猫と犬

新たな年の始まりに

 年の変わるその日、真咲まさきは自宅兼事務所の雑居ビルの二階で怠惰な時間を過ごしていた。

 出演者が笑ってはいけない番組で思う存分笑い、その後もビールを飲みながら若手芸人の新しい笑いを楽しむ。

 以前は格闘技を見る事が多かったが、ここ数年は毎年このパターンで過ごしていた。


 そのまま、日の出の時刻を迎えそろそろ寝るかと真咲がテレビの電源を切ったのと同時に、インターホンが連打されドアがドンドンと叩かれる。

 ごく最近、似たような事があったなぁと思いつつ、日焼け止めを塗りサングラスを掛けて事務所の入り口に向かう。

 ドアを開けると、そこには予想通りダッフルコートを着た梨珠りじゅが立っていた。


「明けましておめでとうございます!!」

「……ああ、おめでとさん……んで、正月早々何の用だ?」

「初詣行かない?」


「初詣? 俺ぁこれから寝る所なんだが?」

「ええぇ!? 神様に新年の挨拶をするのは大事な事だよ!!」

「はぁ……俺は神様とは折り合いが悪ぃんだよぉ」


 そう言って頭を掻いた真咲に大人の女性の声が掛けられる。


「君が真咲君? 梨珠がお世話になったそうで……」


 ドアの影から緩くウェーブのかかった栗色の髪の美女が顔を見せた。

 白いセーターにジーンズ、足元は黒のヒールでアウターに淡いブルーのロングコートを纏っている。

 着込んだ上からもスタイルの良さが窺える、スラリとした長身の美人だった。

 その美人の少し垂れた目が興味深そうに真咲を見ている。


「あっ、梨珠のお母さん……確か香織かおりさんでしたっけ?」

「ええ、梨珠の母の美山香織です。娘がご迷惑をお掛けしたみたいで……それでそのお礼というかお詫びで、初詣の後、お食事でもどうかと思って……」


「はい! 喜んで行かせて頂きます!」

「何でママの言う事は素直に聞くのよ!?」


「それはな梨珠。男は美女の言葉には従うしか無いように出来ているからだ」

「私も美女だって言ったじゃない!?」


 ぷぅと頬を膨らませた梨珠に真咲は苦笑を浮かべる。


「お前さんは未来の美女だ。今はまだ蕾ってとこだぜ」

「むぅ……とにかく行くんなら、早く着替えてきてよね!!」

「はいはい。香織さん、少々お待ちを」


 香織に向けて爽やかに笑った真咲に梨珠は益々頬っぺたを膨らませた。

 その様子に香織は安心したのか、柔らかい微笑みを返した。


 恐らく真咲の事を梨珠から聞いて香織は心配になったのだろう。

 この初詣の申し出も真咲がどんな男か確認しに来たのでは無いだろうか。

 そして、先ほどの笑みを見る限り、どうやらお眼鏡には適ったようだ。


 そんな事を考えながらドアから顔を引っ込めると、手早く身支度を整え再度ドアを開ける。

 今日はクリーニングから戻って来たお気に入りの白のダウンジャケットに黒のタートルネックセーター、下は細身の革のパンツにエンジニアブーツという出で立ちだ。


「お待たせしました。では行きましょうか?」

「フフッ、何だか面白い人ね、梨珠?」

「私は面白くない!」

「へへッ、母ちゃんに妬いてのか?」

「なっ、なんで私がやきもち焼かないといけないのよ!?」


 ムッとした様子の梨珠の頭をポンポンと撫でると、真咲は二人の美女と共に初詣へと出かけた。

 その道中、ワイワイとじゃれ合う真咲と梨珠を見て、香織は眩しそうに目を細めていた。

 真咲は二人と何気ない風に歩きながらも、梨珠と香織をさりげなく気遣ってくれていた。

 彼女はその事を職業柄、感じ取っていたのだ。


「私と違って男を見る目はあるみたいね」


 香織の囁きは雑踏の中に消え、前を歩く二人には届かなかった。



 ■◇■◇■◇■



 初詣は例年よりは人がかなり少なったが、それでもそれなりに参拝客はいた。

 真咲的には人込みの中、押し合い圧し合いしながらお参りしなくて良かったと、少し不謹慎な事を考えながら賽銭箱に五円玉を放り込む。


 どうか大口の依頼が舞い込みますように、あとあと、いい女と今年も出会えますように……。


 神様とは折り合いが悪いと言いながら、そんな勝手なお願いをした真咲は梨珠たちと共に神社を後にした。

 食事に向かう道中、梨珠が真咲を見上げ口を開く。


「何をお願いしたの?」

「うん? 景気が良くなって商売が上手く行きますようにってのと、後は今年も二人みたいな、いい女に会えますようにだな」

「いい女……そうなんだ……」


