愛念の隠蔽

6

 舐め回すような視線が私の体を這いずり回る。怖い。気持ち悪い。竜生くん、ごめん。そんなことばかり考えていた。


「あー、怖いですか?でももうすぐ終わるので」


 と神内くんは無垢な笑顔を向ける。あれだけ可愛いと思っていた笑顔も、今はただ恐怖でしかない。これから何をされるのだろう。

 私が恐怖に目を強くつぶると、「キスのときもそんなに強くつぶるんですか?」と息がかかるほどの距離で囁かれた。目を閉じていても神内くんの気配を感じ、彼が今どんな表情をしているかまで脳裏に浮かんでくる。それなら睨みつけてやった方がいいと、私は鋭く目を細めた。


「そうかー、こんな光景なんですね、明石先輩とのキスって」


 しかし神内くんは全く気にせず、ペラペラと話し続ける。それは私に聞いてもらうことを前提としていない、独り言のようなものだった。


「洗井先輩の唇ってどんな感じでした?どんな風に愛してくれました?」


 突然目が合ったかと思えば、思いもよらぬ質問を投げかけられ、私の顔はさらに引き攣った。これが竜生くんが言っていた、"執着"の片鱗なのだろうか?


「……なんなの?それを知ってどうするの?」

「……?知りたいだけですけど?」


 変なことを聞くなぁ、と不思議そうな顔で私を見つめる神内くんにクラクラした。まともな話ができそうにない。


「好きな人のことはなんだって知りたいでしょ?」


 さも当然だとばかりに神内くんは瞳を輝かせた。……頭が痛くなるんだけど。


「あっそ。というか私たちもう別れてるから!」


 竜生くんとは関係ないから放っておいて。関係ない……それはどうしても言えなかった。だけど別れているのは事実だ。今さら私に執着しても竜生くんと繋がれるとも、竜生くんの心を乱せるとも思えない。


「へ?でも洗井先輩はまだあなたのことが好きですよ?」


 なにを言っているんだろう?次は私がきょとんとする番だった。


「残念でしたぁ!見当違いもいいとこね!私のこと好きになれなかったって振られたもん!」


 というか、なにが悲しくて古傷ーーというにはまだ癒えてなさすぎるがーーを自ら抉りにいかなくてはいけないのか。いい加減腹立ってきた。

 

「あの!俺のこと舐めないでもらえます?洗井先輩は絶対に明石先輩のことが好きです!」

「……ほんと?」

「はい、命にかけて!」


 神内くんは胸を叩いて自信満々に言い切った。なんの根拠もないがそこまで言われると、そうなのかも?、と思ってきてしまうから不思議だ。


「よし!ありがとうございました!堪能させていただきました」


 満足げにそう言った神内くんは、私の後ろにあった扉を開けて「テント行ってお菓子もらいましょう!」と爽やかな笑顔で私を解放してくれた。……まじでなにがしたかったんだ?私は訝しげに、ホクホクしている神内くんを見上げた。



 お菓子をもらったあと、かなえと合流するために連絡を入れた。すぐに『今3組の焼き鳥屋の前にいるよ』と返信がある。それは竜生くんのクラスだった。

 さっきのさっきで普通の顔して会えるかな……と不安が過るが、それよりも竜生くんに会いたい想いが強い。いつもと違う私を見てほしい。あわよくば可愛いって思ってもらって、ドキドキもしてほしい。……まったく欲張りである。



 かなえが待っている3組の焼き鳥屋は、体育館と校舎の間の開けたスペースに出店していた。私が急いでそこに向かうと、かなえが男の子に囲まれている光景が目に入る。

 そりゃ美少女がかわいいーー礼人に言わせればたまんないーー格好をしているのだ。男子生徒たちも群がるってもんだ。私がどうやってその中に割って入ろうかと思案していると「よー」と声をかけられた。びくりとしたのは後ろから突然声をかけられたからだけではなく、その声に聞き覚えがあったからだ。低めのハスキーな声。私の大好きな竜生くんの声だ。


「よ、よお!」


 ぎこちない私の声に竜生くんが思わず吹き出して笑う。なんだかこんな風に絡むのも久しぶりだな、と思った。


「今休憩?だよな」

「うん!かなえ……清田さんと待ち合わせしてて」


 と、ちらりと男子生徒に囲まれたかなえの方を見れば「すげーな」と竜生くんは苦笑いだ。たしかにすごい。かなえは慣れているようだが、さすがに困ってはいないだろうか。私が「かなえ呼んでくるね」と竜生くんに言えば、「俺が行くわ」とかなえの方に向かって歩き出した。

 え、え?と私が戸惑っている間に、竜生くんは男子生徒の中に割って入りかなえを救出して私の元まで届けてくれた。


「かなえ!大丈夫?待たせてごめんね……」

「うんー!大丈夫だよー。写真撮らせてって言われたからさぁ。あ、洗井くんありがとね」

「おう!お疲れだったな」


 やっぱり美男美女には美男美女にしか分からない苦労もあるのだろう。竜生くんの「お疲れ」には実体験に基づいた重みがあった。


「そういや、お菓子もらえた?結構時間かかったねぇ?」

「あぁ……あははは、うん、もらえたもらえた!」


 私が計り知れない美男美女の苦労に思いを馳せていると、かなえが唐突に爆弾を落としてきたので返答が明らかにおかしくなってしまった。いや、かなえの発言におかしなことなどないのだ。ただ私が後ろめたいだけだ。そして一番知られたくない竜生くんの前、ということが大問題だった。


