第36話

 早朝、アリスとブルーノは旅支度を終え馬車に乗った。

 ブルーノの顔には布がまかれており、目だけが見えるようになっていた。

 アリスを先に馬車に乗せてから、ブルーノも小ぶりの箱に乗り込んだ。

「ブルーノ様? 顔をどうにかされたのですか?」

 王宮から来た御者がブルーノに尋ねる。

「気にしないでくれ」


 ブルーノはそれだけ言うと、視線を窓の外に向けた。

「それでは……王宮へ向けて出発します」

「はい」

 アリスが答えるとブルーノも言った。

「まかせよう」


 馬で走るよりも馬車の方が風景の流れていく速度が遅い。

 アリス達は以前城に行った時と比べて、時間がかかりそうだと思った。

「すまない、城へはどのくらいかかるのか教えてほしいのだが」

 ブルーノは窓を開け、御者へ話しかけた。

「はい、あすの昼頃には着くかと思います」

「……そうか、ありがとう」


 ブルーノは窓を閉め、ため息をついた。

「ブルーノ様、どうされましたか?」

「いや、大したことではないのだが……。レイモンドにこの姿を見せても良いものか、少々不安があってね」

 アリスはもう見慣れていたけれど、改めて考えるとブルーノが不安になるのも当然だと思った。


「まあ、なるようになるか」

「……あの、ごめんなさい」

 アリスは自分のせいで姿を変えることになったブルーノに罪悪感を覚えて涙ぐんだ。

「どうした!? なにか気に触ったか!?」

 ブルーノは慌てて手袋のまま、アリスの涙を拭った。

「私の為に、人の姿を捨ててしまうなんて思っても居なかったので……」


「過ぎたことを気にするな。俺もつまらないことを言った。すまない」

 ブルーノは、優しいまなざしをアリスに向けた。

 しばらく二人は無言で窓の外を眺めていた。

 夜になり辺りが暗くなった頃、川縁で馬車が止まった。

「今日はここで馬たちを休ませます」

「ああ、分かった」


「アリス様とブルーノ様は馬車の中から出ないで下さい。夜は冷えますから」

「ああ、そうだな」

 ブルーノは荷物から毛布を出すと、自分のとなりに敷いた。

「アリスさん、こちらへ。くっついていたほうが温かいでしょう」

「……え、でも……」

 アリスは顔を赤くして俯いた。ブルーノも少し照れながら言葉を続けた。


「……何もしませんよ。ほら、こちらへ」

「では……お言葉に甘えて」

 アリスはブルーノの隣に座った。

 すると、ブルーノは自分の毛布をアリスにも掛け、アリスの頭をブルーノの肩によせた。

「もたれた方が楽でしょう」


「……はい」

 アリスは自分の心臓の音が、ブルーノに聞こえていないか心配になった。

 少しの時間、ブルーノの香りを感じながらアリスは目をつむった。

 アリスは緊張していたがブルーノの寝息を聞いている内に、眠りに落ちていった。


***


 御者はパンとチーズとお茶という簡単な朝食が入ったバスケットを持って、馬車のドアをノックした。

「おはようございます、アリス様、ブルーノ様」

「おはようございます」

「おはよう」

 アリスはバスケットを受け取ると、空いている席にそれを置いた。

「お口に合うと良いのですが」


 御者の言葉に、アリスが答える。

「美味しそうです。ありがとうございます」

「私は馬の様子を見ていますので、食べ終わったら声をかけて下さい」

「ああ、分かった。ありがとう」

 御者はブルーノの返答を聞くと、川のそばに移動し馬たちの毛繕いや餌やりをはじめた。

 二人きりになれるように気を利かせたのかもしれない。

  

「食事の時には、顔が見えてしまうからな……。助かった」

「そうですね」

 アリスとブルーノは食事を手早く済ませ、御者に声をかけた。

「それでは、馬車を走らせますよ」

「おねがいします」

 アリスとブルーノの声が揃ったので、おもわず二人は吹き出した。


「あのフォーコとまた戦うというのに、呑気なものですね」

 御者が驚いたような声を上げた。

「まあ、覚悟はしていましたし、準備もしていましたから」

「……ええ」

 アリスは不安げな目でブルーノを見つめた。

 ブルーノは何も言わずに、小さなアリスの手をぎゅっと握った。


 馬車は昼過ぎに王宮に着いた。

 兵士に案内され、かつて通された謁見の間につくとレイモンド王子が笑顔で出迎えた。

「待っていたぞ、アリスさん、ブルーノ」

「気軽によんでくれるな、レイモンド」

「その布きれをとったらどうだ、ブルーノ? ずいぶん男前になったらしいじゃないか」

 ふう、とため息をついてからブルーノは顔にまいていた布と手袋を外した。


「ブルーノ! 伝説は知っていたが、まさかお前が獣人になるとは……アリスさんのためか?」

「全て知っているのか? 地獄耳だな、レイモンドは」

 ブルーノとレイモンド王子の会話にアリスは割り込んだ。

「ブルーノ様はフォーコを封じる魔石を手に入れるために……無理をした、私の所為でこの姿になったのです。酷いことは言わないで下さい!」


「アリスさん、私はブルーノの姿が変わったくらいでは驚きませんよ」

「そのようだな……」

 レイモンド王子はブルーノの顔に触れてから、にっこりと笑った。

「ずいぶん強くなったようだな」

「ああ、見かけだけではないと思うぞ」


 ブルーノは少し不機嫌な様子でレイモンド王子に答えた。

「それでは、さっそくフォーコの居る島に渡ってもらおうか」

 ブルーノは静かに顔を上げると、港の方角を向いて眉をひそめた。

 アリスも、同じ方角から得体の知れない恐怖を感じた。

「どうやら、船に乗る必要は無さそうだ」

「……!!」

 レイモンド王子の表情が硬くなる。


「港の方からとてつもない魔力を感じる。フォーコの方から来てくれたようだ」

「ええ、ブルーノ様」

「それでは、私はここで待つとしよう。アリスさん、ブルーノ、フォーコを倒してくれ」

 ブルーノは苦笑いをして言った。

「簡単に言ってくれる」

「行きましょう、ブルーノ様」


 ブルーノとアリスは、フォーコの気配のする港へと慎重に進んでいった。

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