第5話 人見恭介の初恋
1
俺が東校舎に行く前にはまだロッカーは閉まっていた。中身がないだけならともかく、鍵が壊されていたのが気になる。
おそらく校内に、中身を盗んだやつがいる。
急げば見つけられるかもしれない。
とりあえず下駄箱を目指そうと階段を二段抜かしで降りていくと目の前に巨大なアフロのシルエットが現れた。
「人見ぃ!」
「うわっ、加藤、お前もう帰れよ! 宿題終わってんのかよ」
「あっ、問題集がまだ残ってる! 明日写させてくれよ」
「嫌だよ。自分でやれ」
「いや〜ん! そこをなんとか!」
「俺の宿題はお前が楽するためにあるんじゃないんだよ。帰って自力でやれ」
「そんなことより人見ぃ〜! いなくなった! オレの天使がいなくなったんだよぉ〜! あれは悲しいオレの見たマボロシだったのか!?」
「知らん……知らんぞ……。俺は今急いでいるんだよ……」
ゾンビのようにすがり、へばりついてくる加藤を何度も引き剥がしながらもふと、さきほど備品室に先に人がいたことを思い出す。
なんとなく女子生徒だとは想像していなかったが、もしかしたら加藤の言う通り誰か女子がいたのかもしれない。
ただ、もし仮にそれが加藤のいう彼女だとすると、東校舎の備品室で何かを探していた。備品室にあるものなんてガラクタばかりで、ロッカーの鍵以外の有用なものなんて俺は知らない。何か関係はしているのだろうか。
「なぁなぁなぁー人見ー、あの子……」
「うるせえな。どうでもいいよ」
突き放すとムッとした様子で食いかかってくる。
「お前は誰かを好きになるという心がわからんのか!? わかれよオレのこのはちきれんばかりの恋心を!!」
「だから知らねえって……」
「お前モテるくせに振りまくってんだろ? 本当に男子高校生か?!」
「あー……なんか、面倒くせえし……」
「……っがッ! さっきまでひとりで死ぬつもりだったが……お前を殺してオレも死ぬーっ!!」
「やめろ。死ぬならひとりで死ね」
「それが嫌なら諦めてオレの天使を一緒に捜してくれよぉー!」
「諦めるのはお前だ。だいたい初対面で告ってうまくいくわけねえだろ」
「そんなんわからないだろー」
俺は加藤という男が本気で理解できない。
俺は高校生の男が女子と付き合うことに性欲解消以上のメリットを何も感じられないし、それと天秤にかけても女子との関わりなんて面倒で疲弊しかしないものとして避けている。
俺の家は母子家庭だが、今は母がたくさん働いているので生活に困っているということはない。ただ、あんな働き方は将来的に長く続けられないだろう。
俺は自分のこづかいはバイトで稼いでいるが今現在は家に生活費を渡したりはしていない。母が働ける時期にその時間はなるべく、将来金を稼ぐための勉強に当てたい。
俺と学校の女子は……もしかしたら男子も、見ているものが違う。彼等は『今』しか見ていないし、今を楽しむことに疑問を抱いてない。俺は本音をいえばさっさと大人になってきちんと金を稼ぎたいと思っていた。
「気のせいじゃねえのか……いるかいないかもわからんお前の幻覚を捜してる暇はねえよ」
「いや、いたって! オレ見たもんよ! とんでもない美少女!」
「そこが幻覚くさいんだよな……同じ学校にそんなのいたら俺はともかくお前は知ってるだろ」
「いや、オレはいつも恋をすると一直線でほかの女子は目に入らなくなるから! 今まですれ違っても気がつかなかったんだよきっと……!」
異様に惚れっぽくてストライクゾーンが広いくせにストーカー気質。存在が通り魔みたいな物騒な奴だ。俺が女ならこいつには顔も名前も認識されたくない。
「……だいたい一目惚れとか、人間の内面をまったく見ずに落ちる恋なんて錯覚もいいとこだろ……」
「おま、なんてこと言うんだよ……!」
「だってそうだろ。好みの見た目に思い込みで人格を勝手に作ってんだろ。相手からしてもいい迷惑だよ」
加藤は急に真顔になった。
「あのなぁ! 世の中にはっ! あるんだよ! こう……お互い! 会った瞬間に雷鳴轟く出会いで……! ドンガラガッシャーン! って恋に落ちる出会いってやつがよぉ! オレはこれから彼女とそれをするんだよ! 一生のお願いだ! 手伝え!」
