別離の足音

5

 中間考査が終わると同時に、文化祭の準備が本格化する。ということは、文化委員の私も本格的に忙しくなる、ということだ。

 と言っても、実際取り仕切るのは前期から発足している2年生中心の文化祭実行委員会と生徒会役員、文化委員長なので、私たち一年生はオマケみたいなものだった。


「1時間ローテなんですねー」


 実行委員会から割り当てられた文化祭当日の仕事内容を確認していると、礼人が口を挟んだ。


「そうそう、なのでクラスの出し物のシフトはこっちと被らないように組んでもらってね」


 2年生の先輩が注意点を丁寧に説明してくれた。ふむふむ、なるほど。


「あと、警備で巡回する相手は違うクラスの子で、男女のペアで組んでます」


 なるほどー。クラスのシフト対策と防犯対策まで練り込まれた完璧なペア決めですね。

 だから私はこいつとペアなのか、と配られた用紙をじっくり読んでいる礼人をチラリと見た。

 

 あの体育祭で感じた礼人からの好意は私の勘違いだったようだ。結局礼人は前までと何ら変わりなく、友達として私に接している。

 一時期は、あんな目で見るなんてまじで紛らわしいことするな!!、と理不尽な怒りを覚えたりもした。いや、礼人はなにも悪くない。完全に私の自意識過剰の空回りだったのだから。ほんとに恥ずかしい。穴があったら入りたい。




 「不明点があればいつでも聞いてきてね」というありがたいお言葉と共に会議は終了となり、私は礼人と並んで自分たちの教室へと歩いていた。


「美琴のクラスって出し物なにすんだっけぇ?」

「お化け屋敷!礼人のクラスは縁日でしょ?」

「そーそー。準備が楽そうじゃん、てことでそれになったー」


 なんだそれ。まぁ、みんながみんな文化祭を楽しみにしてるわけじゃないし、たしかにそれも大事か。

 私たちの高校は2年生が飲食店、1年生はそれ以外と決まっているのだ。ちなみに受験勉強で忙しい3年生は自由参加だ。3年生の有志が集まり実行委員会の仕事も手伝ってくれるらしい。


「てか、今年もやるらしいね、"運命の相手"」


 礼人はニヤリと笑って私の顔を覗き込んだ。私は特に大した反応をすることもなく「毎年やってるんだからねぇ」と返す。


 うちの高校には、伝統なんて大層なものではないだろうが、割と昔から続く生徒会主催の企画があった。それが先程礼人が口にした『運命の相手』というやつだ。

 それは文化祭当日、生徒一人ひとりにーー3年生には事前に参加意思を聞くらしいーー番号が書かれた紙が担任から配られる。そして自分の番号と全く同じ番号が書かれた紙を持つ生徒が一人だけいるので、その生徒を探し当てて生徒会のテントに2人で行けば景品がもらえる、というものだった。

 まぁ、なんてことはないお楽しみ企画に『運命の相手』なんて大それた名前をつけただけで、高校生の私たちにとっては一大イベントになってしまうのだ。

 番号が書かれた紙は、首から下げられるようにネックレス状になっていた。恋人がいる生徒や参加したくない生徒は、制服の胸ポケットにそれを隠すらしかった。


 これは実行委員の先輩に聞いた話なので、確実なものだ。


「洗井くんの番号人気だろうねぇ」


 どうやら、好きな人の番号を確認して、それと同じ番号の生徒を探し出して自分の番号札と交換してもらう、というルール違反も毎年横行しているようだった。しかしそんな些細なこと、いちいち生徒会も実行委員会も取り締まらない。

 運命の相手、とはよく言ったものだなぁ、と少し冷ややかな気分になる。


「礼人の番号も人気なんじゃない?最近森脇くんブームがきてるって聞いたよ」


 礼人の挑発には乗らない、と、私は負けずにニヤリと笑い返した。


「そんなんしょうもないよ」

「しょうもないって……礼人のこと好きな子の気持ちをそんな風に吐き捨てることないでしょ」


 あまりにもデリカシーのない辛辣な言葉に思わず注意した。礼人はそんな私をじっ、と見つめる。

 まただ、またこの目だ。私を非難するような、それでいて縋りつくような、だけど何も教えてくれない瞳。いったい何を考えているのだろう。

 ずっと知っていた。わかっていると思っていた礼人のことがよくわからない。


「たしかにー。すっごいひどい言葉だったね。反省しまーす」


 次の瞬間にはもういつもの礼人だ。間延びした声が、本当に反省してるのか?と不安にさせた。




 教室に戻るとみんなはお化け屋敷の製作を進めていた。トンネル型に形成した段ボールに黒色のゴミ袋を貼っている。


 


 1年7組はお化け屋敷をするのだが、コンセプトは西洋のお化け屋敷、ヴァンパイア城なのだ。

 それが決まったのは少し前の学活の時間だった。最初は白装束を着たお化けが出てくるものにしよう、と話が進んでいたのだが、突然白岡さんが「吸血鬼モチーフはどうですか?」と発言したのだ。ちなみに言っておくと、白岡さんとは清田さんの仲の良い友達で、体育祭で私に玉をぶつけてきたあの子だ。

