第13話 練習ときっかけの動画

 十月の終わりに差し掛かり、シニアでグランプリシリーズがスタートする。


 もうグランプリシリーズ初戦のアメリカ大会が行われていた。


 すでに上遠野かとおの佑李ゆうりくんが優勝したという報せが届いている。

 東原スケートセンターにはいないのでなんとなくリンクが広く感じてしまう。


 佑李くんの他には金井かねい友香ゆかちゃんがカナダ大会への出場が決まっているの。


 日程が被っているか近い国際大会に出場している場合、東日本選手権は出場が免除される。

 東原FSCフィギュアスケートクラブで東日本選手権へ向かうのは、グランプリシリーズの初戦が遅いたちばな千裕ちひろくんと国際大会の出場が未定のわたしだけだ。


 さらに今週からは全日本ノービスがスタートするので、出場する子たちがピリピリとした空気が漂い始めているんだ。


 そんなことがこれから十二月まで続くのが今年は特別なのかもしれない。


 もう来週から東日本選手権が始まる。



 今日は自主練習の日で主にクローバー小平こだいらFSCのレッスン日みたいだ。


 でも、早場はやば文花あやかちゃんの姿は見当たらない。


 実は東京選手権の一か月前にペアを深澤ふかざわしゅんさんと結成することを発表していて、練習拠点も聖橋せいきょう学院大学のアイスアリーナに移しているんだよね。


 パートナーとなった深澤さんは現在聖橋学院大学に通う二十歳、文花ちゃんたちは年齢的にもジュニアでもカテゴリーに行くと考えていたけど。

 でも、ペアが開催される西日本選手権のエントリーがされていたのはまさかのシニアだったの。


 最初からシニアで戦いたいと考えていたのかもしれないけど……もうチャレンジシリーズかB級国際大会にも出場することも考えているみたいだ。


 動画も一度だけ見たことがあったけど、数日は頭に残ってしまうの。

 文花ちゃんのたぐいまれな集中力と身体能力で練習にも対応してきたのかもしれない。



 そんなことを考えながらスケートシューズを出して、リンクのベンチで履き替えていると、人影がこちらへやってくるのが見えたの。


清華せいかちゃんだ!」

「え? ああ!」


 顔を上げるとそこには聖橋学院高校の制服に身を包んだ文花ちゃんが立っていたの。


 三つ編みはおさげにしているのが普段の髪型で、結えていない長めの前髪は顔の周りに残されていた。

 練習するときは常に前髪ごとハーフアップにしていることが多かったので、目の前にいる文花ちゃんの髪型はとても新鮮であまり見ていることが少ないんだよね。


 この前の夏合宿から大人っぽくなった感じで、自然な表情をしていた。


「文花ちゃん。久しぶり、西日本に出るんだね」

「うん。今日はプログラムの通し練習」


 そう言いながら三つ編みをほどきながら隣に座って、二人で時間がしばらく話を始めることにしたの。

 三つ編みのくせがついた髪は鎖骨より少し長めでそろそろ一つに結える長さだ。


「文花ちゃんは一つに結わないの?」

「もう結って練習はしてるよ。でも、試合はハーフアップにしている」

「そうなんだ。まとめにくいもんね……まだ中途半端だし」

「うん。しばらく伸ばさないといけないんだよね」


 そのままくしで髪を梳いてからヘアゴムで髪を一つに結っていく。


 髪を一つにまとめるには結う位置にもよるけど、数か月くらい伸ばさないといけないかもしれない。

 でも、それは人それぞれかもしれないけど、文花ちゃんは短めのことの方が似合う気がする。


「それで、俊さんとトライアウトにしたとき、相性がとても良くてすごかったの。一度滑っただけで安心して滑れるとわかったんだ」

「そうなんだ。相手とも相性が一緒じゃないと無理だもんね」

「うん。スロージャンプとかツイストリフトとか、危険な技とかするときに信頼してないと成功しない気がして……」

「そうだね。今日は来てるの? 深澤さん」

「来てるよ~。その前にこれを見てほしいの」


 深澤さんとの相性がいいパートナーだったことがわかったみたいで、とてもうれしそうな表情をしていた。


 文花ちゃんがスマホを取り出してYouTubeのとある動画を見せてくれた。

 それは平昌オリンピックで日本代表のショートプログラムだった。


「これを二年前にアメリカから帰国するときに見たの」

「アメリカにいたの? 文花ちゃんって」

「うん。帰国して始めたから、スケート歴は三年目。わたし四月一日生まれだから、中二だけど十三歳だったとき」

「え、マジで⁉ 二年前にスケートを始めて、ここまで来たの? すごいじゃん」


