運命の相手
1
部屋に一人でいると悪いことばかりが浮かんでくるので「コンビニ行ってくる」だなんて理由をつけて家を飛び出した。
球技大会から5日、私と竜生くんの間にはずっと嫌な空気が漂っていた。表面状はなんの問題もなく接してくれるのだ。だけどそれは愛想笑いであったり、頻度が下がった連絡だったり、合わない視線だったり、と日常のそこかしこで突きつけられる現実が教えてくれている。私はもう竜生くんの特別ではないのだと。
こうなって初めて、幸せだった日々は竜生くんが私を本当に好きでいてくれたからなんだな、と気づくなんて。どれだけ馬鹿げているのだろう。
冬の澄んだ空気を感じながら、この肌を刺すようなそれは竜生くんのようだ、と思う。竜生くんは夏よりも冬がよく似合う。クリスマスにはきっと一緒にはいられないな、と1週間後のその日を思った。
「おねえさん、一人ぃ?」
後ろからナンパよろしく声をかけてきたのは礼人だった。近所なので道端でばったり会うこともあるだろうけど、今は一人でいたかった。私は「一人じゃないです」と見え透いた嘘をついて先に進む。
「おいおーい。めっちゃ暗いじゃーん」
お兄さんが飲み物でも奢ってあげましょう、だなんて無理矢理公園に連行された。無理矢理はあまりにも酷い言い方か……。一人でいたいと言いながら、誰かに聞いてほしい気持ちも本当だった。礼人の緩い声と笑顔に誘われるようについて行ったのは、紛れもなく私の意思だ。
ベンチに座った私に礼人は「ほれ」とホットココアを渡した。「あったか……」と呟いた言葉と共に涙がこぼれ落ちた。
礼人はなにも言わない。私の隣に腰を下ろし、徐に鼻歌を歌い出しす。その歌は私たちが中学3年生の時によく聞いていた歌だった。相手に好きな人がいるとわかっていても諦められない恋心を歌った歌だ。あなたが好きなあの子になってみたい、とその部分を礼人は口に出して歌った。
「やべ、今音程ずれたよなー?」なんてどうでもいいことを真剣に言う礼人に、思わず笑ってしまう。鼻をぐしゅぐしゅ鳴らし、「バカじゃん」と笑えば、礼人も「バカだよなぁー」と繰り返した。それは何に対して、誰に対して言った言葉なんだろうか。
「清田さんは?平気なの?」
夜の公園で二人きり。それは彼女に対しての裏切りだろう。私は「帰ろうか」と口にして立ち上がった。
「待て待て待て。帰れるわけないだろーが」
まぁ座れ、と先程まで私が座っていた場所を叩きながら「はい、ここ、座ってぇ」と座れの指示を繰り返した。
素直に従ったのは、もう少しそばにいてほしい、という私の身勝手な願望からだ。彼女に悪いから、なんてとんだ綺麗事の建前だったわけだ。
「洗井くん関係ですねー?」
決めつけた言い方だが、見事に正解だ。私は頷いて「たぶん別れると思う」と声に出した。言葉にしてしまえば、それはよりリアルな悲しみを連れて私を襲う。震える声を抑えるように、私は息を飲み込んだ。
「エンジェルナンバー、だっけ?クソだな、あれ
」
私は礼人のトンチンカンな話の内容を「え?」と聞き返した。
「美琴が言ったじゃん!『早く行動を起こしてください』って!言ったよなぁ?」
……言ったっけ?なんのことだ?と記憶をたぐり寄せて「文化祭か!」と合点がいく。
「そうだよ!いや、あんな非科学的なことに乗せられて告白した俺が悪いよ?けど、美琴が煽ったんだからな!」
と礼人は大変ご立腹のようだ。が、まじで知らんがな、である。
「あとちょっと待ってたらよかったんじゃん、俺」と項垂れた礼人に私は声を出して笑ってしまう。
「タイミング含めて運命ってやつだよ」
私が得意げに言えば「美琴には言われたくないわー」と礼人は不貞腐れた。
礼人と話していると元気になれるな。そして素直になれる。私は「ありがとね」と不貞腐れてそっぽを向いた礼人に声をかけた。
「……おう。じゃあ、帰るかー!」
と礼人が立ち上がり、私もそれに倣い立ち上がった瞬間、スマホが震える。それは竜生くんからの着信であった。
私の少し強ばった態度に異変を感じた礼人がスマホを覗き込み、「出なよ」と顎で指示を出した。こくんと頷き「もしもし、」と控えめに声を出す。
『美琴!!今どこ?すぐに広幡駅に来てほしい』
スマホ越しに聞こえたのは切羽詰まった竜生くんの声だった。
▼
私と礼人は一旦家に自転車を取りに帰り、広幡駅を目指している。広幡駅とは竜生くんちの最寄り駅であった。
