第三章 わたしとあなたの渋谷ハロウィン

【渋谷】


 なんとかタクシーを捕まえて、渋谷まで飛ばしてもらう。こんなハロウィンの大雨の日に渋谷に向かうんてんてよっぽどのアホか、とでも言いたそうなあからさまな運転手の不満さが伝わってきたが、この際気にかけてはいられない。こちらは世界の危機がかかっている、かもしれないのだ。

 先ほど見えた雲状の謎の生命体は今は姿を隠している。ただの雨雲にしか見えない。

 しかし私は感じる。あの目玉たちの視線を。


 タクシーを駅から少し離れたところで降り、駅前に向かう。

 渋谷駅前は閑散としていた。

 コスプレ姿の陽キャ軍団も、彼らの暴走を止めるはずの警官や警備員の姿もない。ただ土砂降りの深夜の真っ暗なスクランブル交差点を、大きなモニターから流れる映像が照らしている。そして、その光に照らされているのは、一人の少女。

 眉國サヱコだ。


 眉國サヱコは私に気がついたようで、雨に濡れた顔をこちらに向ける。

 私の名前を呼んだようだが、雨の音が邪魔で聞こえない。

 傘を差していても、バシバシと雨が振り込んでくる。数十秒おきに遠くで近くで雷鳴が轟く。世界の終わりは、うるさい。

「眉國さん!」

 声が出た。

 彼女の方に近づく。

 傘もささず立ち尽くしている彼女はびしょ濡れだ。頭の先から靴の先までまで濡れ鼠だが、手に持っている例の「偽書MacGuffin」はビニール袋に入れて濡れないようにしている。何という執念だ。しかし、次にやることを考えたら当然かも知れない。

「マッチは持ってきたんですけど、濡れちゃってぜんっぜんつかないんですよね。ライター持ってませんか?」

 声が届くところまで行くと、眉國サヱコはなんでもないようにそんな事を言った。


 ―― 力ありき古き本の灰を捧げ唱える、ぃ、あ、る、ふ


 儀式の2つ目の手順だ。覚えていないと思っていたのだが、脳というものは、いざというときにはどんなものでも引っ張り出してくるというのは本当らしい。

「眉國、さん。私は別に、あなたを騙そうとしたわけじゃないんだ」

 私の言葉に、彼女はふ、と微笑む。

「どっちでもいいですよ、そんなこと。


「たとえこの本を作ったのがあなただとしても、それより大切なことは、今何が世界に起きているか、です」


 なんだか重大そうなセリフを、彼女全然重大なことではなさそうに言う。「ああ、ライターってコンビニで買えるかな、近くのコンビニどこかな」なんて独り言つ。


 そうなのだ。

 あの「偽書MacGuffin」は私が作ったものだ。

 高校生の頃、所属していた文芸部の文化祭での出品作として作った「古書風の小説」だ。中身を書き、古く見えるように炙ったりココアをまぶしたり、土に埋めてみたり雨ざらしにしてみたり、色々工夫をして5冊ほど作った。

 何も考えていないただの女子高生が、当時ハマっていたオカルト風の要素を散りばめて作っただけの、それっぽい本だ。だから名前だって「偽書」だし「マクガフィン」なのだ。

 きっとその5冊の本のうちの1冊が、どういうわけか巡り巡って眉國サヱコが通りかかったフリーマーケットで売られていたのだろう。

 ありえるわけがないのだ。

 この本に書かれた内容で――いや、私が作った内容で世界が崩壊するなんて。


「どうして、私が作ったと……」

「AI Dollsのプレイヤーネームが、最初に私にDMしてきた名前と違ったから気になって。

【藍伽キァル】さん、っていうんですね。そりゃ、「ユミハの枕になりたいさん」、なんて名前ありえないですよね」

 うっ。アカウント名を口に出して呼ばないでほしい。

「で、気になって調べたら、あなたが書いたアレを見つけました」

 完全にうっかりした。AI Dolls用のTwitterアカウントは他のSNSアカウントと何もつなげていない。しかしAI Dolls自体のプレイヤーネームは普段の名前にしている。推しには名前で呼ばれたい! そこから辿られたら、それはわかるに決まっている。完全に女の子AI Dollsプレイヤーとの出会いに浮かれていた。