 日本に帰国した中学二年、十三歳からスケートを始めるなんて、フィギュアスケートのなかではかなり遅い。


 うちが七歳で始めたときは少し遅めだなと感じたくらいだけど……文花ちゃんはそれの二倍の差が同い年の他の子とついていたはずだ。

 それをあっという間に追いついて越えようとしているのを見ると文花ちゃんの練習量がすごいとわかった。


「うち、すごい集中力で練習とかしちゃうタイプだったから……オーバーワークしないように先生が必死に止めてたこともあるくらいだし」


 そのオーバーワークの発音がとても良くてびっくりしてしまった。

 文花ちゃんはアメリカのサンフランシスコに生まれてから帰国するまで過ごしていたから、英語の方が話しやすいのかもしれないんだよね。


「動画、見る?」

「そうだね」


 文花ちゃんはスマホの音量を少し上げてから動画を見始めたの。

 確かこの曲は友香ちゃんが教えてくれたピアノがメインの曲だったはず。


 この曲をリンクでオリンピック中継を見たときにアニメが好きな友香ちゃんが驚いて、そのアニメのサウンドトラックを持って見せてくれたりしていたなと思い出した。


 ピアノのきれいなメロディーに乗せて滑っていく姿はとてもきれいだ。


 スロージャンプとかは簡単なトリプルサルコウにしてあるけど、とてもすごい印象に残っている。

 文花ちゃんはこの動画をたまたま見てフィギュアスケートを始めるきっかけになったという。


「すごいな。このカップルは解散しちゃったけど……いまも男の人は新しいパートナーとすごい活躍してるし」

「うん。わたし、それを見て……憧れになってるんだ。あんな感じに活躍したいって気持ちなの」


 いつか憧れの人と戦いたいと話している文花ちゃんは目をキラキラと輝かせていた。

 それがとてもまぶしくて目を細めてしまった。



 文花ちゃんと別れてから、わたしは自主練習のメニューを始めていく。

 最初にスケーティング重視の練習を始めていく。

 ジャンプの練習は明日に回しているけど、今度の大会に向けての練習を始めようとしているの。


「あ、そろそろ営業時間が終わっちゃうのか……」


 家に帰り道にそう考えながら歩いて行く。


 わたしはマンションのエントランスホールに入ると、カードキーをかざしてすぐに帰っていくことがわかったんだ。

 エレベーターで七階まで行くんだけど、同じ階にいく制服姿の中学生がいたのに驚いた。


「あ、光輝こうきくん。久しぶりだね」

「あ、清華姉ちゃん。お久しぶりです……」


 それは佑李くんの弟で現在中学一年生の上遠野光輝くんだ。

 現在は東海林しょうじ学館中学の特進コースで医学部のある大学への進学を目指しているという。


 顔立ちは佑李くんにあまり似ていないけど、笑顔が似ている感じだ。

 最近は部活にも入ったみたいで自主練の日は帰りが同じになることが多い気がする。


「今日は練習だったの?」

「うん。うちは自主練、再来週に大会があるんだ」

「そうなんだ。兄ちゃんがアメリカに行ってるし。たぶんメダルとか持ってきそう」


 光輝くんは中学受験して新しい環境で楽しく勉強をしているみたいだ。

 去年のいま頃はとても暗い表情でエレベーターに来ていたのを思い出した。

 七階に着くと、彼は笑顔ですぐに家に帰っていった。


「それじゃあ。光輝くん、お母さんによろしくって言っておいて」

「うん。バイバイ」


 楽しそうな表情を見ると、わたしはホッとして家に帰る。


「おかえりなさい、清華。先に風呂に入りなさい」

「うん。父さんは?」

「今日は夜中に貸切練習があるからって……先に寝てていいよ」


 父さんは櫻野さくらのFSCでアシスタントコーチをしていて、主に東伏見のリンクで貸切練習をすることになっているみたいだ。


 わたしは汗を流して、すぐに湯船に入って肩までお湯に浸かっていく。


「はああああ……しみる」


 今日の練習で足をよく使っていたから足のマッサージとかを上がってから夕飯前にストレッチをした。

 そのあとに夕飯をお母さんとテレビを見ながら食べたの。

 少し課題とかを確認してから、リビングのソファに横になっていたときだ。


「そんなとこで寝ると、風邪ひくよ……寝るなら部屋で寝なさい、明日も早いんだし」

「うん。おやすみなさい」


 すでに眠気が顔に出ているのかもしれない、わたしは先に部屋に入ってベッドに直行して寝た。

 翌朝の寝癖がひどかったのは仕方がないけど……。



 その翌週、ついに全日本選手権への一番狭き門である東日本選手権が始まった。


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