第21話 人見恭介の九月一日





 九月一日。一度学校を出てそのままバイトに行き、午後五時にまた取って返す。待ち合わせた教室にはすでに雪織がいた。


「わざわざ残ってもらって悪かったな。一度帰ってもらってもよかったんだけど……」

「ううん。今さっきここに来たけど、わたしずっと図書室で宿題やってたから、あっという間だった」

「進んだ?」

「うん! 本当に全部提出できそう。正直、できると思ってなかったから……人見君に会えてよかった」


 屈託なく言われてだいぶ参った。

 額に手を当てて目を瞑りしみじみしていると「人見君?」と呼びかけられて目を開ける。





 直也の家に着いた。勝手に玄関を開けた俺に雪織が少しびっくりした顔をした。


「雪織も入って」

「う、うん。おじゃまします」


 一応、女子が同行しているのでノックをした。


「恭介? 入って」


 部屋の扉を開けると直也がベッドに寝転がり、スマホをいじっていたが、雪織を見て居住まいを正す。


「うちに集合でもよかったのに、わざわざ待ち合わせて来たの?」

「……そんなことさせられるか」

「なんで?」

「あ、いや、わたし昨日暗かったから、組木君の家の場所……ちゃんと覚えてなくて……」

「だいたい直也、お前がどうしてもひとりで読みたくないっていうからわざわざ来てもらったんだろ」

「雪織さんに読んでもらおうって、速攻言ったの恭介じゃんか」

「え、人見君が言ったの?」

「ああ、俺が言った」

「恭介、なんでそこそんな堂々としてんの……?」

「俺が言ったからそう言っただけだろ。お前は言ってない。俺が言った」

「……恭介、そういうタイプだったんだね。いや、まぁ、前からそうか」


 雪織は俺と直也を交互に見てから、困ったようにふにゃっと笑って首をかしげた。可愛い。


「それで、手紙は?」

「ああ、これだ」


 俺がポストで見つけたのは、ほかの封筒とまったく同じものではあったが、宛名がなかった。はたして本当に直也宛なのかもまだわからない。偶然ということはまずないだろうが、家にあった封筒を使った可能性もあるので、ほかの人間が書いたものかもしれない。


 しかしそこについての疑惑は雪織が何の気なく開けて「本当だ、百合川さんの字だ」とこぼしたので、すぐに払拭された。


「なんで組木君の家のポストにしなかったんだろ。そのほうが確実なのに」

「百合川は自分で決められないから。運命に任せたかったんだろ」


 俺はもはや百合川が浮気してようが、してまいが、わりとどうでもよくなっていた。それなのに何通も何通も、一度ですまさない。おまけに結論も纏められない。あげくの果てにそこを他人や運命に委ねようとする。百合川のグチグチした性格が現れている。心底呆れる。


「えー……オホン、大大大好きなやんやん……はーと」


 手紙を広げて構えた雪織は真面目に滑舌良く滑り出したが、突然パンダみたいな名称が出てきて混乱したようで、そこで首をかしげた。


「これ、ほんとに組木君宛? パンダじゃなくて」

「間違いないよ」


 直也は真顔で先を促すよう、重々しくこくりとうなずいた。


 こいつ、二人きりのときはやんやんって呼ばれていたのか……。


 やんやん……。こいつ、やんやんて顔か?


 幼馴染みの知らない顔に世界がぐらりと揺れる感覚がした。


「雪織さん、続きを……」

「えっ、はい!」


 はっと我に返る。もしかしたら雪織もやんやんに意識を持ってかれていたのかもしれない。はっとした顔で手紙を構え直す。



*****



大大大好きなやんやん♡♡

きゅうにいなくなってゴメンネ。。。

あたしも、ほんとはお別れなんてしたくなかったよ。

でもお別れは悲しすぎてマジでできないって思ったら、こうして黙っていなくなることになっちゃった。。。。


ついこの間、パパから、家族で逃げると言われました。

うちは借金がたくさんあるみたいで、もうこの街にはいられないから、遠くに行くって言われました。


あたしはモチロンもう反対したんだけど。。

会社の人にお給料が払えないし、借金もたくさんあるって言われて、、、

あたしはバイトもしたことがなくて、お金のことを言われるとどうにもできなくて。。。

それでも少しでも時間を先のばしたくて、イロイロ考えたんだ。

それで、やんやんには言わなかったけど、手っ取り早くたくさんお金を稼ごうと思って“パパ活“をしてみようとしました。。

アプリで相手を探して、あたしはそのヒトと会いました。そしたらパパっていうにはもう少し若いヒトが来て、でも……結局何もできませんでした。

怖くて泣いてしまって、あたしは逃げようとしてベッドから落ちて足を怪我しました。

それでも、すごくイイヒトだったから、何もせずにホテルを出ました。

だから結局お金はもらえなかったけど、よかったと思ってます。。

話を聞いてもらって……(やんやんの話もしたよ)

