幸福の隙間

5

 気がつけばお盆も過ぎて、夏休みも終盤にさしかかっていた。

 私と竜生くんはあれからほぼ毎日電話をし、日曜日にはデートをした。しかも2回もだ。ぎこちなかった呼び方も、今ではすんなりと呼び合える仲になった。

 1回目の水族館デートも、2回目の繁華街での食べ歩きデートも、最高に楽しくて幸せな時間だった。手を繋いで歩く、食べ物をシェアする、2人で笑い合う。そして触れ合うだけのキスをする。もうこの世の幸せが凝縮されたような時間だった。

 それから、デートの最後のお約束になりつつある吸血行為。なりつつあるというか、もうなってると言った方が正しいのかもしれないけれど。


 竜生くんは毎回吸血部位を変えて血を吸うことがわかった。「場所で血の味が違うの?」と聞けば、「まさか!」と可笑しそうに笑って否定をした。私のその考えが斬新だということらしいけれど、私は真剣に、それ以外の理由で毎回場所を変える意味に見当がつかなかった。

 「一応ね。毎回同じ場所にして、万が一でも美琴に痕が残ったら嫌だろ」と恥ずかしそうに言った竜生くん。それは私への配慮だったのか、と嬉しく思ったのは紛れもない本心だ。だけど一方で、消えない痕を残される行為にたまらなく憧れを抱いた。

 竜生くんがいずれ私の元から去って行くのなら、一生残る傷跡がほしい。なんて、退廃的な考えだと思う。自傷行為に竜生くんを利用していいはずなどないのだ。




 首筋、そして指先の次は二の腕だった。きっとノースリーブを着ていたので行為がしやすかったのだろう。そして4回目は脇腹だった。

 デートの後に寄った竜生くんの部屋で、服を捲られ脇腹を舐められたときは羞恥に耐えられなくて、力の入らない手で竜生くんの髪を思わず握ってしまった。竜生くんは痛くなかったみたいで、ホッとしたことを覚えている。

 だけど、恥ずかしい私の気持ちもわかってほしい。キスはしているとは言え、本当に唇を軽く合わせるだけの、挨拶のようなキスなのだ。それなのに、身体はエッチの前にするような濃厚な触れ合いをしているのだから、頭がおかしくなってしまう。確実に私のレベルに見合っていない。



 そして、今日、夏休み最後の日曜日。私は竜生くんの家に、まだ終わっていない数学の宿題を持ってお邪魔することになっていた。

 そうなると嫌でも考えてしまうのが、次はどこを吸うの!?ということだ。もしかして下半身……いや、ないない。昨日の夜に考えて考えて考えて訳が分からなくなって、今考えても仕方ないから、と思考を放棄したはずなのに。それなのに、朝起きた瞬間からまた考えているのだ。こんなことで苦手な数学の宿題ができるのか?という話だ。

 そしてあと一つ緊張していることがある。今日は竜生くんのご両親が家にいらっしゃるのだ。



 お仕事をされているので平日は帰宅が遅いらしい。土日がお休みのようだが、「いまだに、ラブラブなのー、とか言って、日曜日は2人でデート行ってる」と以前に竜生くんが教えてくれた。なので、今までお邪魔していたのはご両親不在時だったのだ。

 今さらだけど、不在時に家に上がってたってどうなんだろう……心象最悪じゃない?

 「その日は親がいるから」と告げられた電話中に、そんなことにやっと気づき、途端に背筋が寒くなる。

 「私、今までご挨拶もせずに勝手に家に上がって、最低なことしてたね」と暗い声でこぼせば、「大丈夫。今までも彼女が来るってことは伝えてたから、親は知ってる」と竜生くんから救いの言葉。抜け目ないなぁ、さすがである。

