第9話 人見恭介の衝撃
1
いい加減加藤を帰宅させるため、一緒に高校を出た。
ただ、俺は本館と校門の施錠をしないで帰るわけにはいかない。あまりにしつこい加藤の帰宅を見届けたら戻ろうと思っていた。
傘をさし、駅へ向かって加藤と連れ立って歩き出す。
加藤に見初められた憐れな女子生徒のことも気になる。なぜ、こんな時間に校舎にいたのか。彼女がロッカーの中身に関係しているならば問いただしたい気持ちもある。
「なぁ、お前が見たのって、どんな女子だったんだ?」
「……天使」
「そういうんじゃなくて……」
「え? ほかにある?」
「特徴とかだよ。……本当に人間を見たんだろうな? 風で飛んできたビニール袋とかじゃねえだろうな……」
「見た。髪は長くて、顔が可愛い。声も可愛い」
「声?」
「オレを見て声を上げた」
「それ悲鳴だろ……もう振られてんじゃねえの」
「いや、暗かったからびっくりしただけだろ! 白昼堂々逃げられた前回とは違う!」
「はぁ……」
「人見。お前はほんとーに見てなかったのか? 誰かいなかったか?」
加藤は興奮冷めやらぬ調子で話し続ける。
「なぁなぁ、天使は何年生かなぁ。もしかして歳上かなぁ。甘えさせてくれたりするかな。あでもオレって包容力あるから歳下でもぜんぜんオーケーなんだけどね。もちろん同級生だと修旅とか一緒に行けていいよな。なんて呼んでもらおうかなぁ。キュウちゃん? あっ! なぁ最初のデートはどこに誘えばいいと思う?」
超絶ポジティブ男、
「なー、人見、なんか食ってかねえ?」
「この雨の中……アホかよ。もう帰ろうぜ」
「フヒヒッ、雨なんて降ってますかぁ?」
「思い切り振ってるだろ……」
イラッとくるつまらないボケを言うあたり、加藤はかなりテンションが上がってる。
結局駅まで来てしまった。何度かさりげなく話を終わらせて別れようとするが、もう何百回目かの恋の熱に浮かされた加藤はなかなか俺を解放しようとしない。
「なぁなぁ人見、明日一緒に捜してくれるか?」
「明日はお前……予定あるだろ」
「……ん? なんの?」
……確かこいつが振られて落ち込んでるから集まって慰めるんじゃなかったか。加藤は相変わらず話し続けていて、改札に入ろうとしない。
「なぁ、もう次の電車来るぞ」
「お、じゃあ行こうぜ」
「俺は……よく考えたら歩きで来たから、定期を置いてきてんだよ」
「はははっ、うっかりだな! そうか! ならばオレも歩いて……」
「いやいやいや、お前は電車で帰ったほうがいいよ。雨もすごいし……俺んちは一駅だけど、お前んちは確か五個くらい先だろ」
「わかった!」
「……よし」
「明日は大捜索しなきゃな……! いやでもあれだけ可愛かったら案外すぐ見つかるかもな! でも一応……」
話が終わると思ってから追加で話し続けてなかなか解散しない中年女性を思わせる動きで加藤はなかなか動こうとしない。
いい加減苛ついてきた。
しかしこいつはターゲットを見つけると一晩中でも語り続けそうなテンションで人に絡む傾向がある。おまけに図々しく好奇心旺盛なので、あまり強引に帰らそうとすると余計につっかかってくる恐れがある。
「加藤、俺用事あるからもう帰るぞ」
「え、さっきまでそんなこと言ってなかったじゃんよー」
「今、思い出したんだよ」
「マジか! 急ぐなら電車で帰ったほうがいいんじゃねえの? 金ないなら貸すけど」
「いや……大丈夫だから!」
しかしながらこいつの帰宅は見届けないと油断がならないという問題もあった。
通常なら聞き流すこともせずにさっさと隠れてやりすごす類の話を延々聞かされ、ついに俺の我慢が限界に来た。
俺は加藤の両方の肩に手をかけてぐいぐいと押した。
「お? なんだ?」
無言で力強く押して、改札に向かう。
「お……? おお? 人見! なんだ? 何ごとだー?」
改札の前まで来て言う。
「おい、定期を出せ」
「なんだよ? そんな怖い声出してぇ。なーにをそんなに焦ることがあんだよ。まだ電車いっぱいあるだ……」
「定期を……出せ」
「な、なによその顔……! わーかったわかったよ。これが定期どぇーす! フヒッ」
加藤が半笑いで定期をぴょろんと出した瞬間すばやくそれを奪い、自動改札にぽんと当てて定期をその手に押し付けて返し、ぐいっと背中を押した。
「おい、人見……人見ー?」
「さっさと帰って……寝ろ!!」
捨て台詞を吐いて踵を返した。
2
やっとのことで加藤を帰宅させた俺は走って高校に取って返した。依然として雨は激しく、走っていると傘はあまり役立たず、靴下まで染みてるし頭もビショビショだ。
