第24話 雪織千尋の挑戦




 朝が来た。


 それからまた朝が来た。そのあとも、やっぱり朝が来た。ダメ押しにもう一回、朝が来た。


 相変わらず人見君とは日中に縁がない。

 クラスが違うし、今まで普通に過ごしていて会わなかったのだから当たり前といえば当たり前なのだけど。


 それでもお互い認識をしているのは以前と大きく違う。人見君は廊下ですれ違ったときに笑顔で軽い挨拶をしてくれる。


 けれど、どこか物足りなかった。

 人見君は挨拶をして、すぐに通り過ぎてしまう。たとえばついでに少し立ち話を少ししようとか、そんな動きは一切ない。

 人見君の笑顔も挨拶も、何年も前に会って過ごした人に対するものみたいで、どこか乾燥していた。それはすっかり過去になっていて、未来を感じさせないものだった。


 わたしと人見君の間には特に何もない。


 家に行ったりお風呂を借りたりしたけれど、部屋で勉強をしただけだし、手は繋いだけど、キスをしたとかではない。異性と手は気軽に繋がないけれど、はたして「手まで繋いだくせに!」と言えるかどうかは甚だ疑問だ。でもわたしは少し思ってしまう。


 ……手まで繋いだくせに!


 いや、わたしが繋いだんだけど……。


 小さな違和感でしかなかったそれは借りていたTシャツを返しにいったときに確信に変わった。


 せっかく口実を見つけて会いに行けたのに、人見君はTシャツの入った袋を受け取ると「わざわざありがとうな」と笑顔で言って、そのまま席に戻ってしまったのだ。

 いや、ほかに用事はないのだから、それもおかしくはない。そして、べつに感じが悪いわけでもないのだけど。もう一声欲しいと思うのはわたしの欲深さなんだろうか。肩透かしをくらったかのようで寂しい。


 行きがかりで部屋にまで上げてもらったから、勘違いしてしまっていたのかもしれない。

 宿題を手伝ってくれたから。

 トラックの飛ばす水滴から守ってくれたから。

 一緒にご飯を食べてくれたから。

 一緒に道に迷ってくれたから。

 呼ぶ必要のないわたしを翌日も呼んでくれたから。


 デパートで、話しかけてくれて、フードコートまで連れていってくれたから。


 だから好きになってしまったのに。





「美和子、わたし告白する」

「えっ」


 縁が切れたなら自分で結び直すしかない。

 わたしは十七年かけて初めて出会った恋を粗末に扱えない。次に来るのはまた十七年後かもしれないのだ。ここで玉砕しておかないとわたしは間違いなく後悔する。


 お弁当をむしゃむしゃ食べながら、目の前でサンドイッチをかじる美和子に宣言した。


「好きな人に、告白する」


 美和子がハイテンションで立ち上がって叫んだ。


「ひーくっそう〜! 千尋もいよいよ彼氏持ちかぁ〜!」


 教室中に聞こえる声で言うものだから閉口した。座らせて顔を近づけて小声で言う。


「待ってよ。まだわかんない。振られるかも……」


 美和子はわたしの言葉をするんと流してハキハキと言う。


「千尋に告られて断る男そんなにいないっしょー! え、もしかして妻子持ちとか、彼女持ちだったりするの?」

「違うし……だから声が大きいって……」


 妻子持ちとか、ショッキングな単語をどでかい声で言うものだから周りがしんとした。美和子がすでにこちらに注目している周囲をキョロキョロ見まわして「しつれい」と言って口元を押さえ、席についた。


「というわけでゴシップライターの美和子には相手はますます言えないんだけど……黙っててね」

「ん? 言えないのに黙っててとは……」


 すっとぼけた返答をよこす美和子をじとっと睨む。


「どうせなんとなく……目星はついてるでしょ」


 美和子は始業式にわたしと彼が知り合ったことを知ったのでどうせ勘付いているだろう。だって夏休み最終日に彼女と会ったときにまったくそんな話はなかったのだから、そのあとに知り合っただけで有力候補だ。加えてわたしの態度からも怪しさを読み取ったはずだ。今はまだ疑惑でしかなくても告白するなんて言ったらしつこく探りまわってすぐ結論に辿り着くはずだ。


 でも、今はまだはっきりと言えないし、言いふらされたくないし、とにかく何もしないで欲しい。そんな想いをこめてじっと強い目で見つめる。


「…………マジでアレなんだ。あいつか……」


 美和子はわたしの眼力に意図を読み取ったのか、きょとんとしたあとに口元を緩めてから頷いた。


「うん……今は黙って応援する。でもうまくいったら盛大に言いふらしていい?」

「いいよ。でもちょっと分が悪い感じしてきてる」

「んーまぁ……気持ちはわからんでもない。アレは結構難しいから」


 難しい相手のようだ。わたしはついこの間まではそこまで難しいとも思ってなかったのだけど。最近は難解にしか思えない。


「話変わるけどさぁ」

「うん?」

「あたしの一年のころのクラスの話って、千尋にあんまりしたことなかったよね?」


 美和子がニンマリ笑って言う。


「そうだね。話はぜんぜん変わるけど……聞きたいなぁ」


 話、ぜんぜん変わってないけど。

 普通の生徒では知らないような情報まで網羅している情報通の友達がいると、普段はわずらわしいこともあるが、今はちょっと嬉しい。


 人見君のことを知りたい。内容なんてなんでもいいから知りたい。知ることで存在を感じたい。





「あ、組木君」

「やあ、雪織さん」


 軽い気持ちで、廊下で組木君を呼び止めた。組木君のことは綿菓子のように軽い気持ちで呼び止められる。


「調子どう? 元気そうだけど」

「元気だよ。あ、そうだ。組木君に聞きたいことあったんだ」

「なに?」

「妊娠のことなんだけど」


 通りすがりの生徒が驚いた顔でガン見していった。


「……おれはいいけど、雪織さん大きな声でそんなこと言うと誤解されるよ」


 言われて慌てて声を潜める。うかつだった。美和子のことを言えない。妻子持ちより妊娠のほうがさらに単語として強い。


「あの……百合川さん妊娠してるって、なんだったの?」

「あ、それ? 妊娠なんてしてないって。でも産婦人科には夏休み入ってから一度行ったらしいから、そこ見られたんじゃないかって言ってた」

「そうなんだ」


 確かに、べつに妊娠してなくても婦人科のお世話になることはあるだろう。しかし同級生がそこから出てきたら、つい気になってしまう人がいるのもなんとなくわかる。直後の失踪と組み合わさってより一層ドラマチックになったのかもしれない。


「噂って、本当ちょっとしたキーワードがでかい尾ひれをつけて事実みたいにまわるからね」


 話してみると組木君は上機嫌だった。とはいってもニコニコしているとかではない。どことない余裕が感じられる。

 夏休み最終日に初めて会ったときの彼は汗だくで焦っていたし、そのあともずっと張り詰めているのが感じられた。

 百合川さんと無事再会できたからその緊張がほどけたのだろう。話す口調が滑らかだし、表情も一定で変わらない。こちらが普段の彼なのだろう。


 噂は尾ひれをつけてまわる。


 このときなにげなく組木君が言った言葉は、大きな実感を伴って、わたしを翻弄することになる。


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