別離の足音

4

 私がそそくさと1年7組に割り当てられた場所に向かうと、亜美ちゃんが「大丈夫!?」と駆け寄って来てくれた。

 「だいじょーぶ!思ってたより怪我が小さくて、もう血も止まったよ!」と笑顔で答えていると、佳穂とさくらちゃんが私用の衣装を持って来てくれた。新撰組の色に合わせて上は黒のTシャツ、下は青色のビニール紐を束ねた物を裂いて作ったスカートもどきだ。

 竜生くんを含むメインメンバーは、新撰組の物に似せて作られた羽織を着ている。中は剣道部に道着を借りたらしい。なんでも卒業した先輩たちが寄付してくれた胴着や袴があるらしく、7組の剣道部員を通してそう話がついたみたいだった。

 

 私が竜生くんの方を見ていると、竜生くんも私に気づいたらしくこちらに来てくれた。その姿を見て、やっぱり、めちゃくちゃかっこいいじゃんかよ、と心の中でガッツポーズを決める。


「保健室一緒に行けなくてごめんな。大丈夫だった?」


 竜生くんが心配してくれているのに……ほんとにごめん、私の怪我とかどうでもいいんだわ。袴似合いすぎでは?もう神々しさまで感じる……。


「おーい、聞いてる?」


 なんの反応もない私を訝しみながら、竜生くんはもう一度私に話しかける。


「ごめん、怪我は大したことなかった!それより、ほんと似合ってる……かっこいい!」


 怪我のことはさらりと、その後のことは熱量高めに伝えると、「ありがと、嬉しい」だなんて返してくれるんだから、ほんとごちそうさまです。


「そういえばこの道着、森脇くんに借りたんだ」


 唐突に出た名前にはてなマークが浮かぶ。なぜ礼人?「そうなんだ」としか返せずにいると、竜生くんが話を続けた。


「寄付されてた道着の中に俺のサイズがなくてさ。で、体格が近い森脇くんに借りることになったんだよ」


 なるほど。その説明を聞いて納得した。礼人の身長は竜生くんより少し高いが、まぁほぼ同じだ。どちらも標準体型なのでサイズはピッタリと合うだろう。


「こんなとこで2人が繋がってるの、なんか面白いね」

「そ?森脇くんとは仲良くなれそうだよ」

「そうなら私も嬉しい」


 大切な彼氏が私の大切な人と繋がっていく。それってなんだか、私ごと大切にされているようで、とっても幸せ。


 応援合戦はなんと1年生8クラス中、一位を取ることができた。それもこれもみんなで協力してきた結果だと思うが、個人的には竜生くんの功績が大きいと思うのは贔屓目だろうか。

 それが終わると超特急で衣装を脱いで、一年生全員が参加する玉入れだ。クラスごとに籠を持つ人と投げ入れる人を決めるのだが、籠を持つ係はもちろん屈強な男子たちなので、私は玉を投げ入れる方だ。

 これが思ったより入らない。玉は届くのだけど、あの小さい籠に入れるのが難しい。拾っては投げ、拾っては投げを繰り返していると、ぽこりと頭に玉が何度か当たった。最初はたまたまか?と思ったのだけど、こう何回も続くとわざとじゃないか?と思う。

 まじで誰だよ、と玉が飛んできた方を見れば、はいはい、あなたたちね、と合点がいく姿が目に入った。竜生くんにアプローチしてた清田さんと仲の良い子たちだ。こんな真剣勝負の時に私情を挟むなんてダサすぎる。私はふい、と前に向き直り、また拾っては投げてを繰り返した。



 玉入れが終わったことにより、私の体育祭出場競技は全て滞りなく終了した。がんばったー!と感慨に耽っていると、隣に腰を下ろした亜美ちゃんが「さっき大丈夫だった?」と声をかけてきた。

 大丈夫だったとは?と、心当たりを探していると「白岡さんたちだよ」とこそりと告げられる。あぁ、玉入れの玉を頭に投げられていたことか!