 私の逡巡とは無関係に、彼女は楽しそうだ。

「最初はこいつ私を馬鹿にするためにDMを送ってきたんじゃないかってムカつきました。でも冷静に読んでみたら、儀式の続きも書いてあるし、怒ってる場合じゃないなって気付いたんです」

 眉國サヱコは「偽書MacGuffin」を持ち上げる。

「この本に載っているのは途中までだったんですね。

 リメイク版?ですかね、面白かったです。私がしていた儀式は邪神を呼ぶ儀式で、呼び出した邪神が世界を滅ぼすこともわらかりましたし。それに……」

「そうだよ、私。私が考えたし、私が作ったの、その本。だから、この儀式に効果があるわけないんだよ。だから、こんなことしてないで、帰ろうよ」

「効果がないなら、やってみてもよくないですか?」

「それは、そうだけど……」

「藍伽さんだって、私と一緒ですよね? 別に積極的に世界が滅んでほしいわけでもないけど、もしも万に一つでも自分が作った物語がきっかけで世界が崩壊したら、ちょっと面白い。そう思ったからTwitterでこの本の写真をアップしている私を見つけて連絡をしてきたんでしょ?」

 そうなのだろうか。

 そう、なのかもしれない。

 あのとき、眉國サヱコを無視することもできた。変なナンパ野郎と勘違いされてもいいとDMを送ったのは確かだ。

 好奇心。

 でも、それならば。――まあ、いいか。

「眉國さん。どっちでもいいなら、世界救ってみようよ」


 雨を避けて、渋谷駅前の屋根の下に逃げ込む。

 ビニール袋で保護していた「偽書MacGuffin」を取り出し、ページを開く。

 高校生の頃の自分の文章は、それっぽさを出すために必要以上に硬い。でも私なりに必死に一つの世界を作った、懐かしいものだ。

 何年ぶりかに、この本に文章を付け加える。

「私が作った儀式が本物になったんだから、これからさらに物語を続けることもできると思わない?」

「有り得る話ではありますね」

「ハロウィンは始まったばかりだよ。思いついたことは試してみてもいいと思うんだ」

「本儀式を進めるのは、それからでも遅くないと言いたいんですか?」

「うん」

 カバンからペンを取り出す。

 さて、どんな内容にしよう。

 空を見上げれば、雨雲の隙間から再び目玉が現れている。まるで、早く儀式を進めろと言わんばかりに、忙しなく目玉を動かす。もしかして、私達を探しているんだろうか。

「儀式を中断する方法?」

「うーん、中断じゃ面白くなくない? もっとプラスアルファ、付け加えるような……」

「呼び出した邪神を倒す」

「倒す」

「無効化する」

「手下にする」

「しもべにする」

「友だちになる」

「突然子ども向けになりましたね」

「友達にしてみる?」

「いいですよ」

 私は書く。


 もう一つの本儀式 

 異形を倣いし3つの体を輪にし唱える、むふぐなん


 ここまでは実施してしまっているので、変えようがない。ここからを変えよう。


 力ありき古き本の一部を飲み込み、ぃ、あ、る、ふ

 四叉の中央でかの邪悪なる神の名を呼べば

 汚れなき乙女の声に降臨しチュル=ラ=トゥ

 終焉は乙女の盟友とならん


「それっぽい?」

「それっぽい!」

 私の問いかけに、眉國サヱコは笑った。

「でも、この古い汚い紙を食べることになってません?」

「勢いでそうしちゃった……眉國さん、がんばって」

「えっ、藍伽さんも一緒にやりますよね?」

「なんで!?」

「失礼を承知で言いますけど、藍伽さんっていかにも「汚れなき乙女」ってかんじじゃないですか。垢抜けないというか……あんまり彼氏とかいなさそうというか……。途中から2人でやっちゃダメなんて書いてないし、ね? それとも、藍伽さんは汚れ済の女性でしたか?」

