第39話

 椎名は学校の中庭のベンチに座っていた。

 三人はあの場所から逃げるように、ここに来ていた。


「まず、あの幼馴染は何者なのかが問題よ」


 ホノカが広域にジャミングを設置しながら言う。


「存在しないはずはない」


 彼女はずっとそばにいた。昔の記憶もはっきりとある。未来の子供が死んだり、いたはずの幼馴染も消えたとしたら自分はなんなんだ。


「ジャミングの応用よ。私たちが認識されないのは相手の記憶に干渉できるから。きっとあなたはそんな改ざんした記憶を刷り込まれたの」


 椎名は世界五分前仮説というものを思い出した。

世界が五分前に誕生した、という仮説を否定することができないという説。過去の記憶だけを植え付け『覚えていた』という状態で、五分前にすべてが誕生したとしたら。

 同じく自分も幼馴染の記憶だけを植え付けられていたとしたら……。

 だとしてもなんでそんなことをする? そしていったいあの彼女はなんなのだ?


「大丈夫よ、落ち着いて息をして」


 ホノカに背中をさすられ呼吸は少しだけ落ち着いたが、同時に嫌悪感がわいた。なんて痛みに鈍感なのか。魔法が理由なのか? 短い間だとしても一緒に暮らした人間が消えたのに。


「わかっていることは、その謎の幼馴染とのフラグが立ち、その座標を目印に魔法少女が跳んできたということ。……そしてあれはまずい」


 妹を失ったナナも冷静だ。


「お前たちと何が違うんだ」


「明らかに魔力のレベルが違うの。そしてフラグが立った対象が機構側に利用されていたとしたらまずい。いえ、ジャミングの魔法すら使えたのだからおそらく……」


 ホノカが危機を訴えるが、椎名には理解できなかった。


「未来は変わらないんだろ。ここで何が起こっても、魔法が生まれ戦争が起こり、その後世界が秩序を取り戻すっていう世界線は変わらないって」


「それがFポイントと呼ばれるもの。魔法の誕生によって時間の流れが計測できるようになって生まれた言葉。過去の人間が宿命論とかアカシックレコード、アガスティアの葉などと呼んでいた存在よ。だから秩序を取り戻すというポイントまでは変わらないわ。……でも、その後はどうなると思う?」


 ……どうなるとはなんだ? 今は失われたノゾミのことを話していた。それなのに未来のことを予測しろと? この今の出来事さえ受け入れられないというのに。


「俺が生きているのは今だ。勝手に未来の話を持ち込まないでくれ」


 未来のことは勝手に未来で処理するべきじゃないか? なんで勝手に子供が出てきて、そして消えていく? なんでそんな苦しい物事を押し付けるのだ?


「秩序を取り戻すために私たちがどれだけ苦労したか。あなたはわかってない」


「わかるわけないだろ。俺に関係ない未来の話だ」


「関係ないですって? この世界の未来なのよ。そして私はあなたの……」


「だから重すぎるんだよ!」


 椎名は思わず叫んだ。体に溜まってた黒いものが吐き出された。


「なんで全部俺が抱えなきゃいけない。お前が俺の子供だって証拠だってないだろ!」


 その言葉に、ホノカが目を見開き、後ずさった。


「それ、本気で言ってるの?」


「正式な手順がないんだよ。それなのにすべてを受け入れろってほうがおかしい」


「ママは何も説明していないのに私を感じてくれていた。それなのにあんたはこれだけ理屈を重ねてもなんにも理解できないの?」


「できるほうがおかしいだろ」


「もういい!」ホノカが叫んだ。


「あんたに期待した私が馬鹿だった。未来でも責任から逃げるような最低な人間だもの」


「俺は関係ない。今の俺には責任なんてないんだよ」


「私にはあるわ。世界を守るっていう正義がね。だからわざわざ未来から跳んできたの。でもあんたが父親だと知って後悔してる。原因は私に半分混じっているあなたの汚れた血」


「なんだと?」


 椎名の表情に一瞬だけホノカはたじろいだが、続けた。


「あなたが私に与えてくれたのは汚れた血だけ。混ざってなければ私は苦しまなかった」


「勝手に跳んできたくせに、黙れよ」


「ええ、黙るわ。あんたと関わった時間は本当に無駄だった。口もきくだけ無駄」


「黙れ!」


「そっちこそ黙れ!」


 ホノカは自動販売機を蹴り飛ばし、冷めた表情を向けた。


「……さようなら。もうあんたとは絶対に関わらないし、絶対に口もきかない」


 ホノカは椎名に背を向け走り、そして消えた。

 椎名はホノカが消えても動けなかった。自分は何をやっているんだと思った。追いかけるべきだったが体が重くて立ち上がれない。何も持っていなかった自分に、いきなり背負わされた荷物はあまりに、あまりにも重すぎる……。