「へーきへーき。ムカついたけど」

「止められなくてごめんね……」


 なにも亜美ちゃんが謝ることなどないのだ。あんな目立つ場所で、しかも競技中に注意をするなんて無茶な話である。

 「や、亜美ちゃんが謝らないでよ」悪いのはそんな場面で私に嫌がらせをしてきたあの子たちだ。新学期が始まってから一度もされなかった嫌がらせを、まさかあそこでしてくるとは夢にも思わなかった。もし何か言われても「わざとじゃないよー」と言えるシチュエーションを待っていたのだろうか?

 それなら恐ろしく性格悪いな?と思っていると、「服部、ちょっと……」と聞き慣れた声が亜美ちゃんを呼んだ。


「スウェーデンリレーのバトンパスの練習しよー、って」


 なにを隠そう、亜美ちゃんもリレーの第二走者に選ばれていた。どうやらリレーメンバーで最後のバトンパスの練習をするみたいだった。

 競技中は参加している生徒を応援しなくちゃいけないので、本来なら練習はダメなんだけど。体育祭の大取りであるスウェーデンリレーに限っては、少しくらいなら、と先生たちも黙認していた。


「いってらっしゃい!頑張ってね」


 と竜生くんと亜美ちゃんに向かってエールを送る。2人で歩いて行く後ろ姿を見て、つきりと胸が痛んだことは内緒だ。



 はっや、という感想しかでてこない。さすがリレーメンバーに選抜された人達だ。各クラス選りすぐりの駿足達ばかりなわけで、そんな感想しか出てこないのも頷ける……でしょ?


 第一走者の竹部さんから亜美ちゃんへバトンが綺麗に渡る。私は声が枯れるのでは?と心配になるぐらいに声援を送った。なんなら枯れてもいいとさえ思っているのだ。

 亜美ちゃんは順位を一つ上げ、第三走者の高橋くんにバトンを繋いだ。亜美ちゃんすごいよ!もう私は親の気分で見ている。涙が出てきそうだ。

 高橋くんは順位をキープしたまま走り切り、アンカーの竜生くんへとバトンを渡す。スウェーデンリレーなので、アンカーは400メートル。運動場に用意されたトラックは一周200メートルなので、2周もするのだ。2周って……私なら途中で力尽きる自信がある。


「洗井くんがんばれー!」


 さすがに大声で、竜生くん、と呼ぶことは憚られた。私の前を走り抜けた竜生くんに力いっぱい声援を送る。ちらりと私の方を見てくれたと思ったのは、都合の良い勘違いだろうか。

 竜生くんが順位を一つ上げたことにより、7組が一位に躍り出た。このまま、このままゴールまで、と手を握り強く願う。

 だけど竜生くんの後ろから追い上げてきている人がいる。その人物は2組の礼人だった。

 いや、礼人のことも勿論応援したいよ?だけど、ここはごめん!絶対竜生くんに勝ってほしい!クラスのみんなも声が枯れることも厭わずに大きな声援を送っている。がんばれ、がんばれ!あと少し!


 本当にあと少しだった。本物の大会ならビデオ判定を要求しているところだ。だけど、これは学校開催の体育祭。審判が下したのは2組の勝利だった。

 「きゃー」という甲高い声と共に、2組のみんながゴールテープを切った礼人の側に集まる。私だって、その側で息を切らしている竜生くんに今すぐ駆け寄りたいよ。悔しそうな顔をしながら汗を拭う竜生くんを抱きしめたいよ。




 3年生のリレーも終わり、退場をしたリレーメンバーが帰ってきた時の第一声が「ごめん」だった。謝らなくていいから!みんなめっちゃ一生懸命に頑張ってたし、めっちゃかっこよかったから!!

 クラスのみんなも私と同じ気持ちのようで、口々に慰めや感謝の言葉、そして賛辞を送っていた。


「負けたぁ。もうちょっと走れるつもりだったんだけどなぁ」


 竜生くんは悔しそうな笑顔を見せながら私の横に立った。ここが学校じゃなかったら、人が居なかったら、抱きしめてるのに!


