助けた命の面倒は

「じゃあ、さっそく行くか?」


 ソファーから腰を上げた真咲まさきがそう言うと、珠緒たまおはワンカップをグイッと飲み干し頷きを返した。


「ありがとうにゃあ……真咲には昔から世話になりっぱなしだにゃあ……」

「助けた命の面倒は最後まで見るもんだぜ」

「……そういえば昔、そんな事言ってたにゃあ……懐かしいにゃあ……」


 珠緒は立ち上がって真咲の腕に抱き着くとゴロゴロと喉を鳴らし、頭を腕に擦り付けた。


「だから猫みたいな仕草は止めろよ……正体がバレるだろ?」


 そう言いつつ、真咲は珠緒の頭を撫で喉をくすぐった。


「いいんだにゃあ……どうせ真咲にはバレてるんだし、ここには誰もいないんだにゃあ……久しぶりだにゃあ……もっと撫でで欲しいにゃあ」


 珠緒はそう言うと喉を鳴らし上目遣いで真咲を見た。


「しょうがねぇなぁ……いつまで経っても甘えん坊な奴だぜ」


 心地よさそうに目を細める珠緒に苦笑しつつ、真咲は腕に抱き着いた彼女の頭をひとしきり撫で、その後、満足した彼女の案内で噛まれたという珠緒の仲間の所へ向かった。



 ■◇■◇■◇■



 案内されたのは古い神社だった。

 周囲には人除けがされているのか人間の姿は無く、境内には無数の猫が集まり神社の社を不安げに見つめていた。


『姐さん、お帰りなさい……その人間……いや臭いが違いますね……誰です、その男は?』

「この人はいつも話してる真咲だにゃ」


『その人が姐さんの元飼い主の……失礼しました。俺は姐さんの下でこのシマを仕切ってるシロってケチな野郎です。以後お見知りおきを』


「シロだな。俺は木村真咲きむらまさきだ。よろしくな……しかし珠緒、なんで任侠風なんだよ?」

「あれはシロの趣味だにゃあ、それよりアレクを診てやって欲しいにゃあ」

「分かった」


 珠緒に導かれるままに真咲は社へと足を踏み入れた。

 そこには人と獣の中間といった風情の若い男が全身を縛られ床に寝かされていた。

 男は真咲達を見ると牙を剥き涎を垂らしながら唸り声を上げた。


「……こいつは化け猫か……見た所、人狼化の途中って感じだな」

「やっぱり人狼だったのにゃ……最初、大型の犬っぽい何かに襲われたって言ってたから、怪我の治療だけしたんだにゃあ……そしたら段々様子がおかしくにゃって……」


「完全に人狼化する前で良かったぜ……とにかく治療してみよう……っても吸血鬼にするだけだけどな」

「お願い真咲、アレクを助けてだにゃあ……」


 不安げに真咲を見上げた珠緒の瞳が、大昔のそれと被る。

 随分と時間が過ぎたもんだ……。

 真咲は懐かしさを振り払うと、珠緒の頭を軽く撫で、唸り声を上げるアレクに歩み寄った。


「落ち着け、治してやるからよぉ」

「グルルルル……シャアアアア!!」


 犬と猫が混じった様な奇妙な唸り声を上げて、アレクは真咲を威嚇した。

 縛られている為、身動きは取れない様だが涎を引いた牙がガチガチと打ち鳴らされ、狂暴化が進んでいる事が窺えた。

 真咲はその打ち鳴らされる顎を素早く右手で掴むと、サングラスをずらし充血し見開かれた目を覗き込む。


「ウゥウウウウ……」


 瞳を覗き込まれたアレクは徐々に唸り声を潜め、やがて目を瞑り寝息を立て始めた。


「ふぅ……効いて助かった……はぁ……男で獣かよ……まっ、しゃあねぇか」


 覚悟を決めてその毛に覆われた首元に牙を立て血を啜る。


「ぷはっ! ……化け猫の血なんざぁ生まれて初めてだぜ」

