〈3〉
一次選考が済み、その結果に驚くふりに必死な間にちゃちゃっと二次選考まで終わって、さあ次はいよいよ一騎打ちの最終選考ですよと、奥の間へと連れていかれるその途中のこと。
——〝私は神です〟
そう聞こえた。真後ろから、わたしにしか聞こえない程度の囁きだったけど、でも聞き間違いではなかったはずだ。
普通に考えたらこんなところに神様がいるはずもなくて、だってそれはいまこの大聖堂の奥なり天上なりで自分のお嫁さん候補をワクワク待っているはずで、それがどうしてわたしの後ろ——すなわち「最後に残った花嫁候補、そのわたし以外のもうひとり」としてこの場にいるのか。
なので、そう訊いた。こんなのは当人に直接問い質せば済む話で、それが初めて叶ったことにわたしは「よかった〜」って思った。だって他の人はみんなピリピリしてるかビクビクしていて、だからこうして向こうから声をかけてくれる、そんな誰かをずっと待っていたのだ。助かった。だって本当に心細かったから。
彼——いや、この段階ではまだ単なる美人のお姉さんだと思っていたけど、とにかくその自称神様の返事は簡単だった。
「いえ、私が神様なので、この大聖堂の奥でワクワクしているのは……なんでしょうね? ある意味、考えようによっては一応、〝神みたいなもの〟とは言えるのかな。ううん」
いまいち要領を得ない返事だけれど、でも言わんとしていることはなんとなくわかった。
簡単だ。こんなでっかい建物に年頃の娘をいっぱい集めて、好き勝手選別してお嫁さんにして、そして大変なことをしようだなんて。世間一般の感覚では、そういうのを「まるで神にでもなったかのごとき振る舞い」というのだ。
「違います。私、そんなことしませんよ? お嫁さんとか要りません。あっいえそれも違うというか、この『要らない』はあなたが魅力的でないという意味ではなくてですね」
わかる、と言おうと思ったけどでも無理だ。わたしの魅力がどの程度であれ、この人と比べられるとなるとさすがに困る。
さすがに最終選考に残るだけあって、この自称神様は相当な美人——美人かな? とまれ、顔立ちそのものは悪くなかった。背も高い。長い黒髪はツヤッツヤのサラッサラで、なのに肌だけが異様に色白、そのうえ
「ところであなた、いま私のこと『このひと姿勢わるいなあ美人なのに』って思いましたね?」
本当に見透かされてた。正解、と小さく拍手してあげると、「いやぁ」となんだか満更でもなさそうな反応。実はトリックがあるんです、というのはどうやら嘘ではなくて、なんでも初対面の人間は大抵そう思うから、とりあえずこう言っておけば当たるのだと後から聞いた。その場では聞けなかった。得意満面「実はトリックが」まで言いかけたところで、「うるさいぞお前ら、神の御前だ」と怒られた。わたしたちを奥の部屋へと案内する、何か係員というか下っ端みたいな信徒の人に。
わたしにはこの自称神様みたいなトリックはないけど、でも彼のそのくっしゃくしゃにむくれた顔を見ればわかる。
「もしかして、さっき『は? ケチか?』って思った?」
「すごい。どうして読めるんです? 神の心が」
案内された先はなんの変哲もない小部屋で、さっきの下っ端に曰く「ここで着替えてしばらく待て」とのこと。なんでも最終選考は神様が直接検分なさるとかなんとか、その準備に時間がかかるらしい。遅刻かな? と思ったけどでも神様のやること、例え事実であっても遅刻呼ばわりはまずい——と、わたしですらそう思ったのにこの自称神様は普通に「花嫁を待たせるとか最低ですねえ!」とかネチネチ
ともあれ、結果的にというか必然的にというか、一休みできる時間が取れたのは嬉しい話だ。
さあこの隙にさっさとお暇しよう、なんて、そうなるべきだったのかもしれないけどまずは自己紹介が先だ。わたしは「ミカル」と自分の名前を名乗って、ついでに「あなたはジンね」と適当に名付けた。せっかくわたしが自己紹介したのに、名前がないとかふざけたことを言うから。
まず驚いたことのひとつとして、ジンはどうやら男の人だった。そう決めた。わたしが。だって性別まで「あー、それもないんです」とか言うから。もうだめだ。この調子だときっと仕事も住むところもなくて、そんなないないづくしのジンくんがでも、いったいどうしてこんなところにいるのか。