「めっちゃかっこよかった!竜生くんが一番だった!」

「……森脇くんより?」

「あったりまえじゃん!礼人より!竜生くんが一番だったよ!」


 力強く訴えた私を見て、「なら、いっか」と整った歯を見せて笑う。


「声、聞こえた。てか、美琴の声しか聞こえなかった」


 竜生くんのはにかんだ笑顔が私を釘付けにする。今すぐに血を吸ってほしい。竜生くんに私の全てをもらってほしい。

 晴天の爽やかな空の下、私は似つかわしくない欲望を胸に抱いた。


 うちの高校は学年ごとに順位を決める。結果として1年7組は2位だった。一位は2組だ。あのリレーに勝っていたら7組が一位だっただろうが、誰もそれは口にはしなかった。


 設営の片付けをした後、フォークダンスが始まる。心なしかみんなが浮き足立っているのは勘違いではないと思う。だって、私も浮き足立つ心を必死に押さえ込もうとしている一人だ。




 運動場に出していた椅子の脚を拭いて、教室まで持ち帰っている道中、後ろから「美琴」と声をかけられた。なんだか今日はよく会うなぁ、と思う。


「礼人……。おつかれー!どしたの?」

「おつかれ!やー、洗井くんに貸してた道着、返してもらおうと思って」


 ついでに他の人に貸してた分も、ということらしかった。「ふぅん」である。


「えぇ?もっとないの?俺、リレーですっげぇ頑張ったと思うんだけどぉ」

「……頑張ってたね」

「……っえ!?それだけ?!もっとこう、かっこよかったよ、とか、応援してたよ、とかあってもいいじゃーん、ねぇねぇ」


 あー、しつこい!!


「かっこいいかっこいい。応援してた応援してた」

「そんなんじゃなくってさぁー」


 私のあまりにもあまりな言い方に、礼人が口をへの字に曲げて不満を表した。散々クラスの女子たちから言われたでしょうに。

 あまり学校で絡みたくないと思うのはさすがに酷いだろうか。だけど、やっぱり視線が痛いのだ。それは亜美ちゃんに「森脇くんブームがきている」と聞いた先入観によるものだろうか。

 なんにせよ、学校生活に極力波風を立てなくたい。その気持ちを汲んでくれ、と礼人に頼むことは果たして正しいのだろうか。


「あ、洗井くんだぁ。やほー」


 礼人の緩い声が竜生くんを呼ぶ。ひらひらと揺れる礼人の手を追うようにそちらを見れば、竜生くんと目が合って、ニコリと微笑まれた。

 ぞくり。あれ?どうしてその笑顔を怖いと思うんだろう。竜生くんの整った顔はまるで人形のようだ。優しく微笑まれているはずなのに、吸い込まれそうな瞳には暗闇が広がっていた。


「森脇くん。もしかして道着?俺が返しに行くのに……わざわざありがとう」


 竜生くんがそう言って礼人に向けた笑顔は作り物だ。これは竜生くんの笑顔じゃない。さすがにそれぐらいはわかるようになっていた。


「いやいや。早く返してもらおうと思って。大切なものだから」


 なんで礼人もちょっとピリピリしてるの!?そんなに大切な道着なら貸さなきゃよかったじゃん、とも思ったが、礼人は優しいのだ。ノーと言えない日本人的なところが多分にある奴だ。断れなかったのなら、申し訳ないことをしたな。って、礼人に借りることを決めたのは私ではないんだけれど。


「そんなに大切なら、掴んで絶対に離さなければよかったのに」


 竜生くんの目が冷たく細められた。


「え、2人ともなんの話してるの……?」

「道着だよ」「道着に決まってんじゃん」

「っだ、だよね!」


 2人に同時に道着だと言い切られ、焦ったように言葉を返す。まじで道着であんなピリピリすんの?えー、全く意味わからん。


「あ、礼人、そろそろ教室戻った方がいいんじゃん?」


 一刻も早くこの訳の分からない空気から逃げ出したい私は、そう言いながら礼人の背中を押した。


「うん、わかってる。じゃ、洗井くん、またねぇ。美琴も、またな」

「うん。じゃーね」

「森脇くん、道着ありがとう」


 礼人は竜生くんのお礼の言葉に反応することなく、廊下を歩いて行った。

 その背中を見送っていると「ふぅ」と竜生くんのため息が聞こえる。


「あ、なんかごめんね?礼人ピリピリしてたね」

「……森脇くんがピリついてたことに、美琴が謝る必要ないよね?」


 ……まぁ、そうだけど。なんでそんな棘のある言い方すんの。

 私はそんな竜生くんの物言いに悲しくなって、俯いた。ほんと意味わかんない。


「ごめん。ただの八つ当たりだ。……ごめん」


 竜生くんは俯いた私が泣いたと思ったのだろうか。焦った声を出しながら、私の頭を撫でた。髪を耳にかけられて、竜生くんの手が私のフェイスラインに優しく触れる。そしてそのまま、優しい力で私の顎を持ち上げた。


「……泣いてるのかと思った……」


 私の表情を確認した竜生くんが、安心したように呟く。泣かないよ。だってここで泣いたら困るでしょ?

