二人のストーカー

 事務所を出た真咲まさきは電車で愛美あいみのマンションへと向かった。

 最寄り駅である駅から二つ目で降り、彼女が住んでいるタワーマンションへ向かう。

 入り口で聞いていた部屋番号を押しインターホンを鳴らす。


『……誰?』

香織かおりさんから頼まれた新城町便利本舗の木村きむらっス」

『ああ、香織さんが言ってた……上って来て』


 愛美の声は疲れ切って張りが無く、その声だけで参っている事が窺えた。

 入り口が開き、真咲はホール奥のエレベーターで十五階を押して彼女の部屋へと向かった。

 エレベーターを降り、彼女の部屋である1505室のインターホンを再度鳴らす。


『木村さん?』

「はい、木村っス」


 カチャリと鍵が回る音がして、程なく黒いドアが開けられる。


「あなたが木村さん?」

「はい、木村真咲っス」


 答えながら真咲は愛美に名刺を取り出した。


「新城町便利本舗……エレベーターに乗ったのは君一人? 痩せた眼鏡の男とか見なかった?」


 名刺を受け取った愛美だろう茶髪の女性は、内容を確認するとドアの影から顔を出しキョロキョロと廊下に誰もいない事を確認する。


 化粧はしておらず、ブラウンのモコモコしたルームウェアを着た愛美は、キャバ嬢というよりは大学生といった印象だった。

 ただすっぴんでも恐らく顔に憔悴が無ければ、そのままでも十人中八人は振り返るだろう、目の大きな可愛らしい顔立ちの女性だ。


「一人っス、エレベーターに乗ったのは俺一人だし、ホールにも俺以外、人はいませんでした」

「……早く入って」


 愛美に促され真咲はいそいそと彼女の部屋にお邪魔した。


 部屋の中にはゴミ袋が溢れ、ゴミ箱にはデリバリーで頼んだのだろうピザの箱や寿司の容器等、出前の残骸が覗いていた。


「御免ね、散らかってて……怖くて外に出れなくてさぁ……リビングはまだマシだから、そこで話しましょう」

「気にしないで下さい。ストーカー被害に遭ってるって依頼人は初めてじゃないんで」

「そう……期待していいのかしら?」

「任せて下さい」


 話しながらゴミ袋の間を通り、愛美の後に続きリビングに向かう。

 部屋は3LDKでかなりリッチな作りだった。

 景気が悪いとはいっても、やはり人気のキャバ嬢ともなると金回りはいいらしい。


 その広いリビングに置かれたソファーに腰かけ、真咲は愛美に少し待つ様に言われる。


「コーヒーでいい?」

「うっす、ありがとうございます」


 愛美は手際よくバリスタにカプセルをセットし、コーヒーを淹れると真咲に声を掛ける。


「砂糖とミルクは?」

「ブラックで」

「オッケー」


 白いマグカップを二つ持ち、一つを真咲の前に置いた愛美はフワリと真咲の正面に腰かけた。


「頂きます」

「……若いね? いくつ?」

「……二十三です」


「へぇ……それで便利屋やってるんだ……変わってるね」

「まぁ、色々ありまして……それで、早速なんですけど……ずっと見られてるって香織さんからは聞いたんスけど?」


「……不安でさぁ、ずっとSNSで仲良しの子と話してたの……そしたらメールで部屋ではスッピンなんだねとか、その部屋着可愛いねとか送られてきて……業者はカメラは無いって言ってたけど、見てるとしか思えない」


