第五章

平成十七年六月十二日


 日曜日のお昼過ぎ。私は自分の部屋で本を読んでいました。食後の休憩。母は見ていて分かるくらい、痩せてきました。食も細くなっています。以前の半分も食べない時があるくらい。それに反して、飲む薬の量は増えているようです。そしてなんだか疲れやすくなっているようにも見えます。でも、それ以外は全然変わりません。以前のままの母なので、私も気にしていない振り、普通に接しています。接していると思います。

「こんにちは~」

下から優美の声。最近は毎日と言ってもいいくらいやってきます。最初は相手していましたが、受験勉強どころか、宿題も出来ない状況に。故に、無視して机に向かっています。それでもあの子はお構いなし。持参した漫画なんかを私のベッドで読んでいます。そのまま寝ちゃって、朝帰って行くことも。でも土日は別。ノブや他の友達を連れて来ることがあるから。なので、それなりの格好で私も待機しています。

「優美ちゃん一人?」

と、母の声。

「パパがおばさんにこれ渡してって」

「何?」

「⋯⋯」

「ありがとう。パパにお礼言っといてね」

母の声のトーンが上がりました。

「分かった」

そう言う優美の声の後、階段を駆け上がって来る足音。勢いよくふすまが開くなり優美が入ってきます。私は母に何を持って来たのか聞きたかったのですが、勢いに押されて言葉が出ません。

「あや、一大事かも」

優美が私のすぐ横まで来てそう言います。

「何が?」

私は、優美が母に渡したものに関係ある一大事かと思いました。優美のお父さんが私の母に渡したもの。そして、一大事のセリフ。優美が次に何を言うのか待ち遠しいくらい。

「ノブが女といた」

「⋯⋯」

私は優美の頭をはたきたい衝動を抑えました。無視して聞きます。

「お母さんに何持って来たん?」

「メモやよ。さっきね、ママたちと買い物行ってたの、ヨーカドーに。で、お昼食べて帰ろって、中のうどん屋さんに入ろうとしたら、ノブが女と歩いてた、専門店街の方」

「何のメモ?」

「パパのメモ。でね、ママたち一緒だったからその先分かんないでしょ。もう気になって、何食べたかわからへんくらいやった」

「なにが書いてあった?」

「字が書いてあった。だって、今日もここに来るようにって言ったら、用事があるからダメとかって、女と会ってんだよ。ってか、あんた人の話聞く気あんの?」

「⋯⋯」

私は心の中でこぶしを握り締めながら、先に優美の話を聞くしかないと判断しました。

「で、知ってる子やったの? ノブと一緒やった子」

私は聞いてやります。

「知らない。学校でも見たことないと思う」

「学校の子、全員知ってるわけやないでしょ?」

「でも、日曜日一緒に出掛けるくらいなら、学校でもノブと話したりするんちゃう? ノブの周りで見たことない子やった」

私はなるほどと、優美の推理に感心しながら、

「ノブのこと監視してんの?」

と、言ってやりました。

「別に、ただあいつの周りに女の子がおることなんてほとんどあらへんから、いたらわかるだけ」

と、優美。私は少し間を開けて、

「優美って、ノブのこと好きなん?」

と、聞きました。

「う~ん、好きやよ」

私はやっぱりかと思いました。が、優美は続けて、

「彼氏にするにはアレやけど、そばにいたら重宝するもん」

と、言いました。私は言葉が出ません。

「あ、やきもちとかやないよ。って言うか、あいつに彼女がおるってことに妬いてんねん」

「わけわからん」

「なんで~? 私が今彼氏おらへんのに、ノブにおるなんて腹立てへん?」

「彼女かどうかは分らへんのやろ?」

私の言葉に優美は、

「そうや、まずそれを調べなあかん。あや、ヨーカドー行くで」

と、言い出します。

「一人で行って。私は興味ない」

そして何か言おうとする優美を制して、

「行く前に、お母さんに渡したメモ、なんて書いてあったか教えて」

と、聞きました。

「え~と、安部洋子やったかな? 名前と、山口県豊浦何とかって住所。あ、電話番号もあったと思う」

意外に素直に教えてくれました。アベヨウコ? 阿部さんのところの親戚? でも何でそれを優美のお父さんが、私のお母さんに教えるの? 考えてる途中で邪魔されました。

「さ、ヨーカドー行ってノブ探すよ」

私の腕をつかんで引っ張ります。

「一人で行ってって言うたでしょ、私宿題もまだあんの」

「嘘つきや、行く前にってさっき言うたやん」

ヨーカドーに行く気はないですが、優美の相手をするしかないようです。


 私は優美ちゃんから受け取ったメモを見て、すぐにマー坊に電話しました。でも、留守番電話でした。今日は仕事だと言っていたので忙しいのかも知れません。優美ちゃんが届けてくれた東さんのメモには、聡子のお母さんの住所、電話番号がありました。水野直哉さんが調べてくれたに違いありません。お二人には何かお礼をしなければ。マー坊から電話がかかってこないので、気が急いている私は少しイライラしていました。しばらく悩んでから、メモの番号に電話することに。番号を押してから、発信ボタンを押すまでも少し悩みます。でも勇気を出して押しました。呼び出し音が聞こえるとさらに緊張してきます。

『はい、安部でございます』

懐かしい声でした。間違いありません。

「私、かおりです。山中かおりです。覚えてますか?」

ほんの一瞬間があって、

『かおりちゃん? ほんとにかおりちゃん?』

半信半疑ながら、おばさんの声も嬉し気に聞こえます。

「はい、かおりです。ご無沙汰してます」

『びっくりした。本当に久しぶり、元気にしてる?』

「はい。おばさんは?」

『元気よ。何も知らせずに帰って来ちゃったから、気にはなってたの。ごめんね』

「ほんとですよ、気付いたらいないからどうしようって思いました」

私の頭の中はだんだん昔に戻って行くようでした。

『ほんとにごめんなさいね。いろいろ考えて、何も言わない方がいいって思っちゃったの。でも、この番号どうしてわかったの? ⋯水野さんが教えてくれた?』

おばさんの声が、途中から少し下がりました。

「直哉さんです。直哉さんの友達の東さんから、直哉さんに聞いてもらいました」

『そう、直哉が知ってたの。あ、もう呼び捨てはだめね。直哉君、東君とまだ友達なのね』

「はい、ついさっき教えてもらったばかりなんです。嬉しくてすぐ電話しちゃいました」

『ありがと。私もかおりちゃんの声聞けて嬉しい』

「おばさん、ちゃんはないですよ、前みたいにかおりって呼んでください」

『そう? じゃあかおりこそ、その他人行儀な話方やめて』

お互いに笑いました。

『でも、どうかしたの? 直哉に聞いてまで電話してくるなんて』

私はどう説明しようかと、少し考えてから話しました。

「えっと、この前、ほんとに久しぶりに、聡子のお墓に行ったんです。そしたら聡子の名前が消されてて。でも何でかわかんないし、誰にも聞けないしって思ってたら、純子が、あ、純子覚えてます?」

『うん、もちろん』

「純子が、おばさん離婚して、実家に帰るって言ってたって、今更教えてくれて」

『ああ、もう離婚が決まったころに純子ちゃんと偶然会って、話す気なかったんだけど、あの子の顔見てたらなんだか話しちゃったの。でも、純子ちゃん責めないでね。私がみんなに言わないでってお願いしたんだから。でもみんな仲が良かったから、すぐに伝わっちゃうなと覚悟してたけど、今まで黙っててくれたなんて』

「そうだったんだ。で、前におばさん、本当は聡子を自分の家のお墓に入れたいって言ってたの覚えてたから、離婚してるって聞いて、実家に帰ったってことなら実家を探すしかないって、それで探してたんです」

『そう、ごめんなさい。苦労掛けさせちゃったね。うん、聡子の遺骨はこっちのお墓に移したの。五年前にやっとね』

おばさんは楽しそうに話してくれます。

「やっぱりそうだったんだ。良かった。見つかったって感じ。でも、なんで五年前? 離婚したのもっと前だよね」

『うん、水野のご親戚で、お墓のお守をしていらしたおばあさんが見えるんだけど、その方が、一度入れた遺骨を出すことに反対してたの。でもその方が五年前に亡くなられて、今度は縁の切れた人の子供の遺骨を、何でうちの墓で預かってるんだって話になったみたい。だから引き取りに来いって言われたのよ』

