運命の相手
6
家の前で礼人と別れて玄関に入れば、お母さんが待ち構えていたように「おかえり」と出迎えてくれた。「ただいま」と返した私をソワソワして見てくる様子から、たぶんあのことを気にしているな?と理解する。
「竜生くんとは別れたから」
お母さんが聞きたくて、でもなかなか聞けずにいることを下駄箱に靴をしまいながらさらりと告げた。改まって言うと重い空気になってしまいそうだったからだ。
「そうなんだね……」
どこで察したのかはわからないが、薄々気づいていたのだと思う。お母さんは驚きもせずに私からの報告を受け止めた。
「すごく感じの良い男の子だと思ったけど……」
お母さんのその言葉に思い出したのは、9月の日曜日に竜生くんがうちに来た時のことだった。
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夏休みに竜生くんが言った「美琴のご両親に挨拶するから」という言葉をしっかりと覚えてくれていたようだ。恒例になった夜の電話の最中「日曜に伺いたいんだけど、ご両親の予定聞いておいてくれない?」と言われ、私の方が緊張してしまう。
まずはお母さんに「彼氏がお母さんとお父さんに挨拶?したいって言ってるんだけどぉ……」と顔色を窺いながら聞けば、お母さんは私が思っていたよりずっと喜んでくれた。
「でも、とりあえずお母さんだけ会っておこうかな?お父さんびっくりしちゃいそうだし」
お母さんからそう言われて、たしかに、と思う。お父さんは、私の周りの男の子は礼人しかいないと本気で思っていそうなんだもん。急に彼氏を連れてきたらびっくりして腰抜かしそうだよなぁ。その姿が想像できすぎておかしい。
竜生くんには「お母さんしか都合つかなくて」と伝えた。
そして約束の日曜日。それは体育祭が行われる前週だった。こんなに緊張してる竜生くん、初めて見るかも……。何事もそつなくこなす竜生くんは、緊張とは無縁だと思っていたけれど、割とそうでもないらしい。
「はじめまして。美琴さんとお付き合いさせていただいております、洗井竜生と申します」
結婚の挨拶かな?と思ってしまいそうなほどにガチガチに固まった竜生くんを見て、私は嬉しくなってしまうんだから、本当に申し訳なく思う。
お母さんも「ご丁寧にありがとう。美琴の母です」と恭しく頭を下げ、竜生くんから手土産を受け取った。
リビングに通された竜生くんは借りてきた猫状態を継続している。お母さんがお茶を用意している間に私は竜生くんにこっそりと耳打ちをした。
「お母さん怖くないし、大丈夫だよ?」
「……いや、怖い怖くないの問題じゃない」
なるほど、たしかに。だけど竜生くんがここまで緊張しているのにはきっと訳がある。それは私の体に傷をつけ、血を吸っているという後ろめたさからだろう、と予想していた。
お茶を用意して帰ってきたお母さんは、クッキーと一緒に竜生くんの目の前に置き、席に座る。そして「かっこいいわねぇ」と徐に竜生くんの見た目を褒めたのだった。
「あ、ありがとうございます」
今まで掃いて捨てるほど言われてきた言葉であろうが、まさか着席してからの第一声がそれだとは予想できなかったようだ。竜生くんは驚いてるし、私はお茶を吹き出しそうになった。
「モテるでしょー?」
「いやぁ、まぁ、普通です」
「ちょっとお母さん!竜生くん困ってるから!」
お母さんの止まぬ攻撃を私が止めに入ると、「そぉ?」なんて気のない返事をするもんだから、だんだん腹が立ってくる。
「美琴のどこを好きになったの?」
「ちょっとー!ほんとやめてよ、恥ずかしい!」
その答えは私も聞いてみたいけど、そもそも竜生くんは私のことを好きではないのだ。竜生くんが一番困るであろう質問をサラッと投げかけないでほしい。もっと表面的な質問だってたくさんあるでしょー。
「竜生くん、言わなくていいから」と止めに入ろうとした時だった。
「前向きなところです。美琴さんといると、俺は俺のままでいいんだって思えるんです」
竜生くんの言葉に胸が締め付けられるほどの幸福を感じた。それが=(イコール)恋愛的な好意ではないかもしれない。きっとその可能性の方がたかいだろう。だけど、竜生くんのその言葉は真正面から素直に受け取りたい。
竜生くんの言葉を聞いて、お母さんも「そう」と優しく目を細めた。
「手前味噌だけど、本当に前向きで明るい自慢の娘なの。お互いを大切にして、仲良くね」
「はい、必ず。美琴さんを大切にします」
ねぇ、やっぱり私たち結婚するのかな?そう思いながら、私も力強く頷いた。
竜生くんを最寄り駅まで送りながら今日のことを謝る。
「お母さんがむちゃくちゃな質問してごめんね」
「全然!美琴がすごい大切にされてるんだな、ってわかったよ」
そう言った竜生くんは「俺の方がごめんなんだよなぁ」と呟いた。なににごめんなんだろう。疑問に思った私が聞こうとする前に竜生くんが続ける。
「肌に噛み付いて、血を吸ってる。大事な娘の美琴を傷つけて、美琴にも秘密を抱えさせてる」
自己嫌悪。その表現がぴったりとくる表情をしている竜生くん。私は全然気にしてなどいないのに、竜生くんの方がその事実を深刻に捉えているみたいだ。きっと自分を加害者だと思っている。
私はなにを言えばその罪を軽くできるのだろうか。それは罪ではないとわかってくれるのだろうか。
「大丈夫だよ。自分を責めないで」
たったそれだけ。それだけしか言えなかった。
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「ま、何があったかは聞かないわ!」とお母さんは明るい声を出した。空気が暗くならないように気遣ってくれていることが伝わってくる。それから「これだけは覚えておいてね」と言葉を付け足した。
「この人しかいないと思っていても、また新しい人を好きになっていくものなのよ」
だから今どれだけ苦しくても悲しくても大丈夫、そういうことだろう。
お母さんも私ぐらいの時にそんな恋愛をしたのだろうか。『この人が運命の人だ。この人以上はいない』そう思える人と出会って、付き合って、そして別れを経験したのだろうか。振られた直後は世界の悲しみを全て背負った気になって、「あの人以上に好きになれる人とは出会えない」と泣いて、辛く悲しい日々を過ごしたのだろうか。
それでもいつしかそれは思い出となり、ついには思い出すこともなくなったのかな……。
そんなの、そんなの、いらない。
私は年を重ねて、昔竜生くんを好きだった私を思い返して「すごく好きな人がいたの」だなんて懐かしんだりしたくない。
「もう少し大人になったときに出会っていれば結婚してたかもね」だなんて口惜しがったりしたくない。
私は竜生くんのそばにいたい。ずっとそばにいたい。2人で思い出を重ねて、2人であの頃になるであろう今日を懐かしみたいのだ。
だけど、それは竜生くんの気持ちがあってのものだ。一番大事なものが欠けているのだから、私はこの気持ちが風化していくのをひたすらに待つことしかできないのだ。
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