腹の底から呆れた息を吐いた。
「くだらねーな……お前、女女女って……よくそんな夢中になれるな。ほかに考えることないのかよ」
「……人見、もしかしてお前、誰か好きになったことはねえのか?」
そう言われて、頭にひとりの女子の顔がポンと浮かんだ。しかし、即座にかき消す。
「なぁ人見、お前は恋愛感情を知らないんだろう。いくらなんでもドライすぎる」
「お前がドロドロに粘着過ぎんだよ……タールかよ」
「いやマジでマジの話、お前なんかある? 恋がまったくわからないからそんなことが言えるだけじゃないのか? そうだろ」
人ならざるやつに人ならざるものを見る目で見られてものすごく心外だ。加藤はその瞬間、まるで自分のほうがマトモみたいな顔をしていて、腹立たしい。
「俺だって……全くないわけじゃない」
「いや嘘だな。言ってるだけだろ……お前のような無味乾燥冷血人間が恋をしたことがあるわけないもんよ。わからん奴に何言われてもなんの説得力もないっ!」
「いや、あるって……」
「ほう、じゃ、聞かせろよ」
「……たいした話じゃない。もう帰れ」
「はー……はいはい本当はないんだろ。言えるなら言えよ」
「……わかったよ……本当にたいした話じゃないからな」
「マジであんの?!」
2
去年の四月の土曜日のことだった。
俺は忌々しい従兄弟の戎宗太郎に持ちかけられ、こづかい稼ぎでお使いをしていた。
なんでもセンサイな楽器が入ってるとかで宅配便を使いたがらなかった宗太郎によって、A地点からB地点までモノを移動させるだけの簡単なお仕事だ。
その道すがら、ついでに入学したばかりの高校の横を通った。中には入らなかったけれど野球部が練習をしているのが見えた。
それを眺めてからその少し先にある、低い山を切り崩して作られた大きな公園に入った。もしかしたらここを突っ切れたら、目的地までの大幅なショートカットになると考えたのだ。
四月の休日の公園はのどかな雰囲気に満たされていた。
人がたくさんくつろいで、花見をしている中を突っ切って、さらに奥の芝生に踏み入った。
そこは思った通り人は少なかった。何しろ桜が奥に一本しかないのだ。高いフェンスがあって行き止まりになっていたが、思った通り向こうは目的地と近い通りに面している。このくらいの高さなら上って越えてしまおう。そちらに向かって歩を進める。
誰もいないと思っていた桜の樹の根本には、ひとりの少女がいた。
自分と同じ高校の制服を着て、静かに眠っていた。
頬には木漏れ日が射していて、美しく、いっそ神々しかった。
はらはらと上から降っていた桜の花びらがおでこにふわりと一枚のった。
それでも少女は起きようとはせず、眠っていた。
「そ……それで? どうしたんだよ」
加藤が期待に満ちた声音で問いかけてくる。
「……ん? どうもしていない」
「いや、起きてなんか話したんだろ?」
「いや、起こすのも変質者だし、長時間眺めるのも変質者だろ。俺はすぐ立ち去ったよ」
「ば……」
「ん?」
「バカじゃねえの!? ていうか、今ののどこが恋の話だよ!! 目え開いてるとこすら見てねえじゃねえかよ!」
「いやだから、大した話じゃないって言ったろ。ていうかお前だって似たようなもんだろ。お前にだけは言われたくない」
「俺ならその場で起こして告ってる!」
「……それが駄目なんだっていい加減気づけよ……」
まぁ確かに、これを恋の話としたのはいささか強引だったかもしれない。俺はべつにあのときの彼女と付き合いたいだとか、思ってもいない。同じ高校の制服を着ていたが、捜そうとしたこともない。実のところ全く恋愛とは思ってない。印象深い女子の思い出として出しただけだった。
ただ、彼女の寝顔、もっというと光景そのものが脳に焼き付いてしまって、そのあと数日間に渡って、ことあるごとに再生されたのは事実。恋愛と聞いて、それしか出てこなかったのもまた事実だった。