「なんかひどい。聡子のことなんだと思ってるんだろ」

怒った口調になった私に反して、おばさんは明るい声で言います。

『ううん、おかげで聡子、連れて帰れたんだもの。私は感謝してもいいくらい』

「そっか⋯」

私が話し始めたのをおばさんの声が遮ります。

『ごめんなさい、母が呼んでるので切るわね。声が聞けて良かった』

私は慌てて言います。

「あ、ちょっと待って! おばさん、そっち行ってもいい?」

『⋯うん、待ってる。じゃあまたね』

それで電話は切れました。私は通話の切れた携帯電話をしばらく見つめていました。見つめているうちに、着信のあったマークが付いているのに気付きました。マー坊からでした。私はすぐに掛け直し、今度は電話に出たマー坊に、これまでの内容を話しました。そして、

「マー坊お願い。私を聡子のところに連れてって、出来るだけ早く」

そう言いました。

『当然や、一緒に行こう』

「ありがとう。あとでまたおばさんに電話して、日にち決めるね。マー坊がどうしてもダメな日ってある?」

ほんの少しだけ間があってから、

『ないよ。いつでも都合つける』

と、言ってくれました。

「ありがと。決まったら電話するね」


 その日、まなみは明日の朝早くから東京で打ち合わせがあると言って、昼前から出かけて行っていませんでした。かわりに優美ちゃんが、綾にいじめられたので夕飯食べさせてと言い出し、一緒に食べます。二人からメモの件を聞かれましたが、隠す必要はないので話しました。私は食後の時間帯に、おばさんにもう一度電話しようと思っていました。でも、食べ終わってからテレビを見ている二人。番組が終わるまでは動きそうにありません。しょうがないので、私が二階に上がって電話を掛けました。電話に出たおばさんに、すぐにでもそっちに行きたいと言うと、おばさんは少し困惑気味でした。でも、土日ならいつでも良いと言ってくれます。平日は仕事をしているようです。私は次の週末に行くと伝えました。


 正善は夕方帰ってきてから、自宅で図面を書いていました。空腹感に時計を見ると十時前でした。何か食べようかと、図面を書くのに使っているパソコンの前から立ち上がった際に、後ろのテーブルに置いていた携帯電話が点滅しているのに気付きました。マナーモードのままで、着信に気付かなかったようです。かおりからでした。掛け直すと、山口行は先方の都合もあって、次の土日にしたいとのこと。承諾して電話を切りました。正善は少し気になっていました。かおりが妙に急いでいることに。週二回通院しているかおりの病状は、担当の先生が直接まなみに電話で教えてくれています。それは、かおり自身に伝えている内容と、必ずしも同じと言えない本当のこと。その内容を正善は、まなみから教えてもらっています。当然ですが、悪くなっていっていることを。かおりはそんなに変化はないと言われているはず。何か自身で感じることがあるのかも知れない。先程のかおりの電話で、今日はまなみがいないことを聞いていました。正善はまなみに電話します。電話に出たまなみに、山口行を告げます。そして、頼みごとをしました。旅行中何かあったときに、現地の病院で適切な処置が受けられるように、病状の説明みたいなものを担当の先生からもらっておいて欲しいと。まなみは了解しましたが、日にちが変えられないかと言いました。理由は、まなみが携わっている楽団が出演するイベントが、次の日曜に千葉であり、まなみも同行しないといけないからと。先方の都合があるので変更は難しい、こっちでかおりをちゃんと見守るからまなみは気にするなと言ってやります。電話を切った後、正善は純子に山口行の件をメールしました。夕食を作るのが面倒になり、コンビニまで行って帰って来た正善は、純子からの返信を見つけました。想定外の一言。

『私も行く』



平成十七年六月十八日


 八人乗りのマー兄の車に七人乗ってはしゃいでいました、優美が。車は新大阪駅に向かっています。そこから、母とマー兄、純子さん、私と優美の五人が新下関駅に向かいます。新幹線で約3時間だそうです。まな姉は分かれて東京に向かいます。東京まで何時間かは知りません。運転している阿部のおじさんはそのまま車で帰って、明日の夜、また迎えに来てくれます。母たちの山口行を知った時、私も行くと言いました。私は土曜日も学校があるので反対されると思っていました。すると母は、「早目に休むって学校に言っとかなきゃね」と、予想外の展開でした。強固な抵抗にあったのは優美の方。それでも二日掛けて説得して、了解してもらったとか。旅行に行きたいだけの優美。別に来る必要はないのですが、それは私も似たようなものなので言わないことに。土曜日ですが旅行シーズンではないせいか、新幹線はガラガラでした。向こうに着いてからどうするのか聞くと、マー兄の従妹が迎えに来てくれて、そのまま従妹の車を借りるとのこと。マー兄が下関出身だと初めて知りました。新下関駅からは車で一時間から一時間半くらいで目的地、安部さんの家に着くそうです。

 十時過ぎに新下関駅に着きました。ホームでマー兄の従妹の法子さんが出迎えてくれます。マー兄より4歳上だと聞いていましたが、マー兄より若く見えます。

「マー君久しぶり、十年ぶりくらい? おっさんになったちゃねぇ」

と言うのが第一声でした。みんな笑っています。マー兄が私たちを紹介しようとすると先に、

「どっちが奥さんで、どっちが娘?」

と、言い出す法子さん。なんだか強烈な人です。法子さんの突っ込みにたじたじとなりながらも、マー兄が私たちを紹介。法子さんの案内で外の駐車場に行きました。そこには法子さんの家のミニバンと軽自動車が止まっていました。軽自動車の運転席には私より少し上くらいの女の子が乗っていて、法子さんの長女の清海さんと紹介されました。法子さんは車のカギをマー兄に渡すと、明日何時に来たらいいか電話頂戴と言って、娘さん運転の車に乗って帰っていきました。法子さんの家のミニバンは七人乗りで、車のことが分らない私が見ても、マー兄のミニバンより高級でした。安部さんにはお昼食べてから行くと言ってあるとのこと。向こうの勧めで、今夜は泊めてもらうことになっています。なので、多人数の一食でも、向こうの負担を減らすためにそうしたそうです。こういうのを大人の気遣いと言うのでしょうか。時間的には少し余裕があるからと、マー兄が下関の市街の方を回ってくれます。初めての関門橋、下から見ました。関門橋の先、九州が思った以上に近く見えて、少し驚きでした。関門橋を見上げた国道沿いにある赤間神宮。源平合戦で入水された安徳天皇が御祭神となっていると、マー兄が教えてくれます。ちらっと見えただけですが、赤、白、黒の色調がきれいな神宮です。なんとなく日本的な建物には見えず、お参りしてみたかったです。他にも幕末の長州藩の砲台跡があったり、観光したい気分が湧いてくる道でした。そんなことをマー兄に言うと、ゴールデンウィークに来るといいと言います。訳を聞くと、安徳天皇にちなんだ先帝祭と言う行事があるからと。花魁道中が見られたり、華やかで厳かなものだと教えてくれます。聞いたことないから有名じゃないよね、と優美。するとマー兄は、博多のどんたくと日程が重なるから、かすんじゃうんだと言います。そのあと目的地の豊浦の方へ向かい、途中のレストランで昼食を取りました。

 安部さんの家に着いたのは一時半くらいでした。安部さんの家は、海沿いの国道からそれて、急勾配の道を上り切った先、民家がポツンポツンと立っているところでした。古そうな木造の二階建。二階はそうでもないですが、一階は何部屋あるのって聞きたくなるような大きい家でした。家の敷地内に軽自動車が2台停まっています。その横に車を止めると、すぐに女性が玄関から出てきました。母は後ろのスライドドアを開けると駆け寄りました。お互いに手を取り合って、

「おばさん、会いたかった」と母。

「うん、本当によく来てくれた。私も、ずっと会いたかった」

二人は優しく抱き合います。そっか、お母さんは幼いころ、この人に育てられたんだ、と思い出しました。母と聡子さんのお母さん、洋子さんが再会の言葉を交わしている傍に、マー兄と純子さんが近付きました。

「純子ちゃん、それに正善君も、顔が見れてうれしい。来てくれてありがとう」

と、洋子さん。

「ご無沙汰してすみません」

と、言うマー兄。純子さんは母の横に並んで、

「ずっとおばさんに会いたかった。でも、おばさんは会いたくないかもと思って⋯」

と、俯きます。

「なんで私が純子ちゃんに会いたくないの? 聡子の大事なお友達だったのに」

洋子さんはそう言うと、純子さんを優しく抱きしめました。母は娘の私を、大きくなったでしょと紹介し、おばさんも私が小さい時のことを話します。私は全く覚えがないので複雑。優美は東さんの娘で、私とは赤ん坊のころからの友達だと紹介されると、あやの一番の親友です、と自己紹介。まぁ、それに異議は唱えないけど。

