第2話 勝負

 スナパ氏は宇宙船のなかで退屈していた。長距離輸送の操縦手というつまらない任務だ。たいした仕事がない代わりに報酬もすくない。


「いやいや、退屈なさっているようで」


 突然の声に振りかえる。この宇宙船にはスナパ氏以外だれもいないはずだ。


「や、なんだ、お前は」


 地球と同じ重力が発生している船内において、そいつはふわふわと宙に浮いていた。


「わたくし、悪魔でございます」


 礼儀正しく悪魔が挨拶する。


「悪魔だって? 宇宙にも悪魔が出るとはおどろいたな」


「あ、わたくし地球から乗りこんだのでございます。宇宙がどうなっているのか興味がありましてね」


「なんだか知らんがうす気味悪いやつだな。さっさと出ていけ」


 スナパ氏が手を払う。


「そんなことおっしゃらないでください。おとなしくしていますから」


「いいや、だめだ。考えてみれば悪魔といっしょにいて、いいことなどあるわけがない。いますぐ放りだしてやる」


 操縦席をはなれ、スナパ氏が悪魔を捕まえにかかる。


「あらあら、操縦は大丈夫なのですか」


「自動でやってくれるんだ。おれがやることなどほとんどない」


「なるほど。しかし、わたくしを放りだすのはやめたほうがいいでしょう。むだですよ」


「む、どういう意味だ」


「こういう事情でございます」


 スナパ氏の問いに、悪魔はすっと宇宙船の壁を通りぬけてみせた。窓の外に悪魔のすがたが見える。スナパ氏にその様子を見せつけた悪魔は、同じようにして船内へ帰ってきた。


「わたくしども悪魔は宇宙空間でも生きていけるようなのです」


 悪魔はひょうひょうとスナパ氏の前に戻る。


 その光景を見て、スナパ氏は悪魔を追いだすのをあきらめた。宇宙船に特別くわしいわけではないのだ。予定外の作業をして事故を起こしてもつまらない。


「まったくついていない」


 スナパ氏は操縦席に座った。


「はあ、いったいなにがあったのです。わたくしでよければ話を聞きましょう」


 悪魔がついてくる。こんなやつに話をするのは気が進まない。しかし、どうせひまだ。すこしでもひまをつぶせるならと、スナパ氏は話しはじめた。


「賭けごとにのめりこんだせいで首が回らなくなった。おかげでだれも引きうけたがらない仕事を引きうけるはめになったのだ」


「それは、それは。自業自得でございますね」


「しかも、こんな悪魔につきまとわれてしまうし」


「その点については同情いたします」


 他人ごとのように悪魔が言う。


「かわいそうに思うならいますぐいなくなってくれ」


「そういうわけにはいきません。悪魔には悪魔の都合があるものですから。しかし、そうですね。代わりと言ってはなんですが、ただでわたくしを乗せてくれたお礼にひとつ勝負でもいかがです」


