第6話 文花ちゃんの選ぶ道

 合宿もあっという間に明日が最終日になってしまった。

 昨日は練習量が多くなってきたのもあって筋肉痛がじわじわと広がってきているんだ。

 それにジャンプの転倒とかで腰やお尻とかにアザを作ったりしているので、とても難しいの。


「う~ん……あちこちが痛い」


 合宿の練習量は普段の数倍くらいの量で、こなせるかなと思っていたけど違った。

 当たり前だけど、昨日は早く終わってほしいと思っていた。


「あ、おはよう……栞奈かんなちゃん。寝れた?」

「うん。でも、ちょっとバキバキって感じだけどね」


 栞奈ちゃんは少し筋肉痛が治っていないので、これからの練習に向けて嫌になりそうな顔をしているの。



 朝食を食べてから、バレエレッスンというか筋肉をほぐしたりするためのことをしていたの。

 そのトレーニングがめちゃくちゃきつくて、みんなプルプルしながら耐えているところ。


「はい、あと五秒だよ~」


 体幹トレーニングをしたりしていたけど、みんな汗だくでヨガマットの上で倒れこんでいる。


「はい終了~! 今日で合宿のレッスンは終わりだけど、どこかでお会いできるのを楽しみにしています」


 先生がそう話すと、拍手が起きているのが見えた。


「それじゃあ、次はスケーティング練習をするよ」


 スケーティング練習は午前中の間はずっとしていくけど、文花ちゃんは全く苦ではないらしいんだ。

 でも、紗耶香さやかちゃんと栞奈ちゃんはとても疲れた表情を見せている。


「紗耶香さんとかおるさん、肩が下がってるよ~」


 午後もスケーティング練習をしてから、スピンとかの基礎練が始まって終わったときにはもうみんなベンチや観客席とかに座ってぐったりしているのが見えた。

 こんなに疲れたのは久しぶりで大きな大会で全日程が終わって帰ってくるのが見えていたの。


「疲れたよ……明日で終わり……」

「うん……今日は無理」

「死ぬ」


 栞奈ちゃんと紗耶香ちゃん、友香ゆかちゃんと伶菜れいなちゃんはもう動けないのがわかっているのが見えたの。

 わたしと文花あやかちゃんは立っていた方がまだマシなので、壁に寄りかかるようにして無言で待っていたの。

 そのときに先生がこちらにやってくるのが見えた。


「みんな……今日の夕飯以降の時間は自由になります」


 その言葉を聞いても少しうれしそうにしている子はいたけど、あまり反応できないくらい疲れているみたいだった。



 今日はほぼ無言でご飯を食べていた子が多かったせいで、何となく話しかけにくい雰囲気が漂っていたの。

 シャワーで汗を流してからすぐに着替えて、それぞれリラックスしたような顔で話を始めたの。


「あの、みんな!」

「どうしたの?」


 部屋に入ってから文花ちゃんが声をかけて来たの。


「あ、清華せいかちゃんと栞奈ちゃん。友香ちゃん、伶菜ちゃん、紗耶香ちゃん。いままでありがとう。これからもよろしくね」


 それを聞いてとてもうれしくなってしまった。

「うん。これからもよろしくね」


 夜の練習がないことがわかっているので、各々持ち寄っているウノとかトランプをしたりすることにしたの。

 そのときにこれからのシーズンにしたいかという話題になったの。


「清華ちゃんは? シニアデビューしたんだよね」

「うん。全日本に出場したいって気持ちは大きいけど、あまり実力がないから自信がなくて……成長期で中三は全日本ジュニアもショート落ち。去年は予選落ちしたし」


 中学三年生のシーズンからジャンプが思うように跳べなくなってしまったの。

 理由は背が急激に伸びてしまったことが原因で、もともとのジャンプが跳べなくなってしまったんだ。


 いままで跳べていたトリプルループ+トリプルループのコンビネーションジャンプ、苦手なジャンプでも跳べることができなくなってしまったんだ。

 残されたのはループまでの三種類、それだけで勝つことができないのは知っていた。

 それがとてもつらくていつも家で泣きながら風呂に入っていたことがあったりしていた。


「そうだったんだ……どうりで東日本で去年会えなかったんだ」

「うん。でも、もう乗り越えていけると思う、いや……行ける」


 そのことを聞いて文花ちゃんは驚きの表情を浮かべているのが見えた。

 彼女はクローバー小平こだいらに来たのが二年前だったのもあって、絶不調な時期のわたししか見ていないと思う。


「そうだったんだ……知らなかった」

「ううん。大丈夫だよ、文花ちゃんはどんなシーズンにしたい?」


 文花ちゃんは考え込んでから真剣な表情になっている。

 その表情にこっちも無言になってしまっていたの。


「この合宿が終わったら、横浜の方でトライアウトを受けてシングルじゃなくてカップル競技をするんだ」

「え⁉ マジで、文花ちゃん」

「うん。もともとそうするつもりだったの。先生にクラブに入るときに話してたの……バッジテストの制限とかもないから、あとはパートナーが見つかればの問題だったから」


 わたしの心臓がドキドキと鼓動がだんだんと速くなっていくのがわかる。

 文花ちゃんが目指している競技があって、それに向けて頑張っているんだと初めて知れたからだ。


「それって、アイスダンスじゃないもんね……シニアだと、バッジテストの級の制限が六級以上だしね」

「もしかして……文花ちゃんがやりたいカップル競技って、まさか」


 栞奈ちゃんと紗耶香ちゃんが何かを察したのか、とても驚いた表情のまま彼女の方を向いていた。

 アイスダンスじゃなければもう一つしかないのはわかっていた。


「うん。ペアのトライアウト。前のオリンピックで衝撃を受けて……いつかすぐに出てみたいって思っていたの」


 その言葉を聞いて伶菜ちゃんが一番驚いていて、言葉が出てこない感じだった。


「でも、びっくりしたな。文花ちゃんがペアを目指してたなんて」

「わたしは小柄だからね。一四二センチで、あまり伸びなかったけど」


 文花ちゃんはかなり小柄だけど手足が長い、ペアの女性としてはとても向いているスタイルの持ち主なんだ。


「危険だけど、ああやって練習したいなって思ってるの。自分では限界で跳べないジャンプがスロージャンプでは跳べるような感じがするから」


 ペアは女性が投げられジャンプするスロージャンプや男性の頭の上に持ち上げるリフトなどがあったりする危険な技もあり、男女ともに大けがを負うリスクがとても高い。


「無謀かもしれないけど、いつか大きな世界の舞台に立ってみたいの。相性のいいパートナーが見つかればのことだけど」


 カップル競技はパートナーとの相性が合わないといけないし、特にペアは信頼がないと大技が成功することができないこともある。


「相性がいい人と出会えると良いね」

「うん。そのときは教えるよ」


 伶菜ちゃんが少し泣きそうな表情でこっちを向いていた。

 同じ級で話せる同世代の相手が新しい目標を目指していることを知って、笑顔になっているのが見えたの。

 すると文花ちゃんも寂しそうな表情をしている。


「うん。伶菜ちゃんも、練習する競技が変わったとしてもライバルだから」


 その言葉が胸に響いていた。

 そうして翌日、長かったようで短かった夏合宿が終わった。

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