第31話 人見恭介のエピローグ
1
少し肌寒いなと感じる日があり、その後あっという間に秋が来た。
俺が当初相当錯乱した行動をしていたせいもあり、そのころには俺と雪織の関係は学年中に広まり、すっかり公然の組み合わせとなっていた。丹下美和子が盛大に広めていた影響もある。
最初は面白がられていたが、最近はもう周りも慣れたもので、一緒にいても何か言われたりすることはない。俺も腹を括って、美しい初恋をぶち壊して、きちんと現実とリンクさせることにした。先のイメージはできないが、できなくても今は生きられる。
放課後に加藤につかまる。
「ひとみぃ〜彼女ができたんだよぉ〜!」
「よかったな……奇跡だな」
「よかったなで流すなよ。冷たいなぁ! 聞いてくれよ俺と沙織ちゃんの愛のメモリーをよぉ」
「まったく聞きたくねえな……」
「まぁ、まずそこに座ってよ」
「お前人の話聞かないな……」
そこに鞄を持った雪織が入ってきた。
「あれ? 加藤君? また人見君に絡んでたの? ダメだよ。わたしのなんだから、もらってくよ」
「えー、これから……そうだ! 雪織ちゃんも聞いてよ……オレの愛の……」
「人見君、帰ろう」
「じゃあな、加藤」
雪織に腕を取られて席を立った。
「人見君、無理してわけのわからない話聞くこないんだよ? お節介もほどほどにしなきゃ。人見君は前からそういうところが……」
「おーい雪織ちゃーん……全部聞こえてるのよぉ……」
下駄箱で靴を履き替えて待っていると、雪織がおっとりとした仕草で靴を下に置いた。履きながら話す。
「加藤君の彼女、他校の子だってね」
「雪織も知ってたのか」
「うん。すごく言いまわってるみたいだし、そういう話は美和子から欠かさず入ってくるんだよね。通学途中に電車で見かける女子校の子に告白したら奇跡的にOKもらえたって聞いた」
「ああ、なるほど」
他校の生徒なら加藤の前評判も知らないだろうし、電車で見かけて好きになりました、だとかの告白も、唐突に見えて前から見ていたのかなという印象になる。加藤は実際は三秒前に見かけた女に告白する奴だが、成就したときに一途なら問題ない。なお、本当に一途かどうか知らないが知ったことではない。
校門を出ると雪織が手を繋いできた。
雪織は手を繋ぐのが好きらしく、外を歩くときには大抵繋いでくる。振り解く必要性をまったくもって感じないので大体そのまま歩いている。
「あれ、組木君と百合川さんじゃない?」
「……本当だ」
帰り道の途中にあるスーパーの駐車場の端。ほっかむりのようにフードをかぶり、サングラスとマスクをしたあからさまに怪しい女と直也がいた。百合川の状況はいまだ好転しているとは言い難いし、どんな生活をしているのかも知らないが、その中でそれなりに幸せそうにしているように見える。
「直也」
「恭介……と雪織さん。君たちは本当にいつも臆面もなくイチャついてるね……こっちはコソコソしなきゃならないってのに……羨ましいよ」
直也は悲愴な顔でそんなことを言いながらも、隠れてこっそり会う状況に少し酔っている節がある。そもそも、今はともかく以前隠れてコソコソ付き合っていたのは状況関係なくこいつらの意向だ。こいつらは単にそういうシチュが好きなんじゃないのか。
「そんなこと言ったって……俺らは隠す必要がねえからな……」
なぜ隠すなどという無駄なことに神経を使わなければならないのだ。
「うん。ないない」
雪織もきょとんとした顔で頷いた。
「恥じらいがない人たち……。こういうのは秘めてこそでしょう」
百合川が言う。何が秘めてこそだ。やっぱりシチュを楽しんでいる。
「恭介たちはもう帰るの?」
「いや、今日は雪織と俺んちで夕飯を食おうって話してたから、スーパーに……そうだ、お前らも一緒にどうだ?」
「え、お邪魔じゃないの?」
百合川が少しぽかんとした顔で聞いてくる。
「邪魔は邪魔だが……せっかくだしみんなで食べたらうまいかと思って」
「そうだよ。百合川さん何か作りたいものある?」
「えー作りたい作りたい!」
「そうなんだ、意外……」
「あたし、家で料理したことないからさ、やんや……直也君に手料理ご馳走したこととかもなくて!」
「え、家で料理しないって、もしかしてシェフがいたとか?」
「そうなの! あたしの作る隙なしだった!」
「マジなんだ……」
「雪織さん、なんか簡単なの教えてよ。あたしの失踪中に直也君の誕生日あって、結局プレゼントあげれてないの」
