第12話 雪織千尋の音読
1
人見君と組木君が固唾を呑んで見守る中、わたしはリュックから封筒を取り出す。
空気が薄い緊迫感に満たされる中、人見君が口を開いた。
「俺が先に読む」
そう言って、手を伸ばしてくる。
「えっ、でもこれ組木君宛なんでしょう?」
「それでも……俺は百合川に、先に読んで渡すかどうかを決めていいと言われている」
「でも、もうここまでなんとなく知ってるなら、同じじゃないの?」
「それでも、直也がどこまで知ってるのか俺にはまだわからない」
なんとなく、組木君を見た。へらりと笑っていた。
「恭介はそこがわかれば、おれに渡せる?」
「そうだな。俺が何も言わない状態で、お前が知ってるなら……」
「あのねえ、全部だよ」
「全部ってなんだ。ちゃんと言え」
「んー、おれ、鞠ちゃんと恭介が南第二公園で会って話してるとき、裏の茂みにいたから」
組木君の言葉に人見君が口を開けてぽかんとした。そんな表情も彼の性格だと意外性があって、ちょっと見惚れてしまう。
「……直也、なにやってんだよ」
「あの日、ちょうど暇だったから恭介んち行こうとしてたんだよ。そしたら鞠ちゃんがいて……めちゃくちゃ蚊にさされたけど、後つけて茂みで全部聞いてた。これは……」
組木君がわたしの手から封筒をすっと奪い取った。
「恭介がどこかで鞠ちゃんが浮気してるところを見て……そのことについて書いてある」
そんな内容とは思わなかった。びっくりして思わず人見君の顔を見た。表情には変化はなかったけれど、そのままゆっくりと頷いた。
「そうだ。謝罪なのか、言い訳なのか、わからないけどな……でも、そこまで知ってるならもういいよ。俺がどうこう言うことじゃない。お前が読め」
「う、うん……でも恭介も気になるよね。そしたら雪織さん、今ここで音読してよ」
「ひぇ? わたしが?」
「おれもちょっと怖いしさ……みんなで同時に中を確認しよう」
「そ、そんなぁ……よくないよ」
「俺に読ませられるくらいだから雪織も大丈夫だろ」
「でも……」
もしめちゃくちゃえげつないこと書いてあったら、ちゃんと読める自信がない。あと、ないとは思うけど万が一人見君が相手だとか書いてあったら……その場でビリビリに破いてしまいそうだし、わたしの心臓がヤバい。
しかし、幼馴染みであるらしい男子二人は頷き合い、謎の意思疎通を見せている。これは断れる雰囲気ではない。むしろ決定事項のようだ。
わたしは覚悟を決めて封筒を開けた。
やたら分厚く、重量からもペラいちの手紙ではないことは予想していたが、中にはさらに三つ、封筒が入っていた。なぜ、一通にまとめなかった……。
三つの封筒を並べてみる。表面には『組木直也様』と書かれていた。
「ん……? これだけ、人見君宛」
ひとつだけ人見君へと書かれている。
組木君がどことなく情けない顔で人見君を見たけれど、人見君はそちらを見ることなく無造作にそれを開封した。
人見君はそれを五秒ほど見つめてから、わたしと組木君の前に差し出した。文面はごく短かった。
*****
人見君へ。
あのことを言うなら、人見君が中を見て、一番直也君にとって良いと思うものだけ渡してください。
*****
「こいつ、ほんと自分で決められないんだな……」
呆れたようにこぼした人見君の声にすかさず組木君が「鞠ちゃんの悪口言うな!」と怒った。
「悪口じゃねえ。事実だ」
そこはどっちでもいいが、どうするつもりなのだろう。
人見君が手紙に向き直り、口を開いた。
「……両方この場で開けよう」
「えぇっ……でも、百合川さんの意思は……」
「百合川が決めろといって、俺はそれが一番いいと判断した。だいたい直也、お前は俺にお前の幸せを決めてもらいたいか?」
「ぜんぜん決めてもらいたくない。まったくもらいたくない。なんでおれと鞠ちゃんの……」
ブツブツ続ける組木君の声を遮るように人見君が「よし、決まりだな」と言った。
「じゃあ、雪織、頼む」
そう言ってわたしに二枚の封筒を預けてくる。
「やっぱり……わたしが読んだらダメじゃない?」
「一番無関係だし……おれと恭介が同時に聞けるし……放送部だし……! それがいいと思うんだよ!」
