最終話 和尚の大喝でヒィーッ!

 ――あれから。

 憎っくき小原を消すための必殺技を確かに習った山本であったが、いざ使おうとするとヒザがガクガク震えてしまう始末だった。


「クソッ、情けなさすぎる。アクマが言ってたようにメンタルが大事なのかも。そう、殺るための不動心。よしっ、アクマに禅寺を紹介してもらうとするか」

 四畳半一間の部屋でブツブツ独り言を言い終わると、彼はアクマに電話を掛けた。


 紹介された禅寺は山のてっぺんにあった。


『仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、始めて解脱を得ん』


 寺の入口の掲示板にはそんな文言が貼ってあり、山本は魅入ってしまった。

「何だかよくわからんが、仏様も僕の後押しをしてくれているらしい。小原を殺せと応援されている感じだ」

 山本は寺の中へ進んで行った。


 お堂の中は山本と和尚の二人きりである。

「ではこれから完全無料、お試し参禅60分コースを行います。生憎と今日は参加者は一人だけですがこんな日もたまにはあります。今から私の指示に従ってください」

 藍色の作務衣姿のでっぷりと太った和尚はニコニコと笑っている。


「まずは姿勢から。結跏趺坐という座り方が理想ですができなければ半跏趺坐、それもできなければ胡座でもかまいません。おへその前で両手を組んで。姿勢はまっすぐ。目を閉じる。そしてご自身の行う呼吸を数えなさい」

 山本は素直に従った。


 集中力が途切れた時には警策でバシィッと肩を叩かれる。

 だが痛くないし、むしろ気持ちよかった。


「はい、静かに目を開けて。ゆっくり深呼吸。少し体を伸ばしてみましょうか。うん、いいですよ。今日の座禅で何かを悟られたなら私も嬉しいです。それではまたご縁があれば」

 それだけ言うと和尚はお堂から出て行こうとした。


「あっ、ちょ、ちょっと待ってください和尚さん。僕は何にも悟れてないですよ」

「そりゃちょっと座禅して悟れれば苦労はありません。それでも悟りを求めるなら有料の半年参禅入門コースでお会いしましょう」

「僕は人を一人殺そうと思っています。明日にでも。お寺の掲示板に『仏に逢うては仏を殺し』なんてありましたが、殺っちゃっていいんですね? 殺りますよ、僕は!」

「ふう、わかりました。お茶でも飲みながら少しお話しましょうか」

 山本の必死な態度に和尚も折れた。


 ほうじ茶を飲みながら山本は全てを話した。

 職場でのイジメやパワハラ。

 殺意を抱くに至った過程。

 夢に出てきた悪魔との契約。

 和尚も彼の話を真剣に聞いた。


「まず悪魔と契約した夢ですがあまり気になさらずに。この生きている現実が夢のようなもの。ある日、体でドカンと感じます。これからも参禅なさい」

「はあ」

「そして『仏に逢うては仏を殺し』とは憎い人を殺せという意味でないのは説明しなくてもわかるでしょう。せめて『臨済録』や三島の『金閣寺』を読んでから質問をしてほしいのですが、それもまた良し。そもそも禅は不立文字といって文字や言葉では伝えられない性質なんですから」

「でもお寺の掲示板にはバッチリと文字になっているんじゃ……」

「喝ッ!!」

「ヒィーッ!」

 和尚の大喝に山本は情けない悲鳴を上げてしまった。


「それでも文字にするのはきっかけ作りのため、因果の因を起こし、あなたの心に種を蒔くため。いつか花咲くことを期待して」

「はあ」

「あなたの周りで起きる不愉快な出来事はただの現象。そこに善悪はない。現象に良し悪しのラベルを貼るのは自我の仕業。その自我を殺すなり乗り越えるなり消し去るなりすれば仏の真理にあなたも気付ける。というか気付くあなたはもう存在しない。おわかりかな」

「いや、まったくチンプンカンプンで」

「では私からの助言。座禅なんてしなくても真理なんかに辿り着けなくっても充実した毎日を送れる秘術があります」

「それは?」

 山本は身を乗り出した。


「それは全てに感謝することです。あなたをこの世に生み出した両親、教育してくれた先生、あなたがいただいている食べ物。だけではなく、殺したいほど憎い小原さんにもです」

「なぜ?」

「小原さんがきっかけで参禅したのでしょう。そしてすべてに感謝する生き方を今日学びました。物は試し、やってごらんなさい。少なくても殺るか殺らないかで悩む生活とはおさらばできます」

「……よくわかりませんがとにかくって、いややってみます。感謝の生き方を」

「それがよろしい。また迷ったなら参禅においでなさい。ではまた」

 和尚はお盆に湯呑みを乗せると立ち上がりお堂を出て行った。


 禅寺を後にして、山本の心はなぜか晴れやかだった。

「よし、これからは全てに感謝してみよう。今なら小原にも感謝できそうな気がする。それでもイビってくるならそん時に殺せばいいや」

 足取りも軽い。

 人目も気にせずにスキップしてしまった。


 家の近くまで来ると胸ポケットの中のスマホが震えたので、立ち止まりスマホを確認。

『ニュース番組の取材をさっき受けた。明日放送されるはずだからチェックしてくれ。きっとビビるはずだからお楽しみに』

 アクマからのメッセージだった。

「そうだな、アクマにも感謝せねば。色々と世話になったし。何か仕事を紹介してくれるようなことを言っていたが話半分に聞いておこう。どうなろうと僕を応援してくれる人がいるだけで嬉しい。感謝感謝!」


 いい気分のまま近くのコンビニに寄った。

 買い物カゴには魚肉ソーセージ、柿ピー、そして缶の黒生ビール数本。

「僕は新しく生まれ変わったのだからお祝いだ。これくらいの贅沢は許されるだろう。今夜は豪勢にろう……、じゃなくてろう」


「レジ袋はどうされますか?」

 店員の声にしまったと思った。

 マイバッグをたまたま忘れてきたことに気が付いたが後の祭り。

 結局はレジ袋代の3円を出すハメに。

 わずか3円の出費で山本は怒り心頭。


 四畳半一間の部屋に帰っても彼の怒りは収まらなかった。

「レジ袋が有料になったので環境問題を考えるいいキッカケになりました。レジ袋有料化を推し進めた官僚や政治家に感謝……なんてできるわけねえだろうが。クソッ、だんだんとムカついてきた。感謝なんてもうやめだ。明日こそは小原を殺そう。習った技もいいけど拳銃があれば確実なんだがなぁ」

 山本は一人でボヤきまくると缶ビールのタブをプシュッと開け、魚肉ソーセージにかぶりつくと、ビールで流し込んだ。

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