愛念の隠蔽
4
まさか、なんで?と思う人物からの着信に、スマホを持つ手が震える。「はい……もしもし?」と発した声も震えていた。
『ごめん、突然……どうしても話したいことがあるんだけど……』
電話越しの竜生くんの声はなんだか疲れているようだ。
「話したいこと?うん、なに?」
『……いや、うーん……電話じゃなくて直接話したいんだけど、外で会えないかな?』
その誘いにどきりとした。だけど瞬時に亜美ちゃんの顔が浮かび、二つ返事で承諾することは出来なかった。
花火大会が終わったその日の夜に亜美ちゃんからメッセージが届いた。『美琴に話しておきたいことがある』という文面を読んで、私は覚悟をしたのだ。
『突然ごめんね……電話お願いしちゃって』
「全然だよ!今日の花火大会すごかったね、きれいだった」
私の言葉に亜美ちゃんは『そうだね』と返したっきり黙り込んでしまった。
「洗井くんのことかな?」と私が話題を振れば、亜美ちゃんが電話口で息を飲んだことが伝わってきた。
『うん……。美琴には言えなかったんだけど、私中学の時から洗井くんのことが好きだったの』
なんとなく予想はしていたが、中学生のときからなのか、と衝撃を受けた。「そうだったんだね、ごめん……気づかなくて」と伝えた謝罪は本心からだった。知らなかったとは言え、ベラベラと私が垂れ流した竜生くんとの恋愛相談は、亜美ちゃんの心を傷つけていただろう。
『美琴は悪くないのよ!私が言ってなかったんだから……私こそごめん。騙すみたいなことしちゃって』
亜美ちゃんは泣いていた。私に気づかれまいと気丈に振る舞っていたが、震える声を隠しきれていなかった。
「ううん。私も謝らなくちゃいけないことがあって……!その、まだ好きなんだ、洗井くんのこと」
私の言葉に亜美ちゃんは驚いていないようだった。きっとお見通しだったのだろう。
『わかってたよ、だって洗井くんも……』
「ん?なんて?」
『ううん。なんとなくそうかなー、って思ってた』
やっぱり……私わかりやすいって言われるからなぁ……。この調子じゃ竜生くんにも気づかれてるんじゃ……?いや、考えるのやめよ。考えても答えが出ないことについて悩んでも仕方ないわ。
そして亜美ちゃんとは「お互いに頑張ろうね」と言って電話を切った。
付き合ってなかったんだ……よかったぁ、と安堵したことは許してほしい。
『やっぱり直接会うのは嫌かな?』
返事をなかなかしない私に、竜生くんの沈んだ声が届いた。
「ううん、嫌じゃないよ!いつ会うのかな?」
嫌なわけない。心の中で亜美ちゃんに「ごめん」と謝って会える旨を伝えた。
『よかった。出来るだけ早く会いたい。だから今からは?』
「今から?」
『……うん。俺部活終わって帰ってるところだから、あの公園で15分後にとかはどうかな?』
スピード感が凄すぎて体も頭もついていかない。けれどタイミングって大事だ。今度こそ私は二つ返事で了承した。
▼
私がベンチに腰を下ろすとすぐに竜生くんが公園に入ってきた。こんなに間近で見るのは花火大会以来で、2人きりで会うのは別れた去年のクリスマスイブ以来だった。
「突然ごめんね」
竜生くんは謝りながら私の横に腰を下ろした。
「大丈夫だよ!で、どうしたの?なんか疲れてる?」
私がそう尋ねれば、竜生くんは「かもなー」と力なく笑った。こんなに弱ってる竜生くんは初めて見る。力になれるなら全力でなってあげたいと思った。
「神内伴って知ってる?」
竜生くんの口から出た思わぬ名前に頭がついていかない。なんで神内くん?私は「今日知り合ったよ。竜生くんと同じバスケ部なんだよね?」とありのままを伝えた。
「……そう。神内のことなんだけど、あいつとは関わってほしくないんだ」
そう言って、竜生くんは語り出した。神内くんの竜生くんに対する執着と、その執着が私にも向いていることを。
信じられない、それが話を聞いた私の第一印象だった。あの清廉で純粋そうな神内くんが?でも私は今日初めて会った彼のことをなにも知らない。反対に竜生くんのことは全く知らないわけではない。竜生くんはこんな無用な嘘をつく人じゃない。
「うん!わかった!気をつけるよ」
「……え?ほんとーにわかった?」
「ん?わかったよ?神内くんと関わらないようにしたらいいんだよね?」
私がきっぱりと言い切れば、途端に竜生くんはくつくつと笑い出した。どうしたんだろ?なにか面白いことあったのかな?
「え?私なんか変なこと言った?」
「いやー、全然!ただ嬉しかっただけ」
そう言って竜生くんが本当に嬉しそうに笑うものだから、なんだっていいか、という気分になる。
「で、鼻血出たんだって?もう大丈夫なの?」
「神内くんに聞いたのー?でもすぐに治ったよ!私、去年の終わりぐらいから傷の治り早くなってさぁ!すごいよね?」
自慢げに言えば竜生くんの表情が曇った。どうしたんだろ?神内くんのことで疲れてるのかな?