 まずお墓参りに行くことになりました。お墓は歩いて十分くらいのところだと言うので、そのまま歩いて行きます。しばらく歩いたところで母が、

「途中で買うつもりだったから、お花を用意して来てない」

と言うと、洋子さんが、

「顔が見れるだけで聡子は十分。お花なんてなくていいよ」

と、言いました。畑を過ぎて雑木林を抜けると墓地がありました。洋子さんの家からは見えませんでしたが、墓地からは海が見えました。洋子さんに連れられて着いたお墓はすごく古いものでした。ですが、ちゃんと手入れされているようで、とてもきれいです。改めて周りを見ると、ほとんどの墓石が古いもののように見えましたが、どれも丁寧に手入れされているようです。洋子さんが、持って来たお線香に火をつけて供えると、

「聡子、懐かしいお友達が来てくれたよ。こんな遠くまで、あなたを探して来てくれたよ」

と、手を合わせました。みんな各々で手を合わせ、お参りをしました。お参りをした後、母は墓石に近づきそっと触れて、

「聡子、やっと会えた。ごめんね、長い間会いに来れなくて⋯」

そう言った後、目を瞑りうつむくと、心の中で何か語り掛けているようでした。純子さんも手を合わせたまま墓石を見つめて、無言で語り掛けているようです。マー兄も、母と同じように墓石に手を触れ、無言です。割と長い間、そのまま時が止まったように誰も動きませんでした。鼻をすする音がしてそちらを見ると、なぜか優美が涙ぐんでいます。おそらく詳しい事情は、私以上に知らないはず。本当に涙もろいやつ。私は傍によって優美の肩を抱いてやります。

「死んで何年経っても、こんなに友達に大事に想われてるなんて。聡子さんて幸せだね」

優美が涙を拭いながら言いました。

「そうだね」

「あや、私が死んで何十年経っても、私のお墓参りしてね」

と、言う優美に、私はこけそうな気分になりながら、

「そんな、早死にするみたいなこと言わないの」

と、言いました。でも、若くして亡くなった聡子さんのお墓の前で言うセリフではなかったと後悔。でもその後の優美のセリフに救われたかも。

「私、絶対長生きするよ。あやよりは長生きするよ」

「⋯⋯」

私たちのやり取りに、みんな微笑んでいました。お参りを終えた帰り道。母が洋子さんに話しかけます。

「ここのお墓はみんな、きれいに手入れされてるね」

「ここにあるのはみんなこの辺りの家のお墓だから、お墓もご近所さんなの。自分の家のお墓だけじゃなくて、ここ自体をお守りしようって思っているみたい。四十軒足らずの墓地だから、そんなに手間でもないしね」

洋子さんが答えます。

「この前行った水野さんのお墓、酷かったよ、雑草だらけだったし」

母が言います。

「⋯やっぱりそうなのね。お墓のお守をされていた方がご健在のころはきれいだったのよ。毎年、聡子の命日に行ってたの。いつも気持ちよくお参りできた」

洋子さんはそう言って続けます。

「一度、ここから車に乗って行ったことがあるの。夜中走ってね、着いたのは早朝だった。お参りしてたら、誰か近寄って来るの、腰の曲がったおばあさんが。お墓をお守してくださっていた方。簡単に挨拶した後その方は、桶の水で雑巾を絞って、お墓を拭き始めた。聞いたら、寝起きの散歩がてらほとんど毎日来られてるって。そのあと、きれいなお墓にもう一度お参りしたの、一緒に」

「すごい方だね」母が言います。

「ほんとに。そのとき、その方が言ったの。ここにお迎えしたあんたの娘は、もううちの親族。ちゃんとお守りするから安心しなさいって。嬉しかった。この方がいるなら、聡子をお任せしてもいいって思ったくらい」

洋子さんの話に誰も口をはさみませんでした。洋子さんは続けます。

「そのあとね、うちで朝ご飯食べて行きなさいって、誘ってくれたの。私の車で一緒に行ったんだけど、あそこのお寺のすぐ近くだった。私ね、朝ご飯頂いたらそのまま寝ちゃったの。お昼に起きるまで、ずっと寝かせてくれてた。結局、お昼まで頂いて帰って来た。その次の年は、聡子に会った後、その方の顔を見に寄らせてもらった。喜んでくれて、たくさんお話しさせてもらった。でもそれが最後。次の春に亡くなられた」

そう言った洋子さんに母がまた口を開きます。

「もっと早く会えてればよかったのに」

「ほんとにそう。水野の方々は私とその方に、そんなお付き合いがあるって知らないから、お葬式にも呼ばれなかった。知ってても教えてくれなかったかな。呼ばれたのはその夏の終わりころ、遺骨を取りに来いって。行ったらもうお墓から出してあって、寺務所に預けられてた。おばあさんのおうちに行ったら鍵がかかってて誰もいないから、お墓参りはして帰ろうとお墓に行ったの。行ったら悲しくなっちゃった。遺骨を出すときに墓石の周りだけは少し掃除したようだけど、それ以外は草だらけ。なんだか涙が出て来て、泣きながら掃除して、お参りした。おばあさんに感謝して、お別れしてきたの」

話し終えた洋子さんのあと、しばらくしてマー兄が言います。

「この前、聡子のいないお墓にお参りしたと思ったけど、聡子を守ってくれてた人にお参り出来てたんやな」

「そうだね、その方のこと知らなかったけど、想いは届いてるよね」

母もそう言います。

 洋子さんの家に戻ってから、今度は仏壇にお参りしました。私には違いが分からなかったですが、とりあえずみんなにならってお参りしました。先に済ませた母達が、洋子さんと一緒に上を見上げています。見上げている方を見ると、鴨居に並んだ写真の一枚でした。はにかんだような控えめな笑顔で写っている聡子さんの遺影。前にまな姉に見せてもらった写真よりはるかに大人ですが、面影はそのまま、一目で聡子さんだとわかりました。横で優美が言います。

「あの人が聡子さん?」

「そうだよ」と、私。

「かわいい」

そう言って優美も写真を見つめています。仏間の隣の部屋に移って、大人たちは思い出話を始めました。仏間との間のふすまは開けたままだったので、母たち三人は時々鴨居の写真を見上げています。それに気づいた洋子さんが、「ちょっと待っててね」と言って席を立ちました。戻って来た洋子さんはたくさんのクリアファイルを抱えています。その中の一冊を受け取った母がファイルを開くと、A4くらいのサイズに引き伸ばされた写真が入っていました。聡子さんの写真。全部そうでした。最初に開かれた、聡子さんと母が写った写真。公園のような場所で二人ともTシャツにジーンズ。ふざけあっているような格好でカメラにポーズをとっています。

「これ、高校に入ったころだ」と、母。

マー兄が見ているファイルにはもう少し大人になった写真が入っています。優美が手に取って見ているファイルは、私服ですが顔の雰囲気がまな姉のところで見たものに似ているので中学時代の物かな。純子さんも一冊とって、黙ってページをめくっています。

「写真って、このくらい大きくした方がいいね」

と、優美が言います。すると洋子さんが、

「年取ると、小さい写真は眼鏡しないとよく見えないから、気に入った写真は全部大きくしてもらったの」

と、笑います。

「うん、絶対このサイズの方がいいですよ」

優美がまた言います。母たち三人も黙って頷いていたようです。私は優美が見ているものを横から一緒に見ていました。時々母たちが、「これ、あの時だよね」みたいな事を言って写真を見せ合っている声が聞こえます。その時、私は優美がめくったページの写真に目が留まりました。優美は感心無さげに次のページをめくろうとしますが、

「待って」

と、その手を止めました。

「この写真、何かあるの?」

と言う優美。見開き2枚の写真。1枚はまな姉に見せてもらったのと同じ写真。もう1枚は、同じ時に取られた別の写真。真ん中に着物姿の七歳のまな姉。その後ろに膝をついてしゃがんで並ぶ母とマー兄。さらに後ろに立った聡子さんが、両手で左右から前にしゃがむ母とマー兄の頭をくっつけている姿。母とマー兄の顔がくっついています。マー兄は照れて恥ずかしがっている表情。母は、照れながらも嬉しそうな表情。そう、この写真、忘れていただけで見たことがありました。多分、母が持っている写真。いつ見たのかは覚えていません。でもこの写真を見て、母とマー兄が恋人同士だと思ったことを思い出しました。私がそんな思いにふけっていると、

