運命の相手

2

 俺と服部の間には拭い切れない不和が生じている。それが現れたのはいつ頃だったか、と夜道を2人で歩きながら思い返した。


 


 通っていた幼稚園が一緒だっただけでそこまで仲が良いわけではなかったと思う。よく話すようになったのは中学に上がった頃からだ。服部はその頃から周りの誰よりも大人びていた。勉強が好きで本もよく読む、という共通項から次第に距離が縮まり女子の中では一番仲の良い相手になった。

 周りに「付き合ってんのか?」と確認されたことも、「付き合えばいいのに」と茶化されたこともあった。ということは、俺たちは他の人から見ても仲が良かったのだろう。

 服部の態度が急におかしくなったのは、そうだ、確か中学3年生の修学旅行辺りだ。旅行先は夜景が有名な地方で、恋人たちが宿泊先からそれを眺めていたことを覚えている。もちろん先生たちには内緒だ。

 その時仲が良かった男友達に「服部さんに告白しないの?」と聞かれた。俺はその意味がいまいち分からなかった。告白とは好きな相手にするものだろう?俺は服部のことを恋愛対象としてみたことは一度たりともなかったのだ。それをそっくりそのまま友達に告げると、彼は「まじかよ……お前、それはひどいわ……」と俺を責めたのだった。


 


 そこまで思い出したが、俺たちの不和の原因になるものはやはり見当がつかなかった。きっと知らぬ間に傷つけたり、怒らせてしまったりしたのだろう。

 あまりにも気まずい空気に「服部って、俺のことなんで嫌ってんの?」とつい口が滑った。服部は信じられないものを見るかのような目を俺に向ける。そんなに嫌悪感を表に出さなくても、と思った。


「洗井くんて、本当に人に興味ないよね」


 その言い方を聞いて、服部は俺のことを嫌っているというよりは、呆れているのかもなぁ、と認識を改めた。だがしかし、それは心外であった。


「そんなことないよ。普通に興味あるけど?」


 と答えたのが、また服部の癇に障ったらしい。


「私のことを拒絶してたのは洗井くんだよ!?ずっと線引きして洗井くんに近寄らせてくれなかったじゃない!!」


 ここまで声を荒げて感情のままに話す服部を見たのは初めてだった。そこまで追い詰めていたのか、と申し訳なく思う。が、全くもって身に覚えのない行為を責められて、俺もムッとした顔を隠さなかった。


「それは服部が勝手に思ってたことだろ?俺は別に線引きして拒絶なんてしてなかったよ」

「……私は好きだったのよ!!ずっとずっと、……ほんとうは……」


 そこまで言って服部は慌てて口をつぐんだ。

 服部の気持ちを聞いても驚かなかったのは、当時の俺が薄々感じていたことだったからかもしれない。

 しかし、勝手に諦めて勝手に距離を置いて、あげくそれは俺のせいってか?とんでもない擦りつけだな、と呆れた。ほんとうは、と勢いで言おうとした続きの言葉は聞きたくなかった。


「とりあえず美琴を傷つけるようなことしないで」


 服部も続きを言うつもりはないようで、それだけ言うとまた口を閉ざした。


 俺は服部に伝わらないように、深呼吸をして気持ちを落ち着ける。こんなにイライラしながら、俺の中にある吸血鬼の本能が『この女がお前の運命の相手だ』と叫んでいるのだ。そんなことあってたまるかよ。





 どうしても頭を冷やしたくて俺は当てもなく夜道を歩いていた。美琴と別れなければいけない……頭では理解しているのに心が追いつかない。美琴と離れる?そんなこと俺にできるのだろうか。


 気づいたら最寄り駅付近に来ていた。このまま電車に乗って美琴に会いに行こうか、と無茶な考えが浮かぶ。違う、今俺が考えなければいけないことは、美琴とどうやって別れるかだ。そんなことをぐるぐると考えていると、近くで男女の揉めるような声が聞こえた。痴話喧嘩かな、と思ったが、切迫した女の声が時折聞こえ、これは只事ではないぞと声のする方へ走った。

 現場を見つけて驚いたのは、地面に押し倒されている女の方が見知った人物だったからだ。


 「おい、なにしてんだ!」と自分に出来る最大限の威圧感のある声を出し、男を服部から引き剥がした。男は見つかったことに驚き、腰を抜かしながらその場を去って行った。


「大丈夫か?警察に電話するぞ?」


 大丈夫なわけないだろうが、そう声をかけるしかなかった。服部は「警察はやめて!」と叫び、呼吸を整えてから「大丈夫だから」と告げた。そう言われてしまえば、それ以上強制することはできなかった。


