別離の足音

9

 いまだに、叫びたくなるほどの羞恥を鮮明に思い出すのだ。

 結局あの後少ししてから意識がはっきりとし出した私に、「この後どうする?俺はもう帰るけど」といけしゃあしゃあと言ってのけた竜生くんに腹が立った私は、一人カラオケルームへと戻った。

 その日の夜の竜生くんとの電話で聞いたことだが、佳穂とさくらちゃんの予想通り、清田さんが途中で入室してきたらしかった。自分に関連することで場の空気が悪くなったことと、合流してからの私の態度を問い詰めたい気持ちとで、竜生くんは早々に帰ることを決めたと言っていた。





 あのカラオケルームハレンチ大事件からほぼ1ヶ月。5日間にも渡る期末考査を終え、2学期のイベントは残すところ球技大会のみとなっていた。

 バレー、バスケ、卓球から出場種目を選ぶのだが、所属している部活動と同種目を選択してはいけない決まりだ。

 小学生のときに地区で作られたバレーチームに参加していたことが、私の唯一の運動経験である。私は迷いなくバレーを選択した。というか、それ以外に選択肢はなかった。

 竜生くんもバレーと卓球の2択からバレーを選択していた。男女別で行う形態の体育授業のために、普段はなかなか運動をしている姿を見ることはできない。なので同じ種目を選択したこの球技大会で、竜生くんの運動姿を思う存分堪能しようという心づもりだ。




「やばいわ、あれはやばい」


 私が亜美ちゃんと今日この後行われる球技大会について話していると、登校してきた佳穂が私たちを見つけるなりそう騒いだ。


「どうしたのよ」


 亜美ちゃんはさほど興味無さそうに首を傾ける。佳穂の「やばい」がそこまでやばかったことなど、今まで一度もないのだ。


「美琴の幼馴染だよ!」


 興奮気味に肩を叩かれ「痛い痛い」と訴えながら、礼人と清田さんのことか、と「やばい」の内容に合点がいった。その2人は、高校内で今一番話題になっているカップル、と言えるだろう。


「めっちゃ絡みついて濃いキスしてた。廊下でだよ?まじでどうなっとんだ」


 ほんと佳穂の、まじでどうなっとんだ、に全面的に同意する。

 礼人と清田さんは文化祭から1週間ほどして付き合い始めた。本人から直接聞いたわけではないのに付き合い始めた大体の時期がわかるのは、彼らの校内でのイチャイチャ目撃情報が出回り出したからである。

 教室で椅子に座る礼人の膝の上に清田さんが座ってた、なんてのはまだまだ可愛いものだ。礼人が清田さんの肩を抱き、顔をくっつけてイチャイチャ。駐輪場でのキス。そして廊下でのキス。キスキスキス!!なんなら今にもおっぱじめてしまいそうな雰囲気まで出してるんだから、正直ほとんどの生徒は引いてると思う。

 最初は「ショック……」と言っていた両名のことを好いていた人たちも、今では「なんであの人のこと好きだったんだろ……」とまで言っているみたいだ。自分自身にネガティブキャンペーンしてるのかな?と思わないでもない。

