愛念の隠蔽

2

 今年の花火大会は礼人と一緒に行く約束をしている。去年が特別だっただけで、礼人とは毎年恒例の行事になっていたのだ。

 違うことといえば私が浴衣を着て行くことだ。それは礼人に「浴衣着てきてねー」とお願いされたからだった。なんでも去年私の浴衣姿を見て悔しい思いをしたらしい。「もし来年一緒に行けるなら俺のために浴衣を着てほしいって思った」と言われ、情熱を含んだ真剣な眼差しに絆されてしまったのだ。

 竜生くんのことを思いながら選んだ浴衣は着る気になれず、今年も新調したのは痛手だったが仕方ない。


 お母さんに着付けをしてもらい、鏡に映った姿を見てこの浴衣も悪くないと思えた。生成り地に紺のひまわり模様が描かれており、ところどころに散りばめられた深紅の金魚がアクセントになっていた。敢えて浴衣の柄の意味は調べなかった。


 下駄を履いていると玄関の扉が突然開く。そこに立っていたのはこれまた浴衣を着た礼人だった。正直驚いたのは、淡い色合いの浴衣があまりにも似合っていたからだ。

 よくよく見ればピンクのような色をしている。所謂さくら色というやつだろうか。それに合わせた黄土色と白の帯も明るく調和がとれていた。

 柔らかい、優しい礼人の雰囲気にぴったりだ。礼人の緩くアンニュイな表情がいつもより色気をまとっている。私を見つめる細められた瞳だけがただただ男性的だった。


「かっわいー!美琴めっちゃかわいいー!」


 笑えば途端に人畜無害で毒気を抜かれる。「ありがと」と返せば、「ね?俺はー?俺の浴衣はどー?」と尻尾を振ってまとわりついてくる大型犬のようだ。


「似合ってる。ほんとかっこいいよ」


 それは紛れもなく本心だ。しかし礼人は私が素直に褒めるとは思ってもみなかったのだろう。ボッと顔を真っ赤にするものだからこちらまで恥ずかしくなってしまう。私たちが2人して照れながら微妙な空気を出しているものだから、見送りに来たお母さんが「あんたたち付き合ってんの?」だなんて聞いてきたのだ。


「違うよ。俺が美琴を好きなだけー!今猛烈アプローチかけてるとこー」


 だなんて気持ちをすぐに切り替えた礼人は無邪気に笑うけれど、私はいつまでたっても顔を真っ赤にしていた。




 家を出て2人で最寄り駅を目指す。


「さっきの『俺が美琴を好きなだけー』ってなんなのよ?お母さん本気にして喜んでたじゃん」


 私が膨れっ面で文句を言えば「だってほんとのことじゃん」と礼人はあっけらかんと言ってのけた。まぁ、たしかにそうなんだけど、そういうことじゃない。


「私は礼人と違って恋愛経験ほぼないんだからね!あんなの、あんなの……」


 ドキドキして困る、とは口が裂けても言えなかった。礼人には誰よりも素直になれるのに、誰よりも意地を張ってしまう。


「ちょっと待って!俺だって経験ないよ!そもそも俺童貞だから!慣れてないから!」


 はぁ?そんなことどっちでもいいんだけど!っていうか、聞いてないし!礼人が童貞かどうかなんて!!!

 顔を真っ赤にしながらそっぽを向いた私を見て「やばい」とやっと気づいたのだろう。必死に「ごめんー!美琴ちゃん許してー」と宥めにかかる礼人に笑みが溢れる。なんだかんだ私は昔から礼人には甘いのだ。


「じゃあ、りんご飴おごってよね」

「りんご飴だけとは言わず、ぜーんぶ奢る!だから許して」


 最後には「しかたないなぁ」と許してしまうのだ。結局私も礼人もお互いに甘くて弱いのは昔から変わっていなかった。



 私の手にはチョコバナナといちご飴が握られている。ちなみにさっきまで焼きそばを食べていた。礼人の「まだ食べるの?」とでも言いたげな視線が痛い気もするが、答えは「まだ食べるよ」だ。


「さっきの子かっこ良すぎてやばかったよねー」

「わかる!芸能事務所入ってるかもよ?」


 私が邪魔にならない端の方で立ち止まりもぐもぐと咀嚼を続けていると、近くを通った女の子たちの会話が聞こえた。かっこいいと言われている人がいれば、もしかして竜生くんかな?と思ってしまうのだ。

 その会話に少し反応した私に気づいた礼人が「洗井くんかもよ?」と笑う。感情の読み取れない笑顔だ。

 私たちが別れてから他の友達はそれなりに気遣ってくれて、積極的に竜生くんの名前を出すことはなくなっていた。なので、その名前を出すのは礼人ぐらいになっていたのだ。だけど私はその自然な感じが一番ありがたかった。


