2‗動き出す歯車
「好きです!付き合ってください!」
桜吹雪が舞う校舎裏になんとか放課後、湊川を呼び出すことに成功した上沢は勇み足で彼女に思いを告げた。
90度直角に頭を下げる視線の先には、小さく可憐な湊川の足が見える。
「え、私?」
状況が呑み込めず小首をかしげる湊川を見て、「うん」と大きく首を縦に振ると上沢は、「こう言うの、湊川さんはされなれていると思ったけど」と続けた。
「無いよ。告白なんて初めてされたよ」
少し困ってように「でも、ありがとう」と笑う湊川の笑顔は美しい。野に咲く一凛の花のような美しさを見せる湊川に、自然と上沢の口角も緩む。
「でも、私のドコがいいの?」
「え?全部だよ」
「全部……?」
「どんな君でも好きだって思ったんだ」
「どんな私でも……?」
湊川が小さく震えている。随分とクサい台詞を言った自覚がある為、上沢の顔も耳まで赤い。
熱い、もう駄目なら早く駄目だと言ってくれ。水泳部の部活動中の為不在の長田の姿を思い浮かべながら、上沢は彼女の答えを待った。
「私に秘密があっても、貴方は秘密を共有して守ってくれる?」
しかし、その問いは意外なもので上沢は一瞬「え?」と顔を歪める。
不治の病でも患っているのだろうか?
文武両道の彼女の秘密?頭の中を様々なことが駆け巡るが、上沢は頭を振ってそんな些細な事と心を決めた。
「勿論だよ。君の力になりたいんだ」
次の瞬間、可憐な女性の声帯から出たとは思えないほど野太い「やったー!!」の声が響き、上沢は尻もちをついた。
「どんな姿の私も好きなのだろう?とても嬉しいよ。そんな熱烈な告白を受けたのは初めてだったからね」
普段の彼女の口調とはまるで違う。「何かに乗っ取られたのか?」と目を白黒させる上沢の腕を彼女は軽々と引いて立ち上がらせた。とんでもない力で引かれて上沢の腕が悲鳴を上げる。
「申し送れたね…私は湊川雫、またの名を……」
ドンと彼女が地面を踏みしめると土埃が舞い上がり、それが収まると目の前にいたのは先ほどの巨漢。青々としたスーツが目に眩しい。
「ストロングリバーだ」
思わず喉の奥から飛び出しそうになる声は分厚く、温かい掌に遮られた。先ほど、ヴィランを二つ折りにした手と同じとは思えない程、その手付きは驚くほど優しい。
「すまない。私の正体を公にするわけにはいかないんだ。君と私、二人だけの秘密にしたい」
「わ、分かった」
ストロングリバーの真摯な態度に気圧されながら、上沢は高速で首を縦に振った。少し耳鳴りがするぐらいだ。
思い人が、ヒーローだった。それも巨漢で町の英雄と称賛されているストロングリバーだった。
怒涛の展開に目が回りそうになりながら、上沢は、彼を制するために右手を出した。
「一回整理させてくれ」その言葉は、彼の大きな手に包み込まれた右手によって有耶無耶になってしまった。
「これから、よろしくね。上沢明君」
弾けるような笑顔を見て「もういいか」と上沢は、頭上を空を見上げて額を叩いた。小粋いい音がする。視界に入る空はどこまでも青く澄んでおり、散る桜が春を感じさせた。
*
町行く人々が振り返る。桜の花びらが長く艶やかな黒髪に絡まるのを困ったような顔で取り除くのは間違いなく学園のアイドルだ。
何を間違ったら二倍ぐらいに大きくなるんだ。先ほどの恐怖体験を思い起こしながら、上沢は湊川と並んで歩いていた。
「こうやって並んで歩くと恋人みたいだね」
くすくすと鈴を転がすような、愛らしい声で笑う湊川の笑顔は本当に愛らしい。小動物を彷彿とさせる小さな口で紡がれる声色は耳に心地いいソプラノだ。
さっきのは、夢だったんじゃないか?俺は白昼夢を見ていたんじゃないだろうか。
そう、きっと夢。夢だったんだ。湊川と歩いているのもたまたま校門で会ったから、そうに違いない。
そう思い込もうと必死な上沢の思考を遮るように、湊川の細くしなやかな指が貧弱な腕に回った。
思わず腕を見ると、彼女が花びらを撒き散らすように笑っている。
ああ、好きだ。
心臓がドコドコと音を立てて、血液を大量に脳に送るのを感じながら、上沢の視線は湊川に釘付けだった。
ふっくらとした甘い果実のような頬に、ぷるんとした桜色の唇。
長く艶やかで毛束の多いまつ毛、その奥の瑠璃色の瞳は何物もとらえて離さない工芸細工のような美しさを備えている。
「恋人みたい、じゃなかったね。私たちもう恋人だもん」
