愛念の隠蔽
1
2年生に進級するその日一番に行われることはクラス替えだ。登校すると、1年生のときと同じ組の2年生の教室に行き、出席番号順に座る。つまり1年7組だった私は2年7組に登校するのだ。
登校した教室では「クラス替えドキドキだよね」という話題が飛び交っていた。
「おはよー!」
「美琴ー!おはよう!」
席に荷物を置き、佳穂とさくらちゃんのところに足を運んだ。この2人は私と同じ文系選択なので、今回のクラス替えで同じクラスになる可能性がある。
「同じクラスだといいよね」
そんなことを私たちも話していると亜美ちゃんが登校してきた。亜美ちゃんは理系を選択したので、残念だけど同じクラスになる確率はゼロである。
荷物を置いた亜美ちゃんは「おはよう」と爽やかな笑顔を見せて私たちの会話に混ざった。
私たちが楽しく話していると「洗井くんと同じクラスになれたらいいな」という会話が聞こえてくる。それは、私たちが別れたという噂が流れ出してから竜生くんにアプローチを始めた子の声だった。
私と竜生くんが別れたという事実は冬休み明けに爆速で広まった。佳穂に竜生くんの話を振られたときに「言ってなかったんだけど、私たち別れたんだ」と言った私の言葉がきっかけだった。
それと同時期に礼人と清田さんが別れたという噂も広まった。こちらはあれほどまでにイチャイチャしていた2人がパタリと一緒にいなくなったので、明確だったと思う。
それからはまた以前のようにアプローチされているようだった。礼人もそれなりにされていることには驚いた。あれだけ「森脇くんはないわぁ」と言われていたのに、だ。やっかみも入っていたのかな?というのが率直な感想だった。
前向きなところが好きだと言われた私は、まだ竜生くんが好きだとは誰にも言えなかった。未練たらしいことは前向きとは対極にいる気がしたからだ。私たちの人生がもう交わらないとして、それなら良い印象のままの私を覚えていてほしいと思ったのだ。
私のターンは完全に終わった。これから竜生くんにアプローチができ、選んでもらえるかもしれない可能性を秘めた子たちがとてもうらやましい。……これも秘密の気持ちだ。
予鈴が鳴ったので私たちは各々の席へ別れた。少し前に登校してきた竜生くんは私の席の後ろに座っていた。横を通る時に制服のスカートが竜生くんの机に触れる。それだけでぎゅっと胸が苦しくなるのだ。どうかしてると思う。
私は全然前向きなんかじゃない。ずーっとずーっと過去にしがみついているのだから。
本鈴と同時に1年生の時の担任が入室し、1年7組最後の出席を取り始めた。名前を呼ばれ返事をしたら教卓の前に行き、先生から2年生のクラスが書かれた紙を渡される。二つ折りにされた紙は天井にかざせば、印字された文字が薄っすらと見えるだろう。だけど私はそれをせずに机の上に置いた。後でいっせーのーで、で佳穂たちと見ることになっていたからだ。
次に竜生くんが呼ばれ教卓の前に歩いて行く。竜生くんの制服のズボンが私の机を擦ってゆく。あと少し指を伸ばせば竜生くんの制服に触れる、それほどの距離だった。だがその行為をするには相当の勇気がいった。行為自体があまりにも陰湿な気がするからだ。
じゃあ、反対に!私が机から指を出しておいて、教卓から自席へ帰る竜生くんのズボンにたまたま触れたってのはどう?それなら不可抗力だし!と、竜生くんが先生から紙を渡されている短い間に瞬時に考えたのだ。我ながら訳の分からない方向への努力をしたと思う。もしこれで万が一避けられたら……それって辛すぎない?とはもちろん思ったが、葛藤している暇などなかった。
それほど竜生くんに触れたかった。これが最後になるかもしれない、と覚悟をしていた。
さりげなく机からはみ出るように指を出す。さすがに直視出来なくて、廊下の方に視線をやった。気配で竜生くんがこちらに来ているのがわかる。
ほんの一瞬だった。言ってしまえば制服のズボンなんてただの布だ。竜生くんの感触も熱も伝わってはこない。だけど触れた。竜生くんと繋がっている一部に触れたのだ。
仄暗く陰気な行為だ。それでも私は嬉しかった。まだ竜生くんと私の世界は繋がっているのだとさえ思えた。
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「じゃあね」と亜美ちゃんとさくらちゃん、そして佳穂と別れて私は8組へ向かった。1組から3組が理系、4組から8組が文系クラスになっているのでーーそれはその年の選択数によって変わるがーー私は理系とは一番離れたクラスだった。そして4人は見事にバラバラだ。亜美ちゃんは3組、さくらちゃんは4組、佳穂は7組だった。
7組から8組への移動なので、私はかなり早く終わらせて着席することができた。誰が一緒のクラスなんだろう、と扉から次々入ってくる生徒を見ていた。部活をしていない私は他クラスに特別仲の良い子はいなかった。気の合う子がいればいいけど……と、それがやはり心配なのだ。