「どうかにゃ? 助かりそうかにゃ?」

「ふぅ……暫く寝かせて獣化が解けたら日光に当てろ。多分、大丈夫な筈だ」

「ホントにゃ!? ありがとう真咲!!」


 口にこびりついた毛を吐き出していた真咲に飛び付き、珠緒は頭を擦り付けながら喉を鳴らした。


「それより問題は人狼のほうだぜ。そいつをどうにかしねぇと……」

「アレクが襲われてから探してるけど、まだ見つけられてにゃいんだにゃあ……きっとどこかに隠れてるんだにゃ」

「人狼は多分に月の影響を受ける……今夜は満月に近い、辛抱堪らず出て来る筈だぜ」

「どうするんだにゃあ?」

「取り敢えず夜まで寝る!」


 そう言うと真咲は眠らせたアレクの横に大の字になると、スース―と寝息を立て始めた。


「にゃあ……変わってないんだにゃあ……」


 珠緒は眠った愛おし気に見つめると、社の扉を開け集まった猫達に声を掛ける。


「あと二時間したらアレクを運び出して日の光を浴びせるのにゃ!」

『姐さん、それでアレクの奴は助かるんですかい?』

「真咲が大丈夫って言うんだから、きっと助かるにゃ!」

『前から気になってたんですが……姐さんは真咲さんの事を……』


「……どんなに人に上手く化けれても私は猫だから……だからこのくらいの距離がいいのにゃ……ずっと一緒にいたら我慢出来なくにゃっちゃうから……」


 にゃははと笑った珠緒を見て、シロは何とも言えない表情で彼女を見上げた。



 ■◇■◇■◇■



 真咲が目を覚ますと、彼のお腹の上で黒い猫が気持ちよさそうに寝息を立てていた。

 その無防備な寝顔を見て笑みを浮かべると、丸まった背中を優しく撫でてやる。


 珠緒をタマと呼んでいたのはいつだったか……。

 あの頃、珠緒はまだ普通の黒猫で、甘えん坊の彼女に良く魚の切れ端をやっていた。

 それがいつの頃かフラリといなくなって、再会した時には猫又に成っていた。

 まぁ、猫又になっても珠緒は相変わらず甘えん坊だったが……。


『うみぁ……わふ……真咲があんまり気持ちよさそうに眠っているから、一緒に眠ってしまったのにゃ……』

「へへッ、相変わらず撫で心地のいい毛並みだな」

『当然にゃ、この界隈じゃ一番の毛並みだにゃ、その所為で盛りの時期は大変なんだにゃあ』


 得意げに言った珠緒を撫でながら、真咲はほっとした様に呟く。


「そうか……上手くやってるみたいで安心したよ」

『もう子猫じゃにゃいのにゃ』

「姐さんなんて呼ばれてるもんな、俺も珠緒さんとでも呼ぶかな?」


『真咲は珠緒で……何ならタマでもいいのにゃ!』

「そうか……んじゃ、そろそろ行くかタマ」

『にゃ!』


 真咲の腹の上から飛び降りると、珠緒は一瞬で人の姿に変化した。


「アレクの血から奴の臭いは追える……俺が奴を引き付けてここまで連れて来るから、タマたちは逃げられない様に周りを固めてくれ」

「了解にゃ!」


 真咲は珠緒に頷きを返し立ち上がると自身の指先を噛んだ。

 流れ出た血が彼の周囲を霧の様に覆い、その血の霧が晴れた時には、真咲は長い金髪の美しい女性に身を変じていた。


「……久しぶりに見たけど、やっぱり美人だにゃあ」

「まっ、造形はどうにでも出来るからな。ただ、こいつをやると男共に異常に注目されるからな……気が滅入るぜ」


 苦笑を浮かべた真咲は皮パンのベルトを締め直すと、エンジニアブーツの踵を鳴らし社の外へ歩みを進めた。

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