 見た目にもボロボロなのがはっきりとわかる。俺は服部の体を支えながら立たせ、高架下の公園にあるベンチまで移動させた。その途中で抑えが効かない吸血欲求に襲われる。少しでも気を抜いてしまえば、衝動的に服部に噛み付いてしまいそうなほどであった。今まで経験したことのない強い吸血欲求に頭の中が沸騰してしまいそうだ。


 息も絶え絶えに服部をベンチに座らせた時、俺は納得した。破れたタイツから見える足に血がベッタリと付着している。原因はこれか、と思う。だけどこの欲求の強さはなんだ。美琴に対しては感じたことのないほどのものだった。

 それに酷く美味しそうで甘い匂いがする。ふらふらと誘われるままに口付けてしまいそうだ。

 本来なら傷口は水道水で洗い流してあげた方がいいのだろうが、俺はその血に触れる自信がなかった。触れたら最後、俺はきっとむちゃくちゃに求めてしまう。それは美琴に対する最大の裏切りだった。


「親に連絡するか?」

「必要ない。洗井くんも帰っていいよ。ありがとね」


 服部はそう言うが、そんなわけにはいかないだろう。俺は「じゃあ、美琴に電話するから」とスマホを出した。「美琴を巻き込まないでよ!」と服部は強く拒否したが、俺はそれを無視した。結局あれもこれもダメだと言うのなら、俺の好きにしようと思ったのだ。


 そして現れた美琴を見て心底安心した。そしてその後ろにいる森脇くんを見て心が冷える。美琴を解放してあげなければいけない状況になってなお、嫉妬の感情が抑え切れない自分自身に辟易した。

 慣れなければいけない。美琴が側にいないことに。慣れなければいけない。美琴の側に俺以外の男が立つことに。俺はもう美琴の側にはいられないのだから。




 俺は服部を家まで送り届けたその後すぐに美琴に連絡を入れた。数回呼び出し音が鳴り、美琴の声が聞こえた。


『もしもし!!竜生くん、亜美ちゃんちゃんと帰れた?』


 電話の向こうで美琴がしているであろう焦った顔がありありと浮かぶ。素直に感情を出せるところ、前向きで色々と寛容なところ、やっぱり大好きだと思った。だからこそ一緒にいられないのだ。

 大切だから一緒にいられないなんて、漫画やドラマの世界だけだと思っていた。よくよく考えてみれば俺自身が稀有な存在なのだ。それに比べたら、好きだけど離れるという選択はこの世の中にはありふれているのかもしれない、と思った。


「あぁ、ちゃんと帰れたよ。今日ありがとな、助かったよ」

『ううん。私の方こそ呼んでくれてありがとう。知らずにいる方が辛かった』


 そう言い切れてしまうキミが好きだ。俺は溢れ出てきそうな感情を必死で抑え込んだ。


「森脇くんは?まだ側にいる?」


 答えを聞くことが少し怖かった。だけど美琴はあっけらかんと『もう帰らせたよー』と言うのだ。そして俺は心底安堵する。そんな必要はもうないのに、だ。


「そうか……。美琴、こんな時になんだけど、クリスマスイブ会わない?」

『あ、会う!会いたい!絶対会う!』


 声を弾ませた美琴に俺は心の中で「ごめん」を繰り返す。美琴にとってその日は最悪なクリスマスイブになるだろう。

 だけど俺はそれを望んでいる。クリスマスイブに別れを告げることで、この先その日を迎えるたびに俺のことを思い出してくれたら、なんて。どれほど残酷で卑劣な行為だろうか。

 それはわかっている。だけど俺は、いつか思い出としても扱ってもらえなくなることが恐ろしかった。それなら忘れられないように深く傷跡を残したい。ただそう思ったのだ。


 家に帰ると母さんが「遅かったわね」と出迎えてくれた。歩いてくる、とだけ告げて家を出て行った息子が中々帰ってこないものだから、心配していたのだろう。

 「ただいま」と言った俺に母さんは「そうだ!冬休み、美琴ちゃんを家に連れ来てよ!」とお願いをしてきた。どうやら一緒に蟹を食べたいらしかった。美琴なら喜んで来てくれるだろう。だけどそれは付き合っていたら、の話だ。


「美琴とは別れる」


 俺の言葉に母さんは言葉を失っているようだった。そりゃそうだ。吸血鬼の末裔だと打ち明けて、あまつさえ吸血行為までさせてもらってる相手だ。母さんは自分たちがそうしたように、俺たちも結婚するものだと思っていたのだろう。