ぎゅっと指に力が入るがその力は少女のそれだった。
先ほどの事など完全に忘れ去ってしまった上沢は、鼻の下を伸ばしながら「そうだね」と同意の言葉を紡いだ。
周りから浴びせられる嫉妬の視線が痛い。ぐさぐさと無遠慮に視線の槍に刺される体験をしたのは初めてだった。
なんせ、自分、モブなんで。
謎の優越感に浸りながら、腕に回された湊川の手にそっと空いた方の掌を乗せる。小さな掌がとくとくと脈打っている。
その脈が普通より早いことを感じて、湊川も自分と同じ緊張をしているのだと実感し、胸の中がぼわっと熱くなった。
平々凡々、可もなく不可もない普通を体現した男。上沢明の事をこんなにも思ってくれる人間がいる。その事実だけで胸が張り裂けそうだ。
それが、学園のアイドル湊川雫だなんて誰が想像しただろうか。
「湊川さん、ありがとう」
「明君、雫でいいよ」
「雫……さん」
「はい、明君」
ほわほわと胸が温かい。こんな時間が続けばいいなと上沢は一人思った。
長く伸びた影が寄り添いあうのを遠目で見ている者がいたことに、上沢はその時まだ気が付かなかった。
*
「湊川と付き合い始めたぁ!?」
教室中を震撼させる程の大声を張り上げて、長田は座っていた椅子から転げ落ちた。床で尻もちをつく哀れな親友に手を差し伸べながら、上沢は「本当だよ」とつっけんどんに返す。
「否、お前が嘘をつくとは思えないけどさ……でもさぁ」
短く刈り上げた頭をわしゃわしゃと掻き毟り、床を転がりまわりながら、長田は「あー」や「うーん」と言葉にならない声を上げる。
教室中が騒めいているのを感じて上沢は肩を竦めた。当然だ。学園のアイドルに手を付けた罪は重い。
視線を泳がせる上沢に対して、長田は「なぁ」と珍しく真剣に声をかけた。その瞳はいつも通りの黒色だが、どこか不安が揺らめいているように見える。
「俺たちどうなんのかな?」
「は?」
「だから、俺たちどうなんのかな?って」
「どうって……親友だろ?」
懇願するような瞳に見つめられ、上沢は「何を馬鹿なこと言ってるんだ」と鼻で笑った。
「俺が彼女ができたからって親友を見捨てるようなヤツに見えるのか?」
「否、そんなことは……ない」
長田は差し出された手を掴んで立ち上がる。その瞳には迷いの色が消えていた。この友人、上沢の事を誰よりも知っているのは自分だという確信がある。
上沢は、平々凡々、飛び抜けたモノは何もないが、友人を大切にする心優しい男。湊川がひかれたのは彼の性格にも由来するのだということを長田は誰よりも理解していた。
「分かった。様子見、様子見だからな!」
「そこはお祝いするって嘘でも言えよ」
頭を抱える上沢の首に浅黒い腕を回して、長田は「ガハハハ」と豪快に笑った。
文句を言おうと首を捻った上沢の瞳に、長田の目尻に溜まる雫が見えて、喉まで出かかった言葉は掻き消えた。
随分と騒がしい一日だった。春の麗らかな気候とは全く真逆の凍てつく寒さのような、燃え上がる灼熱のような嫉妬と好奇心に一日中晒されることになってしまった。
肝心の湊川も女子グループに拘束されていて、傍に近寄ることができない。
聞こえてくる会話の端々には「何故上沢なのか」という好奇心と、憎悪が渦巻いているのを感じた。
人間の感情は汚いな。特に思春期である自分たちはそれを押さえる行動を知らない。不思議に思ったことは何でも追及してしまう。
それが人にとってどれだけ苦痛なことであっても自分の知的好奇心を押さえることは不可能なのだ。そういう点が未熟なのだと思う。
「なんなんだよアイツら!!!」
この現状に一番腹を立てたのは長田だった。
長田新は上沢明の親友だ。彼らが出会ったのは中学の頃であったが、それからの時間はとても濃密な物だった。
クラスの人気者である長田と、仲良くしているのが平凡な上沢であるという事実をよく思わない者は確かに居たが、その全てを長田は蹴散らしてきた。それをするだけの力が彼にはあった。
故に思う。「湊川のヤツ、何してやがるんだ……」誰よりも湊川に対する憎悪を持っているのも、また長田だった。
「アイツが動かねぇなら俺にも考えがあるぜ」
ギリリと音を立てて拳を握る長田の瞳は金色に輝いていた。
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