別離の足音
7
教室内から聞こえてくる悲鳴こそが、一番恐怖心を煽ると思う。どういった仕掛けがされているか知っている私でさえゾッとするのだ。列に並んで順番を待っているお客さんはその比ではないだろう。
受付をしていると、順番待ちの列の中に見知った顔を見つけた。
「やほー、来たよー」と相変わらずの緩い声に「来てくれたんだ」と返す。
「悲鳴すごいね……俺大丈夫かなぁ?」
不安な気持ちを漏らした礼人に私は「大丈夫じゃないかもねぇ」と率直に告げた。
礼人の怖がりは今に始まったことではない。小学5年生の自然学校で肝試しをしたときも、誰よりもギャーギャー騒いでいたことを覚えている。その姿を見た礼人のことを好きだった女子が「礼人くん……私より怖がってたね」と引き攣った顔をしていたことも忘れていない。
「2人ずつの入場になるんだけど、どうします?」
礼人と一緒に並んでいた男子たちに向けてそう声をかけた。2人入場は、狭い通路で怪我をしないための配慮であった。
礼人たちは5人で来ていたので、必然的に一人余る計算だ。一人で入れるならそれでいいし、無理なら列の前後で同じように余った人と入ってもいい。または受付係か宣伝係の手が空いている人と入ってもいいことにしていた。ちなみに竜生くんをそれに含めると指名続きで混乱しそうなので、除外されている。
「俺は絶対に一人はいやだ!」
「俺だって嫌だわ!」
いの一番に声を上げたのは、案の定礼人であった。しかし友達たちも口々に「一人は嫌だ」と続ける。
「あ!礼人、お前この子と入れよ」
不躾に指でさされて思わず顔を顰めた。私の表情に気づいていないのか、気づいていても気にすらしていないのか、礼人を除く4人がその案に諸手を挙げて賛成している。
こうなってしまえば断る道理などなかった。そもそも、それはクラスで決めたルールに則っているし、断る理由などないのだけれど……だけど!私もお化けの類は大の苦手なのだ。礼人と私のペアでお化け屋敷だなんて、先が思いやられすぎて頭が痛くなってきた。
「え……俺はいいけど、美琴大丈夫なのかよ」
大丈夫ではない。大丈夫ではないけれど、仕方のないことだ。私が「大丈夫だよ」と返事をしようとしたとき、「俺が一緒に入るよ」と竜生くんの声がそれを遮った。
「え、竜生くんはダメじゃん」
それはみんなで決めたことだ。
「でも、俺と森脇くんは友達だし、特別。な?」
「えー、絶対嫌なんですけどー。それなら一人で入るー」
礼人はそう言うけど、途中で立ち止まって戻ることも進むこともできなくなりそうだ。それはそれでみんなに迷惑がかかりそうだから、一人ではやめてほしい。
困った私は金沢くんに助けを求めたいけれど、彼は生憎休憩中で不在だ。そうこうしてる間に礼人の友達のグループが1組、扉をくぐってお化け屋敷に入っていった。うだうだと悩んでいる暇は無さそうだ。
「じゃあ、わたしと入ろっ!」
と声を上げたのは、礼人の後ろに並んでいた清田さんだった。「ね、いいでしょ?」と礼人の腕に自分の腕を回す。礼人も「え、いいのー?」と満更でもなさそうだ。……これがモテる女の子の技かぁ、と私は感心してしまった。今度さりげなく竜生くんにしてみようかな、と竜生くんの方を見れば、もう興味をなくしてしまったのか明後日の方向を見ている。
とりあえず助かった!と私は胸を撫で下ろした。
「それではいってらっしゃいませ」
腕を組んだままの二人を見送る。既にお化け屋敷から出てきていた礼人の友達は「こんなことなら俺が一人で入るって言えばよかった!」と悔しそうだ。
通常より少し時間をかけて出口まで辿り着いた礼人と清田さんは、入ったときよりもさらに腕を絡ませていた。それ付き合ってる人たちの距離感じゃん!とギョッとする。異性と触れ合うことに慣れてる人たち怖いよー、と、これは甚だしい偏見。だけど、私には理解し難いことだった。
やっぱり礼人も男の子なんだねぇ、と幼馴染の男の部分をまざまざと見せつけられて、なんだか気恥ずかしい。
「わたし、友達のこと待ってるから。礼人くん、ありがとぉ」
「いやいや、俺の方こそありがとぉ」
楽しかったよ、なんて、今にもキスしちゃいそうな甘い雰囲気なんですけど!?受付しなきゃなのに、そっちばっかり気になっちゃうわ!!