 梨珠はいい女と言われて頬を赤らめ視線を逸らせた。


「何だ、照れてんのか?」

「てっ、照れてないわよ!」

「フフッ、梨珠は素直じゃないから……それにしても、こう景気が悪いとあの病気の事もあって私達も商売上がったりよ」

「あっ、香織さんとこもやっぱそうですか? うちも依頼が減っちゃって……」


 お参りを終えた真咲と梨珠、それに香織がそんな話をしながら街を歩いていると可愛らしい女性の声が真咲を呼び止めた。


「あっ、真咲ッ! あけおめ、ことよろ! ……それにしても珍しいにゃあ、昼間に出歩てるにゃんて……」

「あけおめ。今年もよろしな珠緒たまお。にしても久しぶりだな。元気だったか?」

「元気だにゃ! ……真咲も初詣?」


 黒髪のショートカットで猫目の女性、珠緒はその少し吊り上がった目を糸の様に細め小首をかしげた。


「ああ、この子、梨珠とその母親の香織さんに誘われてな。梨珠、香織さん、俺のダチの珠緒です」

「珠緒だにゃん。よろしくだにゃ」


 暖かそうな黒の毛皮のコート、丈の短いピンクのワンピース、足元は膝上まであるブーツを履いた珠緒は招き猫の様に右手の拳を顔の横において目を細め笑った。


「あっ、美山梨珠です。よろしくです」

「美山香織です。真咲君には娘がお世話になったみたいで……」

「にゃ……相変わらず人助けやってるんだにゃ……そうだ真咲、ちょっと相談があるにゃ、あとで事務所によってもいいかにゃ?」


「相談? ……勿論だ……これから二人と朝飯に行くんだ、その後なら」

「分かったにゃ。それじゃ後でにゃあ。梨珠ちゃん、香織さん、バイバイだにゃあ」

「おう」

「あっ、さよならです!」

「ええ、またね」


 真咲達の返事を聞いた珠緒は笑みを浮かべた顔の横で小さく手を振って、人並みの中へ消えた。


「なんだか喋り方だけじゃなくて、仕草も猫みたいな人だったね」

「ずっと直せって言ってるんだがなぁ……」

「……でも可愛かったわね……店でやってみようかしら」

「止めてよママ、想像しちゃったじゃない」


 梨珠の言葉で真咲も香織が「にゃあ」といいながら自分にしなだれかかる所を想像してしまった。


 ……ありかもしれない。


 にへらと笑った真咲の脛に激痛が走る。


「痛って!? いきなり何すんだ!?」

「考えたでしょう? 最低……」

「おっ、男なら誰だって考えるだろう!?」


「へぇ、そうなんだ? ……で、どうかな真咲君、いけると思う?」

「勿論ですよ! 香織さんならどんな男もいちころっスよ!」

「ママ、真咲の言う事、真に受けないでよ! 私、ママがにゃとか言ってるとかなんか嫌だよ」

「そう? 可愛くにゃい?」


 そう言って頬の横で両手を丸めた母親を見て、梨珠は引きつった笑みを浮かべた。



 ■◇■◇■◇■



 その後、朝食をご馳走になった真咲が二人と別れ事務所に戻ると、ドアの前で珠緒がしゃがみ込み彼を待っていた。


「すまねぇ、待たせちまったみたいだな。事の他、話がはずんじまってよぉ」

「気にしてないにゃ……真咲は相変わらずああいうタイプが好きなんだにゃあ」

「ああいうタイプって、どういうタイプだよ?」

「梨珠ちゃんだにゃ、気が強そうな所はあの子に似てたにゃ」

「……かもな」


 話しながら鍵を開け珠緒を事務所に迎え入れる。


「えっと……コーヒーは駄目だったな?」

「お気遣いにゃく。飲み物は自分で用意してるにゃあ」


 そう言うとソファーに座った珠緒は鞄からワンカップを取り出し、パコっと蓋を開けグイッと男前に飲んだ。


「珠緒も相変わらずだなぁ……んで、相談ってのは何だ?」


 真咲は苦笑しつつコーヒーを淹れて、カップを手に向かいのソファーに座る。


「実は私らの縄張りに、海外の犬がうろついてるみたいなんだにゃあ」

「海外の……誰か襲われたのか?」


「にゃ。渡航制限で日本から出られにゃくなったみたいなのにゃ。我慢できなくなって人を襲おうとしたのを、うちの若い雄が割って入って……その人は助かったんだけど、うちの子は噛まれてちょっと困った事になってるにゃ」


「もしかして獣化してんのか?」

「だにゃあ……治療はしたけど、治まらにゃくて……このままじゃ、たぶんうちの子も人を……」

「はぁ……年明け早々、忙しないぜ」


 真咲は苦笑を浮かべるとコーヒーを飲み干し、ソファーから腰を上げた。

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