 こいつ、実はけっこうな性格してるな。

 煽られて相手のペースに乗るのは癪にさわるが、せっかくだし一緒にやってみることにしよう。眉國サヱコの言う通り、私が想定している「汚れなき乙女」の基準に、私は当てはまる。

 答える代わりに「偽書MacGuffin」のページの隅を破り、小さく丸める。

「眉國さんも。ちょっとでいいからページの隅破って」

 そう促すと、彼女はビリっと音を立ててページの半分ほどを破る。勢いがあるな。

「それじゃあ、やりますか」


 スクランブル交差点の真ん中に二人で立つ。

 傘は差さず、雨に濡れるままにする。

 なんとなく、眉國サヱコの手を握ってみた。

 冷たくて、温かい。

 合図をすることもなく、私達は同時に破った紙片を口に放り込んだ。ただの紙だ。しかも、数年前のこととはいえ、私が炙ったり埋めたりして汚した紙だ。深く考えてはいけない。もぐもぐ、ごっくん。紙片を飲み込む


「ぃ、あ、る、ふ」


 二人で唱える。

 とたんに、辺りがおかしな色に包み込まれる。赤い、ワイン色のような、と思えば深い森のような緑に、深海のような青に。雨はやみ、空を覆う雲からは無数の触手が地表を目指し蠢き出す。

 あれが邪神なのだろうか。

 眉國サヱコが私と繋いでいる手ごと、手を天に向けて突き上げる。

 交差点の真ん中であの邪神の名前を呼ぼう。


「チュル=ラ=トゥ」


 風が吹いた。

 そよ風。すぐに突風に変わる。地表を目指し蠢いていた触手が、一斉に私達の方に向かってやってくる。ものすごい速度で、いくつもの、何百、何千、何万もの触手が。

「なにこれ、どうなってるんですか!?」

「わからないよ!」

「これは、やりましたね」

「やったね」

 触手は私達二人に絡みつき、絡みつき、そして。

 どうなったか分かる前に、私は意識を失った。



 起きたときには、朝だった。

 私は渋谷の路上で、丸くなって眠っていた。

 昨日までの異常気象が嘘のような秋晴れ。天高く、馬肥ゆる。

 始発はもう動いているらしく、辺りにはまばらに人が歩いている。仮装をした人もちらほら見かける。朝から元気なのか、朝帰りなのか。どちらにしろ今日はハロウィンだ。

 眉國サヱコはいない。

 カバンを漁ってみると、財布もスマートフォンも入ったままだった。つくづく、東京というのは治安のいい街である。

 スマホを取り出し、Twitterを開く。

 眉國サヱコからDMが届いていた。


「よく眠っていらしたので、起こさずホテルに戻ります。

 気をつけて帰ってくださいね、おやすみなさい」


 そっけない内容。昨夜のことは現実だったのだろうか。

 まあいいか、とりあえず雨に濡れた路上で寝ていたせいで体はガタガタだ。服もびしょびしょで恥ずかしい、人が多くなる前に帰ろう。それからのことは、これから考えよう。

 家に帰ったら、眉國サヱコが見たであろう文章をちょっと書き直して投稿し直そう。どうもあのままでは問題ありそうだ。


 それにしても、疑問は残ったままだ。

 私に眉國サヱコのTwitterアカウントを教えてきたのは何者なのか。私にDMを送ってきたアカウントは、もう消えていた。

 そして大きな疑問はまだある。

 どうして儀式の重要な部分を間違っていたのに、眉國サヱコの儀式が成り立ったのか。

 それにもう一つ。友だちになったはずの邪神はどこにいったのか。


 まあいいか。

 考えたところでどうしようもない。


 明日には11月がやってくる。



NORMAL END

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る