「礼人くんのクラスにも顔出すね」
「待ってるぅ」
はいはい、目のやり場に困るので、終わったら速やかに帰ってくださーい。私はにこやかに受付をしながら、心の中で毒を吐いた。
▼
2回目の警備巡回も礼人とのペアだ。前のグループの子からトランシーバーを預かって、腕章をつける。
「やー、平和だねぇ」
私たちがしたことといえば、落とし物を拾うぐらいだ。トラブルと呼べるトラブルもなく時間が過ぎていく様は、平和以外の何物でもないだろう。
「てか、美琴のとこのお化け屋敷めっちゃ怖かったんだけどー」
思い返したように言うと、礼人は恐怖に体を震わせた。
教室から出てきたときはそんなこと微塵も感じなかったけどねぇ……カッコつけたくて怖いの我慢してたなぁ?
私はじっとりとした目で礼人を睨んだ。
その目を向けられることに心当たりがあるのだろう。「なんだよー」とだけ言って、礼人は居心地が悪そうに視線を逸らした。
「鼻の下伸びてましたけどねぇ」
「いや!伸びてないからねっ!」
「絶対に伸びてましたー」
私が自信満々に言い切ると、礼人は観念したように「そりゃ俺だって男なんだからさー、しょうがないじゃん」と白状した。あまりにも素直な開き直りに私は声を出して笑う。
「素直!清田さんかわいいもんね」
仕方ない仕方ない、と私も礼人のデレデレ具合を正当化した。
「……洗井くんも絶対鼻の下伸ばすよ、あんなことされたら」
意地悪な発言である。しかし、なるほど。竜生くんもそうだろうか、と想像してみたが、ダメだ。デレデレしているところがイメージできない。
「やー、どうかなぁ。竜生くんはニコニコしながら、絶対腕は解くと思うなぁ」
うん、それなら想像できた。
「なに?私の彼氏は特別ですぅ、って?」
嫌に棘のある言い方をするなぁ、と思った。別に礼人の言動を批判しているわけではないのに。ただ、竜生くんならそうすると思ったことを言ったまでだ。
「俺は?俺って、美琴にとってなに?」
「……へ?全然話が繋がってないんだけど」
「いいから!なに?」
なに?ってなに?怖いんだけど……。高校生になってからの礼人は不安定で、どこに地雷が埋まっているのかわからない。これが思春期ってやつか?
「や、なにって……幼馴染の男友達だけど……」
私は少し怯えながら、そのままを発言した。それ以上でもそれ以下でもないんだけど、という話だ。
「はぁ……ま、そうだよなぁ。俺が美琴のこと好きだって、ちっとも考えたことないだろ?」
え?なんて?好き?礼人が私を?
やっぱりそうだったんだ、という気持ちと、困る、という気持ちがせめぎ合う。
「こ、こまる……」
自然と口から出た言葉は、言ってはいけないものだった。
▼
私たちのヴァンパイア城を模したお化け屋敷は盛況のうちに幕を閉じた。文化祭が終わるとみんなで後片付けを行い、明日の打ち上げ場所と時間を確認して解散となった。
「美琴、一緒に帰ろう」
吸血鬼の衣装を脱いで、メイクも落とした竜生くんがそう声をかけてくれた。嬉しいのに上手く笑えない。それはきっと、礼人のあの今にも泣き出しそうな笑顔を思い出すからだ。
私が「困る」と言ってはいけない言葉を口にしたあと、礼人は「だよなー、困るよなぁ?」と私に同意をした。それからはいつもの礼人だった。それは、さっき告白されたよね?、と疑ってしまいそうなほどにいつも通りの礼人だった。
そして警備巡回が終わる頃、「困ると思うけど、知っておいて。俺、美琴のことが好きなんだ」と泣き出しそうな笑顔で告げたのだ。
知っておいて。それが礼人の唯一の望みなのかな。私は礼人にいじらしさを感じた。そんなことが唯一の望みなら、それを叶えてあげるぐらい許されるのでないか。礼人の気持ちを知っておくこと、それは罪ではないでしょう?