「なに?あんた何かしたの?」


 割と無神経なところがあるからね、と母さんは付け足した。今そんなこと言わなくても、と思ったが、怒る気力すら俺には残ってなかった。


「宿命の女だった……」

「……え、しゅくめい……え!?美琴ちゃんが!?宿命の女だったの!?」


 母さんの大きな声に、何事か?、と父さんまでが廊下に出てきた。勘弁してくれ、と思ったがニ度説明することを考えると、一度で済むならその方がいいかと思い直した。


「まさか……ちゃんと確認したの?」


 母さんは、信じられない、とでも言うかのように俺が告げた事実を疑っている。だけどその気持ちは痛いほどわかる。俺も、まさか、と思ったのだ。宿命の女だなんて存在、実在していても出会ってしまうだなんて想像もしていなかった。だってこの世の中に何人の人間がいると思ってんだ。

その中で俺の好きになった人がピンポイントで宿命の女だったなんて、そりゃ信じたくない。俺が一番信じたくない。


「した。美琴の傷の治りがやけに早い。それに身体能力があがってる。これは確実」


 確認した事実を告げると、やっと話の流れを把握した父さんが息を飲んだ。


「俺には美琴と逆のことが起きてる。俺の傷の治りは遅くなってるのに、美琴につけた傷は相変わらずすぐ治る」


 自分自身に傷をつけ、何度も確認してきたことだ。そして少し前にカラオケルームで美琴の傷の治りも確認した。確実に美琴の体自体が変わってきてる。吸血行為を始めてたった4ヶ月であの変化だ。俺は恐ろしかった。俺が美琴を変えてしまう。しかも取り返しがつかない方にだ。そんなことあっていいはずがない。


「こんなことが起きるって聞いたことある?母さん」


 俺は今どんな顔をしているのだろう。俺を見ている父さんと母さんの顔が悲しみに歪んだ。

 


 俺も母さんも世間一般で認識されている吸血鬼とは違い、不老不死でもなければ太陽に当たって死ぬわけでもない。十字架も怖くないし、ニンニクだって食べられる。ただ、人より傷の治りが早い、体液に治癒物質が入っている、身体能力が高い、そして吸血欲求があるというだけだ。

 また、俺たちがいくら吸血しようとも、相手が吸血鬼になるということはなかった。ただしそれには例外があった。それは相手が『ファム・ファタール』いわゆる宿命の女ではなかったときのみだ。

 相手が宿命の女であった場合、こちらの力がなくなってゆき、相手が吸血鬼化するというのが伝えられていたことだ。だけどその存在こそが伝説のようなもので、会うことはないだろうと聞かされてきた。だけど実在していたのだ。今思えば吸血したときに起こる頭痛もその片鱗だったのかもしれない。



「美琴ちゃんにはそのことは言ったの?」


 母さんは言いにくそうに言葉を紡いだ。言うわけないだろ。だって美琴だよ?美琴は絶対「それでいいよ!」って笑う。「竜生くんの側にいられるなら、私吸血鬼になるよ!」って絶対言うんだ。そんなこと俺がさせない。

 周りのみんなに大切に大切に想われている美琴。そんな俺にとっても大切な美琴を、俺自身がこちらに引き摺り込んでいいはずなどなかった。


 なにも発しない俺を見て父さんと母さんはもうなにも言わなかった。「ゆっくりお風呂に入っておいで」と2人に抱きしめられて、俺は静かに頷いた。


 一つだけ言えなかった。それは服部亜美の存在だ。恐らく彼女は『運命の女』だろう。母さんにとって父さんがそうであるように、この世には相性の良い血を持った相手が何人か存在するらしかった。

 運命の女の血を飲めば吸血鬼としての能力が上がる、とされている。母さんは「そんなことないわよー。ただの噂ね」と笑っていたけれど。

 それでも「お父さんは特別」と俺に教えてくれたことがある。血の匂いからして他の人とは違うらしい。「私はこの人と出会うために生まれてきたんだと思うほどの幸福よ」と幸せそうに細めた瞳を忘れられない。

 そんな人が俺にも居ると、そして相手は今も俺のことが好きだと。その事実を告げれば父さんと母さんはどんな反応をするだろうか。美琴のことは忘れて服部と結ばれた方が幸せだと言うだろうか。

 俺にはそれが耐えられない。言わないにしても、頭の隅でもそんな風に考えられることが耐えられない。だって俺の唯一は美琴だ。俺の運命の人は明石美琴なのだ。


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