赤いワンピースの女

 金髪の男が部屋を去った事を確認してから、それは想い人が執着している女の下へその身を漂わせた。

 女はそれの想い人との繋がりを断てた事が嬉しいのか、画面を通して見た時よりも明るい顔で風呂に入っていた。

 鼻歌を歌うその女、想い人がクレアと呼ぶ存在を見て、それは苛立ちを募らせた。


 どんなに自分が呼びかけてもあの人は気付いてくれない。

 いつだってあの人の後ろで、振り返り愛していると言われるのを待っているというのに……。


 憎かった。生きているだけで彼の愛を一心にうけるクレアが。


 ……そうだ。この女を殺してもあの人はどうせ私を見てくれない。

 なら、私がクレアになれば、全ての問題が解決するではないか……。


 そう考えたそれは、風呂から上がり茶色のセミロングの髪を乾かしていた愛美あいみの後ろに立った。

 愛美とそれは鏡越しに視線を交わす。


「えっ!?」


 愛美は鏡に映り込んだ、赤いワンピースを着た長い髪で青白い顔の女の姿に思わずそう声を上げた。

 見間違いだろうと振り返り洗面所を見渡す。

 当然、そこには女の姿は無く、あるのはドラム式の洗濯機だけ……。


 ストーカーの所為で疲れていたから……。


「!?」


 そう結論付け再度、髪を乾かす為、鏡に向き直った愛美は声にならない悲鳴を上げた。

 先程の青白い女の顔が愛美に重なる様に鏡には映し出されていた。


 その女がニタリと笑い愛美の中に吸い込まれる様に消えたと同時に、彼女の意識は暗い闇へと落ちて行った。



 ■◇■◇■◇■



 翌日、威嚇要員としてブラウンのスーツを着たラルフを伴い、愛美のストーカー、遠藤孝一えんどうこういちの会社を訪ねた真咲はロビーに現れた遠藤を見て違和感を覚えた。

 彼には訪問の理由は愛美、遠藤の言う所のクレアの件で話があると伝えていた。

 これまで真咲が対峙したストーカーは、家庭や会社での立ち位置を気にして何処か怯えた様子を見せていた。


 だが遠藤はそんな様子を一切見せる事無く、妙に明るい顔で真咲達が座っていたロビーの椅子の正面に腰かけた。


「お待たせしました。それで、クレア……愛美の事でお話があるという事でしたが?」

「ああ、あんたがしている事は分かってる。盗聴に盗撮、これはれっきとした犯罪だ。これ以上、大事おおごとにしたくないなら手を引くんだな」

「手を引く? おかしな事を仰る、愛美は僕の婚約者ですよ」


「婚約者? それはあんたの思い込み、妄想の話だろ」

「そうですね。これ以上、愛美さんに付きまとうなら、組織としても腰を上げざるを得ません」


 ラルフの立ち位置は愛美の働く店の持ち主、海外マフィアという設定だ。

 真咲は最初、田所組のヤクザ、小島慎一郎に頼んだのだが、そんな三文芝居には付き合えないと断られてしまった。

 仕方なく居候のラルフに応援を頼んだという訳だ。


「そっ、組織!?」

「ええ、ウチの店のキャストに変なちょっかい掛けられては困るんですよ。クレアさんは店でも稼ぎ頭ですから」


 ラルフの言う組織が何なのか気付いた遠藤は、顔を青ざめさせた。

 しかし、それでも折れる事無く言葉を返す。


「愛美にはもう店を辞めさせる。これは僕が言った事じゃなく、彼女の提案だ……君達こそ手を引かないなら考えがあるぞ」

「……愛美さんの提案? 変なハッタリは止めろ」

「嘘だと思うなら確認してみればいいじゃないか?」

「……真咲さん、聞いてた話と違いますけど?」


 困惑した様子でラルフが真咲に耳打ちする。

 ただ、そんな事を聞かれても真咲にも何が何だか分からなかった。


 昨日は愛美のスマホからスパイアプリを消した後、明日、遠藤の会社に向かう事を告げ部屋を辞した。

 その時の彼女は、一流企業に勤めているなら、体裁を考え身を引く筈だと言った真咲の言葉にとても喜んでいた。

 それが何故……。


 真咲は戸惑いつつも愛美に連絡を取る為、スマホを取り出した。

 コール音の後、すぐに電話がつながる。


「愛美さん、木村です。少し聞きたい事があるんですが、今、大丈夫ですか?」

「木村さん……何でしょうか?」


