愛の形は一つじゃ無い

 真咲まさきがインターホンを押すとすぐに返事が返ってきた。


『どなた?』


 その声は真咲の知る愛美あいみの物だったが、電話越しに聞いた声と同様、酷く冷たく感じられた。


「便利屋の木村です。直接会って話が聞きたくて」

『話す事はないわ。帰って頂戴』


 そう言うとインターホンは沈黙した。


「ふぅ……しゃあねぇ、乗り込むか」

「いいんですか? 不法侵入で訴えられたら捕まるのは我々ですよ?」

「愛美さんの部屋には入ったじゃねぇか。今更だろ?」

「……はぁ、私はなるべく平穏に過ごして、無事故郷に帰りたいのですがね……」


 肩を竦めたラルフに苦笑いを返しながら、真咲は門を開け暗く淀んだ空気の支配する遠藤の家の敷地に足を踏み入れた。

 家は門扉を潜るとすぐに玄関があり、家の裏には芝生の敷かれた小さな庭がある、日本では見慣れたタイプの二階建ての戸建て住宅だ。


 真咲は腕を霧に変え玄関の鍵を開ける。

 以前、梨珠の母親の香織を攫った男の部屋にもこの手口で侵入した。


 ドアの取っ手に手を掛け、ラルフと視線を交わすと頷きドアを引き開ける。

 玄関には男物のサンダルの他、赤いハイヒールが一足、上がり框の前にこちらにつま先を向け置かれていた。

 玄関から続く廊下は照明が落とされ薄暗かった。


「……愛美さん!!」


 呼びかけた真咲の声が虚しく響く。


「上がるぞ」

「あまりいい予感はしませんが……致し方ないですね」


 靴を脱ぎ二人は家の中を愛美を探し部屋を覗いて回った。

 どの部屋も明かりが消され、遮光カーテンが陽光をさえぎり暗闇が室内を支配している。

 だが二人とも基本的に闇の住人だ。明かりが無くとも視界は確保出来た。


「人がいるのに真っ暗だな」

「一階にはいないようですね……二階から人の臭いがします」

「流石、人狼」


 鼻をスンスンと鳴らしたラルフに真咲は笑みを浮かべる。

 ラルフはそんな真咲の言葉に苦笑を浮かべた。


「エーファに余りいい癖では無いと言われたので、最近は控えていたのですが……」


 確かに事あるごとに鼻を鳴らしていたら、気分を害する人間もいるだろう。


「エーファちゃんの言う通りかも……俺も気をつけるとするか」

「お互い、人と暮らすのは苦労しますね」

「つい使っちまうよな……さて、行くか」

「ええ」


 真っ暗な二階への階段を上がり、ラルフが指し示した部屋の前に立つ。


「開けるぜ」


 ラルフが頷いたの確認して、真咲はドアノブを回しドアを押し開けた。

 書斎らしいその部屋には本棚の他、机が置かれ、その机の上にはノートパソコンが一台置かれていた。

 部屋のカーテンは一階同様、堅く閉ざされ部屋は真っ暗だった。


 その闇の中に女が一人こちらに背を向け立っている。


「愛美……さん?」


「どうして邪魔をするの?」


「邪魔って……愛美さんも困ってたじゃないですか?」


 そう真咲が言うと、女はおもむろに振り返った。


「愛美、愛美、愛美、愛美……呼ばれるのはこの女の名前ばかり……私は洋子ようこよ!!」

「洋子……?」


 叫び声を上げた女の顔は昨日、真咲が見た時よりも憔悴し、目の下には黒くクマが浮いていた。


「憑りつかれていますね。このままだと愛美さんは……」

「そっち系は苦手なんだよな、俺……なぁ、洋子でいいのか?」

「そうよ、私は洋子」


「んじゃ、洋子、その人を返してくれないか?」

「嫌よ、肉体が無いと孝一こういちさんは私を見てくれない」

「孝一……遠藤えんどうの事か……あんた、遠藤に惚れてんのか?」


 真咲が愛美に憑りついた洋子と名乗る女に問うと、彼女は頬に手を当て嬉しそうに微笑んだ。


「優しくしてくれたの……私がいた場所を見て、可哀想にって手を合わせてくれたのよ」


 遠藤にとって、それは信号待ちでのただの気まぐれ。

 信号機の支柱に置かれていた花を見て、誰か亡くなったのだろうと思い手を合わせただけだった。


「なるほど……だが、あんたが憑りついたままじゃ、その人は遠からず衰弱して死ぬぜ」

「別にいいわ。そうなったら他の人を探すから」

「ったく……やりたか無いが仕方ねぇか……洋子、お前に体をやろうか?」


「体?」

「ああ、愛美さんの体で愛されたとしても、愛されているのは愛美さんであってお前じゃ無い。違うか?」

「……本当に体をくれるの?」


 洋子が興味を示したのを見て、真咲は唾を飲み込み頷いた。

 憑き物落とし、悪魔祓い、僧侶や神父が行う邪霊を祓う業を真咲は行う事が出来ないし、やり方も知らない。

 洋子を愛美の体から出すには、彼女に自分の意思で出て来てもらう他無かった。


「真咲さん、体をやるって一体どうするんです? 邪法的な物は余り関心しませんよ? ここは私がこの十字架で……」