雪織と百合川が話をしながらさっさと店内に行ってしまった。直也と少し後ろから追うように歩き出す。
「なんだかんだ、鞠ちゃんも同年代の女の子と話すのに飢えてたのかな……」
「それは少しあるかもな」
百合川と雪織はもともとクラスが別だが、その中でも属しているグループの毛色は違う。百合川はチャラい系男子とよく話しているギャルグループの中にいたようだ。一方雪織は丹下美和子など、ややオタクより文化系気質の女子と仲良くしている。
しかし、内実はギャルっぽく振る舞っている百合川のほうが暗めで陰の気まじりでじっとりしている。雪織のほうが、大雑把だが健全な陽の気を持っている。
俺と直也は相変わらずだ。ただ、今はお互い優先して会う相手がいるため、以前と比べるとやや疎遠にはなった。
直也が俺の家に泊まったことになった八月一日以降、彼が燻らせたコンプレックスを発露することは全くなく、以前よりも落ち着いたひょうひょうとした顔をしているように見える。
百合川のおかげというより、人は同一な状況下において、落ち込んでいる場合もあるし、安定を得られていることもある。それがどちらに転ぶかの小さな気分の変化に影響しているのが家族や友人や恋人なのかもしれない。
肉売り場のほうから雪織が小走りでこちらに来た。
「今日寒いし、百合川さん料理したことないみたいだし、鍋とか簡単でいいかなぁと思ったんだけど、人見君ち土鍋ある?」
「ないな」
「じゃあ、ここで売ってたやつ買っちゃっていい?」
「うん」
「勝手に買うから、わたしのおこづかいで出すよ」
「それは勘弁してくれ……」
そんなもんに雪織のこづかいを使わせるわけにはいかない。それは俺のバイト代から……そう言おうとしてから考え直す。
「……家のもんだし、親に請求するよ」
それが一番正しい気がした。
雪織も笑って「それがいいね」と頷いた。
「何か嬉しそうだな……」
「え、だって人見君てこういうとき俺のバイト代でとか言い出しかねないけど……そんな子どもいないからね!」
「そうかぁ?」
「そうだよ。だって……」
そこまで言って雪織はすぅと息を吸い込み、まるで決め台詞のように続きを吐き出した。
「だって土鍋だもん!」
2
「ひーん直也くーん! 指切ったよぉー」
「えっ、恭介、包帯を!」
「んなもんねえよ……。絆創膏ならそこの薬箱」
「ちょっと待ってて! 鞠ちゃん!」
俺の家に着き、最初は雪織と百合川が一緒に台所で調理をしていたが、百合川が想像以上に料理ができなかったため、結局俺と雪織で鍋の用意をした。
「これ、雪織の家の鍋?」
「うん、よく食べる具材が多いかな……」
ふつふつと小さな沸騰をしている鍋の中には鶏肉、葱、はまぐり、しめじと榎茸水菜と白菜、ウィンナーとミニトマト。入り切らずにまだ入れてない具材にはつくねや餅など、腹に溜まるものもあった。どことなく子どもが多い家族の鍋感がある。
「上にカセットコンロあったかも。出そう」
「土鍋はないのにカセットコンロはあるの?」
「うん、まぁ、使ってないやつだけど」
上の棚から取り出すと新品のガスもあった。
手に取って検分していると雪織がじっと俺を見ている。
「……どうした?」
「うん……高い棚からカセットコンロをひょいって取り出す人見君が……すごくかっこよかった」
「そ、そうか……」
「もう一回やってみてほしい」
「わかった。雪織が言うならやるわ」
雪織がキャッキャと喜ぶので三セットほどそれを繰り返し、そうこうしていると突然母親が帰宅した。
「ただいまぁー、なんかいい匂いするね」
「あれ、今日こんな早かったのか? あっぶね……」
「ん? 急に早く帰れることになったのよ。何が危ないの?」
「いや、何も危なくない。聞き違いだ。直也とその彼女と……この間会った雪織が来てるよ」
「へぇ、直ちゃんの彼女? ご挨拶してくる」
二人きりで食うのも楽しそうなので実は少し迷ったが、今になると呼んでおいてよかった。
母が奥に入ると直也が「ご無沙汰してます」と挨拶をしてそれに対して母が「ここのところぜんぜん会わなかったよね」などと話している。
雪織、直也、百合川、母それから俺と五人で夕食を囲むことになった。
「あの小さかった直ちゃんにもう彼女がねぇ……」
母は鍋をつつきながら、帰りがけに買ってきたと思われるビールをひとり開け、百合川が直也の彼女だという話を聞いて、妙にしみじみしている。