「あやのママの若い頃って、あやに似てるよねぇ。あ、逆か、あやがおばさんに似てるんだよね」

優美が言います。

「私も、今日の綾ちゃん見て思った。若い時のかおりにそっくりって」

洋子さんもそう言います。みんな笑顔で頷いているので、なんだか恥ずかしくなりました。でも気付きました。なんとなく三人の目が赤いことに。そんな中、

「ま、親子だから当然だよね。私も親戚のおばさんとかによく言われるもん」

と、優美。みんなから笑い声がもれました。

 その後もみんなでファイルを回しながら、写真を見て思い出話をしていました。そこへおばあさんと、おばあさんの手を引いて助けながら、洋子さんよりもう少し年上に見える女性が、ゆっくり廊下を歩きながら来ました。

「お母さんもお話に混ざりたいって、いい?」

と、もう一人の女性が言います。

「もちろん、こっちに入って」

と、言いながら、洋子さんは部屋の隅から座敷用の椅子を持ってきてテーブルの近くに置き、おばあさんを座らせました。おばあさんは洋子さんのお母さんで、もう一人の女性は、洋子さんのお姉さんだと紹介されました。

「上がりこんで、こちらからご挨拶もせずに申し訳ありませんでした」

と、母たちが頭を下げますが、

「母はさっきまで寝てたので気にしないで」

と、お姉さんは言います。その後はおばあさんも交えてみんなで話していました。でもおばあさんは、母たちを洋子さんの友達だと思っている感じです。話がかみ合っていないようでした。しばらくするとおばあさんが、隣に座るお姉さんの肩に手を触れました。お姉さんはおばあさんの表情を見て、そろそろ休む? と言うと、頷くおばあさん。

「ごめんなさい、母はちょっと疲れたみたいなので下がらせてもらうわね」

と言って、席を立ちました。それでも去り際におばあさんは、

「ゆっくりしていってくださいね」

と、笑顔で言ってくれます。二人が下がってしばらくしてから、

「母は癌で、もうそんなに長くないんです」

と、洋子さんが言いました。私はズキンっと胸に痛みが走りました。いえ、おそらくこの場の全員が同じ、母も含めて。今回事前に、母の体のことは洋子さんには話さないと言われていました。なので、さすがの優美もそれには触れません。でも瞬間で全員の雰囲気がなんとなく変わりました。洋子さんはそれを感じたようで、

「でも、もう九十三だから、身内もみんなそんなに深刻になってないの。だから暗くならないで、変なこと言ってごめんなさいね」

と、取り繕います。母たちは、九十三にしては言葉もはっきりしゃべっていてすごいなどと、普通の会話に戻っていきました。でも私は洋子さんに聞きたかったです。三十九才だったらどうしますかって。


 「そろそろ夕飯の用意始めるけど、みんなはゆっくりしてて」と、洋子さんが席を立ちました。母と純子さんが手伝いますと、台所について行きます。残った私たちはマー兄と写真の続きを見ていました。

「マー兄さんと聡子さん、一緒に写ってる写真多いけど、付き合ってたん? あ、阿部さんのことマー兄さんって、いや、長い、マーさんって呼んでもいい?」

と、言う優美。苦笑しながらマー兄は、

「好きに呼んで。そうだよ、付き合ってた。中二から」

と、言いました。

「そうだったんや。てっきりあやママの元カレやと思うてた」

私は少しびっくり。

「あやちゃんのお母さんとも子供のころからの付き合いやから、ちょっと親しくしすぎてそう見えるんかな?」

「う~ん、でもちょっと考えたら違うってわかるわ」

「そう?」

「うん、だって元カレと仲良くするなんてありえへんもん。元カレの顔なんて、普通は二度と見たくないもんや」

マー兄はまた苦笑。優美はたいていの人と、すぐに友達のようにしゃべります。いや、友達になってしまうのかも。私は少し呆れますが、羨ましくもあります。優美は次の写真を見て急に声を上げます。

「かわいいー! 聡子さんって本当にかわいかってんねぇ。私にも一人聡子さん欲しい」

とんでもないことを言って優美が見ている写真を覗き見。どしゃ降りの雨の中、どこかのお店のテントの下みたいなところにバイクを止めて、びしょ濡れになった姿で純子さんと笑っている聡子さんでした。困ったようなその笑顔は確かにすごくかわいい。純子さんも。

「どう? こんなかわいい元カノの顔、写真で見たら泣けるんやないの?」

優美はもうマー兄に遠慮なし、ひじで小突きながら言います。

「泣かへんわ。でも、この写真撮ったの俺やから、この時のこと思い出すなぁ」

と、マー兄。マー兄はすかっり優美の、『みんな私の友達の術』にはまっているようです。マー兄の口調も友達としゃべっているかのように聞こえます。

「でも、この写真で言うなら純子ちゃんも負けてへん。純子ちゃんもめっちゃ可愛い」

優美はそう言うと、

「ちょっとこれかして、純子ちゃんに見せて来る」

と言って、ファイルごと持って台所へ行きました。優美を見送ってから、

「優美ちゃんは純子のこと、ほんまに純子ちゃんって呼んでるんやなぁ」

と、マー兄が私に話しかけます。

「うん、だいぶ前からやよ」と、私。

「さっきから口数少ないけど、どうした? 疲れたんか?」

と、マー兄が気遣ってくれます。

「ううん、優美がしゃべりすぎるから、私の言うことがないだけ」

そう言う私に、

「そっか」と言ってから、

「お母さんの若いころの写真見てどう?」

と、私に聞きます。

「どうって言われても⋯。青春してるなぁって感じかな?」

「そりゃそうや、みんなそう言う時代を過ごしてるんやから」

「マー兄が一番青春してるって写真が一番多いと思う。聡子さんの横でデレデレ笑ってばっかり」

私は笑いながら言いました。

「そんなことないよ。かっこよく笑ってる写真ばっかりやん」

と、マー兄も笑顔。

「でも、私はお母さんほど青春出来てないなぁ」

「なんで?」

「だって、友達とこんなに笑いあってることないもん」

「そうかなぁ。まぁ、これからいくらでも出来るよ。今までだって写真に残ってへんだけで、優美ちゃんとかといっぱい楽しい時間を過ごして来たやろ」

「それは、そうかも。⋯でも、これから私、笑えるかな」

ちょっと沈んでしまいました。少しの沈黙の後、マー兄が言います。

「考えるな」

「⋯⋯」

俯いたまま返事をしない私。マー兄も何も言いませんでした。私の様子を見ているみたい。やがて、無言で写真のファイルを一冊取って、ページをめくり始めました。私は俯いたまま、マー兄の手元のファイルを盗み見。大学に入ってからと思われる写真のファイルでした。様々な表情の聡子さんが写っています。いろんな場所でいろんな人たちと写っています。もう子供ではなく、大人の女性って感じのものも多いです。そこで気付きました。この写真は亡くなる少し前くらいのもの? そんな写真を、聡子さんの姿を見て、マー兄は平気なのかな? マー兄の様子をそっと窺います。優しい笑顔でした。写真の頃を懐かしんでいる顔でした。手元には腕を組んで寄り添う、マー兄と聡子さんが写った写真。

「それって、亡くなる前の聡子さんだよね」

思わず言葉が出ていました。

「亡くなる前って⋯、そやけど」

そっか、亡くなった後の写真なんてあるわけないか。でもマー兄は、私の言いたいことが分かったようです。

「うん、最後の夏の写真や」

「⋯⋯」

「この秋に聡子は死んだ」

死んだ。平気な顔して、簡単に「死んだ」と言うマー兄。

「聡子さんの最後の姿を見ても、もう平気なん?」

私は上目遣いで睨むような格好でそう言ってしまいます。マー兄はその写真を見つめたまま。そして口を開きます。

「また会いたいなとか、色々思うことはあるよ。会えないってことで悲しくもなるよ」

「⋯⋯」

私は自分から話を振っておきながら何も返せませんでした。

「なんて言うて欲しい?」

気付くとマー兄と目が合っていて、そう聞かれました。

「⋯わからへん」

私は俯いて答えます。

「そっか」

マー兄はファイルを閉じると、体ごと私の方に向き直ります。

「今の綾には何を言えばいいのか俺には分らん。それらしいこと、当たり障りのないこと、何とでも言おうと思えば言える。けど多分、綾はそんな言葉聞きたくないと思う」

「⋯⋯」

「だから聞いてくれ。綾が聞きたいことを聞いてくれ」

 聞きたいこと? そんなこと言われても困る。それこそ、わからへんって答えたい。私が無言で固まったので、マー兄はまたファイルを開いて見始めました。しばらくして私の口から出た言葉。

「聡子さんが死んだあと、マー兄はどうした?」

ややあってマー兄が答えます。

「逃げた」

「え?」

「⋯こいつがいなくなることが受け入れられんかった」

マー兄がそう言いながら指でなぞっている写真は、聡子さんが一人で写るもの。盆踊りの会場のようなところ。浴衣姿で控えめに微笑む姿でした。見開きのもう一枚の写真は、同じ時に撮られた女子五人の物。全員が浴衣姿。聡子さんと母、それにまだ子供っぽいまな姉。あとの二人は知らない人です。同じ顔なので双子かな? 年齢は母たちと一緒くらいに見えます。

