ。神内くんとは、あくまで竜生くんとの約束を基盤として関わっていかなきゃね。そもそも、関わるな、と指示されているので今のこの状況がアウトな気もするけど……。


「あ、そうだ!明石先輩の番号って何番でした?」


 私が葛藤にうんうん唸っていると、神内くんが首から下げた紙を私の前に掲げて問いかけた。そこには『143』の数字が書かれている。ん?見たことある数字だぞ?


「わ!待って待って!」


 制服に隠していた紙を興奮気味に胸元から引っ張り出す。やっぱりそこには同じ数字が書かれていた。


「おー!すごい!こんな身近にいるなんて!」

「びっくりだよー!今買い出しに行ってる子たちが帰ってきたら、テント行こうよ!」


 生徒会のテントに行けば景品がもらえるのだ。しかも景品とはどうやらお菓子らしい。これは是が非でももらいたい。

 「先輩、はしゃぎすぎ!」と神内くんが私を嗜めたが、顔が嬉しそうに笑っている。「ごめん!つい興奮しちゃって」と姿勢を正して落ち着けば、神内くんは「秘密の話もあるんです」と意味ありげに口角を上げた。




 買い出しに行っていた子たちが帰って来ると、休憩がずれ込んでいた私はすぐに持ち場を離れた。


「かなえ!私、神内くんとテントに行ってくるから!」

「わかったぁ!終わったら連絡してね」


 一緒に文化祭を回ろうね、と約束していたかなえにそう告げて、私の教室の前で待ってくれていた神内くんに「お待たせ!」と声をかけた。


「いえいえ、お疲れ様です」

「お菓子楽しみだねぇ」


 私の周りにいるどの男の子よりも背の高い神内くん。顔を見ながら話していたせいだろうか。足元が疎かになって、階段の段差に躓いてしまった。


「わっ!」


 と、色気などあったもんじゃない声を出しながら転びそうになった私を、神内くんの華奢な腕が抱え込んだ。


「危なかったですね」


 神内くんは私の体勢を整えて、いつもの屈託のない笑顔を見せた。思っていたのと同じぐらい華奢な腕だった。男、というよりは、少年、といった方がしっくりくるような線の細さだ。


「あ、そうだ!テントに行く前に秘密の話を聞いてくれませんか?」


 今閃いたかのように声を上げた神内くんは、私の手を取り歩を進める。私の返答など聞く気もないようだ。


「ちょ、ちょっと、秘密の話ってどこでするの?」


 今日はみんなが動き回っている文化祭だ。校内に人がいない所などないだろう。それに使われていない教室は施錠がされているはずだ。私が疑問を投げかけると「大丈夫ですよ」と神内くんは言い切った。自信満々なその口調に計画性を感じ、思わずたじろいだ。


「やっぱり秘密の話は聞かない!このまま生徒会のテントに行くか、行かないなら解散しよう」

「えぇ……残念だなぁ……!先輩は知りたくないですか?洗井先輩に振られた本当の理由」






「ここです!」


 と案内された所はいつぞや竜生くんと2人で入ったバスケ部の部室であった。たしかに部室棟は運動場の隅にあるので、校内と中庭、そしてエントランスを使用している文化祭の今日、そこには人気が全くなかった。

 なんなの?バスケ部って部室を密会に使用していいルールでもあるの?と思ったが、そんなルールは絶対ない。鍵の管理を任されている一年生だからこそできる特権というものだろうか。


「お邪魔します……。あ、鍵閉めないでね」


 私が念のためにそうお願いすると、神内くんは「信用ないなぁ」としょんぼり肩を落とした。そんな神内くんを目の前にすると「信用ないとかそういうことじゃなくて……」と思わず慰めそうになってしまい、慌てて言葉を止めた。


「で、本当の理由ってなに?」


 私はそれを聞くために危険を冒してまで、のこのこと神内くんに着いてきたのだ。


「あぁー!それは嘘です!洗井先輩が俺に教えてくれるわけないじゃないですかぁ」


 全く悪びれていない楽しそうな顔に、反射的に「もう帰る」と踵を返した。すると腕を掴まれ体が反転する。その瞬間、神内くんは私の体を扉に押さえつけたかと思えば顔を覗き込み「これが怒った顔かぁ」と恍惚な表情を見せたのだ。





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