「やっぱり疲れてるね?最近、吸血してる?」
そう言って顔を覗き込めば、竜生くんは体の向きを変えてまで私の視線から逃げた。そんな嫌だった?ショックなんだけど。
私がショックに打ちひしがれていると「してない。美琴以外にはしてない」と力強い口調で竜生くんが言い切る。付き合っていたときと同じ様に名前を呼ばれ、私だけだと告げられた。
そんなことにこの期に及んでドキドキしているなんて、私はなんて浅はかなんだ。竜生くんはただ事実を述べただけだ。そこにそれ以上の感情なんてない。
「私の血でよければ飲んでいいよ」
それはありったけの勇気を振り絞った言葉だった。私たちが付き合っている間、竜生くんは私のことを好きではなかったのだ。ということは、吸血は好きな人以外にもできるということだ。ならば今の私も飲んでもらえるかもしれない。竜生くんと触れ合うために私は自身の血を生贄に差し出したのだ。
「……飲めない。明石さんの血は飲めない」
だけど私の勇気は見事に打ち砕かれた。ここまで嫌がられるとは正直思っていなかった。
自信満々に「飲んでいいよ」だなんてよくも言えたな。恥ずかしい。
「だ、だよね、ごめん!忘れて……!」
「待って、違う……!そうじゃない!」
竜生くんが私を傷つけたことに対して必死に弁明してくれようとしていたが、私は一刻も早くこの場から立ち去りたかった。恥ずかしくて恥ずかしくて、消えてしまいたい。泣いてしまいそうだ。
「神内くんにはちゃんと気をつけるから!」
「ちょっと!……話聞けって!」
感情的に怒鳴った竜生くんの声に思わず肩が跳ねた。「ごめん……お願い、話を聞いて」とすぐに落ち着きを取り戻した竜生くんが、私を宥めるように低い声で囁く。
「明石さんだから、とかじゃない。誤解しないで」
竜生くんの懇願は悲痛な叫びのようで、私は思わず苦しくなった。
「……うん。わかった。取り乱しちゃってごめん」
今の竜生くんの状況を全く知らない状態で「血を飲んで」なんて、すごく失礼だったな。いつまでも付き合っていたときのままではないことを、いい加減理解しなければいけない。私は再びベンチに腰を下ろした。
「ううん。……俺、今は誰の血も吸いたくないんだ。紛らわしい言い方してごめん」
違うよ、謝らなきゃいけないのは私だ。「ううん。私が無神経だった……ごめんね」と謝れば、竜生くんが徐に私の頬に手を伸ばした。
「明石さんは悪くないよ」
竜生くんの眼差しはあまりにも優しい。触れる手も優しすぎて、私は戸惑ってしまう。
「どうして、そんなに優しいの?」
「明石さんにはどうしても優しくしたくなるんだ」
甘く上がった口角と切なげに下げられた眉がアンバランスで、竜生くんの存在がひどく危うく儚く感じる。どうしても優しくしたい、その気持ちを人は愛と呼ぶのではないの?
竜生くんのことがわからない。いったい何を考えてるの?知りたい。竜生くんの一番大事な柔らかい心に触れさせてほしい。
「優しくしてよ……」
「……うん」
頬に触れていた手が躊躇いがちに肩へと下ろされた。心臓が耳元にあるのかと錯覚するほどに鼓動の音がする。
「明石さんはやだ。さっきみたいに美琴って呼んで」
私のお願いに竜生くんはくすりと笑みをもらした。子供みたいに駄々を捏ねていると思われていそうだ。
「みこと」
私の名前はこんなにも甘い響きをもっていただろうか。名前を呼ばれただけなのに、まるで愛を囁かれているような心地だ。
「竜生くん……わたし、わたしね」
まだ好きなの、竜生くんのことが好きなの。言いたい。受け入れてくれるかな?私が言葉を繋げようと息を深く吸ったその瞬間。
「だめだ。その続きは言わないで」
竜生くんは私の想いを拒絶した。
……わからない。こんな甘い空気を出しておきながら、どうして私じゃダメなんだろう。
「ずるい、竜生くんはずるいよ」
ちっとも本心を見せてくれない。諦めさせてくれない。それなのに私を好きになってくれない。
「うん、俺はずるい」
狡いと認めて開き直った竜生くんは、私を柔らかな力で抱きしめた。
「俺のことだけを好きでいて。他の誰も愛さないで」
耳元で呟かれたその言葉は呪いだ。これからも私を縛り付ける呪いだ。
▼
本当は神内伴のことを伝えて、注意喚起をしたら解散しようと思っていた。なのに一目見たら俺の頼りない決意は粉々に砕け散った。
美琴も俺のことをまだ好きでいてくれてる。気づいてしまった事実に理性がグラグラと揺れた。
もしも吸血を我慢できるようになれば、また美琴と一緒に居られるんじゃないのか?そんな淡い期待を胸に、別れてから吸血欲求と闘っていた。実際今までは我慢できていた。運命の女であるだろう服部を前にしてもその欲求を抑え込むことができていたのだ。
だけどそんなこと到底無理だった。美琴の顔を見ただけで吸血欲求が湧き上がってくる。美琴の全てを力づくでも俺のものにしたい。そればかりしか考えられなかった。
その上に「私の血を飲んでいいよ」だなんて追い打ちをかけてくるんだもんなぁ。理性を総動員させて耐えた俺を褒めてほしい。
美琴と別れた後、自転車を漕ぎながら俺は何度もため息を吐いた。それは迂闊なことを口に出してしまった自分自身に対する呆れからくるものだった。
「なんであんなこと言っちゃったかなぁ」
思わず独り言も呟いてしまう。それほどにあの懇願を後悔していた。
俺のことを好きでいても応えてあげられない。可能性のない俺のことなど忘れて、違う人と幸せになってほしい。これも本心なのに、ぽろりとこぼしてしまった懇願も本心であった。相反する2つの気持ちが同時に存在している。そしてそのどちらもが本心なのだ。
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