「で、どうしたの?」

私はまた同じ質問。

「⋯⋯葬儀の日の朝、聡子の顔に触ったんや」

マー兄は同じ写真を見つめたまま、写真の聡子さんの左頬辺りを指で触ります。

「冷たかった。本当に冷たかった。⋯そして実感した。もう動かへんのやと。もう、声を聞くことも出来へんのやと」

そう言うマー兄の口調は、穏やかなものです。なので私の口調も、心も、穏やかでした。

「それで、逃げたの?」

「⋯逃げた。認める勇気がなかった」

ページがめくられます。

「私は? 私はどうしたらいい?」

私は聞きました。聞きたいことを聞きました。一番教えて欲しいことを。口調はまだ穏やかなままでした。でも、問い詰めるような視線でマー兄を睨んでしまいます。マー兄はまっすぐ私の視線を受け止めて、口を開きます。

「綾のしたいようにしたらええ。ただ、逃げるなよ」

優しくそう言います。

「⋯自分は逃げたくせに」

マー兄はまた写真に目を落とします。その写真は母か聡子さんの誕生日の時の様です。ケーキを前にした二人が笑っています。

「逃げたから言うんや。⋯逃げても何もなかった。寂しさや悲しさは埋まらんかった。そして、逃げたことへの後悔が増えた」

後悔、後悔ってお葬式に出なかったこと? お葬式に出なかったから、ちゃんとお別れしなかったから、悲しみが埋まらなかった? そんなことを思いながら出た言葉。

「⋯逃げなくても悲しいと思う」

マー兄はファイルを閉じて私の方を見ます。私はいつの間にか膝を抱えるように座り直していました。

「言うたやろ、逃げてるうちは、悲しみは埋まらんのや。同じ悲しみを持つ人たちと一緒にいて、初めて埋められる」

「⋯⋯」

私は何も言えませんでした。何も言えずに自分の膝を見ていました。こんな話、家だったらとっくに泣いてたかも。

 外のお庭から優美の声が聞こえました。そちらを見ると、洋子さんとしゃがみ込んで何かの葉っぱを摘んでいるようです。

「綾は優美ちゃんとおればええ」

私と同じように優美の姿を眺めながらマー兄が言いました。

「綾と優美ちゃんは、かおりと聡子の関係と似てると思ってた。でも、いつ頃からか分らんけど、違うと感じるようになった」

「どういう風に?」

「かおりと聡子は多分、姉妹の親密さやったんや。場面場面で、どっちかが前に立つと、姉になると、片方は少し引く、妹になるみたいな感じ」

「⋯⋯」

「綾と優美ちゃんは、二人で一つみたいな感じやと思う。普段は単なる仲のいい友達。でも悩みか何か問題がありそうな時は、お互い自然と寄り添ってる。ただ寄り添って、二人でいるだけ。それだけで補い合ってるみたいに見える。どちらかが姉になって慰めたり、諭したりするんやなくてな」

マー兄にそう言われると思い当たることがあります。私が問題を抱えているようなとき、何か相談したわけでもないのに優美が寄って来ます。ただ寄って来て傍にいるだけ。不思議とそれだけで救われます。今回も優美がここまでついて来たのは、旅行がしたかっただけ? 私の傍にいようとしてくれているのかも。優美のことだから遊びに出たかっただけって可能性は高いけど、それだけじゃないかも。私も今までに何度か、なぜか優美の傍にいたいと思うことがありました。なぜ傍にいたいのかなんてわかりません。ただ傍にいたいと思ってしまう。そういう時、優美は何かの悩みを抱えていました。そして、大抵は悩みを打ち明けてくれます。打ち明けられても何もしないし、出来もしない。ただ優美の話を聞くだけ。聞いて、傍にいるだけ。それで十分でした。でもこんなこと、今マー兄に言われるまで気付きませんでした。考えもしなかった。ちょっと待って、母やまな姉ならわかるけど、マー兄がこんな私たちのことに気付いてたの? マー兄は普段、大型連休って言われる頃しか実家に帰って来ない。つまり、私との関わりなんてほんの少し。まして優美となんてほとんどない。なのにそんな風に見ていたなんて、大人ってすごい。

「そんなことないと思うけど、私は優美にいつも振り回されてるだけ」

見透かされたという思いを伏せて、私は言います。

「そっか、俺の勘違いかな。ま、優美ちゃんとはながーい付き合いになるやろう。だから二人は一緒におれ。そしたら綾も優美ちゃんも大丈夫や」

マー兄はそんな言葉で締めくくりました。でもなんだかうれしい気持ちにはなりました。私は優美といればいいんやと。

「一緒におると、疲れること多いけど」

私がそう言うと、

「確かにな」

と、マー兄。二人で笑い合いました。笑い合っていると掃き出し窓が開いて、

「なになに、なんかあった?」

と、優美の声が飛び込んできます。

「べつに」

と、応える私。

「ふ~ん、ま、ええわ。あや、買い物行くよ。マーさん車出して」

「買い物? どこに?」

「パン買いに行くの」

「パン?」

「朝ご飯何がいいって聞かれて、いつもパン食べてる言うたら、パン置いてないから買っといでって。あ、夜はお刺身沢山やよ」

楽しそうにそう言う優美にマー兄が、

「どこまで買いに行く?」と、聞きます。

「さっきのお墓に行った道をずっと行って、大きな道に出たら右って。そしたら大きなスーパーがあるねんて。そこにパン屋さんもあるって」

優美が説明します。

「よし、それじゃ行くか」

と、言いながら、写真の入ったクリアファイルをまとめて重ねていくマー兄。私とマー兄がファイルをまとめてから玄関に行くと、待っていた優美が車の鍵をマー兄に渡しながら言います。

「お墓の方の道狭いから、おばさんの車使ってって。白い方やて」

 パン以外にあれもこれもと、優美が欲しがるものを買い込んで帰って来ると、夕食がテーブルに並んでいました。お刺身ではなく、メインは手巻き寿司でした。それ以外にも煮魚や、魚の空揚げやら、魚づくし。母は食べれるのでしょうか。ま、お刺身は好きなので、手巻き寿司は食べれるでしょう。食事が始まると、お姉さんは一緒でしたが、おばあさんは寝ちゃってるとのことでした。でも、洋子さんとお姉さんは、代わる代わる度々席を立って、様子を見に行っていました。テーブルの隅に写真たてが置かれています。中には遺影と同じ写真の小さいもの。聡子さんは写真で参加していました。食事は賑やかと言うほどではありませんが、和気あいあいと言った感じで楽しく進みました。洋子さんのお料理はどれも美味しかったです。母とお姉さん以外の大人はお酒を飲んでいました。お酒の入った純子さんがいつもよりしゃべっていたので驚き。しかも、どちらかと言うと、素っ気ないしゃでり方の純子さんが、明るくしゃべっているのが新鮮でした。食事が終わると、若い順にお風呂に入るように言われます。私は優美と一緒に入りました。お風呂の後、食事をした部屋に戻ってくると、

「二階の部屋、テレビが置いてある方をあやと優美ちゃんで使って。お布団は運んでくれてるみたいやけど、敷くのは自分たちでやってね」

と、母に言われます。私たちはそう言われて二階に行こうとすると、

「寝ちゃってもいいように、歯を磨いてから上がりなさいよ」

と、母の声が追っかけてきました。


 正善が風呂を終えて、食事をした仏間の隣の部屋に戻ってくると、先に風呂を終えた純子が一人でいました。お酒を飲みながら、先程のファイルの写真を見ています。正善に気付くと、

「飲む?」と、正善に言います。

「うん」

うなずく正善。細いガラスのグラスにお酒を注ぐ純子。その隣に正善は座りながら、

「かおりは?」と、聞きます。

「疲れたみたい。先に寝るって上がっていった」

グラスを正善に渡しながら純子が言います。純子が見ていた写真を正善は覗く。聡子、純子ともう一人、事故の時一緒にいた友人。三人が海を背景に写っている写真でした。三人そろって、海をカメラに紹介でもするようなポーズで写っています。三人ともいい笑顔。正善の視線に、純子が口を開きます。