 しかし私が礼人にどうこう言うことはもうできない。2人が幸せならそれでいいじゃん?と思うしかないのだ。

 そもそも文化祭のときに私も竜生くんとゴニョゴニョ……まぁ、私には礼人たちのことをどうこう言える資格はなかった。


「頭お花畑なんでしょ?どうせすぐ別れるんだしほっときなよ」


 わーお、辛辣ぅ!亜美ちゃんはこの話はもうおしまい、と言うように「更衣室行こう」とサブバッグを持って席を立った。



 えー、まじでめっちゃイチャつくじゃん。

 私はイチャつき始めた2人を目の当たりにし、苦笑いをこぼした。


 ここはバレーの試合を行っている会場である。清田さんも礼人もバレーを選択していたようで、自分のクラスが試合をしていないときは常に2人でくっついている。

 見たくないんだけど、堂々と濃厚なイチャつきをされたらどうしても目で追っちゃうんだよね!ほんと勘弁してよ、というのが本音だ。


「えぇ……あんなイチャついてんだね?」

「や、私なんて朝からキス見せつけられたからね?」


 さくらちゃんと佳穂も嫌悪感を隠さずに2人について話している。亜美ちゃんに至っては、もういないものと認識しているようで、存在ごと無視だ。

 今まで彼女はいたけど、こんなことしなかったじゃん……。やっぱり大切な人の悪評は聞きたくないよ。私はわかりやすく肩を落とした。


「美琴!もうすぐ試合だよな」


 私が落ち込んでいると、爽やかな笑顔で竜生くんが駆け寄ってきてくれた。なんだかいつもより清らかで眩しく感じる。「そうだよー」と返せば「応援してるからな」と、これまたお手本のような笑顔。キランって効果音が付きそうだ。


「ありがと!竜生くんはおめでとうだね!見てたよー」


 先程竜生くんが2年生としていた試合は、見事1年7組が勝利したのだ。「ありがとな。応援が心強かったよ」だなんて、最高の彼氏すぎない?


「なぁ、美琴って運動、苦手だったよな?」


 竜生くんは言葉をためらいがちに紡いだ。私が傷つくかも、と心配してくれているのだろう。だけど私の運動音痴は今に始まったことではないので、全く傷つかない。もう自分自身の運動能力にはきっぱりと諦めをつけている。


「うん、めっちゃ苦手!バレーもさ、狙ったとこにいってくれないどころか、打ち返せるか心配なんだけど」


 はっきりと言い切れば、「打ち返そうとしなくていいから!ちょっとでも上げてくれたらいいから!」と、なんとも心強いお言葉をその場にいた3人からいただいた。竜生くんは苦笑いだ。


「あ、でもねでもね!最近、なーんか体が軽いというか……前ほど体育にも苦手意識なくなってきたんだよ!それに最近こけてないし!」

「うんうん。わかった!とりあえずみーんないるから、美琴は心配することないからね」


 佳穂が言ったことを聞いて、私のこと戦力外って思ってるなぁ?、と闘争心に火が付いた。ふふん、確かに運動音痴だけど頑張るんだから!

 私が一人、心の中で誓いを立てていると、「味方が心強いから安心だな。みんなよろしく」と、みんなに向かって竜生くんが頭を下げた。

 思わぬことに佳穂とさくらちゃんも慌てて「こちらこそ」と頭を下げた。え、なんなの……夫婦みたいじゃん……。みんな(俺の美琴を)よろしく、ってことでしょ!?

 私がにやけ顔を抑えられないでいたら、「おーい、洗井!俺ら飲み物買いに行くけど?」とクラスの男子が竜生くんを誘う声が聞こえた。竜生くんは「俺も行くわ!」と男子に返事をする。そして「じゃ、また後でな!」と私の元を颯爽と去って行く竜生くん。私はその後ろ姿に手を振った。



「っかーっこいいー!!」

「ザ!好!青!年!って感じね!」

「森脇くんブームがもう終わったから、また洗井くんブームやってくるんじゃない?」


 竜生くんが去った後、佳穂とさくらちゃんだけならまだしも、亜美ちゃんまで茶化してくるもんだから、途端に恥ずかしくなる。


「え、ブーム戻ってくるとか絶対嫌なんだけど……!」


 なんとか平和にやってこれた2学期。終盤に揉め事に巻き込まれるなんて絶対に嫌だ!私は小刻みに首を横に振り、精一杯の拒絶を伝えた。


 やっぱり体が軽い!!試合が始まり、サーブを打とうとボールを投げた瞬間に感じた。上手にボールの中心を捉えたからか、私の打ったボールは綺麗な弧を描いて相手コートへと落ちた。サービスエースじゃん……!

