第3話 後ろから肩を叩かれヒィーッ!

 アクマが紹介してくれた道場は郊外の山の中にあった。

 だが道場にしては活気がない。

 シーンとしている。

 人の気配がしない。

 看板には『実戦武術 天下無敵のストロング道場』とあるから場所は間違えてはいない。

 日時も間違えてはいないはず。


 ここで「頼もう!」と大声を出せればいいのだが、山本はそんなキャラではない。

 運動神経も体力もないのでスポーツとは無縁の人生だった。

 ましてや武術なんて。

 このまま帰ってしまおうか。

 しかしアクマの厚意をムダにしたくない。

 なにより、仕事を紹介してくれそうなアクマの心証を悪くしたくない。

 勇気を振り絞り、道場の扉を開けようとしたら突然後ろから肩を叩かれた。

「ヒィーッ!」

 おっかなびっくり後ろを振り返ると、タコ入道としか例えようがない大男が買い物袋を片手にニコニコして立っていた。


「あなたがヤンボーちゃんネ。もう、ここが戦場だったらアナタは死んでいたわよ。油断大敵なんだから💗 さ、道場の中入りましょう」

 タコ入道は体をクネクネしながらオネエ言葉で山本に言った。

 山本はわけが分からぬまま彼に従って道場の中へ入った。


 十分後、山本は持ってきた道着に着替えて自己紹介と挨拶を済ませた。

 「では改めてよろしく、ヤンボーちゃん。アタシのことは『金剛こんごう師範』って呼んでね。これでも戦場帰りなのよ」

 タコ入道、もとい金剛師範は野太い声で山本に自己紹介をした。

 自称、戦場帰りだがどこの戦場から帰ってきたのだろうか。

 風体はスキンヘッドに三白眼、やや面長の顔。

 紫色の柔道着。

 身長は190あるかないか

 体重は100を余裕で超えているっぽい。

 そしておそらくは、いや十中八九オネエ。

 山本は道場から逃げ出したくなったが、逃げられるわけもない。

 何より多様性を受け入れる時代からは逃れられないのだ。


「今この瞬間、我が道場はアタシとヤンボーちゃんの二人だけ。アクマちゃんの紹介だから特別にしごいてア・ゲ・ル💗」

「ハ、ハイ」

「返事はハイじゃなくって押忍よ」

「オ、押忍」

 山本は腹をくくった。


「大体の事情はアクマちゃんから聞いたわよ。小原って人を殺したいのね。いいわ、素人でもすぐに素手で殺せる技を教えてあげるんだからァッ!」

 金剛はムダにテンションが高い。


「本当ですか!? 僕はヘッピリの腰抜けなのに!? 柔道も空手もやったことないのに!?」

「ムフフ、このアタシに対して『本当ですか!?』なんて失礼しちゃうわ。まずはアタシの技をその全身で味わってもらおうかしら。さっ、道場の真ん中に立ってちょうだいな」

 山本はおとなしく道場の真ん中に立った。


「じゃあ覚悟してね」

 金剛の言葉が聞こえた直後。

 山本は仰向けで倒れていた。

「へ!?」

「ムフフ、ここが戦場だったらヤンボーちゃんは死んでたわよ、ムフフ~ン」

 呆然とする山本をドヤ顔で上から見下ろす金剛は全身をクネクネさせながら言った。


「い、一体何をしたんですかッ?」

 山本は飛び起きて金剛に詰め寄った。

「落ち着いて。焦っちゃダメよ。戦場じゃ焦りは死を意味するんだから。今から手取り足取りで教えるから身に付けるのよ」


「まず相手のバックを取りなさい。次、相手の後ろ襟をつかむ。掴んだら垂直に落とす。ここでは後頭部骨折や脳挫傷か脳出血を負わせればラッキーくらいに考えて。だからすかさず喉仏や金的を踏み潰せばオッケー! あとはアキレス腱を切るなり結束バンドで縛るなりすれば煮るのも焼くのも自由ってわけ。さあ、今度はアタシにやってみて」

「オ、押忍」

 山本は金剛の後ろ襟をつかみ倒そうとするが上手くいかない。


「それじゃダメ。倒そうという気持ちが強すぎるの。いい、後ろ襟をつかんだら垂直にその手を下ろすだけ。あとは相手の体の重さで勝手に倒れるわ。重力や引力を味方にして。ヤンボーちゃんは決して一人じゃないのよ」

 なるほど、と山本は素直にアドバイスに従った。


 次の瞬間、ドスンという鈍い音とともに金剛は仰向けに倒れていた。

「へ!? 僕がやったの!?」

「そうよ。ね、簡単でしょ。それじゃそのままアタシの金的を踏み潰しなさい」

「ではお言葉に甘えて……、なんてできるわけないですよ」

 山本は金剛の言葉に逆らった。


「ならば憎っくき小原を思い浮かべなさい。小原はヤンボーちゃんのプライドを踏みにじったわね。人間の尊厳って命と同じ価値があるってアタシは信じている。それを踏みにじる者は殺されたって文句は言えないわ」

 仰向けの体勢で金剛は言った。


「そう言われても……」

「戦場じゃ迷っている暇なんてないのよ! アタシは特別に鍛えているから大丈夫。さあ、睾丸を破裂させるつもりで思いっきり! これはヤンボーちゃんの誇りを取り戻すために必要な儀式なの。アタシを信じて! 小原だと思って睾丸を踏み抜くつもりで!」


 金剛の言葉によって、山本は小原から受けた様々な侮辱が脳裏に浮かんできた。

「小原の野郎! ぶっ殺す!!」

 山本は怒りにまかせ足を踏み降ろした。

 直後にグニャッ、という感触が足裏に走った。

 同時に、

「アオォォォ――ッ!!」

 という叫び声が道場に響いた。

 金剛の目は完全にイッちゃっていて、なぜか恍惚の表情。

 しばらく後に回復した金剛は稽古の終わりを告げた。


「あの、今日はお忙しいのにありがとうございました。おかげさまで小原の野郎をあの技で殺せそうです」

 山本は玄関で金剛に感謝の言葉を述べた。

 対する金剛は、

「うぅ、もうお別れなんて悲しい。せっかく繋がることができたのに。ひっくひっく、うわ~ん!」

 まさかの号泣。


「ヤンボーちゃんはアタシの弟子なんだから。アタシのことを忘れないでね。イジメやパワハラなんかに負けちゃダメよ。いいこと、何としてでも小原の後ろ襟を掴みなさい。そんでここに奴の首を持ってくるのよ、絶対約束なんだからァッ!」

「オ、押忍」

 思わず反射的に山本は返事をした。

 そして逃げ帰るように道場を後にした。


 今日習った技を絶対に忘れまいと山本は誓った。

 逆に、グニャッとした足裏の感触は忘れたかったのに忘れることはできなかった。

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