 私は吸血鬼という単語にどきりとした。竜生くんがどんな表情をしているのか、そちらを見ることもできなかった。

 みんなはその提案を聞いてすぐは、いまいちピンときていなかったようだ。「洗井くんにドラキュラの格好で受付してもらったら人気でそうじゃない?」と白岡さんの意思を継いだように平松さんが発言する。ちなみにこの平松さんも……以下略。

 その平松さんの発言を聞いて、クラスの雰囲気が一気に賛成に傾いたのを肌で感じた。

 「いいじゃん!洗井めっちゃ似合いそう!」と男子が囃し立てる。クラスのそこかしこで「たしかに!」「絶対かっこいいよね」という声が聞こえる。これは竜生くんが断れる雰囲気ではなかった。


「どうかな?洗井くんのことはとりあえず今は置いておいて、ドラキュラ城のコンセプトに賛成の人は手を挙げてほしい」


 学活の場を仕切っていた学級委員長がそう発言した。私は竜生くんが手を挙げたことを確認してから、倣うように挙手をした。


 その日の夜の電話で「大丈夫なの?」と聞けば、竜生くんは「全然平気だけど」とあっけらかんと言い切った。


「俺が吸血鬼の格好をしても、まさか俺が本物の吸血鬼だと思う人はいないだろ?」


 言われてみればその通りである。どうやら私が過剰に心配していたみたいだと、胸を撫で下ろした。




 段ボールに黒色のゴミ袋を貼りつけているのは光を完全に遮断するためだ。当日は教室の窓にもゴミ袋を貼り、遮光カーテンをつける手筈になっている。それだけでは真っ暗にできないので、学習机を並べて作った通路に、ゴミ袋を貼ったトンネル型の段ボールをくっつけて、お客さんにその中を通ってもらうことになった。狭くて暗いところは必然的に恐怖心を煽る、ということらしい。


 あちらでは体育祭の衣装係と同じメンバーが、竜生くんの吸血鬼の衣装の仕上げに入っていた。


「洗井くん!ちょっと羽織ってみてくれない?」


 衣装係リーダーの羽田さんの声にクラスのみんなが作業の手を止めて、そちらを見た。私も教室の扉の前から竜生くんを見つめた。

 竜生くんが衣装を肩からかけると、裏地の赤を見せつけるように、真っ黒な生地のマントがふわりと揺れた。

 「すっげぇ」と呟いたのは誰だったのか。その声を皮切りに、静まり返ったクラスが一斉に沸く。みんなが竜生くんの周りに集まり、「かっこいい」「似合ってる」と彼を褒め称えた。


「行かなくていいの?」


 その光景をただ見ていた私のところに亜美ちゃんがそっと近づいて、そう囁いた。近づきたい、今すぐ触れたい。だけどそうしてしまうと、なんだか泣いてしまう予感がしたのだ。

 私は首を横に振って否定の意を表した。


「ねぇ、かなえもおいでよ!洗井くんやばいよ!」


 白岡さんが私たちの方に向かって叫んだ。方向は私たちだが、視線は私の後方に向かっている。人の気配を感じ、くるりと振り返れば、そこには清田さんが立っていた。

 私の脇を清田さんが跳ねるように通っていく。「他のクラスの子は部外者なんだから」という否定的な意見は声にならなかった。亜美ちゃんが「はぁ?なにあれ?」と嫌悪に顔を歪めたのを見て溜飲が下がったなんて、私かっこ悪い。


「わ、ほんとかっこいい!本物の吸血鬼みたい」


 語尾にハートが付いていそうな話し方は、素直に可愛いと思う。彼女たちは私の存在に気づいていながら、それを無い物として扱っているみたいだ。教室の空気が私を気遣うような、なんとも居た堪れないものに変わっていく。

 

「ありがとう。けど清田さん、クラスの方は大丈夫なの?俺らも作業あるし、気をつけて帰ってね」


 有無を言わせない竜生くんの笑顔に、清田さんが「う、うん。そうだね。衣装が完成したら見せてね」と動揺しながらも笑顔を見せた。

 「本番当日にね」とさらに笑みを深めた竜生くん。竜生くんって本当に……最高だな!!

 波風を立てることなくその場を収めた毅然とした振る舞い。その間私に気づいていながらも、矛先が向かわないように私の存在に触れてこなかったこと、その気遣い、きちんと伝わってきたよ。

 言葉で「好き」だと言われたことはないけど、わかる。私は竜生くんの特別だと。

 以前、亜美ちゃんが竜生くんのことを「誰に対しても愛想笑い。気さくだけど壁を作ってる」と評していたことが思い出された。その時はわからなかった。だけど、今は身を持って感じている。私とそれ以外の人への接し方、向ける笑顔の種類が全くの別物だと。竜生くんは私のことを好きでいてくれてる、と自惚れてもいいだろうか。


「美琴!委員会お疲れ!これ、どう?」

「うん……かっこいい……」


 清田さんが教室を出るとすぐ、竜生くんは私の元へと駆け寄ってきた。その笑顔が幸せしか詰まっていないかと思うほどあまりにも清らかで、吸血鬼を模して作られたマントとあまりにもちくはぐで、それが嬉しくて、可笑しくて。


 好きだと、心の底から好きだと、思った。ずっと一緒にいたいと思った。

 それは幼さ故の青臭い願いだったのかな。何も知ない子供だったから、心の底から願って信じていられたのかな。


 竜生くんは私の笑顔を見て、また幸せそうに笑った。

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