「おー?美琴一緒のクラスじゃーん」
「礼人!」
私たちはお互いをほぼ同時に見つけた。礼人がいれば何かと心強い!私は胸を撫で下ろしたが、次に入ってきた人物を見て顔を引き攣らせた。き、清田さん……!思わず名前を呼んでしまいそうになったが、慌てて口をつぐむ。
「明石さん!よろしくね」
そんな私の気持ちとは裏腹に清田さんはとびっきりの笑顔を見せた。美少女すぎて眩しい……!礼人とも普通に喋っている所を見て驚く。私なんてあれから竜生くんとは必要最低限の挨拶ぐらいしかしてないのに……。根明パワー恐るべし、である。
「うん……!清田さん、よろしくね」
こうして私の高校生活2年目が幕を上げた。
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まーたか、と礼人が後輩から呼び出されている現場を見て思う。4月から数えて何回目だろう?警戒心を抱かせない人畜無害そうな見た目と性格は、後輩から人気が高いようだった。
「まーたなの?みんなよくやるよねぇ……好きな人がいるからって断ってるんだよぉ?」
そう言ったかなえは呆れ顔だ。私は結局清田さん、もとい、かなえと仲良くなった。話してみれば気さくで可愛げがあって最高にいい子だった。今までなんとなくで苦手意識を持ってしまっていたことに、心の中で土下座したことがもう懐かしい。
『好きな人がいるから断っている』と告げられたことに、私はなんと返していいのかわからなかった。曖昧に微笑んでいれば「礼人の好きな人って美琴だよ?」と首を傾げながら微笑み返してくるかなえに、飲んでいたお茶を吹き出しそうになる。
「え、やだー。大丈夫?」
かなえはむせ出した私の背中をさすってくれる。「だ、大丈夫」とだけ辛うじて返し、息を整えた。かなえのことは好きだが、恋愛観に関してだけは理解できなかった。
あれだけ激しい喧嘩別れをしておきながらコロッと友達関係を築き、あまつさえ礼人の恋を応援しているようだ。かなえには社会人の彼氏がいるようだし、礼人のことは綺麗さっぱり忘れて完全に過去になっているからできることなのだろうか?
2年生になって3ヶ月。別れてから半年以上が経過しているというのに、いまだに未練たらたらで竜生くんのことを引きずっている私だから理解できないのかな?
私が竜生くんに告白をした日から一年が経とうとしていた。
竜生くんとは本当に会わなくなった。まずクラスが離れているし、選択科目も理系と文系では被らない。私は部活をしておらず、放課後はすぐに帰る。会えるはずもなかった。
亜美ちゃんは竜生くんと同じクラスなので、亜美ちゃんから聞く3組の話で竜生くんの近況を垣間見る程度だった。どうやら2人は以前のような険悪な仲ではなくなったようで、今では放課後に図書室で勉強を教えあったりしているようだった。
それは亜美ちゃんから聞いたことではなく、風の噂で聞くのだ。「洗井くん、新しい彼女ができたらしいよ。3組の服部さん」「あの綺麗な子でしょ?たしかにお似合いだよね」それを聞いて私は悔しく思うどころか、そうか、と納得してしまったのだ。
好きだけど、もう私ではどうしようもないのだな、と。ただ付き合ってることが真実かどうかも含めて、亜美ちゃんから話してくれるまで私は触れないでおこうと決めていた。その内容が話しづらいことはさすがに察しがつく。
私と礼人は相変わらずだ。特に色気がある関係になるわけでもなく、今までと何ら変わりなく友達として付き合っている。変わったことといえば、やはり礼人が告白を断っていることだった。
「もう絶対にしない」と宣言した通り、礼人はあれから誰とも付き合っていなかった。
そして、礼人に対する私の感情も変わることはなかった。やっぱり友達だよなぁ、と思う。例えば付き合って、キスしたり、その先をしたりと、それが想像できないのだ。それって致命的では?
一度きちんと話しておこうと、改まって礼人を呼び出したのだけど、何かを察したのか礼人ははぐらかすばかりだった。まぁ、無理矢理でも「これから先、私が礼人を好きになることはないから!」と伝えることは出来たのに、それをしなかったということは少しは可能性も残されているのかな?それとも付き合う可能性はゼロだけど、キープしておこう、とかいう邪な考えからなのかな?
自分のことなのに全く分からないんだから、もうお手上げである。
とりあえずもうすぐ夏休みだ。竜生くんと過ごした夏を思い出す。不毛なことを考えるのはやめよう。私はペットボトルに残ったお茶をぐびりと飲み干した。
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