あまりの剣幕に「なにがあったの?」とは聞けなかった。「わかった」とだけ返事をして電話を切った私の様子に、礼人が「どうした?」と怪訝な表情を向ける。
「わかんない。とりあえず広幡駅に来てほしいって」
「……今から?もう8時30分だぞ?」
わかってる。だけどあの竜生くんの様子は普通じゃなかった。
「俺も一緒に行くから」
礼人は呆然としている私の背中を押し「とりあえず自転車取りに帰ろー」と小走りで家に向かわせた。
指定された駅に着いて辺りを見回すが、竜生くんの姿は見当たらなかった。「電話してみなよ」と礼人に言われて電話の存在を思い出す。自分が思っているよりもずっと心はいっぱいいっぱいのようだ。
私が電話をかけると竜生くんは待っていたかのようにすぐに出た。
「今着いたよ、どこ?」
『ごめん、高架下の公園わかる?そこのベンチに座ってる』
『ほんとに美琴のこと呼んだの……!?』
竜生くんの後ろで微かに聞こえた声にどきりとした。それは私の耳に馴染んだ聞き覚えのある声だった。
「高架下の公園にいるらしい」
発した声が震える。膝から崩れ落ちてしまいそうな緊張感に体も震えてきた。
「美琴……。大丈夫、俺がついてるから」
礼人は私の震える肩をさすりながら、優しくゆっくりと言葉を紡いだ。うん、大丈夫。私は自分に言い聞かせるように心の中で繰り返した。
高架下の公園に着くと、ベンチには街灯に照らされた影が2つ。やっぱりさっきの声は聞き間違いじゃなかったらしい。
「竜生くん、亜美ちゃん……」
私が名前を呼ぶと弾かれたように2人は振り返った。私の顔を見て安心したように竜生くんの顔が綻ぶ。そしてそのすぐ後ろの礼人を捉え、顔を強張らせた。
「……森脇くんも来たんだ」
「はぁ、すいませんねー。こんな時間に一人で行かせらんないでしょ」
態度の悪い礼人に「そうだよな。ありがとう」と竜生くんは笑顔を見せた。
「ごめん、美琴……。いいって言ったんだけど」
申し訳無さそうに眉を下げた亜美ちゃんをよく見れば、制服が汚れたり、スカートの下に穿いたタイツが破れたり、そしてそこから血が出ていたりとボロボロだった。
「亜美ちゃん!大丈夫!?」
私は咄嗟に駆け寄って正面に回った。
「ちょっと、森脇くん、こっちに来てもらってもいい?」
竜生くんは礼人を私たちから離すように少し遠くの場所を指差した。なんとなく状況を察した礼人はそれに素直に従い、竜生くんの後ろをついて行った。
「亜美ちゃん、どうしたの……?酷い怪我してる」
私は出てきそうになる涙を堪えながら、亜美ちゃんを抱きしめた。亜美ちゃんは些細なことなのよ、とでも言うふうに事の顛末を軽く話し始める。
亜美ちゃんと同じ塾に通う他校の男子生徒に夏頃告白をされたことが、始まりだったらしい。その時に断ったものの、その男子は諦めきれずに亜美ちゃんにアプローチを続けた。最初はやんわりと断っていた亜美ちゃんだが、終わりが見えないアプローチに「本当に無理なので!もう話しかけてこないで!」とキツく断ったことが契機となり、好意は憎悪に変わっていった。
塾で「あいつはビッチだ」などとないことないこと言いふらされ、挙げ句の果てには付き纏い行為までしてきたのだ。
そして今日、広幡駅の改札を抜けて階段を降りるとその男子が待ち伏せをしていたらしかった。
もう立派なストーカーじゃん、と思う。それと同時に今まで亜美ちゃんの苦しみに気づけなかった私自身を憎んだ。亜美ちゃんに助けてもらってばっかりで、私はなにもしてあげられてない。
「で、その、襲われそうになったの……」
亜美ちゃんは言いにくそうに告げた。
「そこにたまたま通りかかった洗井くんが助けてくれて……」
そして私が呼び出されたということだった。私は亜美ちゃんを抱きしめ「ごめんね」と繰り返した。「なんで美琴が謝るのよ」と亜美ちゃんは笑うけれど、私は助けになれなかった自分自身をただ許してほしいだけなのかな。
「気づかなくてごめんね」
「ううん。来てくれてありがとうね。美琴がいてくれて、すごく心強いよ」
この後に及んで私が亜美ちゃんに救われているなんて。
▼
「親には知らせなくていいのー?」と俺が聞けば、洗井竜生は「服部がどうしても嫌だって」と答えた。ふーん。まぁ、色々あるんだろう。
洗井竜生は、服部さんを抱きしめる美琴を見て「巻き込んで悪かったな」と謝罪の言葉を口にした。もしかして俺に言ってんのか?