「……それ、運命の相手のやつ?」


 かなえの話を聞いてピンときたのだろう。竜生くんが私の手に握られたお菓子の袋をジッと見ながら声を低くした。


「そうそう!一年生のイケメンと同じ番号だったんだよねー?」

「う、うん?イケメンー?だっけねぇ?」


 もう、もうやめて!だけど残念なことに、ここで会話を止める術を私は持ち合わせていない。


「神内伴?」


 さらに竜生くんの声が低くなる。それに伴い私の鼓動が速くなり、背中に嫌な汗が流れた。


「そう!じんないばん!ね?」


 ね?と私に向かってかわいく首を傾げたかなえに、「うー、うん?」と曖昧な返答しかできない。竜生くんが「へぇ。ちょっと話聞きたいかもー」と先程より高めの声で明るく話すが、私には地獄へのカウントダウンにしか聞こえなかった。




 「で?俺は関わるなって言ったんだけど?」と聞こえてきそうなほどの圧を竜生くんから感じて、体が縮こまる。文化祭も無事?に終わり、私は竜生くんの自室に呼び出されていた。

 久しぶりに入った竜生くんの部屋は付き合っていた頃とほとんど変わっておらず、黒を基調としたシックなインテリアでまとめられている。

 話す準備をしておかなければいけない。「いただきます」と出されたお茶に口をつけ喉を潤した私を見届けると、竜生くんが先に口を開いた。


「お菓子を貰いに行っただけ?他になにかされなかった?」


 初っ端から痛い所を突かれて言葉に詰まる。想像していたよりもずっと優しい声音も罪悪感を加速させた。


「されたようなー?されてないようなー?」


 曖昧な返事だが本当にそうなのだ。されたことといえば体、主に顔をじっと見つめられたことだけ。確かに押さえつけられはしたが、危害といえるほどではない気がした。だけど恐怖を感じたのは事実だし、やっぱりされたと答えるべき案件だっただろうか。

 私の答えを聞いた竜生くんの顔がみるみる険しくなる。そりゃそうだ。曖昧な返事にはイライラするだろう。


「……なにがあったの?」


 竜生くんは苛立ちを抑えながら、極めて冷静に問いただした。その冷静さが逆に恐怖を煽るのだけれど。私は竜生くんの神経を逆撫でしないように、言葉を選びながら説明をした。


 私の話が終わるや否や竜生くんは大きなため息を吐き「思いっきり何かされてるじゃん」とおでこに手を当てた。これは相当心理的負担をかけてしまっている。肩身の狭くなった私は呟くように「ごめん……」と告げた。


「いや、明石さんが悪いわけじゃ……いや、だいぶ迂闊だったけどね!」


 私を擁護しようとしてすぐに訂正を入れたところに、竜生くんの呆れが多分に含まれている。しかもその通りすぎて反論の余地がない。そもそも反論する気など微塵もないのだけれど。


「はい……ごめんなさい」

「……まぁ、うん……。明石さんの交友関係を俺が制限するのも変な話だったし……」


 それは突き放しているわけではないだろう。一般論で多数派だと思うし、私を尊重してくれているとも取れる。だから、突き放されたような気がして悲しくなる私がおかしいんだ。


「神内は俺にすっごい執着してるってこと以外はいい奴だと思うし……」


 そこまで言うと、竜生くんはぐっと下唇を噛んだ。自分に言い聞かせているようなその言葉に胸が苦しくなる。なんて声をかければいいんだろう……。私が思案していると「でも」と竜生くんが言葉を繋げた。


「もし、何かされたらって思うと、俺……」


 竜生くんの言葉は涙となってこぼれ落ちた。……きれい。そう思ったのと体が動いたのはほぼ同時だった。

 竜生くんの顔を隠すように頭を包み込む体勢で抱きしめて、「好きなの」と音をこぼす。言うつもりなんて少しもなかった。本当はもっと気の利いた言葉をかけようと思っていたのだ。

 だけど言うことを聞かない私の口は、自分勝手に愛の言葉をこぼし続ける。


「ずっと、竜生くんだけ……」


 竜生くんは頭から首にかけて回った私の腕を解き、「みこと」と熱っぽく私の名前を呼んだ。見つめ合った瞳がお互いの了承を伝え合っている。


「んっ、ん、すき……」

「っは、……」


 キスの合間、私がいくら想いを伝えても竜生くんは応えてくれない。重ね合った唇からも、熱っぽく潤んだ瞳からも、私の身体を這う指先からも「好き」だと伝わってくるのに、竜生くんは意地でも口を割らないようだった。


「言ってよ、好きって言って」

「……言えない。好きだなんて言えない」


 それはもう好きだと言っているのと同じだった。なにをそんなに怖がっているのだろう。私は竜生くんの心をほぐすように、首筋に唇を落とした。そしてかわいいリップ音を立てながら徐々に下に移動していく。制服の胸元をはだけさせ、そこに口づけようとしたとき、視界が反転したのだ。


 天井を見る形になって初めて、押し倒されたんだ、と知ることになった。さっきまであんなに積極的だったのに、いざ見下ろされると蛇に睨まれた蛙のようになってしまう。

 はぁはぁと荒い息を繰り返しながら、竜生くんが舌なめずりをした。その真っ赤な舌に、興奮を隠そうともしない情欲まみれの瞳に、早くおかされたい。


「竜生くん、ぜんぶもらって。私を竜生くんのものにして」




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