「今のは言いすぎよ。……お互いに」


 ナナはまだ中庭に残っていた。


「レナとはよく喧嘩したけど、そこまで踏み込まなかった。基本的に並行世界の私たちの運命は同じで、物心ついたころにはあなたはいなかった。そしてすぐに母親が死んでしまう。でも私が違ったのはレナがいたこと。そして母の静はいなくなったけど凪さんがいてくれた」


 未来でナナとレナは、二人で孤独で分け合っていた。


「受け入れてくれたあなたはすごいと思うのよ。私はあなたに会うのが怖かった。未来から来た娘なんて、ほんの少しも信じてくれるとは思わなかった。でも、あなたはレナを抱きしめてくれたし、今もこうして悩んでいる」


 ナナはそっと椎名の肩の胸に手を添える。


「世界は秩序を取り戻すことは決まっている。魔法はウィルスのようなもので、一気に感染爆発をして弱毒化して消えるというパターン。そして私たちはウィルスが弱毒化するまで時間稼ぎするワクチンのようなものだった」


 魔法による時間稼ぎの処方箋。


「そんなワクチンは世界に三百二十一人。たったそれだけだった」


 世界を守るワクチンとするならば絶対的に数が少なすぎる。


「だからそのワクチンは厳格に管理された。急ピッチで魔法の解析などが行われ、血が関係すると結論づけられたの」


 ナナの話によると、ワクチンを生んだ女性に子供を量産させる計画も実行されたらしい。だが、それによって新たなワクチンの製造はできなかった。


「さらに私のような魔法をコントロールできる少女の子供を、という計画もあった。もちろん時間がないから卵子を取り出して試験管で、みたいな話になるのだけど、それも頓挫。時間がないというのが主な理由だけど、結論として魔法には愛という要素が密接に絡んでいると」


「もしもナナがこれから恋愛して、将来子供を作ったとしたら?」


「そんなケースはあった。十六歳の魔法少女が恋愛という正式な契約を挟んで子供を産んだの。生まれたのは少女だったけど、魔力は弱かった。つまり魔法は世代を重ねるごとに薄くなることも判明した。つまり血が薄まるということ」


 弱毒化。ナナたちワクチンは、その弱毒化までの時間を稼ぎ世界に秩序をもたらす。


「でもそれを覆されるかもしれない」ナナの顔が歪む。


「あなたとフラグの立ったのは魔法を使える存在よ。そして何者であるかわかっていない。世界が厳格に管理した三百二十一人はすべて知っているけど、この世界に来れるわけがない」


「なんで断言できる?」


「大半は十代の後半になると魔力が失われた。そしてその他は死んだ。私とレナ以外はね」


 魔法の暴走という混沌を終えるのに、多大な犠牲が払われたのだ。


「危惧しているのは、機構がどうやったのかタイムリープをして魔法を使える少女をこの時代に送り込み、あなたとのフラグを立てたという可能性。機構があなたの血を利用しようと考えたら危険なことになるかもしれない」


 変異したウィルスが送り込まれ、再び混とんに向かうことになるのか……。


「だからまずはあの幼馴染を名乗る何者かを探さねばならないの。そしてあれと戦わなきゃいけない。いえ、もう来ているようね」


 ナナが頭上を指さす。学校の上にはどす黒い輪があった。ジャミングの魔法だ。


「おそらくあなたがキーパーソン。私たちが敗北すれば、あなたは魔法によって記憶を改ざんされ危険なフラグを強化されることになる」


「俺はそいつを呼び寄せる餌のようなものか?」


「まずは自販機でエナドリを買って、あなたは疲れを乗り越えなさい。これは返すから」


 ナナが差し出したのは、椎名の財布だった。


「そして、ここで私たちの勝利を願ってて。負ければ世界は悪く変わるし、あなたがどう利用されるかもわからない」


 ナナは黄色い魔力を体にまとわせ、消えた。ジャミングの魔法だ。

 取り残された椎名は一人立ち尽くす。

 勝手な話だ。遠い未来のことなど自分に何の関係があるのか。

 少しずつ日が傾き、校庭の喧騒が小さくなる。魔法によるノイズで無関係の人間が学校から出て行っている。


 ……そして少女たちの最後のレースが始まる。


※次回更新は1/10です


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