 試合前の不安はなんだったんだろう。そりゃバレーめっちゃ上手じゃん!とまではならいが、人並みには出来てる自信があった。

 蓋を開けてみれば私たち1年7組の勝利だ。嬉しくて同じチームの子とハイタッチで喜びを分かち合う。「美琴、すっごい頑張ってた!」とみんなから褒められてただただいい気分だ。

 次の試合が始まるのですぐにコート脇にはけた私は、キョロキョロと竜生くんの姿を探した。試合中は余裕が無さすぎて、姿を確認することを忘れていたのだ。……というか、出来なかったと言った方が正しい。

 

 あ、いた!私が見つけたとき、竜生くんは何かを考え込むように顎に手を当てていた。生憎ここからでは細かい表情までは見えないが、なんとなく険しい顔をしている……ような?うーん、わかんない。徐々に首が傾いていく私と竜生くんの目が合う。竜生くんは取り繕うように笑顔を見せた。

 試合の入れ替えでコート付近に人が大勢集まっている。私は人混みを縫うように竜生くんの元へと急いだ。なんでだろう。今すぐ近くに行かなければいけない気がしたのだ。

 「ごめんなさい」とぶつかりそうになった人に謝りながら足を進める。急ぎすぎた代償だろう、誰かの足に引っかかり、私は体勢を崩した。久しぶりにこけるかも、と思ったのだが、「あぶなー」という声と共に体を抱きとめられた。

 「ごめんなさい」という言葉はその声の人物の顔を見た途端小さくなり、結局最後まで言い切れなかった。


「相変わらずよくこけることで」

「ごめん、ありがとう」


 支えてくれている腕を解き、先程言い切れなかった謝罪の言葉をはっきりと口にする。その後竜生くんを確認するが、彼の姿はもう見当たらなかった。……どこに行ったんだろう。竜生くんは迷子になってしまうような年齢ではないのだ。友達付き合いだってあるし、私にだけ合わせて行動することなんて不可能だ。

 だけど、なんとなくわかる。竜生くんは私と会いたくなかったんだな。

 だけど、全然わからない。さっきまであんなに優しかったのに。どうして私と会いたくないんだろう。


「おい、大丈夫か?!」


 礼人の焦ったような声に引っ張られ、私ははっきりとした意識を取り戻した。


「う、うん。大丈夫。支えてくれてありがとね」


 お陰で転ばなくて済んだ。あれ?そういえば清田さんは?と言いかけてやめた。礼人たちもずっと一緒にいるわけではないのだろう。

 礼人は私としっかり目を合わせ、変わったことがないか確認した後に「気をつけなよー」と言って去って行った。しかも頭を撫でるオプション付きだ。彼女とあんだけ毎日毎日イチャイチャしすぎて、私との距離感もバグったのか?と少し心配になった。



 次に竜生くんの姿を見たのはバレーのコートの上だった。1年7組と1年2組の試合なので、あちらには清田さんが応援に来ていた。やっぱり可愛いから目立つな、と引きで見た清田さんのスタイルの良さに驚愕する。

 なんだかギャラリーが多い気がするのは、やっぱり『洗井くんブームの再来』なのだろうか。


 2組のサーブからスタートする。やはり男子がするスポーツは音も大きいし、動きもダイナミックでとても華やかだ。みんな上手いなぁ、と思う。だけどついつい目で追ってしまうのは、竜生くんと礼人なんだよなぁ。って、これは完全に身内贔屓に近しいものなのかも。

 でも、周りのギャラリーたちの反応を見ていても、やっぱりそうだよなぁ。竜生くんと礼人にボールが渡った時の歓声がすごい。礼人なんて評判が地に落ちてるだろうに、まだまだ人気なんだなぁ、と思わず感心してしまった。

 だけどこれ、他の子はやりにくいんじゃ?と心配してしまう。それぐらいに悲鳴に似た歓声があがるのだ。


「やっぱりかっこいい男子の汗と筋肉っていいよね」


 佳穂はふざけるようにそう言ったけど、割と本気だと思う。それに私も全面的に同意する。

 竜生くんを食い入るように見つめて、あれ?と違和感に気づく。なんか苦しそう……?


