幸福の隙間

4

 私と礼人は幼稚園の頃からの幼馴染だ。

 正直に言うとその頃の記憶はほぼない。なんとなーく、一緒にいたかなぁ?程度にしか覚えていない。だけど、私のお母さんも礼人のお母さんも口を揃えて「結婚するって言ってたのよ」と言うのだから、仲が良かったのは確かなんだろう。

 さすがに小学校3、4年生頃からの記憶はあって、その中でもはっきりと覚えているのが"用水路落下事件"である。なんてことはない、その名の通り、私がコンクリート用水路の端を後ろ向きに歩いていて落ちただけの、自業自得の事故だ。

 一緒に歩いていた私が急に落ちたのだから、礼人はさぞ驚いたと思う。落ちて怪我をして、ランドセルの中身までぐしょ濡れになった私よりも、礼人が大泣きしているのはなんでなんだろう。その礼人の泣き顔を見ていたら、なんだか冷静になってきて、結局私が礼人を宥めながら家まで帰ったのだ。

 「美琴ちゃんが消えたぁ!死んだかと思ったぁ!!!」とわんわん泣きながら、私の手を強く握り続けた礼人は、いつから背が伸びて、かっこいいと言われるようになったんだっけ……。




「え?聞いてる?」

「あ、ごめん。なんて?」

「千原さんの話だよー」


 あぁ、そうだったそうだった。夏休み前にチラッと聞いた、千原さんに告白されたけどどうしよ、ってやつだ。

 

 昨日の宣言通り、礼人は家に晩ご飯を食べに来ていた。お母さんからしても礼人は本当の子供みたいなものらしく、心からウェルカム状態なので、礼人の気が向いたときにフラッとやって来ては、うちでご飯を食べて行くことが多々あった。

 そしてその後はだいたい私の部屋に来て、ゴロゴロしていくのだ。今日も例に漏れずそのコースで、床に寝転びながらスマホを触っていた礼人が、突然起き上がったかと思えば千原さんの話をし始めたのだった。

 私はそれを話半分に聞きながら、そういやいつ頃からモテだしたんだっけ?と考えていたのである。


「で?千原さんがどうしたの?」

「この前、美琴が言ったんじゃん。本当に好きな子と付き合えって。だから断ったよ、きっぱり」


 礼人が賢明な判断をするとは……!今回も断れずに付き合って、またすぐに振られると予想していたのに、驚きである。


「えらいじゃん!てかさ、今さらなんだけど、礼人ってどんな子がタイプなの?」


 近くにいすぎたからか、改めてこういった話をすることが今までなかった。

 同時に、洗井くんの家に行く服装を選んでもらった時に「礼人はどんな服装で来てほしい?」と聞いて、変な空気になったことを思い出した。話題選びに失敗したかもと思ったが、どうやら余計な心配だったみたいだ。

 礼人はあっさりと「鈍い子」と答えた。てか、変なタイプ。まぁ、鈍感な子を可愛いと思う気持ちはわかるが、それが一番にくるか?という話である。


「珍しいタイプだね」


 変だね、と直接的な言葉を使わなかったのは私の優しさだ。


「そ?てかさ、鈍い子にはどうやったら気持ちが伝わると思う?」

「えー?そんなん直接好きって言うしかなくない?」

「まぁ……そうだよねぇ」

「…!え、てか好きな子いるの?!」

「さぁ?」


 ……相変わらずはっきりしない奴である。


「ま、礼人は優しいし、割と?かっこいいし?自信持ちなよ!」


 励ますように明るく言えば、礼人の顔がスッと熱をなくす。

 基本的にニコニコしていて愛想が良いこと、僅かに下がった目尻、ふっくらと丸い唇、小鼻が小さく華奢な鼻筋、という優しげな顔のパーツが、礼人のふんわりと柔らかい印象を形作っていた。

 そんな礼人があまり見せない冷めた表情を見せたのだ。どきり、と心臓が拍動し、怒らせてしまったかも、という事実にただ焦る。だけど、なにが地雷を踏んでしまったのか、見当がつかないものだから謝ることもできない。


「なに?怒った?」


 私が恐る恐る聞けば、礼人は「いや、まさか」と首を横に振った。よかった。怒らせたわけではないようだ。


「じゃあさ!俺が好きだって言ったら、美琴は付き合ってくれる?」


 ニコニコと人好きのする笑顔に爽やかな声が乗る。「えー?どんな質問よ。私は洗井くんが好きだからなぁ」と笑って答えれば、礼人がにじりにじりと徐々に距離を詰めてきた。なに。怖いんだけど。


「洗井くんのことは置いといてよ。俺じゃ嫌?だめ?なんで?どうして?」


 礼人が発する圧の強さに、自然と身体を後ろに引いてしまう。自分の顔が引き攣っているのがわかる。礼人の考えていることがわからない。だから、その顎を上げて人を見る癖をやめろと言っている。礼人の目に見つめられて、私はさらに動けなくなってしまう。


「……ね、ほら。全員が俺を選んでくれるわけじゃないんだからさぁ!自信なんて持てないよ」


 先ほどまで感じていた圧が一瞬で抜けて、いつものふにゃふにゃの礼人に戻った。よ、よかった……。

 どうやら先ほど私が軽々しく「自信持って!」と発言したことにご立腹だったようだ。純粋に励ましたつもりが、傷つけてしまったみたいで申し訳ない。「ごめん」と謝れば「俺もごめん。ふざけすぎた」と謝り返される。ほんとにその通りだと思う!!