 「美琴に会えるの楽しみにしてたよ」と言われて私は一気に心を持ち直した。そしてふと疑問が湧く。


「あれ?竜生くんが吸血鬼の末裔ってことは、ご両親も……?」

「あぁ。母親がね」


 あ、やっぱりそうなんだ。


「竜生くんが身体のことで悩んだり、何か心配なときに、お母さんがそばに居てくれると心強いね」

「……美琴って、すごいよね」


 私の言葉に竜生くんは優しい声を出した。今の会話の中で、私のすごさを見せつけたところはなかったと思うのだけれど。

 「え?私すごかった?」と疑問を素直にぶつけた私に竜生くんは、「うん。すごかった。なんでそんなにすんなり受け入れられるんだよ」と嬉しそうに笑う。竜生くんが嬉しそうだと私まで嬉しい。


「だからー、全部受け止めたいって言ったじゃん。嘘じゃないんだから」


 と私が照れを隠すように拗ねた口調で喋れば、「うん。嘘だなんて思ってないよ、信じてる」なんて、大人な対応をした竜生くんが格好良くて、なんだか悔しかった。


 電話を切ったあと、私もお母さんに言っておくか、と「今度の日曜日、彼氏んち言ってくるね」とさらりと告げれば、目玉が落ちてきそうなぐらい驚いていた。そりゃあ、惚れた腫れたとは無関係だと思っていた娘の口からそんな言葉が出てくれば、そうなるだろうとは思う。そしてお母さんは超特急で手土産を用意し、「あちらのお母様と一度お電話したいから、その旨を伝えておいてくれる?」と中々の形相で念押ししてきたのである。

 その迫力に、高校生カップルが家に行くということは思っていたよりも大事だぞ、と怖くなり、「家にお邪魔することは今回が初めてじゃないの」とは言えなかったのだ。ごめん、お母さん……!竜生くんのお母さんと電話する前には改めて伝えるので…!!



 とにかく、そんなこんなで今日、私はいつも以上に緊張していた。手土産を持ちながらインターホンを押す手が震える。

 「はい。すぐに開ける」と聞こえてきたのが竜生くんの声だったことに、どれほど安心したか。安心しすぎて泣いてしまいそうなほどだ。


 「いらっしゃい」と出迎えてくれた竜生くんはいつもの笑顔だ。私が意を決して「お邪魔します」と言えば、リビングの扉からひょこりと顔を出したのは竜生くんのご両親だった。

 

「いらっしゃい」

「いらっしゃい!会えるのを楽しみにしてたの」


 竜生くんのお父さんもお母さんも優しい笑顔で出迎えてくれて、私はそれだけで心底安堵した。


「はじめまして。あの、竜生くんとお付き合いさせていただいている、明石美琴です。よろしくお願いします」


 若干の面接感は否めないが、はっきりと伝えることができたのではないかと思う。


「はい。よろしくお願いします」


 声を揃えてご両親が深々とお辞儀をしてくれたのが、とても印象的だった。「さ、上がって上がって」とお母さんの明るい声が私の心を軽くする。その流れで母からの伝言を伝え、手土産を渡すことに成功した。


 通されたリビングで案内された椅子に座って、ソワソワと落ち着かない私を見た竜生くんが「いつもの美琴で大丈夫だよ」と寄り添ってくれたけれど、いつもの私が思い出せないのだ。生憎。

 

 出された紅茶に口をつけ、ほぅと一息つく頃には、ご両親の顔を見て話せるまでには落ち着くことができた。あ、竜生くんはお母さんに似てるんだなぁ。

 よくよく見れば、顔のパーツは全てお父さん似だと思う。だけど、竜生くんとお母さんは骨格と雰囲気がよく似ていた。凛とした、冬のような澄んだ空気を纏っているのだ。誰にも汚すことはできない、気高い雰囲気だ。



 幼少期の竜生くんの話や、私と竜生くんの高校生活のことを話してすっかりと打ち解けたと思った頃に、突然爆弾が投下された。


「ね、美琴ちゃんは竜生が吸血鬼の末裔だってことは知ってるのよね?」


 私と竜生くんの時が止まった。なんと言っていいのか私では判断ができないと、チラリと横に座る竜生くんを見れば、呆れたようなため息を吐いた。


「それ、説明しただろ。彼女には言ってあるし、理解してくれてる」


 今まで聞いたことのない、棘が含まれたような声色だった。これ以上は詮索するな、という強い意思を感じたのは気のせいではないはずだ。


「まぁ、母さんも心配なんだよ」

「そうよぉ。もちろん竜生じゃなくて、美琴ちゃんのことよ。なにかあればすぐに言ってきてね。力になれると思うから」


 なにかとは一体なんなのだろうか……。今のところの悩みといえば、竜生くんが吸血する部位が際どいということと、吸血されると頭がおかしくなりそうなほど気持ちよくなってしまうということだけだ。だけど、……これはさすがに言えないです。