「ほ、放送部関係ない!」
「ひとりで読むの怖いんだよ〜。でも恭介に先に読ませたくもない」
四つ折りにした紙が入っていて丸っこい字が羅列されていた。そのまま音読する。
*****
組木直也様
人見君から聞いたと思いますが、あたしは夏休み中に浮気をしました。
もともとあなたのことは遊びで、好きでもなんでもなかったです。
あたしのことはどうか忘れてください。
*******
シンプルだった。白目がちに顔面蒼白になっている組木君を横目に、急いで二通目を開封する。
「じゃあ、二通目いきまーす」
*****
直也君へ。
人見君が夏休み中に見たのは誤解です。
あたしは浮気なんてしてません。
あれは親戚のおじさんと歩いていただけです。
あたしが好きなのはあなただけです。
きっともう会えないけど、信じてもらえたら嬉しいです。
*****
真逆のことが書いてあった。
一枚目は自分を忘れて幸せになってほしいという意図を、二枚目は最後だから好きな気持ちを伝えたいという意図を感じる。
この二つを人見君に選ばせるというのは最初から真実を言う気はなくて、そのくせ本当に自分で決められなかったのだろう。
ただ、組木君の顔を見たら、浮気していてもしてなくても、同じなんだと思った。
彼はずっと、目を潤ませて懸命に聞いていた。
たぶん事実がどちらでも、彼が百合川さんのことを好きなのは変わらない。組木君の愛は、ある意味相手の意思と無関係に存在する強いものに感じられていた。
今日会ったばかりだけど、彼には気弱なのに達観しているような、子どもっぽいのに大人なような矛盾した人間性が見え隠れする。
この手紙について、わたしはどう思えばいいのかわからない。無関係だから、どうも思わなくていいのかもしれない。
揃って黙り込む中、組木君のスマホが音を立てて震えて鳴り出した。彼はそれをポケットから出して、ちらりと見たが、特に出ようとはしなかった。スマホを見つめたまま口を開く。
「最近……よく電話がかかってくるんだ」
組木君がポケットからスマホを取り出しながらそう言う。そういえば、わたしといるときもかかってきていた。
「……誰から?」
「いや、相手はわからないんだ。いつも非通知からで……基本無言電話ですぐ切れる。さっき雪織さんといたときのも、出たらすぐ切れた」
「ただのいたずらじゃないのか?」
相変わらずどことなく渋い顔の人見君が口を挟む。スマホはふつりと切れた。
「……おれは、鞠ちゃんだと思ってる。調べたら公衆電話とかからのも表示は非通知で出るらしいんだ」
「無言なんだろ? なんの根拠で……?」
人見君は懐疑的だ。でも、組木君は表情も変えず気に留めた様子はない。幼馴染みって言ってたっけ。この二人は友達というより兄弟みたいな、でもそれよりは距離感のある、ちょっと独特な空気感というか、関係性を感じたりもする。
「息の音がした……あれは、鞠ちゃんの吐息だった」
突然変態的なことを言い出した組木君に、わたしは若干引いた。人見君の顔を見ると、眉根を寄せて目を瞑り、こちらもなんとも言えない顔をしている。
再び組木君のスマホが鳴った。彼がスマホを表にして向けてくる。人見君と一緒に覗き込むと、表示は『非通知』となっていた。
電話は鳴り続ける。しばらく誰も動かなかった。スマホはずっと必死に彼に呼びかけているようにも感じられた。
小さな風が吹いたのをきっかけにわたしは立ち上がった。
「あの……わたし、もう帰るね」
「えっ」
「時間が……そろそろ。ありがとね」
「あ、そうか。俺も行くよ」
人見君も立ち上がった。
「え、いいの?」
「うん。俺もここにいても仕方ないしな」
組木君に軽く手を振って彼の家の庭を出た。
少し行って振り返ると組木君はスマホをそっと耳に当てていた。
相手はもちろんわからないが、彼はスマホを耳に当てたまま、口は穏やかに弧を描いていた。
それは、若干サイコにも見えるのに微笑ましさの同居した奇妙な風景だった。
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