 

「あ!今何時?」

「9時ぐらい?」


 必要以上に怖がらせてきた礼人に、文句の一つでも言ってやろうかと口を開きかけたとき、ふと時間が気になった。9時ならそろそろお風呂に入らないと、洗井くんとの電話の時間に間に合わない。私たちは夏休みに入ってからほぼ毎日、10時過ぎに通話をしていた。


「礼人、帰って?」

「えー、なんで?帰るのめんどいー」

「いや、私そろそろお風呂入んないと、洗井くんとの電話に間に合わないから!」


 立ち上がった私は礼人の腕を掴んで立たそうと試みた。だけど当たり前に無理な話だ。いつの間にこんなにおっきくなったんだよ!?と理不尽な怒りさえ覚える。


「わかったぁー。帰る帰る。またねー」


 礼人は気の抜けるような緩い声を出し、私の部屋を後にした。急いでお風呂に入らなきゃ!



 なんとか10時までには上がってこれた。私はベッドにダイブして、洗井くんからの連絡を待った。

 10時を少し過ぎた頃、メッセージアプリに『今から電話する』と用件だけを伝えるメッセージがきた。私が『オッケー』と返せば、既読マークがついたとほぼ同時にスマホに着信があった。


「はいっ」

「出るの早いね」

「だって楽しみに待ってたんだもん」


 中身がない、薄っぺらい話で笑い合えることが幸せだった。今日の晩ご飯は何を食べた、昨日見た夢の話がどうだった、観たかったテレビの時間を忘れてた。

 洗井くんの新たな一面を知れることが嬉しかった。コーヒーが飲めないんだって。寝るときは枕を抱きしめながら寝るんだって。実は両利きなんだって。

 

「そういや、昨日会った、森脇くんだっけ?今日来てたの?」


 別れ際に、礼人が「晩ご飯食べに行くから」と言っていたことを思い出したのだろう。「うん、9時ぐらいに帰らせた」と言えば「いつから友達なの?」と洗井くん。


「幼稚園からだよー」

「すっげぇ。俺、そんな幼馴染いないからうらやましいわ」

「あれ?亜美ちゃんは?」

「ん?あみちゃん……あぁ、服部か」


 洗井くんが女の子を呼び捨てにすることは珍しい。珍しいというか、亜美ちゃんだけだ。その特別感がうらやましい。……やだな、大好きな亜美ちゃんに嫉妬しちゃうなんて。自己嫌悪だ。


「たしかに幼稚園から知ってるけど、そんな仲良くないしなぁ」


 それを聞いてホッとしてしまうなんて、最低な気持ちになる。だけど、私が男なら絶対に亜美ちゃんと付き合いたいと思うほどに魅力的なのだ。秘密の嫉妬ぐらい許してほしいのが本音である。


「そっかぁ。ま、礼人が人懐っこいからね」


 距離を置こうとしても絶対に逃げ切れない自信がある。私はひたすらに絡んでくる礼人を想像して、くすりと笑みをこぼした。

 「明石さんも人懐っこいよ」と洗井くんが優しく告げる。え、そうかな?洗井くんにそう言われるとすごく嬉しい。だけど、私はまだ"明石さん"かぁ……。

 別に呼び方なんてなんでもいいんだけどさ。……なんて、嘘、強がり。私は洗井くんの特別枠、ぜーんぶ欲しいと思うほど欲張りなのだ。


「ね、洗井くん。明石さんってそろそろやめない?」

「……うん。美琴……とか?」


 声音から洗井くんの緊張が伝わってきて、私までさらに緊張してしまう。


「うん。嬉しい……」

「俺も、洗井くんはやだな」

「じゃ、じゃあ。竜生、くん」


 うん。なんだかしっくりきて、たった呼び方一つ変わっただけなのに、心の距離がぐっと縮まった気がする。


「……照れるわ。だけどいいね。み、こととの距離が縮まった気がする。昨日までよりずっと」


 一緒だ。一緒の気持ちだ。同じことを感じられるのって、なんて幸せ。このまま幸せがずっと続いてほしい。


「あ、そういえば、体調どう?貧血とかない?」


 貧血になるぐらい大量には吸ってないけど、と竜生くんは付け足した。


「私は平気だよ!なんならめっちゃ元気!竜生くんは?この前、頭痛いって言ってなかった?」

「そうそう。昨日もちょっと頭痛かったんだけど、今朝には治ってた」


 そうなんだ。頭痛は心配だけど、一時的なものなら良かった。吸血行為には副作用みたいなものがあるのかな?なんせ知らないことだらけだけど、他人の血を体内に取り入れるのだ。軽い頭痛ぐらいなら起こってもおかしくない気がする。

 私の血が、竜生くんの体の中に入っているのか。今さらながらそう認識して、なんとも言い表せられない快感が私の身体を支配する。

 これは優越感の一種なのだろうか。竜生くんの中に私が存在している。それは比喩的な表現ではなく、純然たる事実である。


「今すぐにでも会いたいんだよなぁ」


 切なげな声に意識が引き戻された。「私も会いたいよ」とこれは恋心だ。竜生くんのは恋心ではなく、吸血欲求を満たすための、いわば性欲からくるものだろうか。

 そもそも吸血欲求って性欲なのかな?あの逆らえない快感と、竜生くんの恍惚とした表情から勝手に性欲に結びつけてたけど、食欲に近いのだろうか?まぁどっちにしろ、私と同じ恋心ではないことは確かだ。

 そう思うと気持ちが少し沈むのだけど、いずれ好きになってもらえたらいいから。……いずれ?そんな日が本当にくるのかな……?


「な、来週の日曜、予定なかったら会おう」


 竜生くんのその一言で、また天にも昇る心地になって頑張れちゃうんだから、我ながら単純である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る