それで、出てきたときに人見君とすれ違いました。足をくじいていたから、相手にもたれるようになってしまっていたし、やんやんの話をしていたから、張り詰めていたのが少し楽しそうな顔になっていたと思います。。

でもコレ、きっと嘘くさい言い訳に聞こえるよね……。。。

でももういなくなった、二度と会えないあたしの話だから、本当だと思って信じてもらえたら嬉しいです。

(それとも、浮気しててあたしはやんやんのことなんて遊びだったと思ったほうが忘れられるなら、それでもいいです。。。)


でも、ちゃんと聞いたらあたしが少し稼いだくらいでは、もうぜんぜん足りない額の借金だったよ。

もし、もう少し大人だったら、あたしとやんやんは一緒にいられたのかなぁとか、イロイロ考えたりもしました。

でも、それはきっともっと先のことで、また会えるのかもわからないあたしの都合に合わせて待ってもらうなんてやっぱできないって思いました。

やんやんはすっっごく優しくて、カッコいいから。。あたしのことは忘れてください!

(とかなんとか言って連絡しちゃいそうな自分がコワいよ。。)


大好きなやんやん。

本当に、ほんとにほんとにほんとに好きでした。



*****



 なんとも言えない内容だった。

 今までの手紙の中では一番自分の言葉で書かれている気がしたが、積極的に疑ってみれば苦しい言い訳だらけでとても信頼は置けない。

 直也に本当に新しい彼女を作って幸せになって忘れて欲しいにしては、未練がこの上なくしたたり落ちるような内容だ。だからこそ言い訳にみえてしまう。


 そもそも手っ取り早くお金を稼ぐとなってパパ活しか出てこないのも、どうかと思える。

 そして、俺は実際に現場を目撃している。愛想笑いといえなくもない表情ではあったが、百合川は笑って相手に腕を絡めていた。


 しかし、直也のことを遊びとして考えていたのなら、こんな手紙は必要ない。そもそもいなくなることがわかっていたのだから。


 だから結論としてその手紙は、情緒不安定な女子高生が間違いを犯しつつも、目一杯自己正当化して、彼に忘れて欲しくないということを必死に訴えているように感じられた。


 もしかしたら浮気というか、その行為自体ははしてしまったのかもしれない。自暴自棄になっていたのか、あるいは親への当て付けもあるかもしれない。でも決定的な理由となったのは金だろうと思う。親に渡そうとしたのか、欲しいものがあったのか、百合川はとにかく金に困っていた。人が決定的な間違いを犯す理由は、結局金だと俺は思う。金銭問題は精神的な弱さだとか、迷いだとかを超えてくる現実的な強さがある。

 でもやっぱり直也に本当のことは言いたくない。そうは思われたくない。百合川は信じて欲しがっている。どうしても直也に汚いものと思われたくない。そんなあがきを感じる。


 内容をすべて聞いたあと、やんやん───直也は雪織の手から手紙を奪い、食い入るように読み直していた。


 雪織は緊張したのか、読み終わったあと、ふうと息を吐き、顔を手のひらでパタパタ扇ぎながらベランダに出た。


 俺はなんとなく封筒を手に取った。質量に違和感を覚え、見たらまだ何かたくさん入っていた。薄い便箋のサイズよりは硬くて少し小さめの紙束。


 取り出すとそれはたくさんの写真だった。


 一瞬浮気の証拠写真を連想したが、そこには笑顔の百合川が写っていた。角度的に自撮りだろう。メイクをばっちりして、おそらく彼女にとって一番いい角度と表情なんだろう、やや見開きがちの目の同じ顔で写っている。服も変えて何枚も写している。トランプのカードのように一枚ずつ置いていくが、どの写真も似た感じに丁寧に撮っていた。


 面倒になって床にばさりと広げるとかなりの量だった。何枚も何枚も、百合川の写真があった。

 その枚数の多さには『未練』しか感じられなかったし、謎の熱量には少しゾッとした。


 それから最後の一枚だけは直也も写っていた。二人で幸せそうに笑っている。というか、直也は見たことのない腑抜けた顔でニヤけていた。


 ふと見ると直也が呆然とその写真を眺めていた。


「ね、人見君」


 ベランダから外を見ていた雪織が、俺を小さく手招きして呼ぶ。隣に行くと、ごく小声で言う。


「あれ、あそこにいるの……百合川さんじゃないかな」

「えっ」

「最初隠れようとしてたんだけど、わたしがいるの見て慌てた感じに出てきて……また隠れた」


 隠れる予定が、女子がいたので思わず二度見してしまったのではないか、というのが、雪織の推測だ。言われてみれば倉庫の影に人がいた。

 確かに女性の骨格だ。しゃがみこんで、フードを目深に被りマスクをしていてあからさまに怪しい。百合川じゃなくとも、とりあえず追い払ったほうがいい。


「あいつ……海外とかに行ったんじゃなかったのか……」

「どこに行ったのかは知らないけど……来ちゃったんじゃない?」

「何しに……?」


 俺の疑問に雪織がきょとんとした顔で言う。


「え、だって、百合川さん……組木君のこと、すっごい好きじゃない?」


 雪織は俺と違い、あの手紙に対して素直な受け取り方をしたようだ。


 しばらく百合川らしき人影をふたりで呆然と見ていると玄関のほうからものすごい速さで人影が飛び出した。


「まりりん!! まりりぃぃーーーん!!」


 ヒソヒソ声で話していたのにしっかり聞こえていたらしく、直也が百合川を捕獲していた。


「やんやん!」

「まりりん!」


 庭から熱い声が響く中、雪織と顔を見合わせた。


「百合川さんのおうちの事情、いまいちわかんないんだけど……一家で雲隠れしてたのに、こんなとこ来ちゃって平気なのかな?」


 百合川の父親は確か経営者なので、おそらく会社に負債を残して失踪しているパターンだろう。探しているのは給料を未払いでもらえてない従業員、それと債権者の類。百合川は直接的には無関係とはいえ、見つかるのはあまりよろしくはないかもしれない。


「まぁ……もう陽が落ちてきたしな……」


 大抵のことは夜のしじまが隠してくれるだろう。


「じゃあ……わたしは帰ろうかな」

「ああ、そうだな。ありがとう」


 実のところ俺が直也の部屋にこのまま勝手にいてもまったく問題はないのだが、雪織がいるとなると話は別だし、彼女には都合があるだろう。


 家を出たときやんやんとまりりんは姿を消していた。


「あらぁっ、恭ちゃん! 彼女?」


 そこにいたのは直也の母親の律子さんだった。あと数分早かったら百合川とやんやんを発見していただろう。危ないところだった。


「来てたのね。じゃあ直也ももう帰ってるのかな」

「直也は俺の家にいます。俺は彼女を送ってから家に戻ります」

「あらそう」


 数歩行ってから振り返り、直也の母に声をかける。


「あ、そうだ」

「ん、なあに?」

「もしかしたら、直也、今日はうちに泊まります」


 直也はもしかしたら明日、最近失っていた余裕を取り戻しているかもしれない。

 かつて彼の持っていた余裕は、俺が気づいていなかっただけで、根底には俺への優越感を含む物だったのかもしれない。俺にはあいつの考えていることなんて、わからない。

 ただ、あいつはそれでいい。そのほうがあいつらしい。





 直也の家からだいぶ行ったとき、雪織が気の抜けた声を出した。


「組木君、人見君の家に泊まるの?」

「あ、いやあれは嘘だけど……」

「え? じゃあどこに泊まるの? だって組木君、さっき百合川さんと……」


 雪織はそこまで言って、黙り込み、頬に手を当てて赤くなった。


「えっとあの、あの、組木君のお母さんさ……」

「ん?」

「組木君にそっくりだね」

「……ああ、そうだな」


 直也の母はショートカットで眼鏡をかけた小柄な女性だ。並んでいると一目で親子とわかる。昔から知っているのでいまさらどうも思ってなかった。話を逸らそうとしたのもあるだろうが、初めて見た雪織には軽い衝撃だったらしい。


「雪織、付き合わせて悪かったな」

「ううん……気にしな……あ」

「え、どうした?」

「あ、でも、そしたら……えっと……」

「ん?」

「人見君に……お願いがある」


 俺は普段から何かにつけて人に頼まれごとをされることは多いが、そういうのはわずらわしく思っている。大体はろくに聞かず「断る」と即答する。今も即答した。


「なんでも言ってくれ」

「やったあ……!」


 雪織が喜んだ。何を頼まれるのかわからないが、俺は今すぐ脱いで踊れとお願いされたら真顔で躊躇いなくやれる男だ。


「あの、寄り道、したいなぁ……夜はまだ長いし……」


 そう言って雪織がはにかんだので、夜が延長された。あと百億年分くらい延長されねえかな。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る