緑色の髪をなびかせて

 二丁目のカフェバー「エデン」は夜はバー、昼はカフェとして営業しているタイプの店だった。

 通りに面したその店では数人の客がコーヒーを片手に思い思いの時間を過ごしていた。


 ボサノバが流れる店内に入った真咲まさきにウェイトレスの女性が「いらっしゃいませ」とお辞儀をしながら出迎える。


「お一人様ですか?」

「ああ」

「お好きな席へどうぞ」


「なぁ、多田ただって奴に会いたいんだが?」

「多田さんでしたら、カウンターの端に座っているお客様ですが……」

「そうか、サンキューな」


 茶髪を後ろで一つに纏めたウェイトレスにサングラスを外して笑みを返し、真咲は多田の横に腰を下ろした。

 ウェイトレスは少し頬を赤らめ、カウンターのスツールに座る真咲を視線で追っていた。


「ブレンドを」

「畏まりました」


 カウンターの中にいたマスターだろう三十前後の男に注文を頼み、真咲は隣の男に目をやった。


「あんたが多田か?」


 マッシュヘアーの頬のこけた若い男は胡散臭げに真咲を見返した。


「……何で俺の名前を知ってる?」

「まぁいいじゃねぇか……俺は木村真咲きむらまさきだ……所であんた、いい物売ってるんだって?」

「客か……十錠で五万、ばら売りは無しだ」


「悪いが客じゃねぇ……ガキに売るのを止めて欲しい、それと田所たどころに筋は通せ」

「……お前、田所の所の奴か……」

「違うけど知り合いが困ってるみたいなんでな」


 笑みを浮かべた真咲に多田は忌々し気に舌打ちを返す。


「お待たせしました。ブレンドコーヒーです」

「あんがと……やっぱ、プロが淹れると違うね」

「ありがとうございます」


 カウンターに置かれたコーヒーを味わいマスターに笑い掛けると、彼は少し頬を赤らめて微笑みを返し真咲の前を離れた。

 マスターが離れたのを見て、多田は閉じた口を再び開く。


「……そのヤクザな知り合いから、話は聞いているんだろう? あんた、見た所それなりにやるみたいだが、俺には勝てないぜ」


「……あんたの力の事は知ってるよ。でもな、そんな力があっても人の中で生きるんなら、なれ合うしかないと俺は思うぜ」

「ハッ、説教かよ……この店は気に入ってる……ついて来な」


 多田はカウンターに一万円を置くと、スツールから腰を上げ顎をしゃくった。


おごってやる。しばらく飲めなくなるだろうからな」

「あっそ。ありがとよ」


 真咲は話し合いで解決したかったんだがなぁと苦笑を浮かべると、立ち昇る芳香を楽しみつつ、苦みと酸味、その奥にある甘味を感じながらコーヒーを飲み干した。


「美味かった。またよらせてもらうよ」

「……ありがとうございます」


 マスターは多田と真咲の話が聞こえたのか、何か言いたげだったが結局何も言わず二人に頭を下げた。


「んじゃ、またな吉岡よしおかさん」

「あっ、はい! あっ、ありがとうございました」


 店から出る時、真咲は名札を確認し、出迎えてくれたウェイトレスの吉岡に笑い掛け店を出た。

 吉岡はお盆を抱えポーっと去って行く真咲を見つめていた。


「吉岡君、仕事中だよ」

「あっ、すっ、すいません! ……なんだか感じのいい人でしたね」

「そうだね……僕も少しときめ……仕事しようか?」

「そっ、そうですね」


 そんな会話がされているとは露知らず、店で愛想を振りまいていた真咲に前を歩く多田は苛立ちを感じていた。


「ヘラヘラしやがって……」

「ギスギスしてるより、仲良くやってる方がいいだろ?」

「……表面上、仲良くした所で人間なんざぁ誰も助けちゃくれねぇよ」


 通りから逸れて入った裏通り、ビルが解体され一時的に空き地になった区画で多田は振り返る。


「今からお前もその一人になる。何なら助けてって叫んでみろよ!!」


 そう言うと真咲を睨みつけた多田は左手を真咲に翳した。

 左手から親指程の太さのイバラの蔓のような物が伸び、真咲に襲い掛かる。

 その攻撃をステップして躱すと多田は驚きで目を見開いた。


「見えるのかよ!?」

「植物……樹霊か何かか?」

「なにもんだ、てめぇ……?」

「ただの便利屋だよ」

「チッ!」


 真咲の答えに多田は舌打ちし、左手を振った。その振りに合わせ左手から伸びた蔓は鞭のようにしなり真咲を襲う。

 その蔓を真咲は難無く右手で掴み取った。


「馬鹿が!」

「グッ!?」


 多田の言葉と同時に蔓から棘が生え、真咲の右手を貫いた。


「へへッ、サッサと離さねぇと右手は二度と使えなくなるぜ」

「はぁ……まったく梨珠と出会ってから怪我が増えたぜ」


 ため息をついてぼやくと、真咲は棘に構わず蔓を握りしめる。


「なっ!?」


 真咲が握った部分から瑞々しかった蔓は、生気を失い干乾び始める。

 それは蔓を伝わり、それを生やしている多田の左手にも伝播する。


「なんだよこれ……なんなんだよ!?」


「俺は別にお前の商売をどうこう言うつもりは無い。大の大人になってクスリに手ぇ出す奴はそいつが悪いとも思う。ただ、右左も分からねぇガキにクスリを売るのは許せねぇ」


「止めろ! 止めてくれ!!」


 叫んだ多田の左手は生気を失い老人の手の様になっていた。


「止めて!!」


 女の声が響き、甘い香りと共に真咲を男の腕程の太さの蔓が襲う。

 咄嗟に握っていた干乾びた蔓を放し、飛びのいた真咲のいた地面をその極太の蔓が打った。

 蔓の一撃は地面を抉りむき出しの土を巻き上げる。


亮太りょうたに酷い事しないで!!」

「へぇ……こんな都会で見たのは始めてだぜ」


 そう呟いた真咲の視線の先では、フード付きのコートを着た女が緑色の髪をなびかせ、左手を押さえうずくまった多田に駆け寄っていた。

 その女の顔は美しかったが、皮膚はまるで樹皮の様だった。

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