「勝負だって」


「ええ、退屈しのぎにはなると思いますが」


 悪魔が手をする。


「そんな口車に乗せられ、魂を持っていかれては困る。お断りだ」


「いえいえ、魂をくれなどとずうずうしいことは申しません」


「じゃあ、ただのゲームか」


「それだと迫力に欠けますでしょう。多少は緊張感がないとひまはつぶせませんよ」


 もっともなことを言う。スナパ氏の旅路は長い。刺激的な勝負ごとでないと、悪魔の言うとおりすぐにあきてしまうだろう。


「なにか賭けるということか」


「さすがお察しがいい。そうですね、あなたが負けたら寿命を七日いただくというのはいかがです」


「冗談じゃない。どうせうまい具合におれをだまそうと、たくらんでいるのだろう」


「そう早合点なさっては困ります」


 悪魔は落ちついた様子だった。


「負けたらすこしの寿命をいただきますが、あなたが勝ったときにはひと握りの金貨を差しあげましょう。ほら」


 そう言って悪魔は手から金貨を出現させた。その小さな手からこぼれ落ちた金貨が床に散らばる。魅力的な金属音が宇宙船にひびいた。


「しかし、寿命がとられるのはなあ」


 金貨を見つめながら、スナパ氏が悩む。


 そんなスナパ氏を悪魔が諭す。


「よく考えてみてください。たとえば、ふた勝負して一勝一敗だったとします。するとどうなります」


「どうなるのだ」


「いいですか、あなたは七日を失う代わりにひと握りの金貨を得るのです。つまり、七日分の収入がこの金貨なのです。一週間の給料としては破格の金額です」


「ふむ、なるほど」


 スナパ氏が床の金貨を眺める。悪魔の言うように一週間分の収入ならば、こんないい仕事はない。仮にスナパ氏が勝ちつづければ、さらに儲けが上がるというわけだ。


「勝負の内容はどうなっている。あまりにもそちらに有利な勝負では話にならないぞ」


 スナパ氏は悪魔の提案に大いに興味を示していた。


「それはあなたが決めてくださってけっこうでございます」


「なんでもいいのか。ずいぶん気前がいいな」


「サービスでございますよ」


「いいだろう。つき合ってやろうじゃないか」


 こちらで内容を決められるとなれば勝算はある。スナパ氏は期待をふくらませていた。


「では契約を交わしましょう」


「契約だって」


 悪魔らしい単語にすこしためらう。


「ええ、悪魔は契約と信頼で成りたっているのです。まあ、お役所の手続きみたいなものですよ。形式上のものです。あまり深く考えないほうがいいでしょう」


「そうなのか」


「ええ」


 普段なら悪魔との契約などぞっとする。しかし、いまに限ってはしめたものだ。こんな有利な条件はない。


「わかった」


 スナパ氏はすこし考えてから了承した。こちらが有利になる勝負を選べばすむ話である。それよりもこの好機を逃すほうがもったいない。


「では、こちらの紙にお名前をお書きください」


 どこから取りだしたのか、悪魔が一枚の紙を差しだした。なにも書かれていないまっ白な紙だ。悪魔からペンを受けとって、スナパ氏は自らの名前を記した。


「これでいいのか。ずいぶんあっさりしたものだな」


「たくさんの書類に何回もサインするよりこちらのほうが便利でございましょう。悪魔は親切なのでございます。さあ、契約は成立いたしました。では、なにで勝負いたしましょうか」