 その声は愛美の物だったが、昨日話した時とは別人の様に冷たい物だった。


「今、昨日お話したように、遠藤と会ってるんですが……」

「あの人と? それで?」

「遠藤はあなたの事を婚約者だと言っています。それにあなたが店を辞めると言ったと……本当ですか?」


「ええ、本当よ……私、気付いたの。四六時中、私を見てくれる……それこそが本当の愛だって」

「そんな!? 昨日はあんなに怯えてたじゃないですか!?」


「そうだったかもしれないわね……でも今は平気。いいえ、平気どころか彼の愛に満たされてとても幸せなの…………聞きたい事はそれだけかしら? じゃあ、さようなら」


 通話が切れたスマホを真咲は茫然と握りしめていた。


「んな馬鹿な……」

「お分かりいただけたかな? では仕事があるので、これで失礼するよ」


 遠藤は余裕に満ちた笑みを浮かべ席を立つと、エレベーターへと歩き去った。


「……どうするんです?」

「愛美さんの所へ行こう……ラルフ、悪いが付き合ってくれ」

「はぁ……だから安請け合いして大丈夫なのかと聞いたんです」


 ため息を吐きながらも、ラルフは立ち上がり真咲に手を差し出した。


「貴方には借りがあります。その借りを返すには丁度いいでしょう」

「そうか……恩に着るぜ」


 差し出された手を握り真咲は立ち上がるとラルフと二人、遠藤の会社を後にし愛美の住むマンションへ足を向けた。



 ■◇■◇■◇■



 結論としてマンションに愛美はいなかった。

 真咲の能力の一つである霧に身を変え、部屋に入ったのだがそこに愛美の姿は無かった。

 招き入れたラルフと共に一通り部屋の中を調べた真咲は口元を歪め呟く。


「クソッ……遠藤の家か……」

「あの男の家はどこか分かっているのですか?」

「いや、まだそこまで調べちゃあ……待てよ」


 真咲はスマホを取り出すと拓海にメッセージを送る。

 程なく拓海から返信が届いた。


“昨日は消して、今日は入れるのか? 真咲、一体どうなってるんだ?”

“昨日話した美女が消えた。電話で話したが様子がおかしかった……スマホの位置情報から場所が知れると思ってな……”

“位置が分かればいいんだな? 少し待て”


“ここだ……”


 拓海からの返信には座標らしき数字が記載されていた。


“サンキュー!! 拓海!! 今度、なんか奢るぜ!!”

“奢り? じゃあギフト券で頼むよ”

“つれない奴だぜ( ;∀;)”

“www”


 苦笑しながらやり取りを終え、送られた座標を地図アプリに打ち込むと画面に場所が表示される。

 それによると、恐らく遠藤の家と思われる家は郊外の一軒家の様だ。


「場所が割れた。行こうぜ」

「分かりました……しかし、この部屋を見る限り、あまり魅力的な女性とは思えませんね」


 ラルフはそう言うとゴミ袋だらけの部屋を見て肩を竦めた。


「ストーカーに怯えてゴミが捨てられなかったんだよ」

「それは失敬……しかし、それほど怯えた女性が家を出てストーカーの所に? 普通では無い事が起こっていそうですね」

「だな……嫌な予感がする。急ごう」


 二人は愛美の部屋を出ると、一路、地図に示された場所へ向かい足を速めた。



 ■◇■◇■◇■



 その郊外の一軒家は周囲の住宅とは明らかに違い、暗く淀んだ何かに覆われていた。

 時間的にはまだ昼を少し過ぎたぐらいだというのに、真咲にはその家はまるで真夜中の様に感じられた。


「……これと似た雰囲気を故郷でも感じた事があります」

「へぇ、ちなみにそこは何だったんだよ?」

「わかっているでしょう? ガイストハウス、幽霊屋敷ですよ」


「それで、その時はどうしたんだ?」

「どうした? どうもしませんよ。わざわざそんな厄介事に関わる必要は無いですから。横目で見て通り過ぎただけです」

「……あっそ、参考になったよぉ」


 ラルフの答えに引きつった笑みを浮かべると、真咲はその見た目だけは何処にでもある戸建て住宅の塀に設置されたインターホンを押した。

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