急いで校舎に入り、下駄箱をざっくりと確認する。
組木直也。帰宅。丹下美和子。帰宅。
念のため、ほかもざっと見て帰宅していないやつはいなかった。もう全員帰ったらしい。加藤の探してた彼女もおそらくもういないだろう。
職員用玄関の電気を消して、施錠してから校舎を出た。
結局、百合川のロッカーの中身は回収できなかった。誰が盗んだのかもわからない。
校門へ向かおうとすると、少し離れた駐輪場の屋根の下で何かが動いた気がした。見間違いかもしれない。もう少し近づいてみる。雨が凄すぎて視界が悪く、よくわからない。
近づくにつれてその人影が髪の長い女生徒だとわかった。
「ここにいたか……」
おそらく、俺の前に備品室にいた子だ。それからさっき扉越しにいたのも彼女だろう。気配ばかり感じていて本体になかなか会わなかった。
女子生徒は激しい雨音で俺の接近には気がついていなかったらしく、かなり近づいてからハッとしたようにこちらに顔を向けた。
一台だけ置いてある自転車を真ん中に、俺と彼女は向かい合う。
「さっき加藤に追いかけられてただろ。大丈夫だった?」
「あ……さっきの……人? ありがとうございます」
激しく降る雨と少しの距離に遮られ、女子生徒の顔はろくに見えなかった。
「もしかして今日備品室にも行った?」
「え、うん。行ったけど……」
「何をしに?」
少し厳しく追及するような聞き方をしてしまったと思う。声を出してからそのことに気づく。
「わたし……夏休みの宿題を……ロッカーに入れっぱなしだったから、取りに来たの」
「え……?」
「宿題……やりました?」
「あぁ……初日にはもう終わってたけど……置いて帰ったのか?」
「……うう。そう……一式……フルセットで。それで、今日気づいて……急いで取りに……」
「……で、何してるんだ? 宿題はもう」
「回収したよ。でも……傘を忘れちゃって……」
どうやら、どこまでもうっかりした子らしい。
「……なんだ」
あまりに毒気がなく言うものだから、思わず笑いが漏れた。なんだか力の抜ける子だ。
「あ、あの名前……聞いてもいいですか? その……さっき、わたしが追いかけられて隠れてたときのお礼とかしたい」
「いや、そういうの、べつにいいから」
「え、あ……うん」
少ししょんぼりさせてしまったのが伝わってきて焦った。元はと言えば加藤の自分勝手な迷惑なのだから助けたお礼はいらないが、名を名乗りたくないとか、そういうわけじゃない。
「俺は人見……人見恭介」
「ひとみ……?」
暗闇の中、彼女の口が俺の名前を繰り返すように、ゆっくりと発声したとき、胸のあたりをざわりと撫ぜられるような妙な感覚に侵された。
「……名前は?」
「あ、わたしは……雪織千尋です」
「雪織……あぁ」
くしくも夕方に聞いたばかりの名前だった。
加藤の振られ候補として挙げられていた。おそらくあの時点ではその予想は違っていたが、彼女が加藤の言う天使なら近い未来に現実になるだろう。
二年生の一学期が終わったところだが、人の顔や名前を覚えることにそこまで興味関心がないので、見たことがない同級生がいるくらい、俺にとってはよくあることだった。
ざかざかと降る雨が駐輪場のトタン屋根に叩きつけられる音が一層うるさくなって、少しの時間二人黙っていた。
彼女にちらりと視線を向ける。ただでさえ暗闇で見えにくい彼女の顔はうつむきがちな上、ゆるく吹いた雨風が長い髪の毛を靡かせて、ますますよく見えなかった。
風が通り過ぎたあと、雪織千尋が顔に張り付いた髪の毛を直すように指で避けた。
そのとき、雨足が急に弱まって、音も視界も急激にクリアになる。
一瞬の静寂。
直後、雷が光った。
そうして、彼女の顔を一瞬だけ、はっきりと照らした。
目と目が合って、お互いの顔を認識した。
雪織千尋の澄んだ大きな瞳も、人形のように通った鼻筋も、美しく小さな唇も、ぱつんと切りそろえられて少し濡れた前髪も、全部見えた。
その一瞬は永遠のように網膜に焼きつき、俺はしばらく動けなかった。
そうして、遅れてものすごい音で雷が落ちた。
なぜだか頭の中に、加藤の声が大音量で再生される。
「あのなぁ! 世の中にはっ! あるんだよ! こう……お互い! 会った瞬間に雷鳴轟く出会いで……! ドンガラガッシャーン! って恋に落ちる出会いってやつがよぉ!」
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