「どした?午後ぐらいから元気ないなーと思ってたんだけど。疲れた?」
校門を出た辺りで竜生くんは私を心配する言葉と共に、腰を折って顔を覗き込んだ。「大丈夫だよ!」と元気良くにこりと笑ったはずなのに、竜生くんは納得していないことを表すように、眉を顰めた。
「そ?俺の勘違いかな?元気ならいいんだ」
竜生くんはやっぱり私よりずっと大人だ。気持ちを誤魔化してるな、と気づきながら、私が言いたくなさそうなことを理解して、深く追求してこない。きっと私が竜生くんに助けを求めたら、全力で話を聞いてくれて、力になってくれるだろう。だけど、私は言えない。
無理にでも言わせようとしつこく聞いてくれたなら、私は打ち明けてしまうだろう。そしてこの苦しさを竜生くんにも背負ってもらうの?そうしてほしいような……いやいや、それはあまりにも身勝手だ。やっぱり言うべきじゃないな。
私は礼人のことを考えたくない一心で、竜生くんとの会話が途切れないように一生懸命だった。
「明日の打ち上げ行くよね?」
「うーん……俺カラオケ苦手なんだよね」
竜生くんにも苦手なことってあったんだ、と一番最初に驚きがきた。しかもカラオケが苦手って……かわいすぎるじゃん。
「まぁ、歌わなくてもいいんじゃん?」
「かなぁ?なら行こうかな。美琴も行くよな?」
竜生くんの問いかけに「うん!」と勢いよく頷いた。私の満面の笑みを見て、竜生くんは安心したように微笑む。心配してくれてたんだなぁ……。竜生くんに余計な心配も無用な不安も与えたくない。
告白に対しての返事はいらなさそうだったけど、竜生くんと私のために「気持ちに応えることはできない」と礼人に伝えさせてもらおう。私はそう決意して竜生くんと別れた。
▼
どこに呼び出せばいいのかわからなくて、結局「私の部屋に来てほしい」とお願いしたのだけれど、まずかったかなぁ……と礼人の距離の近さに早速後悔していた。
「ちょっと……近いんだけど」
離れてほしい意思表示に礼人の胸元を押した。しかし礼人は私の意思を汲んでくれずにさらに距離を詰めてくる。これはわかっててあえてやってるな、と深いため息をついた。
肩に手を回されて「話ってなぁに?」と笑いかけられれば、ぞくりと背筋が寒くなる。今までの礼人ってなんだったんだろう。異性ということを微塵も感じさせないカラッとした接し方は、礼人が意識してそうしていたんだと、今思い知った。
顎を上げて見下ろすような視線をした礼人に、彼にとって私が紛れもなく女であるということをまざまざと見せつけられた心地だ。
悲しい、と思うのは礼人に失礼なのだろうか。だけど、私は悲しい。性別を超えた友情だと信じて疑わなかった。だけどそれは一方通行の想いだった。私たちの友情は礼人の犠牲の上に成り立っていたの?
「待って、ほんと離れて……!」
「俺が怖い?」
途端に切なげな目を向けてくるものだから、言葉に詰まる。私は礼人を傷つけたいわけじゃないのだ。
「いつからなの?いつから……その、好きだったの……?」
「……忘れた」
そして次はこの上なく優しい眼差しを向けて、「気づいた時には好きだったよ、ずーっと昔っから」だなんて。だけど、その気持ちには応えられない。だって私は、竜生くんが好きなのだ。
「わ、たし……礼人のことはそういう対象でみたことがない。ずっと、友達だと思ってた」
ごめん、と呟いた言葉はあまりにも頼りなく、空気に溶けて消えた。怖くて怖くて、礼人の顔が見られない。
「俺、どこで間違った?どこからやり直せば俺のこと好きになってくれる?」
悲痛な叫びなのに、礼人の声はどこまでも優しい。俯いたままの私の髪を梳いた礼人の手から逃げるように後ずさる。反射的に顔を見れば、やっぱり礼人は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
傷つけたくない。だって大切な人なのだ。どこで間違ったかなんて、そんなの私が聞きたい。どこからやり直せば、礼人は私をただの幼馴染だと思い続けてくれるんだろう。
「例えばやり直せて、私が礼人を好きになって付き合う、そんな人生があったとして。私はそこでも竜生くんと出会って、絶対に竜生くんを好きになる」
私が竜生くんを好きになることからは逃げられない。運命なんてそんな優しいもんじゃない。それはもっともっと残酷な……そう、宿命だ。
「ふっ。きっつー。めっちゃ言うじゃん……」
私の言葉を聞いて、今度は礼人が俯いた。傷つけた。その事実に咄嗟に「ごめん」と口走りそうになる。
「謝んなよ!謝らないで……」
私の謝罪を礼人の言葉が被さるように止めた。
「……うん。礼人、ありがと「ありがとうもいらない。もう美琴からはなにももらわない」
それは最後の意地だと、礼人は眩しい笑顔で告げる。それは幼い頃から変わらないもだった。
ふぅ、ともう一度ため息を吐き、礼人の身体が私から離れる。冷やりとした空気を感じ、私は終わりを悟った。
「じゃあ、また学校でなー」といつも通りの緩い声で礼人は部屋を後にする。
私と礼人がずっと友達でいられる、何か良い方法はなかったのかな……。礼人のいなくなった部屋で、私は未練がましくそんなことを考えていた。
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