「え、恭介だって……」
「おい、直也……」
「あれ? 言ってなかったの? のわりには顔見知りみたいだったけど」
「ん?」
「会わなかったから、言うひまがなかったんだよ。べつに隠してたわけじゃない……」
母は会話の流れと、突如むせ込んだ雪織の様子から何がしかを察したようで表情を綻ばせ、うんうん頷いた。
「この土鍋どうしたの?」
「あ、俺が買ったから、あとでその分の金ちょうだい」
「あ! 待ってて。鍋の材料のレシートもある? お財布持ってくるね」
「いや、食い終わってからでいい……」
「ダメ……恭介、あんた前も黙って勝手にバイト代でフライパン買ってたでしょ」
「あれ、気づいてたのか?」
「気づかないわけないでしょ……家のものなんだから」
「あぁ」
「あと台所スポンジとトイレ用洗剤も……余計な気使わないでちゃんと言ってくれると助かるわ」
食事が終わると、直也は百合川と共に駅のほうへと消えた。どこに住んでいるのか知らないが送っていくらしい。俺も雪織と一緒に家を出た。
3
夜の道を雪織と歩く。
「うう……まだ鍋がお腹にいて主張してる……」
雪織がお腹をおさえながらこぼす。
「楽しかったね。百合川さんも、学校で見てたのとちょっとイメージ違ってて……賑やかだった」
「うん。でも、雪織の家はいつもあれぐらい賑やかだろ」
「賑やかだけど……やっぱ人見君と食べるのとは楽しさの種類が違うもん」
「そうか、ならよかった」
少し歩いてから周囲を見まわした雪織が小声で聞いてくる。
「ちょっとだけ気になってたんだけど、人見君は、本当は百合川さんは浮気してたって思う?」
「……思う。俺は見たし……金に困ってたんじゃないかな」
おそらく雪織は反論してくるかと思っていたが少し黙ったあと「わたしもそう思う」と言った。
意外に思って顔を見る。雪織は少しきまずそうな顔をした。
「雪織は……否定するかと思ってた」
「あ、ううん。決定的な行為はしてないと思ってる。でも、お金がほしくて知らない男の人と会ってたんだと思う」
雪織は上を見て俺を見て小さく首をすくめた。
「さっき、夏の終わりに組木君の誕生日があったって言ってたから、百合川さんはプレゼント、買いたかったんじゃないかな」
「……ああ」
「でも、おうちがああなると、おこづかいももらえないし、百合川さんてバイトもしたことなさそうだし、世間ずれしてなさそうだから……周囲にギャルっぽい友達多かったみたいだし、変な情報聞いてたのかもなって」
雪織は俺とは違う思考のアプローチからそこに至ったらしい。
「で、なんで未遂だと思った?」
「そのお金で買ったプレゼントはあげてないみたいだったから」
「ああ……」
確かに、そんな忌まわしい金でもらったプレゼントなんて俺なら五百回お祓いをしても受け取りたくない。百合川がそこに気づけたのなら賢明だ。そう思いつつも、俺は雪織ほど他人を信じる気にはなれない。さすがに本番行為はしなくとも、なんらかのサービスをして金はもらったかもしれない。
そして、もしかしたらその金は直也が帰らなかった日の場所代に消えたのかもしれないと思う。というか、もともとなんとかして『それ』をあげたかった。どちらにせよ疑惑でしかないし、あそこまで本心をはぐらかすタイプの百合川にいまさら聞いても真実は出てこないだろう。そしてそこを無理に掘り返す必要もない。
「妊娠は?」
「あれは普通にデマだろう」
「そだね、わたしも噂で、一瞬妊娠したことになってたもんね」
「雪織は……」
「人見君」
「……え?」
「雪織雪織って……人見君て……わたしの名前知ってる?」
「千尋だろ」
即答したらなぜか雪織が赤くなった。
「知ってたんだ……」
「知らないわけないだろ」
「あの……」
「うん、なに?」
「き……恭介君て、呼んでもいい?」
「いいよ」
即答した。それから少し考えて口を開く。
「あー…………千尋ちゃん? 千尋さん? それとも……千尋?」
「ち、千尋でお願いします! やったー!」
雪織……千尋が満面の笑みで喜んだ。そこまで笑うと端正な顔はくしゃくしゃに歪み崩れる。
すましているほうが、儚げだ。
でも俺は、そのくしゃくしゃの顔がたまらなく好きだと感じる。
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