「私も一瞬、そうかなー?って思ったんだけど」

「な!騒がれるほどのイケメンっていえば洗井くんだよなー!」


 この辺りで開催される花火大会の中で一番の規模を誇る今日の会場に、竜生くんが来ていてもおかしくはない。本当に竜生くんかもなぁ、と先程の女の子たちが来た方を見る。「あ、」と声が出たのはあちらと同時だった。

 

「亜美ちゃん……と、竜生くん……」

「美琴!」


 竜生くんはまさかまさかの人物と2人でこちらに歩いて来た。亜美ちゃんの焦った声を聞いて、そんなに慌てるなら正直に言ってくれたらよかったのに、と悲しいやら腹立たしいやらで感情はぐちゃぐちゃだ。


「お、洗井くんたちも来てたんだぁ」

「あぁ、俺たちはクラスのみんなと来てるんだけど」

「そー?俺たちは2人で来てるー」


 クラスの子たちと来てるんだ……その事実にホッとした浅ましい私を恥ずかしく思う。まだ好きなの、と亜美ちゃんに言えないでいる自分を棚に上げて、よくも嫌悪感を持てたものだな。


「へぇ。浴衣似合ってるね」


 竜生くんのその言葉にどきりとした。思わず顔を上げると視線は礼人の方に向いている。なんだ、礼人に言ったのか……自惚れて勘違いした自分が恥ずかしくてまた俯く。亜美ちゃんの顔も見られない。


「え、美琴に言ってる?」


 ちょっと!!私は心の中で思いっきり礼人を殴った。礼人は分かって言ってる。竜生くんも亜美ちゃんも困ってるじゃん。誰の得にもならない質問だった。


「……うん。い、いや。森脇くんと明石さんに言ってる」

「俺もー?照れるじゃーん。ありがとー」


 完全に気を使われた……その事実が恥ずかしすぎて顔を上げられない。だけどずっと俯いているのも不自然だ。私は思い切って顔を上げてみた。先程衝動的に見た時も思った。やっぱりお似合いだなぁ。

 竜生くんと亜美ちゃんは纏う雰囲気が似ている。見た目とかそういった表面的なことではない。2人が並んでいる光景はまるで必然のようだった。そうなることが運命づけられている2人だと思った。




「あれ?明石さんじゃん!」


 私が2人のお似合いさに打ちのめされているとそんな声が聞こえてきた。「あ、金沢くん!」と現れた人の名前を呼ぶ。たしか金沢くんも3組だったな。クラスでこの花火大会に来ているのは本当のようだった。


「久しぶり!お、森脇も来てたんだ!」

「おー、金沢じゃん」


 そっか、金沢くんも剣道部なのか。礼人とも親しく言葉を交わす彼の姿を見てそう思い至った。どうやら竜生くんと亜美ちゃんは近くのコンビニまで飲み物を買いに行く途中だったようだ。しかもクラスの希望者全員分のだ。やはりそれは2人ではしんどかろう、と金沢くんは後から追いかけて来たようだった。


「てか、森脇と明石さんって付き合ってるの?」


 無防備な状態に投げつけられた質問に思わず硬直する。


「えー?どうかなぁ?俺は好きなんだけどねぇ?」


 礼人はのらりくらりと明確な答えを避けながら発言をした。「付き合ってないよ!」と私が即座に言えなかったのはどうしてなのか。

 「私も幸せだから、2人も幸せになって」という、恐らく付き合っているだろう亜美ちゃんたちに対する気遣いなのか。それとも幸せであろう2人を目の前にして、惨めな私を少しでも誤魔化したい虚栄心なのだろうか。


「それは知ってるけど……」


 と、何を今さら?というような顔で金沢くんが告げると、「そろそろ行った方がよくない?花火始まりそうだ」と竜生くんが話を切り上げた。


 コンビニに向かって歩く3人を見送りながら、礼人が「なーんでだろ?わっけわかんないねぇ」とため息を吐いた。なにがわかんないんだろ?私が礼人に尋ねる前に「花火見やすいとこに移動しよー」と言葉を続ける。それ以上話す気がないことが伝わってきたので、立ち上がった礼人に倣い私も急いで立ち上がった。


 コンビニに向かっていると「いまさらなんだけど、ごめん……!」と金沢くんが俺に謝ってきた。何に対して謝っているのか分からず俺が困っていると、それを察して「明石さんと森脇のこと……」とまた言いにくそうにその名前を出した。

 なるほど、俺が美琴の元カレだからか、と納得する。


「いや、全然。もうだいぶ前に終わってるしね。向こうも気にしてないよ」


 俺のその言葉に金沢くんは「よかった」と胸を撫で下ろした。服部は美琴の姿を見てから何を考えているのか、ずっと黙り込んだままだ。


 少し遠くで一発目の花火が上がる。俺は美琴と見上げた去年の花火を思い浮かべていた。


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