 これ以上その場面を思い出せば、誤魔化せないほど赤面してしまいそうだったので、すぐに考えることをやめた。


「はい!ありがとうございます。嬉しいです」

「はい、じゃあこの話はおしまいね。俺ら夏休みの宿題するから。美琴、部屋行こ」


 私の言葉が終わるや否や、竜生くんはさっさと切り上げて椅子から立ち上がった。え、こんな感じで終わっていいの?と心配する私をよそに、腕を掴んだ竜生くんは私を立ち上がらせる。


「はいはい。お勉強がんばってね」

「美琴ちゃん、帰りは僕が車で送るからね!」


 こんなトゲトゲした竜生くんに慣れているのか、竜生くんのお母さんは気にも止めず、笑顔で手を振ってくれた。お父さんに至っては、帰りのことまで考えてくれている。


「わ、ありがとうございます!勉強頑張ります!」


 それだけはなんとか言えた。




 部屋に入ると、竜生くんは「疲れた」とベッドに横になった。なんだか、今日は新しい竜生くんをたくさん知れて、とてもラッキーな気分。


「竜生くんもあんな風な態度とるんだねぇ」


 と少し茶化せば、「俺も普通の男子高校生ですから」と枕に埋めていた顔を私に向けた。あ、かわいい。


「今日、ありがとな。次は俺が美琴のご両親に挨拶するから」


 真面目だなぁ、と思う。だけど、とても嬉しい。こんなの、私のこと好きなのかな、って勘違いしそうになるよ。

 「うん。……ありがと」と言うと、竜生くんが優しく目を細める。好きだなぁ。

 「よし、宿題終わらせるか!」と元気良く起き上がった竜生くんが、ご褒美だよとでも言うかのように、おでこに唇を落としてくれた。



 数学がちんぷんかんぷんすぎて頭を抱え込んだ私に、竜生くんが丁寧に解き方のヒントを教えてくれる。

 そもそも竜生くんは全ての宿題を終わらせているのだ。だから今回の勉強会は私のために開催されている。夏休み初日は計画表まで作ってやる気出してたのになぁ。どこで狂った?

 だけど弁解させてほしい。数学以外の宿題は割と予定通りに終わらせたのだ。ただ、苦手な数学だけが後回し後回しになって、このザマである。


「基礎は出来てるし、公式もちゃんと覚えてるんだから、あとはそれを応用するだけだよ」


 数学が得意な竜生くんはさらりと言うけれど、その応用が難しいんだよ、ということに気づいていないみたいだ。

 

「うーん。じゃあさ、5分考えて分からなかったら、もう答え見たらいいよ。で、解説を読んで解法パターンを理解するのもありかなって思う」


 シュンと肩を落とした私を見かねた竜生くんが新しい提案をしてくれた。


「ここに居る間は解説は俺がするからさ!家に帰ってするときは、そうしたら?」


 たしかにそれなら、少しずつでも前に進めそうである。回答は夏休み中に一度だけあった登校日に配布されているので、手元にあるのだ。


「ほんとありがとー……私、頑張る!」


 やる気はあるんだけどなぁ。気持ちを入れ替えて宿題に取り掛かった私を見守りながら、竜生くんは夏休み明けにあるテストの勉強を始めた。


 

 その後も竜生くんに助けてもらいながら、なんとか終わりが見えるまでに宿題が進んだ頃、部屋の扉がノックされる。竜生くんが「はい」と返事をしたことを確認した後、扉が開き、竜生くんのお母さんがオヤツを持って来てくれた。


「甘い物が好きって竜生から聞いたから、ケーキ買ってきたの。よかったら食べてね」

「わぁ、美味しそう!ありがとうございます」

「ありがと。そこに置いといて」


 疲労が溜まった頃の糖分とか、どんなご褒美よりも嬉しい!