 私は自分が出来うる限りの優しい眼差しを送った。




 16時30分。まだまだ蒸し暑いが、夕方の冷たい風と日の傾きが早くなった空が夏の終わりを感じさせた。


「えー、フォークダンスを始めるのでサークルを作って」


 体育教師がマイクを通して指示を出した。

 3年生と2年生の半数が一番外側でダブルサークルを作り、その内側に残りの2年生と1年生の一部がダブルサークルを作る。そして一番内側に残りの一年生だ。

 8組と1組が2年生のサークルに混じったので、1年生が作るサークルは2組と7組が繋がっていた。


「楽しかった体育祭もこのフォークダンスで終わりです!みんな最後まで精一杯楽しもう!」


 その言葉の終わりを合図にオクラホマ・ミクサーのポジションをみんながとった。私も一番初めのパートナーである大垣くんに「よろしくね」と言い、ポジションを取る。男の子がやや後方に立って手と手を繋ぐのだ。厳密には女の子側は手を握るのではなく、ホールドをするのだが。

 とにかく思っているより身体が密着する。水川さん、ごめん!!と心の中で大垣くんの彼女に謝る。授業の一環なので、別に水川さんもなんとも思ってはいないだろうが、私の気持ちの問題である。

 竜生くんの最初のパートナーは亜美ちゃんだった。


 曲が流れ始めて、順調にパートナーチェンジが進んでゆく。ということは、私と竜生くんの距離が開いていってるのだ。やっぱり竜生くんと踊りたかったな……。7組で竜生くんと踊れた女子は亜美ちゃんだけだった。



 

 次に来るパートナーが誰かなんて、わかっていた。

 私と手を繋いだ瞬間、「よぉ」と言いながら礼人は子供の頃から変わらない笑顔を向けてきた。私も「よぉ」とだけ返してダンスに集中する。

 弟みたいだと思っているけど、身長はとっくの昔に追い越されたし、華奢に見えて日々のトレーニングや部活で鍛えている厚みは、間違いなく立派な男性のそれなのだ。

 いくら幼馴染、家族みたい、だと言っても所詮は異性の友人である。体に触れることなんて全くと言っていいほどなかった。触れるときは必要に駆られたとき、しかも一瞬、本当に軽く、というぐらいだ。

 私は踊りながら、変に知ってる相手の方が緊張するな、と感じていた。


 礼人の次の相手にパートナーチェンジをしようとした時、曲が鳴り止んだ。パートナーチェンジをしないまま、私たちは向き合って立ち止まる。

 「次の曲にいきます」という声が運動場に響いた。次はコロブチカだ。


「コロブチカって、本当はカップルダンスで、ずっとパートナーを変えずに踊るんだってぇ」


 曲が始まるのを待つ間、礼人がそんなことを言った。私の返事が欲しいわけではなかったのだろう。礼人は言うや否や、私の両手を取りコロブチカのポジションを取った。


 燃えるような夕日が運動場を赤く染める。強く握られた手が、礼人が私を見つめる真剣な瞳が、痛い。

 その視線の意味に気づくべきではなかった。気づきたくなかった。

 私たちは幼馴染で一番仲の良い異性の友達ではなかったのか。礼人が好きだと言ってこない限り、私は知らないふりをしたい。してもいいだろうか。

 狡い。わかっている。だけど友達を失うこと、友達に好きだと思われていたこと、それに気づけなかったこと。もうその全てに蓋をしてしまいたかった。


 終わる。礼人とのダンスが終わる。パートナーチェンジをする刹那、礼人が私の方に手を伸ばした。だけどその手は取れない。

 私は竜生くんのことが好きなのだ。


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