「ね、ねぇ、竜生くんなんか変じゃない?」


 私は隣に座っている亜美ちゃんに問いかけた。竜生くんのことを昔から知っていて、よくわかっている亜美ちゃんなら気づいているかもしれないと思ったのだ。だけど返事は「そう?変てどこが?」というものだった。あれー?私の勘違いなのかな?


「うーん、なんか体調悪そうというか……うーん?」

「わかんない。あのスパイクの決め方見てると、絶好調っぽいけどね」


 亜美ちゃんが言うように、竜生くんはこの試合中に何度も強烈なスパイクを決めていた。確かに……私の気のせいかな?と気を取り直して応援しようとした時だった。竜生くんが膝から崩れ落ちたのだ。なんとか踏みとどまり倒れることはなかったが、周りは騒然とし、試合は一時中断となった。

 私は誰に断ることもなくコートに近づく。竜生くんは体を支えようとしてくれた男子たちに「大丈夫、一人で行けるから」と試合に戻るように促していた。

 コート外に出た竜生くんに先生が近寄り「保健室に行こう」と彼の体を支えた。


「大丈夫です。軽い貧血っぽいので、一人で行きます」


 ハキハキとした口調に先生も安心したのか「気をつけて行けよ」と竜生くんを送り出した。私はその後を急いで追いかける。


「たつきくん……」


 私が小声で呼ぶと、竜生くんは私がついて来ていることなどわかっていたかのように「ああ」と呟いた。「大丈夫?私も一緒に行っていい?」と顔を覗き込んでも、視線が合わない。故意に逸らされた視線の意味を私は理解したくなくて、無言で後を追った。




 あれ、どこに行くんだろう。体育館を出た竜生くんは保健室には向かわず、ズンズンとどこかに歩いて行く。私は訳もわからないまま、その後をついて行った。


 竜生くんが向かったのは職員室だった。「失礼します」と扉の前で挨拶をした後、職員室に残っている先生に「忘れ物をしたので教室の鍵を借りに来ました」と丁寧にお願いをした。

 先生から手渡された1年7組の鍵を手にしたまま、竜生くんはまた無言で歩いて行く。このままついて行ってもいいのだろうか、とふと不安な気持ちになった。私がぴたりと歩みを止めると、後ろを振り返った竜生くんが「時間がないから、早く」と私を急かした。ついて行ってもいいんだと、嬉しくなって横に並んで歩いた。だけど、会話は一切なくて、私の心はまた暗く沈んだ。


 鍵を開けて入室するなり、竜生くんは私を扉に押し付けて唇を合わせてきた。今までの険悪な張り詰めた空気からは想像できなかった行為に、身体が強張る。


「んんっ、や、だ!やめてっ」


 私が行った明確な拒絶はこれが初めてだと思う。拒絶された竜生くんよりも、思わず口に出してしまった私の方が驚いていたぐらいだ。

 ごめん、と謝りそうになったが、私が嫌だと感じたことは事実なのだ。ここで謝るわけにはいかなかった。沈黙が流れて、竜生くんは「はぁ」と深いため息を吐いた。それは私に対する完全な拒絶だった。


「出よう」


 「忘れ物をしたので」と先生に説明して鍵を借りたのに、竜生くんは自分の席に立ち寄ることもせず教室を出た。


「ね、どうしたの?体調は?平気?」


 私の問いかけに教室の施錠をしながら「大丈夫」と短い返事をした竜生くんは、私の顔を一切見ないで歩き出した。


「待って!なにかあるならちゃんと言って」


 私の想いに竜生くんが足を止める。そしてそのまま、竜生くんは廊下の真ん中で私を強く抱き締めた。次に躊躇うようにこめかみに柔らかなキスを。それから流れるように首筋にもう一度。そのまま喉元に歯を突き立てるような熱いキスを……してくれると思っていたのだ。しかし最後のそれはされることはなかった。喉元に唇をあてる直前で、竜生くんは私の体を引き剥がし距離をとった。


「ごめん……考えさせてほしい」


 それだけ言い残して竜生くんは一人で歩いて行ってしまった。その場に一人取り残された私はただ呆然と立ち尽くし、幸福の終わりを感じていたのだ。





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