「この一時間後くらいに聡子は死んだの」

正善が息をのむ気配を純子は感じました。

「この写真が、生きてる聡子の最後の姿」

正善は写真を少し自分の方に引き寄せて見入ります。

「この写真は初めて見る」

しばらくして正善が言います。

「事故の後、カメラの中に入ったままやったの、半年ぐらい」

純子が言います。

「半年ぐらい経ってから、事故の日の写真があること思い出して、聡子のお母さんに見せなきゃって、最後の日の姿を見せなきゃって、慌てて現像したの」

「そうか、最後の姿か」

正善は写真を見つめたまま言います。

「俺にも、この写真くれよ」

「わかった。マーにも見せるべきやったね。ごめん」

「このもう一人の人、俺は会ったことないけど、純子はまだ付き合い続いてるんか?」

「利美さん。山下利美さんて言うんやけど、事故の後、なんとなく気まずくなってそのまま。利美さんは私達より一つ上やったから、全部自分の責任みたいに感じてて」

「⋯寂しいな」

「うん」

そのまましばらく二人で、写真をめくりながら思い出話をしていました。中学校時代の写真が入ったファイルになりました。それをめくっていくと、一枚の写真で純子が手を止めました。中学校での遠足の時の写真。先生が撮ったスナップ写真だと思われます。少々画質は粗いですが、レジャーシートを敷いた上でお弁当を食べているところ。手前で聡子と男女数人が、はじけそうな笑顔でピースサインをしています。その後ろに、ピントが合っておらず少しぼやけていますが、正善とかおりがシートに座っているのが写っています。正善がかおりの手元のお弁当から、お箸で何かを摘まもうとしており、かおりがそれを笑顔で見ているように見えます。そんな何でもないスナップで純子が止まっています。

「ここにはお前写ってないよなぁ」

と、正善。それに対して純子は、

「⋯何で中学の時、かおりと付き合わへんかったん?」

そう言います。

「何でって⋯」

正善は返答に困ります。

「なんで聡子はあんたと付き合うって言ったんやろ」

純子は写真の聡子の顔を見つめて呟くように言います。正善は純子が何を言いたいのかが分かりません。純子が口を開きます。

「もう今更やから、話してもええと思うから教えたる」

「⋯⋯」

「中2の一学期、六月くらいやったかな。私の部屋で三人でしゃべってた。マーと同じテニス部にいた室谷千秋。あの子がマーに告白するみたいやって私が言ったのが始まりやった」

「⋯⋯」

「ほんまに? って先に反応したのはかおりやった。本人が言うてたから間違いないって私は言った。そしたら聡子も、そういえばマー坊の話してると必ずあの子寄ってくるよねって、千秋は私らと同じクラスやったから」

正善が何も言わないので純子は続けます。

「そしたら聡子がかおりに、マー坊のこと好きやろって。かおりは最初のうち否定してたけど、聡子と私が一緒になって追及したらそのうち、好きやって言うた。で、聡子が、千秋に先に告られて、取られたらどうするって。今思い出すとアホなことを真剣に話してた」

「⋯⋯」

「でもその時、かおりははっきり言うたんや、嫌やって。で、聡子がそれやったら、先にマー坊に告白して付き合ってしまえって。それでも恥ずかしいって言うかおりに聡子が、だったら私がマー坊に告白して先に付き合うわ、そんで、かおりが告白する気になったら言うて、代わったるからって。ほんまにアホ見たいなこと言うてた」

その時のことを思い出したようで、純子はおかしそうに笑います。

「俺はその話に、なんとコメントしたらええかわからん」

正善が言います。

「かおりは立ち上がって、そんなんあかんって」

純子は続けます。

「そしたら純子に代わってもらうかって聡子が言ったら、違うって、そうやないとかって言って、かおり、怒りだしたんや」

「俺が言うことやないけど、そんなに追い込んだらあかんわ」

と、言葉を挟む正善。

「私も今ならそう思うけど、あの頃こういう話はそんだけ真剣やったんや」

「⋯⋯」

「かおりが怒りだしたから、私らはかおりを落ち着かせようとしてたんやけど、しばらくしたらかおりが、私、マー坊に言うって。マー坊と付き合うって。そう言うたんや」

「⋯⋯」

「あれ? 反応ないなぁ。中学時代とは言え、かおりにそこまで言われて嬉しないの?」

純子は少し正善をからかうように言います。

「いや、嬉しいと言うか照れる」と、正善。

「はあ、照れてへんで、あんたからかおりに告ってたら、ややこしならんかったのに」

と、純子。そう言われて正善は言います。

「ややこしいってどう言うことや」

「そのあとのことや」

「そのあと?」

「マーが加藤君と喧嘩して、怪我して早退した日のことや」

「⋯⋯?」

無言で首をかしげる正善。

「あの日のこと誰からも聞いてへんの?」

純子の問いに正善は答えます。

「いや、その日、夕方ぐらいに聡子が家に来たんや。そんで、好きやって言われた。俺はなんて言ってええか分らんかって、ちょっと考えてた。そしたら、付き合うことにしたから、今からマー坊は私の彼氏やからって、そんだけ言って帰って行ったんや。で、次の日学校行ったら、もういきなり、俺と聡子が付き合ってるってことになってて、無茶苦茶騒がれて、誰も俺の話なんて聞かへんし、何でそんな話になってるか聞いても、聞くたんびに違う話でわけ分らんし。ちょっと腹立って、しばらく聡子のこと避けてたんや。かおりもその騒ぎのせいか、なんかよそよそしいし。そのころ結構へこんでた」

「そっか、聡子はすぐにマーのとこ行ってたんや。あの日聡子な、あんたのクラスで加藤君とあんたのことで言い合ってたんや、昼休みに。私は遅れて行ったから最初の方の成り行き分らんけど、聡子はあんたとかおりがもう付き合ってると思うてたから、そう加藤君に言うたんや、だからやきもち妬くなとかって」

「なんでそんな話になったんや」

「だから、私も最初からおった訳やないから分らんって。ただ、聡子がそう言ったら、かおりが違うって、付き合ってないって言うたの、みんなの前で。かおりは聡子にだけ言うたつもりみたいやったけど、廊下におった私にも聞こえた。そしたら聡子が、私がマー坊と付き合うって、みんな聞いてるとこで言うたんや」

そう言ってから、純子は自分と正善のグラスにお酒を足して一口飲みます。正善はグラスに口を付けてから口を開きました。

「みんなの前でそんなこと言うてもうたから、すぐにうちに来たんやな。ほんであんなこと言うて帰ったんか」

「みたいやねぇ。私はかおりのことが心配になって、放課後すぐにかおりのとこに行ったんや。かおり見つけたら、部活行くって言うたから、合唱部の音楽室がある手前の旧校舎のとこで話したんや。そしたら、何も言わんで黙ってたらよかったって、どうしよう、どうなるんやろうって、泣きだした。私もかける言葉なんて持ってへんから、慰めるしかなくて。結局部活休むって言い出したかおりと帰ったんや」

「そっちはそう言うことがあったんや」

「うん、で、マーと聡子はそれからどうなって付き合い始めたん?」

純子が聞きます。

「いつから付き合い始めたかってのは俺もよう分らん。夏休み入って、七月の終りくらいやったと思うけど、練習試合に隣の中学に行ってたんや。で、練習終わってみんなでその学校出たとこに聡子が来てた。みんな俺らが付き合ってると思ってたから、さんざん冷やかされながら二人にされてもうた。俺は聡子のこと避けてた時やから、ちょっと気まずい思いで一緒に帰ったんや。今はなくなったけど、尼池のとこの公園まで、ほとんどしゃべらずに帰ってきた。そしたら聡子が公園に入って立ち止まるんや。ま、そこらあたりが俺のうちの方向と、聡子のうちの方向と分かれるとこやったから、そこで話さなあかんと思ったんやろな。俺もついて入って、あいつの後ろに立ったんや。そしたら、この前のことごめんって、それだけ言ってあとは黙ってるんや。だから俺も避けてたこと謝ったんや。怒ってない? って聞くから、ちょっと怒ってたって言うた。けど、聡子に怒ってたんやなくて、騒ぎになったことに怒ってたんやって言うた。じゃあ、私とおるのは嫌やないのって振り返って言うから、騒がれるんは嫌やでって。そのあとはなんとなく仲直りしたみたいになって、少し話してから別れた。⋯付き合うようになったんは、かおりや純子がそのころちょっと俺を避けてた、って言うか、距離をとってたやろ? それで必然的に聡子だけが傍にいたからかも知れん」

正善の話が終わると、純子が話し始めます。

「距離を取ってたって言うか、聡子とマーにどう接したらええか分らんかったんや。だから私らはあのころずっと二人で悩んでたよ。私はともかくかおりは、聡子とあんたができてるとなったら、それはそれで辛いんやろうけど、それ以上に、今迄みたいに仲良くしたかったんや」