「そうだな」


 スナパ氏は貨物室に向かった。積んである荷物を漁る。そのなかにちょうどいいものを発見した。


「チェスなどどうだろう」


 スナパ氏が悪魔の反応をうかがう。よく知っているようなら、ちがう勝負に変えればいいだけの話だ。


「はあ、困りましたね。チェスの経験はないのです。できればほかの勝負がよいのですが」


 運もスナパ氏に味方しているようだ。スナパ氏は強気にせまる。


「いまさらうじうじ言われても困る。内容はおれに任せると言ったのはそっちだ。言いだしたことは守ってもらうぞ」


「はあ、しかし。ルールも存じていないもので」


 悪魔がふらふらとさまよう。


「ほら、ここにルールブックがある。読みながら指せばいいだろう」


「強引な方ですね」


 しぶる悪魔を言いくるめ、勝負の席につかせた。


 しかし、悪魔がなかなか手を進めない。


「はやく指せ。時間は有限なのだ」


「そうはいってもですね。ルールを把握するのに手こずっておりまして」


 悪魔はルールブックをじっと見つめている。はたして本当に読んでいるのか。それとも時間稼ぎなのか。


「ええい、時間制限を設けよう。時間を守らないと負けだ」


「そんな」


「時間を稼がれて勝負を先延ばしにされてはつまらないことになる。そんなの悪魔のやることか。契約と信頼で成りたっているという話はどうした」


「うう、しかたありません。その条件を受けいれましょう」


 契約を持ちだされると弱いのか、悪魔はしぶしぶながらも承知した。


 だが、悪魔といえども所詮素人。でたらめな手しか指せない。スナパ氏の目論見どおり、勝負は圧勝に終わった。


「さあ、報酬を支払ってもらうぞ」


「しかたないですね」


 悪魔の手から金貨がこぼれる。落ちた金貨はうつくしい光沢を放っていた。


 金貨に見とれるのもそこそこに、スナパ氏は悪魔に言う。


「さて、第二局と行こうか」


「はい?」


 悪魔がとぼける。


「聞いていないみたいな顔をするな。さっきふた勝負してとか言っていたじゃないか。ということは何回勝負してもかまわないということだろう」


「ええ、まあ。そうでしょうか」


「下手にごまかすんじゃない。一回口に出したことは守ってもらうぞ。ほら、はやく」


 背を向けて逃げだしそうな悪魔をふたたび勝負の場に呼びもどす。


「ひとの弱みにつけこんでひどいお方だ」


「悪魔に言われる筋合いはない。はやくしろ、時間がなくなるぞ」


「そんなにせかさないでください」


 ルールブック片手に悪魔ががんばるが、あえなくスナパ氏の勝利に終わった。


 報酬として悪魔が金貨を出す。


「まいりました。これ以上戦ってもわたくしに勝ち目はなさそうです。ここらへんでどうかお許しを」


「なにを言っているのだ」


 去ろうとする悪魔をスナパ氏が引きとめる。


「おれの気がすむまでつき合ってもらうぞ。なにせこの仕事はひまなのだ。時間はたっぷりある」


「そんな悪魔みたいなことおっしゃらずに。わたくしはもうやめにしましょうと言っているのです」


「そんな勝手な言い分がとおるか」


 スナパ氏が悪魔につめ寄る。


「や、落ちついてください。穏便に。どうか話しあいで解決いたしましょう」


 あくまで逃げようとする悪魔にスナパ氏はかみついた。この機を逃してはならない。搾れるだけ搾ってやるのだ。


「話しあいでというなら、おれとお前、ふたりがやめようと言ったらやめるべきではないか。片一方の意見を強引に押しとおすのが話しあいとは思えない。それこそ契約違反だ」


「ああ、契約を持ちだされては困ります。もっとも弱いところなのですから」


 消え入りそうな声で悪魔が懇願する。しかし、スナパ氏は意に介さない。


「契約は絶対なのだ。お前とおれ、そろってやめようと言わない限りこの勝負はつづける。これが契約だ」


「なんとひどいひとだ。こんなことなら軽い気持ちで宇宙へ行くのではなかった」


 いまにも泣きだしそうな悪魔を強引に勝負の席につかせる。


 いまだにルールすらおぼつかない悪魔を捕まえ、スナパ氏は不眠不休でチェスを指しつづけた。スナパ氏が勝利し、悪魔が金貨を出す。どれくらいの時間がたったかわからない。しかし、ふしぎと疲れることはなかった。はじめは高揚感のせいかと思ったが、これも悪魔の力なのかもしれない。だから逃げだそうとしたのだろう。なんにせよ、スナパ氏にとっては都合のよいことであった。


 さらに時間がたった。初心者の悪魔がそうそうスナパ氏に勝てるはずもない。スナパ氏は順調に勝利を重ねた。そのたびに悪魔は金貨を出しつづける。


 しかし、何回も対戦していくうちに悪魔もすこしは上達しはじめたらしい。


 何十回目の対戦かははっきりしないが、勝負がはじまって以来、はじめての引き分けとなった。


 予定の行路の三分の一ほど進んだところだ。まだまだ宇宙の道のりは長い。


「よかった。引き分けなら金貨を出さずにすみます」


 ほっとする悪魔をよそにスナパ氏は船内を見渡した。床一面の金貨。スナパ氏が悪魔からもぎ取ったものだ。そのきらめきと重量感にうっとりする。


 近くの金貨を手いっぱいにつかんで、床に落とす。透きとおる音がした。笑みが抑えられない。


「この調子ならわたくしが勝てるようになるのも近いかもしれません。がんばれ、わたくし」


「いまのはたまたまだ。調子に乗るんじゃない」


 すかさず悪魔をけん制する。


「いえいえ、こう見えてわたくし、もの覚えがよいのでございます。きっとあなたに勝つこともそう遠くないと信じております」


 なにやら自信に満ちている様子の悪魔である。


「勝手に思っていろ」


 そう言いはなったスナパ氏だが、ふと、ある不安を感じた。


 もしこのまま勝ちつづければどうなる。やがて宇宙船いっぱいに金貨が広がってしまう。金貨に埋めつくされた宇宙船は破裂してしまうだろうか。それともスナパ氏が金貨に押しつぶされるほうが先だろうか。


 しかし、だからといって負ければ寿命を持っていかれる。目的地までのあり余る時間を考えれば何年分の寿命が飛ぶかわからない。


「さあ、つぎの勝負をはじめましょう」


 勢いこむ悪魔をスナパ氏が制する。


「まあ、待て。ここらへんにしておこうじゃないか」


「なぜです」


「なぜって、もう十分に勝った。おれも悪魔ではない。ここらへんで許してやろう」


 だが、悪魔はそんなこと聞きもしない。


「つまらないことをおっしゃっては困ります。やっとわたくしが上達してきたのでございます。勝負はこれからです」


「いや、しかし」


 しぶるスナパ氏の顔を悪魔がのぞきこむ。


「それに、ふたりそろってやめようと言わない限り、勝負をつづけようとおっしゃったのはあなたではございませんか。はじめに申しましたとおり、悪魔は契約と信頼で成りたっているのです。契約違反は困りますよ」


「なんてことだ」


 スナパ氏はことの重大さにいまさら気がついた。


 目的地に着くまでまだまだ果てしない月日がかかる。ぶじにスナパ氏が宇宙船を降りるには、勝つことも負けることも許されない。引き分けをつづけるしかないのだ。


「チェスを選んだのはさいわいでしたね」


 悪魔の甲高い声が船内にひびく。


「引き分けになる可能性がまだ高いですから。望みは十分ございますよ」


 悪魔は意地悪く笑い、スナパ氏に向かって駒を動かした。




〈了〉

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【ショートショート集】ちょっと読んでみな、別世界へ飛ぶぞ 中原一飛 @ichi1001

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