「いやー、たまたま一緒にいただけだからー」
と言わなくていいことを告げたのは、俺のしょうもないプライドからだった。俺の言葉を聞いた洗井竜生はなんとも言えない表情をして、「そうか」とだけ返した。
「……美琴のことはもういいのか?」
唐突に投げかけられた話題にイラッとする。は?もういいのかってそれはつまり、「美琴のことは諦めたのか?俺はもう別れるんだからもう一度頑張ってみたらどうだ?」ってことか?こいつどんな神経でそんなことを言ってるんだ?
「っはぁー?んなことお前に関係ないからー。そっちこそ美琴と別れるんだろ?」
売り言葉に買い言葉だった。いや、洗井竜生は売っているつもりはないのだろう。思っていたよりもずっと無意識に失礼な奴だ。
「……美琴がそう言ってた?」
とぽつりとこぼした言葉に真剣に答えることはなんだか癪だった。「さぁ?」とはぐらかせば「美琴のことよろしく頼むよ」だなんて曖昧に微笑むものだから、こいつまじかよ、と俺のイライラは頂点に達した。
「まじで腹立つな、お前。んなことお前に言われなくてもわかってるんでー」
こいつとはまじで合わない。俺はそう確信して煽る口調でそう言い切った。
ほんとなんなんだろ。その顔は、冷め切ってもう見切りをつけた女に向けるものではないだろう?お前の方が俺よりよっぽど美琴への感情を捨てきれていないのではないか。だけどそれなら、こいつが美琴と別れようと思う理由はなんなんだろう。
「なんで別れようとしてんの?」と聞こうとしてすんでのところでそれを止める。聞いて何になるというのだ。聞いたところで俺には彼女がいるので、今さら美琴に手を差し伸べることなどできない。そもそも美琴自身がそれを望んでいないだろう。
そんなこと考えも至らずに軽々しく「よろしく頼むよ」だなんて。寝言は寝て言え、のお手本だな。
「運命の相手って信じる?」
まじでなんなの、こいつ。美琴の趣味も大概わかんねー。これなら俺の方が幾分かマシだろうと思う。
「は?お前はどうなんだよ」
訳の分からない面倒な質問には答えず、俺は洗井竜生に聞き返した。正直全くと言っていいほど興味はないが、俺が答えたくなかったので仕方なく、だ。
「いるんだよ、運命の相手が。美琴じゃなかった」
は?なんだ、ただの心変わりか。しょーもな。
「だろーね。美琴の運命の相手は俺だからなぁ」
そう答えたのは、洗井竜生にこの上なく腹が立ったからだ。本当にそう思っているわけではない。
「ふっ……。かもなー。俺が運命の相手ならよかったのに……」
……もう反応をするのもしんどくなってきた。ヘタレヘタレと美琴に言われてきた俺よりウジウジしてるじゃねぇかよ、こいつ。
「で?お前にとって美琴はなんなわけ?もう好きじゃないなら、早く別れたら?」
俺は最後に捲し立てた。もうこれ以上お前とは話したくない、という意思を込めた。
「美琴は俺の『宿命の女』だよ」
訳の分からない単語を言い切った洗井竜生はそのまま俯く。まじで嫌いだわー、と俺は空を仰いだ。
どうやら美琴たちの話が終わったようだ。「お前、服部さんのこと送ってやれよ」と何も発言しなくなった洗井竜生にそう言って、俺は美琴へと歩き出した。洗井竜生は「ああ」とだけ答えてまた俯いた。……暗っ!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます