別離の足音
6
文化祭は文化の日周辺に開催されることが常で、今年も2日後の金曜日の今日が本番だった。
やはり当日は朝早くから準備をしているクラスばかりなので、学校全体が騒がしく、そして浮き足立っていた。
私たち文化委員はクラスに少し顔を出してから、生徒会本部が設営した文化祭実行委員会のテントの前に集まった。
「では、最後にもう一度シフトと注意事項、連絡系統の確認をします」
実行委員会の会長がよく通る声で、私たちに再確認を行った。会長の話を真剣に聞きながら頷き、重要なことはもう一度メモを取った。完全な裏方要員だった体育祭とは違い、文化祭では少ないながらも重要な仕事を任された。やはり責任を持って臨みたい。……もちろん体育祭も私の全力で臨んだけれど。
会長が一通り指示を出し終えると、「今まで頑張ってくれてありがとう!今日はみんなの力で文化祭を成功させましょう!」と力強い口調で私たちに激励の言葉をかけてくれた。はい!頑張ります!
同じクラスの文化委員の男の子と教室に向かっていると、後ろから名前を呼ばれた。
「礼人、お疲れー!どしたの?」
「いや、さっき会長の話を聞いた後、『頑張ります!』って顔してたなぁ、と思って」
くっ……バレてる。伊達に10年以上幼馴染をやってないな。
「私たち、最初から警備のシフトなんだから遅れないでよね」
恥ずかしさを隠すように冷静に言ったつもりだったが、それすらもバレているようだ。「はーい」と手を挙げた礼人が笑いを我慢するように、口を固く結んだ。
教室に戻るとクラスメイトはそれぞれの持ち場で最後の作業を進めていた。窓にはすでに黒色のゴミ袋と遮光カーテンがつけられており、教室はいつもとがらりと様相を変えていた。この薄暗さだけで不気味なのに、お客さんはそこからさらに暗くて狭い通路を通らされるのだ。しかも明かりは100均で買った、役に立つのか立たないのかわからないほどしか光らない懐中電灯一つというのだから、私なら絶対に入りたくない。
設営は担当者に任せて、私は自分がする受付係の所へと向かった。「ごめん、お待たせ」と声をかけると、「委員会お疲れ様ー」と優しい言葉が返ってきた。こういう気遣いが嬉しいよね。
受付係は宣伝係も兼ねている。受付の流れを確認していると、主に宣伝係に回る人たちが着替えを済ませたようで、こちらに合流した。
竜生くんはあの日見たマントの中に、スタンドカラーの白シャツを着ていた。しかも袖と襟にフリルが施されている優美なデザインだ。それに薄っすらとヘアメイクもしているようだ。白岡さんと平松さんが張り切っていたことを思い出す。
柔らかな黒髪が無造作に揺れる。いつも見えているスッキリとした瞳は重たい前髪が隠しており、時折隙間から見える鋭い視線に心臓を掴まれる感覚を覚えた。そしてバランスの整った唇には血色が滲んでいる。そのいつもより赤い唇は血の色にしては些か薄い。薄いが、私の血を吸った後の充血した唇の色とよく似ていた。
こんなの反則すぎる。悔しいけど、白岡さんと平松さん両名に最大限の賛辞を贈るしかない。あっぱれ!
その場にいた他のみんなも私と同じように息を飲んだ。圧倒的なビジュアルを前にすると言葉が出なくなるんだなぁ。
「そろそろ時間だから、ホームルーム始めるぞー」という先生の声に従い、私たちは教室、もとい完全なお化け屋敷に足を踏み入れた。
いつの間にか私の背後に回っていた竜生くんが「イケてる?」と耳打ちをする。私は唇を噛み締めて力強く頷いた。
「本物のヴァンパイアみたい?」
どうしてそんな風に得意げに笑うの。その顔は自信に満ちたものだった。吸血鬼のイメージである、ナルシストで傍若無人そのものを表したような笑顔だ。そんな笑顔にさえときめいてしまうのだから、竜生くんは存在そのものが罪深い。
「うん。本物のヴァンパイアみたい」
▼
文化祭が始まると同時に私と礼人は貸し出されたトランシーバーを持って警備にあたった。次の警備グループと交代するまでの1時間、模擬店でのトラブルがないか、喫煙飲酒がないか、落とし物がないか、などをチェックしながら校内を巡回するのだ。トラブルがなければただの散歩になりうる。それが平和でいいんだけどね。
「腕章ってかっこいいよなー」
礼人は自分の右腕についたそれを私に自慢げに見せてきた。いや、私も同じのつけてるからね、と負けじと見せる。……なにやってんだろ。
「見たよ、洗井くんのコスプレ。女子たちが騒ぐ騒ぐ」
辺りを見回しながら、礼人が鼻で笑った。悔しいのか?
「礼人もあの格好したら騒がれてたよ?」
「……どーせ、俺は青い法被だよ!しかも祭って文字がでかでかと書かれてるやつだよ!!」
俺が騒がれないのはその衣装が悪いという言い草に、思わず声を出して笑ってしまう。
「いやー、竜生くんなら法被でも騒がれてたね」と、これは本心である。礼人は「あっそー」とだけ返して、唇を尖らせた。ついでに眉間に皺も寄っている。不機嫌な顔だ。
「まぁまぁ、ほんとのことだから」
これは悪手。火に油を注ぐ行為だ。「おっまえなぁ!」と礼人が私の頬をつねろうとしたとき、胸ポケットに入っているカードがちらりと見えた。
「あ!礼人何番だったの、それ」
と言いながら胸ポケットの中身を指さす。礼人は私の指を目で追い、「あぁ」と呟くと、しまわれていたカードを取り出した。
「111」
「え、すご!ゾロ目じゃん」
「んなことはどーでもいいから」
「私、ゾロ目見るとエンジェルナンバーかな、とか思っちゃうんだよ」
「えー?えんじぇ、あぁ、なんか前にも言ってたねー?」
礼人は首を傾け、微かに残る記憶を思い返しているようだ。しかしさほど興味がないのだろう。思い出すことをすぐに諦め、カードをズボンのポケットにねじ込んだ。
「ちょっと待って、111の数字の意味調べてあげるから!」
礼人の為というよりは、私が気になるのだ。スマホを取り出してウェブ検索をかけた。「えー、別にいいよー。巡回しよーよー」と面倒だという気持ちを一ミリも隠さない礼人の発言は、無視した。しかし、今回ばかりは礼人の言ってることが100%正しい。仕事をしろ、という話だ。
「あ、出た出た!えっとねぇ、『早く行動を起こしてください』だって!」
私はスマホに映る検索画面を礼人に差し出した。礼人は私の言葉を聞いた途端に、その画面を食い入るように見つめる。今まではちっとも興味ないふりをしていたのだね、礼人くん。と、なんだか勝ち誇った気分だ。
「変化に向けてポジティブに。俺の望むことだけに集中しろ、ってさ」
へぇ。礼人の望むことねぇ?
「望みかぁ……すぐ出てくる?」
「……あるよ。もうずっと望んでることが、たった一つだけ」
「へぇ。知らなかった。叶うといいね!」
紛れもない本心に乗せて、私は微笑んだ。「ほんとにねぇ」と返事をした礼人は、寂しそうに微笑み返すだけだった。
▼
本来ならこのまま休憩に入るはずだったのだが、警備のシフトが終わったその足で、私は教室へと急いでいた。次の警備グループの子と変わるときに「お化け屋敷、人気で大変みたいだよ」と聞いたからだ。
到着して驚く。たしかにお化け屋敷にも人はそこそこ入っているみたいだ。現に今も並んでくれている生徒が数人。だけど、人気で大変なのは竜生くんだったのね、と竜生くんの周りの人だかりを見て理解する。
「1時間近くこれだからね」「いやぁ、洗井くんパワーすごすぎ」と私に気づいた受付の子たちが、こっそりと教えてくれた。大変だっただろうことがその顔の疲弊具合から見て取れた。どうやら今のこの状況でもだいぶマシになったみたいだ。
「洗井くんこの後休憩だし、そうなれば落ち着くと思うけどな」
受付係の責任者である金沢くんがそう発言した後に、竜生くんに群がる人を避けながら「休憩出てくれ」と伝えに行く。
「明石さんも休憩行ってきなよ」と言ってくれたので、当初の予定通り竜生くんと校内を見て回ることにした。
「お疲れー」
礼人とくだらない話をしていただけーーもちろん警備の仕事をしながらたがーーの私より、竜生くんの方がずっと疲れていると思う。だけどそんなことを微塵も感じさせない晴れやかな笑顔と共に、彼はやって来た。
「竜生くんもお疲れ様」
この休憩が終わればまた宣伝係に戻る竜生くんは当たり前に吸血鬼の格好だ。ハマりすぎて違和感はないのたが、やはりかなり目立つ。
私たちが行くところ行くところ、ジロジロと好奇の眼差しを向けられるのだから、居心地はこの上なく悪かった。しかし、竜生くんよりも私の方がその眼差しに負けてしまいそうなのは、きっと彼がその様な眼差しを向けられることに、私よりずっと慣れているからだろう。比べることも烏滸がましいか。
小腹が空いたから、と2年生のクラスの模擬店で買ったベビーカステラを中庭の隅の方で食べることにした。ベンチもなにもない芝生の上に腰を下ろすなり、ベビーカステラを口に放り込んでいく竜生くん。吸血鬼とベビーカステラって、違和感ありすぎて逆にときめくなぁ。
「ん」という声と共に竜生くんは私にベビーカステラの入った袋を差し出した。あまりにも見すぎていたので、欲しがってると思われたのだろうか。朝ごはんを食べすぎたせいかまだまだお腹が空いておらず、私はチビチビとミルクティーを飲んでいたのだ。
手に入るかもと思えば途端に欲しくなるのは、人間の醜い性だろうか。「美琴の分も買おうか?」と言ってくれた竜生くんに「お腹空いてないからいい」と断ったのは、正真正銘この私なのに。
「いいの?」
「?欲しいんだろ?食べなよ」
何に遠慮しているのだろう?と思っているような、不思議そうな顔を私に見せて、再度カステラの袋を私の方に向けてくれた。
「ありがとう」とお礼を言って、遠慮がちに袋の中に手を入れる。焼き立てのベビーカステラの少し湿り気を帯びた感触と、甘い匂いが私の食欲をさらにくすぐった。
それをもぐもぐと咀嚼しながら感じるのは竜生くんの視線だ。しかも口元に注がれている。
「な、なに?なんかついてる?」
私がその視線の意味について聞けば、竜生くんは慌てたように「ごめん」と謝った。え、なになに?めっちゃ気になるんだけど。
私はどうしても教えてほしくて、竜生くんの腕に手を置き、少し揺すりながら「きーにーなーるー」と続きを促した。
「いやー、……食べてるところ見てたら、エロいなって……」
私は竜生くんの口から「エロい」というワードが出てきたことに驚いた。いつもあんなエロエロな血の吸い方をしてくるのだけれど、その行為はどこか神聖で、エロさとは対極にある行為だと感じていたことも事実だ。
だからその俗物的な言い方に心底驚いた。そして同時に嬉しくなったのは、相手に欲情して邪な気持ちを抱いていたのが私だけじゃなかったと知れたからだ。
「はぁ……俺、今すぐ美琴に噛みつきたい」
その言葉に隠された本音は「血を飲みたい」だ。吸血欲求って、性欲と繋がっていたのか。
私は、神聖さすら感じる吸血行為に興奮して、もっともっと、とその先を求めてしまう自分を恥じていた。
「引いた?」
なんの反応も示さない私に対して、竜生くんはそう言葉をかけた。私は必死で首を横に振って否定の意思を伝えた。
「ちがう……私も……ううん、私の方がもっと酷いこと考えてる」
「酷いこと?」
怪訝な顔をしながらも、竜生くんの瞳にはめらめらと情欲の炎が揺れている。その瞳の熱も、会話の内容も、平和で健全な文化祭には似つかわしくないものだ。
「竜生くんともっと深く繋がりたい。……私の全部、竜生くんにあげたい」
言い終えると、きゅっと口を結んだ。竜生くんの反応が怖い。
「……ほんとひどいわ。今それ言うか……」
私の言葉にうなだれた竜生くんの耳が赤い。かわいい。私は追い討ちをかけるように、真っ赤になった耳を人差し指でなぞった。
僅かに顔を上げた竜生くんの垂れた前髪の隙間から、鋭い目が覗く。その獲物を狙うような目に捕らえられたのは私だ。
赤い舌を出して、ぺろりと口の端を舐めた。それは美味しい獲物を目の前にした捕食者のようだ、と思う。私は竜生くんに逆らえない。逆らう気などないのだけれど。
▼
休憩時間終了の10分ほど前。私たちは教室へと歩いていた。
竜生くんは中庭での私の発言を「ずるい」と再び非難した。そのずるいは、どう足掻いても手を出せない状況で煽るなよ、ということらしい。そもそも最初に際どい発言をしたのは竜生くんなのに。
「そういえば、竜生くんはカードどこに置いてるの?」
「カードぉ?」
まだ不貞腐れているのか、口調が子供のようだ。竜生くんは私が知らなかっただけで、拗ねると機嫌を持ち直すのに時間がかかるらしかった。
「ほら、『運命の相手』の」
「あぁ。ズボンのポケットだわ」
そう言いながら、竜生くんはズボンの右ポケットに手を突っ込んだ。長いマントが邪魔そうだ。
「あったあった。ほら」
私の前に掲げたカードには95と書いてあった。「美琴は?」と聞かれたので、私も同じように竜生くんの目の前にカードを掲げる。
「13か……全然違うな!」
明るく笑った竜生くんは全くもって気にしていない様子だ。だけど、私は少し期待していたのだ。もしかしたら一緒の数字かもしれないなぁ、なんて。
「なに?ショックだった?」
「うーん……ショック……まぁ、ちょっと?」
とぼけた言い方をしたのは空気を重くしない為だ。たかだかゲームごときで落ち込むなんて、一歩間違えれば重い女になりかねない。
竜生くんはそんな私の顔を覗き込んでちゅっと頬に可愛いキスをした。ちょ、ちょっと、ここ廊下だけど……!?
顔を真っ赤にして口をパクパク金魚みたいに動かすことしかできない私を見て、竜生くんは楽しそうだ。
「マントで隠したし大丈夫」
そうだけど、そういうことじゃなくて!!
ただでさえ目立つ竜生くんが吸血鬼のコスプレをしているのだ。そんな中での大胆な行動。絶対に気づいた人もいると思う。
竜生くんって、ほんとによくわかんない。理解できたかも?と思えば、また理解できないところが出てくる。
だからより一層知りたいと思うのだろうか。
「俺ばっかりドキドキさせられるの悔しいじゃん!」
白い歯を見せて悪ガキの笑みで、いったい何を言っているのだろう。
私なんて毎日ドキドキさせられてるのに。
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