「なるほどな」

正善がつぶやくように言います。純子はそのあと正善の方を見て、

「一つ確認」と、言います。

「なに?」

「聡子しか傍におらんかったから、聡子と付き合ったん?」

正善も純子を見て少し考えます。

「きっかけはそうかも知れん⋯。でも、俺は聡子のことが好きやった。付き合いだしたってことで一番好きになったのかも知れん。でも一番好きやった。⋯純子が打ち明け話してくれたから、俺も大学の時のことを話す。聡子が死んだ年の夏休み、あいつとバイクで旅行したんや。宿も決めずにぶらぶらと西日本を一週間。安く泊まれる宿が見つからずに野宿した日がある。確か出雲大社の近く。海に面した公園で、海を見ながら寝た。その時に二人で話したんや。じいさんばあさんになっても、こうやって二人で旅行しようなって。いつまでも一緒にいようなって。⋯俺にとって聡子は、間違いなく一番やった」

正善が言い終えた後、二人は黙ってしまいました。すると、

「正善君にそう言ってもらえたら、聡子はきっと喜んでる」

と、廊下から洋子さんの声が聞こえました。いつからか、二人の話を聞いていたようです。洋子さんは部屋に入ってきました。純子は慌てたように、

「かおりに聞かれてないよね」

と、階段の方を見ます。

「大丈夫よ、さっき見てきたけど、二階の三人は寝ちゃってる。子供たちも疲れてたのかな」

洋子さんは少し笑いながら言います。そしてテーブルに置かれたままの聡子の遺影のところに座り、話し始めます。

「さっき話していた中学時代のことだけど」

かなり前から聞いていたようです。

「聡子も悩んでたわよ。聡子はね、ずっと正善君とかおりちゃんをくっつけようとしていた。私にはそう話してた」

遺影の写真を見つめながら話します。

「あるとき帰って来るなり自分の部屋に入って出てこなかったの。何を言っても出てこなかった。放っておいたんだけど、晩ご飯も食べてないのが心配で、私が寝る前におにぎり作って聡子の部屋の前に置いたの。軽くノックして、おにぎり置いとくから食べなさいよって声かけて。そしたら扉が開いて、顔を出すの。泣き顔だった。どうしたのって聞いても答えずに、扉を開けたまま中に戻るから、私も部屋に入ったの。そしたら、どうしようって泣きだすの。治まってからもう一度聞いたら、正善君に好きや、付き合ってって言ったって。私は今まで聞いていたのと違うから驚いちゃって、あなたも正善君のこと好きだったのって聞いた。そうしたらうなずいて、でもかおりちゃんの方が先だから、かおりちゃんと正善君が付き合って欲しかったって。正直私も、もう中学生の恋愛って理解できないなぁって思った。先ってどういうこと? みたいな感覚だった。それでも泣いてるから、付き合えないって言われたの? って聞いたら、返事聞いてないって言うし。何で泣いてるのか聞くと、かおりちゃんを裏切ったから、もうかおりちゃんの友達に戻れない、そうなったら正善君とも付き合えないって」

正善と純子は無言で聞いています。

「私は聡子に、じゃあ、かおりちゃんと正善君が付き合うようになればいいのって聞いたの。そしたらしばらく黙ってから、いやって。だったら正善君とのことを、かおりちゃんと二人で話しなさいって言ったの」

純子は何か思い出したような顔をしましたが、何も言いません。

「聡子とかおりちゃんが、どんな話で決着したのか、それとも話しすらしなかったのか、私は知らない。でも、秋になる頃にはうちで三人でいたりしたし、かおりちゃんの前で聡子と正善君イチャイチャしてたし」

洋子さんは遺影を正善の方に向けて、微笑みます。

「かおりちゃんにも認めてもらったんだなって安心した」

洋子さんは話し終わると、私にもお酒少し頂戴と言って、純子が注いだグラスを受け取りました。純子はグラスを渡しながら、

「私は結局何もしなかった。あの時、聡子がかおりの家に何度も来てたの知ってた。おばさんがかおりと話すように言ったから来てたんだ。でも、私はそれを見て、自分からかおりの家に行って話に混ざることが出来なかった。あの頃の私は、自分から誰かの所に行って交わるなんてことが出来なかった。そういう性格だった。だから、私の家に来てくれる人。私を誘い出してくれる人。三人だけが本当の友達だった。なのに、三人の悩みに何もしなかった」

そう言って俯いてしまいます。

「いや、そうは思わんけどなぁ。純子は結構一丁噛みやったと思う。ほんでキツイことも言うけど、根本はいつもお前は優しいんや」

正善が言います。

「なんのことかわからん」

俯いたままそう言う純子。

「私もそう思う。聡子って結構弱かったでしょ。みんなの前では強がってたみたいだけど、家では泣いてることも少なくなかった。そんな時に、何にも言ってないのに、純子が妙に寄って来るから、みんなの前で泣きそうになったとかって。いつもおせっかいな奴って言いながら嬉しそうだったよ」

洋子さんが言います。しばらくして、まだ俯いたままの純子が苦しそうな声で言いました。

「でも、私が聡子を死なせた⋯」

洋子さんは純子の隣に移動して座ると言います。

「そう言うこと言うのは、もうやめなさい」

純子は動きません。

「あなたのせいだなんて誰も思ってない。私だって一度もそんな風に思ったことない。責任があるのはぶつかって来た運転手だけ。どうしようもない事だったの」

純子はまだ動きません。

「あなたがこんなに長い間、ずっと責任感じていたなんて。ごめんなさい。もっと早くに、ちゃんとこう言う話をするべきだったね」

「⋯⋯」

「私は、純子ちゃん、正善君とかおりちゃん、この三人には早く聡子から解放されてもらいたかった。いつまでも聡子に縛られてほしくなかった。だから何も言わずにお別れするつもりだった。聡子との縁が周りから消えれば、自然とただの思い出になってくれると。でもあなたたちは、こんなに長い間縁が切れていたのに、探し出してまで聡子のところに来てくれた。私が間違ってた。あなたたちの縁は、絆は、死んだくらいでは切れないんだとわかった」

途中から洋子さんは涙ぐんでいました。

「だからお願い。純子ちゃん、これからも聡子のお友達でいて。そのために、聡子が死んだことを自分のせいだなんて思わないで。そんなんだと聡子も悲しむ」

純子は顔を上げて洋子さんと目を合わせました。

「私のこと、許してくれますか?」

そう言う純子を、洋子さんは抱きしめました。

「許しなんて必要ない。あなたは聡子の最期を看取ってくれた人。聡子は一人じゃなく、あなたと言う親友に見送ってもらえた。私にはあなたに感謝しかない」

純子の中であの時の光景が、感触が蘇ります。救急車の中、必死で手を尽くしてくれている救急隊員の傍で握りしめていた聡子の手。そして、その手から生が抜けた瞬間を。純子は一気に泣き出しました。泣いて泣いて、泣きました。そして、聡子の遺影を見つめて、

「聡子、ずっと一緒だから」

と、呟きました。


 しばらくして純子は落ち着くと、

「はあ、泣いたの何年振りだろ」

と、うそのようにケロッと言います。

「俺が見たのは聡子の葬式以来やな」

と、言う正善に、

「あんた葬式におらんかったやん。逃げたくせに」

と、返します。そろそろ寝ようかと正善、純子が動き出すと、洋子さんが二人に言いました。

「かおり、病気なの?」と。

二人は顔を見合わせました。洋子は続けます。

「さっき、かおりが薬を飲んでるのをチラッと見たんだけど、母と同じ薬かあったように思う」

「⋯⋯」

「正直に言って、癌なの?」

正善は純子の方を見てから、

「本人は隠したがっているので、気付いてない振りをしてもらえませんか?」

と、言いました。ちょっと間があってから、

「だいぶ悪いの?」

と、洋子。

「⋯はい、ここに来れるのは、多分今回が最後です」

言い辛そうにそう言う正善。

「なんてこと、かおりまで⋯」

「⋯⋯」

二人の方を見ながら洋子が話し始めます。

「聞いてるかどうかわからないけど、かおりのお母さんは体が弱かったの。かおりを生んだ後、三,四年したころから長期入院し始めたの。私はかおりのお母さん、美枝子さんと仲が良かったから、入院中はかおりを預からせてもらったの。その頃は家も近かったし。時々退院してくることもあったから、ずっと預かりっぱなしってことはなかったけど、三年くらいは続いた。そんな小さなころ三年も育てたから、私にとってはかおりも娘なの。⋯娘が二人とも私より先なんて。⋯ひどい」