 ラルフはそう言うと懐から銀のロザリオを持ち出し、愛美に憑りついている洋子に向かって翳した。


「……十字架がなんだって言うの?」


 十字架を翳された洋子は小首をかしげラルフに尋ねる。


「んなもん効かねぇよ、宗派が違うんだから」

「クッ、やはり日本は好きになれません……はぁ、真咲さん、本当にこの霊に体を与えるんですか?」


 ため息を吐いたラルフに真咲は苦笑しながら答える。


「しょうがねぇだろ。俺は霊を祓ったり出来ねぇし、基本、俺、女の子の味方だし」

「はぁ……何度も言っていますが、そんな風に誰にでも優しくしていると、いつか痛い目を見ますよ」

「へへッ、俺はその痛い目込みで生きてんだよ……洋子、庭の土を少しもらうぜ」

「土?」

「ああ、これからお前の体を作ってやる」


 そう言うと真咲は洋子に向かってニヤリと笑った。



 ■◇■◇■◇■



 真咲達は洋子から取り戻した愛美と共にタクシーで彼女のマンションへと向かっていた。

 愛美は憑りつかれた間の事は覚えておらず、自分が遠藤の家にいると知ると酷く怯えた。

 そんな愛美を宥め、タクシーを呼んで真咲達は遠藤の家を後にしたのだ。


「はぁ……本当に何で私……」

「気持ちが不安定だと、無意識におかしな事をするもんですよ」

「そうかなぁ……」

「そうですよ」


 後部座席で愛美に笑い掛けながら真咲は彼女を気遣った。


「もう遠藤が愛美さんに付きまとう事は無いでしょうし、これからは安心して過ごせる筈です」

「……本当?」

「ええ、なんせ遠藤には新しい恋人が出来ましたから……彼女は遠藤が浮気をしようもんなら、キレて何するか分かりません。ストーカーなんてする暇はありませんよ」


「……はぁ……人って怖いわね」

「愛美さん、人が怖いんじゃありません。人の中に怖い奴がいるってだけですよ……だから出会う事を止めたりしないで下さい」


 真咲が笑顔を引っ込め突然、真剣な口調で言ったので、愛美は顔を上げ彼の顔を少し驚いた様子で眺めた。


「……君、そんな真面目な事も言うんだね」

「愛美さん……俺はいつも真面目に生きてますよ」

「ごめんごめん、なんかいつも軽い感じだから、ちょっとビックリしちゃった」

「フフッ、確かに真咲さんはまともな事を言っていても、どこか軽薄ですからね」


 二人の会話を助手席で聞いていたラルフが口を挿む。


「うるせぇよ、少しぐらい軽薄な方が、女の子も接しやすいってもんだぜ」

「それは言えるかも」

「ですよねー、愛美さん」


「愛美さん、真咲さんを甘やかせないで下さい。彼のそういった行動で多くの女性が勘違いをしているのですから」

「ふーん、そうなんだ……悪い子だね、真咲君」

「いや、俺はただ、色んな女の子と仲良くしたいだけで……」


 そう答えた真咲を振り返ったラルフの目がジトッと見据える。

 見据えられた真咲が露骨に顔を顰めるのを見て、愛美はクスクスと楽しそうに笑った。



 ■◇■◇■◇■



 その日の夜、会社を出た遠藤はスキップしそうな勢いで自宅への道を急いだ。

 なにせずっと想いを寄せていたクレアが家で待っているのだ。

 足取りも軽くなるというものだ。


「ただいま!! 今帰ったよ!!」


 鍵を開けるのももどかしく、勢いよく玄関の扉を引き開けた遠藤を見知らぬ女が出迎えた。

 女は玄関の廊下に正座し三つ指をついて遠藤を迎えた。


 ゆっくりと顔を上げ、遠藤を見上げると青白い顔で微笑みを浮かべる。


「おかえりなさい、あなた……お風呂にする? ご飯にする? それとも……」

「だっ、誰だお前は!? 愛美は何処だ!?」

「何言ってるの? 私は洋子。あなたの妻じゃないですか」


 そういって笑った洋子の顔の一部が欠けて床に落ちる。


「あら、大変」


 欠片を拾い上げた洋子の顔に遠藤が思わず目をやると、額の一部がひび割れ、そこから赤黒い土が覗いていた。


「ばっ、化け物!?」


 後退り玄関の段差で尻もちをついた遠藤に、洋子はふらりと立ち上がり近づいた。


「化け物なんて酷いわ……そうそう、この体の維持には精気が必要なんだったわ……ねぇ、お風呂とご飯は後にして、まずは私を味わっていただけないかしら? ……そうすれば、私はもっと綺麗になってあなたを満足させられるわ」

「やっ、止めろ! 何をする!? 放せ!! クレア!! いるんだろうクレア!? たっ、助けてくれ!! 警察を!!」


「愛美でもクレアでもなく洋子よ……今後、それ以外の名前は呼ばせ無いわ」


 遠藤は洋子にズルズルと引きずられて暗い家の中に姿を消した。


 その後、遠藤は周辺の住民から少し不気味だが美人な奥さんの尻に敷かれた、気弱な旦那さんとして認識される事になるのだが、それはまた別の話だ。

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