くだらない人間
あれから十数年、私は家を出た。それは、地方の大学へ通うことなったから、という建前を除けば、単純に家族と一緒に過ごすことに嫌気が差したからだった。
私が中学生になる少し前から、家族の関係は悪化の一途を辿った。元々、夫婦喧嘩が絶えない家庭ではあったし、そうなるのは必然だったのかもしれない。日々、家族の間には些細なことで軋轢が生まれ、それがいつしか起こる大きな衝突への引き金となる。そしてそれが起こることで、私たちはより一層家族の一挙手一投足に不満を覚えるようになり、また新たな口論が生まれる。そんな悪循環が、私たち家族を取り巻いていた。
それでも、嫌々ながら夕飯はリビングで家族揃って食べることが決まっていたし、テレビを見ながら一緒に楽しんだことだって、笑ったことだってあった。
しかし、そんな悪循環が消えないまま約六年が過ぎたある日、私たち家族には、決定的な亀裂が生まれることとなる。
それは、私が高校三年生だった年の冬、国公立大学が各校独自で行う二次試験が間近まで迫った、そんな日に起こった。
始まりは些細な事だった。私が夕飯を食べにリビングに出ていたとき、父が突然、受験日当日の行程について事細かく質問してきたのである。私がリビングへ出て父と顔を合わせる時間は、この時を除いてほぼ無かったため、今思えば、それは日頃からの心配が積み重なったものだったのかもしれない。しかし私は、受験勉強の疲れからか、それを適当にあしらっていた。
何という路線に乗るかまで覚えていないし、具体的な時間もまだ決めていない。
そんなこと一々覚えていなくても、携帯電話を見ればすぐにわかる。
おおよそ、そんな風に答えたと思う。確かに、素っ気無い返答だったかもしれない。しかし、受験勉強に疲れていたこと、そして今までの家族との関係性も考えれば、過去の自分も、わざわざ父を怒らせたかったわけではなかったということは、容易に理解できる。
しかし、事は過去の私が思ったようには運ばなかった。
父が激怒した。
心配の裏返し。その心配は、私が思う以上に大きかったのだろう。そしてそれが裏切られた時、その怒りは大きく膨れ上がった。
私と父は、これまでにないほど大きく衝突した。しかし口論はどこまでも平行線で、その口調だけがどんどんエスカレートしていった。それは、席を外していた母が戻ってきても変わらなかった。
その後、父は私にこう怒鳴った。
…碌に勉強もしていないくせに、何が国公立だ、受かるわけがないだろう!
私は、その言葉をどうしても許すことが出来なかった。曲がりなりにも一年間続けた努力を、大して今の自分を知りもしない人間に簡単に踏み躙られた感覚。それをどれだけ悔しく思って努力しても、優秀な人間には到底敵わないという現実。
父は優秀な人間だった。学力で言えば、兄もまた優秀だった。だからこそ私は、小さな頃から彼らに劣等感を抱いていた。どれだけ努力しても彼らほど学力は伸びず、自分だけが家族で劣っていると、そう思わずにはいられなかった。
だからこそ、その言葉は私の心に深く突き刺さった。もちろん、その言葉は父の本心ではなかったことは知っている。しかし、そう頭でわかっていても、私は未だにそれを許すことができていない。だから、結局私はそれ以来父と全く言葉を交わしていないし、それどころか、顔すら引き合わせていない。還暦を迎えた父が、今どのような風貌で、どのように過ごしているのかもわからない。
またその衝突を巡って、それらは全て仕方のないことだから受け入れろ、と言う母にも改めて嫌気が差した。
これだけは許せない、と思ったことすら受け入れなければならないのなら、私たちの家族とは、血のつながりから来る形式的なものに過ぎず、その実態は気を遣い続ける社会と何ら変わらないのではないかと、私は思い詰めた。
その末に行き着いた結論が、家族から離れることだった。自分がここにいる意味も、義理も、必要性も、そこには無いと思ってしまった。その影響で、挑戦しようと思っていた国公立大学も、落ちて地元の私立大学へ行くことを避けるため諦めた。そして、絶対に受かるであろう遠くの地方大学を受けた。
そんな些細なことすら許せない、くだらなく非情な人間だと、自分に対してそう思う時もある。しかし、それでも今は、たかが十八歳の子供がそんな風に思い悩んで、実際に行動にまで移してしまったことが、ただただ悲しく感じられるのである。
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