そして顔を伏せてしまいます。

「お伝えせずに帰るつもりでした。だから、かおりの前では普通に振舞ってください。お願いします」

正善が頭を下げます。洋子は顔を上げて、

「正善君、頭を上げて。分かってるから」

そう言います。そして、純子の方も見て、

「二人とも本当に強くなったね。そんなかおりの傍にいて、普通にしていられるなんて。あなたたち二人がいたら安心。かおりのこと、宜しくお願いします」

今度は洋子が頭を下げました。涙を流しながら。


 翌朝、私と優美は母に起こされたあと、着替えて下におりました。顔を洗って昨夜食事をした部屋へ。すでに朝食が用意されていました。昨日、優美が色々なパンを買いすぎたせいで、全員がパンになったようです。オムレツなどの料理とともに、スープ代わりのクリームシチューがありました。これがとってもおいしくて、洋子さんは何時から作っていたのかと思いました。食事が終わると、布団を玄関まで下すようにと言われました。下ろして来ると、玄関に置かれた大きな布のバックの中に入れるようにと。畳んで詰めていき、いっぱいになったところでファスナーを閉めます。

「布団のレンタルってあるんだ」

と、優美の声。布団を詰めたバッグの横に『川棚温泉 ○○貸し布団店』と文字が入っていました。そのあと、おばあさんの所へみんなで挨拶に行こうとするとお姉さんが、寝ているので気にしないでっと。お姉さんとはそこでお別れしました。荷物を車に積んで、もう一度お墓に行きます。今度は車でそのまま行きました。お墓にはまだ煙っているお線香がありました。聞くと、母たち三人と洋子さんは、早朝にも一度お参りしたとか。改めて私たちも手を合わせます。そしてみんなが車の所に引き上げて行きますが、母は昨日と同じように、墓石に手で触れて何か話しかけているよう。少し離れたところからマー兄が見守っています。母が車のところまで戻って来ました。洋子さんともここでお別れです。昨日行ったスーパーの方へ行くと、そのまま下関市街の方へ出れると、事前に教えてもらっていました。

「かおり、来てくれて嬉しかった。ありがとう。みんなも来てくれてありがとう」

洋子さんは言います。

「私も会えて嬉しかった。本当に」

そう言うと母は、洋子さんに抱きつきました。洋子さんも母の頭や背中を優しく撫でます。そして、

「さ、きりがないわ、行きなさい」

と、洋子さんは体を離すと母の手を取って、

「また会えるから、かおり」

と、言います。母はしばらく洋子さんの顔を見つめてから、

「⋯うん。お母さん、元気でね」

と言い、車に乗りました。車は畑の間の狭い道を行き、県道に出ます。その間見えなくなるまで、洋子さんは手を振ってくれていました。


 下関市街に近づくと、純子さんがこう言い出しました。

「マーの育ったところって市内でしょ? ちょっと寄ってよ、どんなところか見てみたい」

「私も見てみたい」

と、母も賛同。二人の希望で、車は彦島と言うところに向かいました。彦島に入ってから、海沿いに並ぶ建物の間の道を少し走り、車は左に折れました。正面に小学校が見えます。ここにマー兄は、三年生の一学期まで通っていたそうです。校門が開いていたので、中に入ろうという母たち。さすがにまずいだろうとマー兄が拒否。次は住んでいた家に行けと言う母たち。道が狭いからこの車で行けるかなあと言うマー兄。本当に狭く急な坂道を登っていきます。マー兄の記憶も薄れており、迷いながら多分ここだとたどり着いたところは、新しい感じの家でした。すでに建て替えられていたようです。車を止められそうな空き地があったので停めます。付近を歩いて、やっぱりここで間違い無いと言うマー兄。そして坂を上っていきます。少し行くと左側の竹林に入っていく小道がありました。みんなついて行きます。すぐに竹林を抜けて墓地に出ました。聡子さんのお墓があった墓地に似ています。ここからも海が見えました。マー兄は、一つの区画に四っつのお墓があるところで立ち止まりました。四っつの中の一つに阿部家とあります。

「これがマー坊の家のお墓?」と母。

「そうだよ」と、答えるマー兄に、

「なんでお墓が四っつもあるの? 名前もみんな違うし」

と、優美が聞きます。

「俺も詳しくは知らんけど、みんな同じ一族、親戚みたいや。そっちの一番大きな墓石の家が、一番大きな家みたいやな」

マー兄は説明してくれます。

「ここのお墓も、この平岩さんの親族がまだ近くに住んでるから、お守してくれてるみたいやな」

と、阿部家の隣の平岩家と刻まれた墓石を指します。

「マーもここに入るんか?」と純子さん。

「そうなるやろなぁ」

みんな簡単に手を合わせて立ち去りますが、母と純子さんは周りをしみじみと見回した後、しばらく海を眺めてから続きました。車に戻ると、お腹空いたと言い出す優美。どこか馴染みのお店ないの? と言う純子さん。家族でたまに行った食堂ならあると言うマー兄。そこに行くことになりますが、下りの狭い坂道、悪戦苦闘するマー兄でした。着いたのは先程の小学校のすぐ前でした。途中、お店がまだあるのはさっき見たけど、日曜日やってるかなと言っていたマー兄ですが、幸い、営業中でした。特に名物料理があるわけでもない普通の食堂でした。各々好きなものを頼みます。食べ終わるころに優美が、せっかくだからフグ食べたかったと言い出します。すると店の方が、一夜干しならあるけど、焼こうかと言ってくれます。どうやら夜の居酒屋メニューの様子。食べたいという優美と一緒に私も手を上げます。母と純子さんは近所を散策してくると言って席を立ちました。


 店を出たかおりと純子は、小学校の方へ向かいました。校門に面した校庭では子供たちが何組か遊んでいました。二人は校門から少し入ったところで、校庭越しに校舎を眺めます。

「マー坊、ここにいたんやね」

と、かおりが口にします。

「目の前が海で、後ろが山。引っ越したてのマーが東達とやり合った体力は、ここで育まれたんやね」

と、純子。それを聞いたかおりはおかしそうに、

「そういうことやね」

と笑います。そして、

「いいところ。私もこういうところで過ごしたかったな」

と言います。純子はかおりの顔を見ます。

「マーと一緒に、やろ?」

それを受けてかおりも、

「それは純子もでしょ?」

と、笑顔で返します。

「なんでそうなんの。かおりや聡子と一緒にせんといて。だいたい、私こんな田舎はあかん」

そう言ってもう少し中へ入っていきます。かおりはついて行きながら、

「ほんとに頑固やなぁ、ええ加減素直になったら?」

と、言いますが、純子は返事しません。


 私達がお店を出てすぐに、校庭にいる母たちを優美が見つけました。競走、と言う優美。私と優美は走って母たちの所へ。校庭を横切って校舎前の花壇の所で母たちに追いつきます。マー兄も小走りで追いつきます。

「結局、学校の中入ってもうたな」

と、言うマー兄に、

「解放されてるみたいやからええんちゃう?」

と、他の子供たちを示しながら純子さん。ま、いいか。と言うマー兄。そのあとしばらくみんなで校庭を歩いてから、学校を出ました。私と優美と純子さんの、校舎の中を見たいと言う希望は、却下されました。

 そのあとは新下関駅に。マー兄は車を中も外も汚したので、燃料入れがてらスタンドで洗ってくると言って、一人で離れました。駅の中にはこれと言ったお店がなかったので、駅前のカフェで待つことに。新幹線の時間は4時半過ぎだったので、時間的には余裕があります。一時間半くらいしたころ、マー兄から母に電話がかかってきました。駅に戻ってきたと言うことで、みんなで移動。すでに車は返し終わって、法子さんたちは帰ったとのこと。マー兄は大きな保冷袋を示して、法子さんがみんなにお土産だと言って持って来たと。蒲鉾がたくさん入っていました。駅構内唯一のお土産店を物色しましたが、蒲鉾をもらっていたので特に目を引くものがありませんでした。優美は先程食べたフグの一夜干しが気に入ったようで、それとフグ最中を購入、させていました、マー兄に。ホームに上がるとちょっと感動することがありました。ホームから九州側を見るとすぐにトンネルがあります。九州側から来て通過する新幹線。トンネルからいきなり出現。少しびっくり。関門トンネルから出てすぐの所にこの駅はあると、マー兄が教えてくれます。あのトンネルを行くと九州なんだと、面白く思いました。新幹線に乗ると、みんなすぐに眠ってしまいます。新大阪駅では予定通り、阿部のおじさんが出迎えてくれました。帰りはおばさんも一緒でした。母はそこからの車中でもずっと寝ています。途中で食事して帰ったので、家についたのは十時ころ。阿部さんの家の前で解散となり、母と私は家へ。

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