「だって、悪いじゃないですか。詐欺ですよこんなの。私、別にそんなつもりないのに、でもこの教会は勝手に私の名前でこんなことして。これは止めなきゃ、って、そう思ったんですけど」
その先は簡単だった。「コラーやめなさーい!」と一喝してやるつもりが、でも受付みたいなところで矢継ぎ早にあれこれ訊かれて、それに全部「はい」と答えているうちにこんなことに——そう力なく肩を落とすこの可哀想な人を、一体どうして責められよう? わたしみたいなごく普通の、そしてまったく同じ理由で同じ最終選考まで残ってしまった人に。
「わかる。あの受付の人、なんか有無を言わせない感じあるよね」
「ですよね! わかります? いやーミカルに話してよかったです! 私ね、これ他にも絶対いると思うんですよ、私たちと同じ目に遭った人」
そういえばピリピリしている人に紛れて、何か妙にビクビクしてた人たちがいたなぁ——なんて、そこに対する「でしょう?」はどうでもいい。彼女たちはいまや皆ほっとした表情で帰路について、その代わりに残されたのがわたしたちだ。一体どうしてこんなことに。
「ジン、逃げよ? このままだとあなた、なんか大変なことになる気がする」
そう告げ、彼の手を取ったところで迎えが来た。さっきの下っ端。わたしたちの姿を見るなり「よし、ちゃんと着替えたな」とひとこと。軽く言ってくれるけど大変だった。花嫁衣装。真っ白くて豪華なドレスは、でもどうやってもひとりで脱ぎ着できる代物じゃない。
「そうですよ! これ、ミカルに手伝ってもらってやっと着られたんです! まったく気の利かない教会ですねえ! 誰か手伝いのものを置いておくのが普通でしょうに!」
また猛烈に食ってかかるジン。狂犬か。とはいえ、この件はわたしも腹に据えかねたので、「そうだそうだー」と彼に同調する。同調しながら思う。わたしたち、なんで素直に着ちゃってるんだろう?
まあわたしはともかくとしても、でもジンは男——と、少なくともさっきそう決まったはずで、なのにわたしより純白のドレスがよく似合っているのはどういうことだろう。別に自己卑下とかではなく第三者の評価による客観的な事実で、実際この下っ端だって完全に見惚れた様子で、
「——逃げよう。一緒に。貴女のような美しい人が、あんなブタ野郎の犠牲になることはない」
とか言う。言った。膝をつき、恭しくジンの手を取って。すごい。なにこの真顔。
完全な職務放棄だけれどまあ気持ちはわかる。花嫁姿のジンはまさに天上の神々をも霞ませる美しさで、「どうだわたしがこれを手伝ったんだぞ」という気持ちと、「あれっ、わたしは? わたしも最終候補ですけど?」という気持ちが交互に寄せては返す中、人の気も知らずにジンが叫ぶ。
「ちょっと聞きましたかミカル! こいついま人のことブタ野郎って言いましたよ! 誰がブタですか! 野郎、についてはまあ、ともかく……」
えっなんで最後うっすら頬染めてトーンダウンしたの、と、その疑問に「言わせないでください」ともじもじした返事。わからん。何もわからんけどでももうひとりの方、この下っ端の言う『あんなブタ野郎』については、なんとなくピンとくるものがあった。
「もしかして、ブタってあの司祭様のこと?」
わたしの問いかけに、さも「他にいるか?」と言わんばかりの頷きを返す下っ端。正確にはわたしの問いにではなく、それをそのまま繰り返したジンに向けての頷きで、わたしに対しては一瞬「え、まだいたの?」みたいな目を向けただけだった。向けただけだったのにでもその後、一拍置いて何かに気づいたような顔して、それからもう一度こちらを振り向いてひとこと、
「君のような平凡な娘には滅多にない機会、ブタ野——司祭様からたっぷり愛でていただくと良い」
とか言った。こいつどうにかして呪い殺せないかな、と、そんなひどいことはでも思わない。だってその後に「お菓子もお駄賃もたくさんくださるはずだ」って続けたから。醜い。わたしの当初の目論見そのまんまだ。
こんなわたしみたいな欲まみれの醜い女、ブタ野郎のお嫁さんがお似合いだ——。
なんて、実際には微塵も思ってない「そんなことないよ」待ちの自虐が口をついて出るよりも早く。
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