 「じゃ、勉強がんばってね」と、ケーキと紅茶を置くと、お母さんは部屋をすぐに出て行った。それはひとえに、それを置いたら出て行ってね、という竜生くんの無言の圧によるものだろう。

 こういう姿を見ると、竜生くんも私と変わらないただの高校一年生なのだなぁ、と当たり前のことに気づく。


 ケーキを「美味しいね」と言いながら2人で食べて、「ちょっと休憩する?」と言ってくれた竜生くんの言葉に甘えて私は机に頬をつけた。「疲れたぁ」と思わず本音が漏れる。項垂れた私の姿を見ながら、「頭使うと疲れるよな」と竜生くんがくすりと笑った。

 「俺も疲れた」と言いながら、私に倣い頬を机にくっつけた竜生くんと視線がバチリと合う。そういえば、疲れたときは吸血欲求が高まるって言ってなかったっけ?働かない頭でそんなことを考えていた。


 すっと伸びてきた竜生くんの手が、私の髪を梳くように優しく撫でる。気持ちいい。「もっとして」と無意識に口から出た言葉にハッとした。とんだハレンチ言葉を口にしてしまったと思ったが、竜生くんは気にもしていないようで「うん」とだけ応えると、慈しむような眼差しでそれを続けてくれた。

 どれだけそうしていただろう。私の頭を撫でていた手は、気がつけばフェイスラインをなぞりながら顎先を通過し、首筋に下りていった。首筋をつぅと指先でなぞられ、途端に身体があの快感を思い出したかのように敏感に反応した。

 あ、噛まれる。近づいてきた竜生くんの唇を見ながら思う。一度噛まれた方とは反対側の首筋だった。まさか次は下半身では!?と思っていた自分自身に恥ずかしくなる。いや、首筋もたいがいやらしい場所だけどね!?


 机と竜生くんに挟まれ、いつも以上に身動きがとれない状況に胸がときめくだなんて、私はおかしいのだろうか。

 吸血の行為中はその人の全てを俺の物にしたくなる、と言っていた竜生くんを思い出す。快感に支配された頭で「もっとして、」と祈りにも似た懇願をはしたなくしてしまう。もっとして、私の全部、竜生くんにあげるから。

 流れ出た一筋の涙を、竜生くんに気づかれないようにひっそりと拭った。


 竜生くんのお父さんが運転する車が、私の家の近くにある広い道路脇に止まった。


「本当にありがとうございました。…竜生くん、頭痛いのマシになった?」


 相変わらず吸血をした後は軽い頭痛があるようだった。「うん。すぐに治るし平気」と言った竜生くんの言葉に安心し、私は再度竜生くんのお父さんにお礼を述べた。


「こちらこそありがとう。会えて良かったよ。これからも竜生をよろしくね」


 それはお見送りをしてくれたお母さんにも言われた言葉であった。「こちらこそ、よろしくお願いします」と車内で深々と頭を下げる。


「じゃあ、次は新学期、学校でだな」

「うん!竜生くん、数学教えてくれてありがとう。また学校でね!それじゃあ、お邪魔しました」


 車を後にした私が家へ入って行くのを見届けたあと、竜生くんとお父さんが乗った車は発進した。




 思い返してみれば、今年の夏休みは本当に楽しくて幸せな出来事ばかりで充実していたなぁ、と湯船の中で噛み締める。

 2学期が始まると体育祭、文化祭、球技大会と行事が目白押しである。その合間に定期テストが挟まったりと、目まぐるしく過ぎて行く日々だろうことが想像できる。

 だけど私は楽しみで仕方がないのだ。来年度には文系理系でクラス分けがされるので、恐らく竜生くんとは離れてしまうだろう。最初で最後の一緒のクラス。一緒の時間をたくさん過ごしたい。

大人になったとき、共通の話題で盛り上がれるって最高だろうな。

 私の思い描く未来には、絶対に竜生くんがいるのだ。

 そんな幸せを想像しながら、のぼせる前にお風呂を後にした。






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