 愛美は取り乱す様な事無く口調は冷静だったが、その声は震えを帯び瞳は少し潤んでいた。


「そういうメールはいつ来るんですか?」

「いつ……そういえば、私がスマホを弄ってる時に限って送られて来たわ……狙いすましてるみたいに……」

「スマホ……愛美さん、パソコンは?」


「持ってない……だってスマホがあれば大体の事は出来るし……」

「あの、そのスマホのアドレス、教えてもらっていいスか?」

「アドレス? いいけど……」


 愛美は真咲と連絡先を交換した。

 その後、真咲はスマホを操作し何やらメッセージを送信した。

 程なく愛美のスマホに一通のメールの届く。


 その着信音を聞いた愛美はあからさまに表情を引きつらせた。


「メールを開いて貰っていいスか。多分それ、俺の知り合いからの奴なんで」

「……分かった……これは……なにこれ? アプリをインストール?」

「知り合いでIT系が強い奴にウイルス除去アプリのアドレスを送ってもらいました。インストールして立ち上げてみて下さい」


「ウイルス? でも変なアプリは入れてないよ?」

「愛美さん、業者にスマホも見てもらいました?」

「見せてないよ。だって色々お客さんの情報とか見られたくない物もあるし……」


 それを聞いた真咲は優しく笑みを浮かべた。


「ですよね……多分、そのスマホ、スパイアプリが入ってると思います……さっき言ってた眼鏡の男から送られて来たメールに添付されてたんじゃないかな?」

「スパイアプリ……じゃあこのスマホのカメラで?」

「多分……今も見てるかも」

「嫌!?」


 真咲の言葉で愛美は手にしていたスマホをテーブルに投げだした。


「愛美さん、アプリを実行して下さい。それで覗き見は出来なくなる筈です」

「ホント!?」

「ええ」


 頷いた真咲を見て、愛美は恐る恐るスマホを手に取ると、カメラに自分が映らない様に持ちながらアプリをインストールし、画面に表示されたアイコンをタップした。


 アプリが立ち上がるとスキャンというボタンが表示される。

 愛美の細い指がそのボタンに触れると、バーが伸び、やがて検出されたアプリを消去するか尋ねて来た。


「やだ……ホントに変なアプリが入ってたの? 信じられない……」


 真咲が向かいから画面を見ると、カメラの他、GPS情報、マイクで拾った音をWi-Fiを通じて送信するタイプのスパイアプリが表示されていた。


「消して下さい……後は覚えのないアドレスからのメールは開かない。それと定期的に除去アプリを実行すれば、スマホから向こうに情報が流れる事は無い筈です」

「ホントに?」

「ええ、ホントに」


 微笑んだ真咲の顔を見た愛美は、“はい”とスマホに表示されたボタンをタップ、作業の進捗を示すプログレスバーが表示され、端までそれが動きスパイアプリの除去が完了した事が画面に表示された。


「うん、これでこのスマホで覗き見される事はもう無いでしょう」

「ホントにホント?」

「ホントにホントです」


「うぅ……良かったよぉ……ずっと怖くて……ホントはカメラや盗聴器じゃなくて、この部屋の何処かに隠れてるんじゃとか……そんな事が頭の中をグルグルして……」


 愛美はモコモコの部屋着の裾で溢れた涙を拭いながらほんの少し笑顔を見せた。


「あとはそれを送って来た奴と話を付けるだけっスね」

「それもやってくれるの?」

「当然ッス。相手の情報とか分かりますか?」


「うん。名刺もらったから……名前は遠藤孝一えんどうこういち、一流企業に勤めてるサラリーマンだよ」

「その名刺、借りていいですか?」

「取ってくる……」


 愛美が別室に名刺を取りに言ったのを見て、真咲は先程メールを送った相手に電話を掛けた。

 二度、コール音が鳴り、目的の相手が電話に出る。


『ちょっ、直接、でっ、電話をするなって、いっ、言ってるだろ!?』

「そう言うなよ。拓海たくみのおかげで女性が一人救われたんだ。直接、礼ぐらい言わせろよ……あんがとな、助かったぜ」

『……そっ、そうか……やっ、役に、たっ、立てて、よかったよ……』

「お前が助けた人、美人だぜ。店に復帰したら一緒に行くか?」

『ぼっ、僕は、三次元に興味は、なっ、無い!! もっ、もう、きっ、切るよ!!』


「駄目か……」


 真咲が通話の切れたスマホを見て苦笑を浮かべていると、名刺を持って愛美がリビングに戻って来た。


「誰かと話してたの?」

「さっきのITに強いって知り合いです」

「その人にも直接お礼が言いたいわ。店に来てくれたらサービスするって言っといて」


「……あの、不躾なお願いなんスけど……この件が解決して落ち着いたらでいいんで……愛美さんからメールして貰えませんか? ……実はそいつ、拓海っていうんですけど、引きこもりで……一緒に写真を付けて送れば出て来るかもなんて……」

「……引きこもり?」


 愛美は小首をかしげ真咲に視線を送った。


「ええ、もう三年ぐらい部屋に閉じこもって、パソコンしかしてない様な奴なんスけど……いい奴なんですよ。ストーカーとかにはならないって俺が保証します」

「……分かった、復帰したら連絡してみる」

「あざッす!!」


 微笑んだ愛美の顔を見て、真咲は勢いよく頭を下げた。



 ■◇■◇■◇■



 その頃、真っ黒になったウィンドウを見て、遠藤孝一は新たなアドレスからメールを次々に送信していた。


「クソッ、何が便利屋だ! 余計な事をしやがって! 俺とクレアちゃんは赤い糸で結ばれてるんだ!!」

「ねぇ……そんな女の事なんか忘れて、私を見てよ……」


 くせ毛で痩せた眼鏡の男の後ろで長い黒髪の女が彼に語り掛ける。

 だが男はそれに気付いた様子もなく、一心不乱にキーボードを叩きメールの他、SNSからも送信を続けていた。


「どうして……あんな商売女より、私の方があなたを愛しているのに……あなたの優しさを分かっているのは私だけなのに……」

「これも駄目か! 便利屋め、クレアちゃんに余計な事を教えやがって!!」

「……クレア、クレア、クレア……あの女の名前は呼ぶのに、私の名前は呼んでくれない…………分かったわ、あの女が消えればあなたも私を……」


 その長い黒髪の女は、そう呟くと男の部屋から薄れる様にして消えた。

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