この現象が何なのかは正直わからないが、生活に差し障るほどではないので放置していた。そのうち忘れるだろう。
「人見、お前が人を愛せない冷血人間であることはよくわかったよ……恋を知らないなんてマジで貧しい人生だなあ」
「なぁ……豊かな人生の加藤、明日始業式あるだろ」
「えっ…………あっ、そうか」
「そうだよ。お前の天使は明日捜せばいい」
こんな夜に万が一加藤に発見される女生徒が気の毒になったので、加藤に帰宅を促した。どの道俺は施錠のため、残っている生徒はさりげなく追い返さなければならない。
「もうあと一周だけしたら帰るからよ……フヒヒッ」
「いやマジで今すぐ帰れって」
「五分したら本当に帰るってー」
加藤とそこで別れた。
俺はそこで気になっていた背後の廊下を確認する。曲がった奥、誰かがそこにいる気配があった。
「誰だ。そこで何を」
見に行くと壁に張り付くようにしてひとりの女子生徒がいた。女子生徒はうつむいていた頭を勢いよくバッと上げる。
「どもども! わたしは新聞部エースの丹下でございます!」
「知ってるよ……お前一年のとき俺と同じクラスだったろ」
「いやいやさっきの話、この耳でしっかり聞かせてもらったよ! スクープの匂いがぷんぷんした!」
「いや、しねえよ。鼻がおかしいんじゃないのか」
「一年のときから誰にも靡かぬ冷徹乾燥イケメンの人見君の恋話、興味深くうかがったよ! 記事にしていい?」
「すんな。絶対すんな」
「でもさ、記事にすればその彼女探せるけど?」
「……べつにいい。そこまでする必要はない」
「気にならないの?」
「四月の土曜日に制服でいたんだから、先輩の可能性が高いし……もう卒業してるかもしれないだろ」
休日に制服で高校に来るのは文化系の部活の可能性が高いが、あのタイミングでは一年はまだ仮入部が始まっていない。そうすると当時の二年か三年だ。
「にゃんだよ。しっかり気になってたんじゃーん。ワンチャンまだ三年にいるかもしれないよ?」
「べつにいい」
「なんでー」
「そこまで興味がない」
それに、あんな光景の中見た女なんて、会ったらどうせ幻滅するだけだ。
あれはどこかお伽話めいていた。
海で出会った男女は長続きしないという話があるが、現実に生きる彼女を見たところでガッカリするだけな気もする。それに。
「俺は恋愛とか、どうでもいい。人生の邪魔にしかならないからな」
「おおう……高校生男子とは思えない枯れっぷり……カサカサ乾燥人間人見……」
「ところで丹下、もう帰るだろ」
「そうだねえ。今日はオモロい話も聞けたし……お腹も減ったから帰るよ。人見君は?」
「俺ももう少ししたら帰るよ」
「んじゃねー」
元気よく立ち去ろうとした丹下の背中に声をかける。
「まて、丹下」
「ん?」
「さっきの話……間違っても言いふらすなよ」
「もちろんだよ〜!」
丹下は目を逸らしたまま力強く頷く。
あ、コイツ……。
「……書くのも駄目だ。もちろん打つのもな」
「えぇ〜!?」
まったく、もう施錠するというのに、この高校の校舎には一体何人隠れているんだ。
丹下は下駄箱のほうに行った。念のためほかにいないかもう少し見まわって確認してから帰ろう。加藤の見た女生徒が帰ったかどうかもわからないし、ロッカーを壊した犯人も気になる。
3
校舎を見まわっていると、案の定怪しい人影があった。体格は小柄な男子生徒くらい。
廊下の奥のほうにいたが、俺の姿を見留とめた途端、弾けたように走り出した。怪しさ満載だ。
ロッカーを壊したやつかもしれない。
全速力で追いかける。
人影は階段を上り、一瞬姿を消したがなぜか焦ったように戻ってきて、俺の姿を見て取って返すようにまた上階へと移動した。
足は速いほうだ。そして向こうはあまり速くないやつのようだ。ぐんぐん差は縮まる。すぐに捕まえられた。
「おい、何してんだ」
肩を掴んでこちらを向かせる。
そこにはよく知った顔が汗だくで息を切らせながらへらりと笑っていた。
「や……やぁ、恭介」
「……直也」
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