第二話

「うわぁ・・・」

彼は外の世界に目を大きく開いた。道路に立ち並んでいる桜が満開を迎えているのだ。そしてその壮大な光景を見て、彼は思わず息を吐きだすときに喉仏を震えさせてしまったようだ。彼の頬の近くを花びらがかすめる。

彼は舞い散る桜を見ながら学校へ歩き始めた。彼はここ最近、外にほとんど出ていない。家に娯楽は充分にあるし、季節の変わり目で雨の日が多かったからだ。なので、久しぶりに見る朝の風景に一種の新鮮味を感じていた。さえずるすずめの鳴き声、まだ少し寒い春風、二階建ての一軒家が連なる町の郊外、そして世界を温かく照らす太陽。どれもこれもが彼の気持ちをいい感じに高ぶらせた。

数歩歩いたところで彼はコマンドマイクを起動させた。

 そして、コマンドマイクに向かって周りに聞こえないように声を潜めて語り掛けた。

「この桜の名前は?」

実際、ARコンタクトのキーボード機能を使う方法もあったが、コマンドマイクに話した方がわざわざ文字を打たなくて済むため便利なのだ。

彼が質問してからわずか三秒後、ARコンタクトに桜の写真とデーターが表示されるとともにコマンドマイクの耳に掛けているところから音声が流れ始めた。

「「こちらはソメイヨシノと呼称されております。日本で最も有名な桜でございまして、江戸時代末期から栽培されております。花が白いのは桜の木が満開になっている証拠ではないかと思われます。なお、現在は全ての桜はクローンで作られております。」」

(なるほど、桜はほとんど人工物なのか・・・天然物も見てみたいな・・・。)

 彼は電子機器で情報を得ると、現代の技術の進歩に少し疑問を投げ開けた。現在、身の回りにあるほとんどのものが人工物と言っても過言ではない。家にある机や椅子などの家具はすべて3Dプリンターで複製されたものであるし、そもそも家自体も3Dプリンターで隣の家を模倣して建てられた。(なお。著作権等の問題は創作性という観点から問題はない。)それに、今朝食べた目玉焼きの卵も遺伝子操作によって人工的に作られた無精卵であるし、目玉焼きに付いていたベーコンだって、豚や、牛などの肉の細胞を拡張されて作られた培養肉を整形し、燻製したものが使われている。本物の牛や豚の肉を食べる機会は今の時代ほとんどいない。そんな社会に彼は何とも言えない虚無感を感じたのだ。

しかし、そんな彼は自分で投げかけたこの問題を一言で終わらせてしまった。

(まぁ、きれいだから問題ないか。)

 確かにきれいなものはきれいだ。それは間違いない。それに現在朝の七時半、そんなことを深く追求するような思考回路まで彼は頭を覚醒させてはいない。彼は今まで考えてきたことを放棄して再び学校に向かって歩いた。なんともあっけない結論である。

しかし、今の彼の気分は最高潮なのだ。それを本人をできる限り損ないたくないのは承知している。なぜなら先ほども述べたように外の景色が彼の想像した春そのものだったからだ。もちろん、彼には特別な能力があるわけではない。しかし、日頃の行いというべきか、これまで日常に異常を持ち込まないように懸命に生きていたおかげでこうして登校初日に素晴らしい景色を見ることができたのかもしれない。そうだとするならば彼はさらに普通の道を突き進むだろう。そして、この状況に出会えたことに彼は、道に誰もいないのを確認しながら感謝も込めて独り言を放った。

「今日も普通だ。」


 桜花爛漫の候、貴社におかれましてはますます輝かしい春をお迎えのことと存じます。

四月、それは物事の始まりを示す一つの指針である。様々な人が新たな生活に感情を高ぶらせる。しかし、それが全員に当てはまるかというとそんな訳がない。逆に、憂鬱を隠し切れないでこの時期を迎える人もいるはずである。とにかくこの季節は人々の心には様々な新しい気持ちが芽生えるはずである。

 しかし、そんな春の流れをどうでもいいと考える人がここにいた。よくいるだろ?世間の出来事に興味がなく、ただ流れに身を任せ人生の試練を難なくこなす人種が。かくいう彼もその人種の血がドップリと流れている。名前は最上偉炎、誰もが青春を謳歌する高校生である。この時期が人生で一番楽しいという人は多くいると思うが彼は違う。というもの、今年で一七歳になる偉炎は十歳の時と人生の楽しさでいう点においては変わらないのだ。おそらく、その更に七年後、つまり彼が二四歳になっても状態は同じだろう。なぜなら昔も今も普通に生きているからだ。顔立ちは平凡で体格も中背中肉、成績も中の上あたり、たいして自慢できるものは一つもない。強いて言うなら、偉炎は現在バスケットボール部に所属しており、レギュラーを獲得していることだろう。しかも一年生の時にはすでに背番号「7」をつけて試合にも出ている。おそらく何人かはこのことを聞いて「すごい。」とか思ったかもしれない。しかし、偉炎は人生の中で「かっこいい!」とか「すごい!」などといった褒め言葉をまともにされてこなかった。たしかに小学校の頃、彼は運動会のリレーで一番を取ったことがあり、その時に家族と周りから「よくできたね。」と言われたものの、たかだか小学生の遊戯である。誰も本気でそんなこと思っていなかっただろう。別に偉炎はその人たちを責めているわけでない。ただ、単純に小学生のころにあったことを資料に出すことで彼がいかに普通の人間であるかを強調したかっただけだ。そして、さっき述べたバスケ部でレギュラーを取っていることについて形式的に見てもダメであり、しっかりと中身を見なくてはならない。偉炎が所属している高校のバスケ部のメンバーはたった六人、全学年合わせて六人しかいないのである。これは学校の体育館の規模が小さいとか、かつて部活内で少し揉め事があったということを考慮しても少なすぎる。しかもそのうち一人はたまに来て、ボール遊びをするだけだ。その人を空気だと思えば五人しかいない。つまりバスケットボールチームがギリギリ一つ出来上がるだけだ。もし、試合中一人でも欠ければそこで相手の不戦勝。だからどんなに下手くそでも試合に出なければいけなかった。果たしてこれを自慢というのだろうか。

ただ、偉炎にとってそんなことはどうでもいいことだ。このまま何の事件も起こらず普通に過ごせれば問題はない。それこそ偉炎にとっての幸せなのだ。

偉炎は普通を好み、異常を嫌う。こうなってしまった理由は本人も分からないだろう。気づいていたらそうなっていたからだ。なので、学校で有名人になったり、変なことをして近所から変人扱いされたりするのは彼にとって死ぬことより恐ろしい事なのだ。そのため、偉炎は毎日をただ普通に生きられることを願い、現在に至るのだ。


しかし、普通が続くことなどまず有り得ない。当たり前だ。そもそも普通とは何だ?きちんと答えられる人はいるのだろうか。おそらく偉炎本人もその答えを知らないだろう。これはあくまで誰かの意見だが普通というのは人それぞれで違うらしい。誰かがこれが普通だと思う事も、別の人から見れば異常であるかもしれない。実際に、偉炎の生き方を果たして周りの全員

が普通と思うだろうか。要は、普通というのは目に見えるものでもなく、客観的にあるものでもないのだ。一人一人の普通。それこそ他人から見れば異常なのだ。そして、誰かの普通と誰かの普通がぶつかった時、普通という名の日常は散る、まるで彼の目の前に存在する無数の桜の花びらのように。

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